世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.43

烏山の鴨池(高源院)

北烏山4-30-1

寺町の北の外れにある高源院の鴨池には、秋も深まるとたくさんの鴨が飛んでくる。コガモ、カルガモ、マガモなどが、浮御堂を映した水面を泳ぐ。夏には睡蓮などが咲き乱れ、赤い欄干にもたれていつまでも見飽きない。湧き水の涸れることのないこの池は、地域住民の環境協定で守られている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、高源院と烏山寺町の地下水

烏山寺町 寺町の配置図
寺町の配置図

烏山寺町の一番北に位置するのが高源院です。正式には臨済宗瑞泉山高源院といい、1703年(元禄16年)、久留米藩4代目藩主有馬頼元が、品川に創建した東海寺高源院が前身になり、高源院という名は、頼元夫人の法号から付けられました。

ちなみに、東海寺高源院を開山した怡渓和尚は、戦国時代に越前小谷の大名だった浅井長政の末裔になるそうです。茶道の達人でもあったようで、石州候に学んだ茶道は、石州流怡渓派として現在も継承されているそうです。

烏山高源院の入り口
高源院の入り口

寺町通りの一番奥(北側)にあります。

その由緒ある高源院が寺町にやってきたのは、公式の資料によると大正15年となっていますが、昭和11年・・・昭和14年?・・・と、他にも記述があってよくわかりません。土地を購入した時期、墓地の申請を出した時期、本堂などの落慶時といった具合に書き方が違うのでしょうか・・。

移転理由は、震災に遭った為となっていますが、そもそも震災前から廃寺になっていたとか、いなかったとか・・・。このへんも曖昧ですが、つまるところ、震災後にボロボロの廃寺状態になっていたのを、有馬一族の援助によって再建される事になり、その際に烏山が選ばれたようです。

烏山高源院 本堂前の様子
本堂前の様子

松の新緑が美しかったです。

この地を移転先として選んだのは、元々この寺は品川の目黒川沿いに位置していました。目黒川は、世田谷を流れる烏山川と北沢川が合流してできた川。烏山川の源流の一つは、烏山の寺町付近。目黒川繋がりということで全く知らない土地ではない。ってことで、この地が選ばれたようです。

とまあ、公式的にはそういった理由になっていますが、おそらくちょうど寺の募集をやっていて、土地が安かったからというのが、一番の理由ではないでしょうか。

賑やかな東海道の品川から、交通が不便で、周囲が畑ばかりの辺境の地への移動。都落ちのようになってしまうけど、同じ目黒川つながりということで、納得することにしよう・・・。ってな感じのような気がします。(勝手な想像)

烏山高源院 板垣退助の墓所にある石碑
板垣退助の墓所にある石碑(品川)

有名なセリフが刻まれています。

ちなみに、高源院があったのは、品川神社と目黒川の間になります。現在、品川神社の裏手には、自由民権運動で有名な板垣退助の墓所があります。この墓所は高源院の墓所の一画にあったものです。

理由は分かりませんが、移転の際、この墓所はそのまま残されたそうです。あの有名な板垣退助の墓が品川神社の裏手の分かりにくい場所にあるのは、そのためです。現在でも、この墓所は高源院の飛び地扱いになっているようです。

烏山高源院 初夏の弁天社
初夏の弁天堂(浮御堂)

弁天池の中に弁天堂が建てられています。

この高源院には、鴨池と呼ばれている弁天池があります。弁天池に浮かぶ弁天堂(浮御堂)の写真が、烏山寺町の象徴として紹介される事も多いので、ご存じの方も多いはずです。烏山寺町で風流というか、情緒を感じる場所の代表格になります。

弁天池の広さはおよそ1800㎡ありますが、元々この広さがあったわけではありません。どの程度の大きさだったのかは分かりませんが、元々は湧水が出ている泉があるだけで、寺が移転してきてからその湧水が出ている地点を掘り下げ、大きな池を造り、宝生弁財天をまつる浮御堂を中央に建てました。

烏山高源院 秋の弁天社
秋の弁天社

季節ごとに違う趣があるので、季節ごとに訪れたくなります。

弁天池は、目黒川(烏山川)の源泉となっていること。自然の湧水によって水が蓄えられていること。自然界の生物の営みがあることから、烏山弁天池特別保護区に指定されています。

また百景の紹介文にあるように、烏山寺町環境協定によっても守られています。ここ寺町付近は、独特の地質をしていて、地下1~2m付近に大きな帯水層があります。これは宙水とも呼ばれ、浅い井戸で水を汲み上げることができます。地表に近い部分で湧水が発生し、その一つが弁天池になります。他にも2か所あるようです。

宙水を支えているのが、水を通さない粘土層。もしこの粘土層に大規模な穴を幾つも開けてしまうと、宙水は下に流れ出してしまい、最悪、宙水が消失してしまいます。なので、景観とか、緑を守ろうというのは一般的ですが、地下水を守るために大規模な地下の採掘は禁止されているのが、ここの協定の特徴です。

烏山寺町 烏山寺町環境協定
烏山寺町環境協定

鴨池には面白い都市伝説があります。なんでも、この寺町の宙水と少し北にある井の頭公園の池とは地下でつながっていて、渇水の時は両方の池の水位が下がり、雨が多いと水位が上がるそうです。

これはどうなのでしょう。本当に都市伝説なのでしょうか。ちょっと調べてみると、烏山寺町のある付近は、今でも渇水時には2mまで下がり、降雨時には1mまで上がってくるといった変動をしています。

一方、井の頭池は、神田上水の水源として豊かな湧水に恵まれている池だったのですが、1963年に涸渇しています。現在は、深井戸で汲み上げられた地下水によって池が維持されています。なので、現在においては、そのようなことはない。ということになります。

地下水のイメージ(*イラスト:イチタさん)

(*イラスト:イチタさん 【イラストAC】

では、涸渇する前、昭和30年代以前ではどうなのでしょう。戦前までは世田谷区内では湧水を蓄える池が多くありましたが、戦後には多くの池が湧水が枯れています。

地下水自体が都市化(地下水の汲み上げすぎ、地下構造物での地下水の流路の変化、地表部の舗装化など)により、枯渇している状態です。

地下水は地下を流れる川のようなもの。今の感覚だと、小さな流れといった認識なので、この付近一帯がどこも渇水状態だったとか、満水だったとか、そういう話だったんじゃない。などと考えてしまいがちですが、明治や大正時代には、地下には今では想像できないほど豊富な水が流れていました。

そういった地下に水が満たされていた時代なら、実際に水脈がつながっていて、水位が連動していたのかもしれませんね。

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2、高源院の鴨池について

烏山高源院 高源院の旧山門
高源院の旧山門

現在ではありません。

烏山高源院 小鴨飛来名勝地の碑
高源院 小鴨飛来名勝地の碑

山門の横に建てられていました。

高源院の弁天池には、昭和35年頃から冬になるとたくさんの鴨が飛来してくるようになりました。そして、この池で冬を越し、春になると子供を産み、夏前には一家揃って再び北国へ戻っていったようです。

さらに翌年には・・・と、その繰り返しが続き、付近の住民から親しみを込めて鴨池と呼ばれるようになりました。今はもうありませんが、昔の山門前には「高源院 小鴨飛来名勝地」の碑が建てられていたので、ちょっとした名所になっていたようです。

1960年代の高源院 烏山の航空写真(国土地理院)
1960年代の高源院

国土地理院地図を書き込んで使用

2009年の高源院 烏山の航空写真(国土地理院)
2009年の高源院

国土地理院地図を書き込んで使用

この古い山門と小鴨飛来名勝地の碑は、現在の山門よりも少し道路を北に行った場所にありましたが、2016年に取り壊され、現在この場所は、普通のアパートになっています。

経営が苦しく、南側の土地は売却してしまったのでしょうか。或いは本業の足りない部分を賃貸で賄っているのでしょうか。お寺の経営も最近では苦しいと聞くことが多いので、心配になってしまいますが、部外者には関係ないことですね。

古い時代の写真を見てみると、当初は池の北側に山門やら、本堂などが配置されていたようです。1980年頃に現在の位置に本堂が建てられ、寺の俯瞰が新しくなっています。

烏山高源院 カルガモ
カルガモ

鴨池のアイドルです。愛くるしさがあります。

かつては、多い年には200羽もの鴨がやってきていたそうです。その種類も、小鴨(コガモ)、真鴨(マガモ)、軽鴨(カルガモ)といった感じだったようです。

しかしながら現在では・・・、留鳥のカルガモは見かけますが、マガモやコガモに関しては見かけることはなく、「小鴨飛来名勝地」の碑は建っているものの・・・といった状態になっています。

とはいえ、自然の理なので、環境さえ整っていれば来年、再来年には再びカモの楽園が復活!なんてこともありえるカモしれません。

烏山高源院 水辺の鳥たち
水辺の鳥たち

タイミングよく訪れると多くの鳥がいたりします。逆の場合、全くいないときも。

烏山高源院 ゴイサギ?
ゴイサギ?

とても眼光が鋭い鳥です。

カルガモ以外のカモは来なくなってしまいましたが、鷺類、カワセミ、カワウなどといった水辺を好む鳥が時々やって来ているので、運がよければ会えるかもしれません。

といっても私のようにカルガモぐらいしか知らないと、あれ、なんの鳥・・・?と、後で調べるのに苦労します。

そういう場合は鳥の写真を撮っている人がいたら尋ねてみるのも一手です。さすがに鳥が好きなだけあって詳しく、撮影に夢中になっていない時は親切に教えてくれます。

烏山高源院 夏の鴨池
夏の鴨池

夏には一面蓮の葉などが覆い、ジャングル状態です。

烏山高源院 冬の鴨池
冬の鴨池

ビックリするぐらい何もなくなってしまいます。

鳥以外でも、水の中を覗くと、メダカなどの小さな魚や、鯉、そしてカメがたくさんいます。恐らく餌となる昆虫なども沢山いるはずで、多種多様の生物が暮らす池となっています。植物を含めうまく生態系が維持されていて、自然に近い環境となっているようです。

しかし、それは自然の摂理に従った弱肉強食の世界でもあります。昔、塀に囲まれた職場の池にカルガモが来たとき、6匹産まれましたが、残念ながら1匹排水溝に引っかかって死んでしまいました。

運が悪かったね。可哀そうに・・・と、その時は思っていたのですが、この鴨池では、カルガモが9匹生まれても、大人になったのは3匹だけでした(2009年)。毎朝のように通っているおばさんがおっしゃっていました。

自然界には、カラスや肉食系の鳥、猫などといった捕食者がいるので、生まれた雛の全てが大人になれるとは限りません。それが自然というものです。

池に浮かぶ睡蓮の花
池に浮かぶ睡蓮の花
池に浮かぶ睡蓮の花

7月中旬頃から見頃になります。

また、鴨以外では睡蓮が有名です。夏になると池の大部分を睡蓮の花と葉が埋め尽くし、なかなかのものです。

睡蓮の花は午前中にしか開かないので、頑張って朝早く訪れるといいです。運が良ければ、睡蓮の花や葉の間を砕氷艦のように泳ぐ愛らしいカルガモの姿も見ることができるかもしれません。

3、感想など

烏山高源院 カルガモとスイレン
カルガモとスイレン

やはりこの時期が一番訪れる楽しみがあります。

区内には緑道などの「せせらぎ」や、公園の池など、人工の水辺が多くあります。これはこれできれいで、季節によってはとても絵になるのですが、きれい過ぎて少し物足りなさも感じます。

その点、ここの鴨池はわざわざ足を運びたくなるような魅力があります。その魅力は、やっぱり自然の環境が残っている部分だと思います。

自然の魅力。それは天気のような不確実さであり、実際に行ってみないとわからないワクワク感だったり、なかなか思い通りの図にならない楽しさでもあります。

今日は何か生き物がいるだろうか。どんな鳥に出会えるだろうか。そろそろ花が咲いただろうか。今年はきれいに咲いているだろうか・・・。

期待と不安を抱えながら訪れると、ガッカリすることもありますが、偶然が重なった時、あ、来てよかった。今日頑張って来たかいがあった・・・と、心からの満足感が得られる光景を見ることができます。

現在の鴨池は、朝は地元の人の散歩コースとなり、昼はウォーキングの方々の訪問コースとなり、それなりに多くの人が訪れている感じです。このような池が家の近くにあれば、日課として散歩も楽しそうですね。朝早くから門を開けて下さっているお寺の方の好意にも感謝したいところです。

せたがや百景 No.43
烏山の鴨池
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所北烏山4丁目30−1
・アクセス最寄り駅は京王線井の頭線久我山駅、もしくは千歳烏山駅。駅から少し離れています。
・関連リンク世田谷区(特別保護区)世田谷トラストまちづくり(特別保護区)烏山寺町(世田谷区)
・備考烏山弁天池特別保護区に指定されています。
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