旧甲州街道の道筋
せたがや地域風景資産 #1-34「山本農機・山本善水商店」を中心とした旧甲州街道の街並
南烏山3丁目~給田3丁目南烏山から給田へとつづく道はかつての甲州街道。昔の街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていないが、実はこの道筋そのものが街道だったことを忘れるわけにはいかない。道の由来を知れば、その時代、時代の道筋の風景を脳裏に浮かべることもできる。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、甲州街道と高井戸宿について

江戸に近い新宿は、宿場町というより繁華街だったようです。
甲州街道とは、ご存じの通り江戸から甲州、甲斐国(山梨県)へ通じている道で、江戸幕府によって整備された江戸五街道の1つです。残りは東海道、中山道、日光街道、奥州街道になります。
甲州街道の道筋は、江戸(日本橋)から始まり、内藤新宿(新宿)、高井戸、布田、府中、日野、八王子・・・、大月、甲府を経て信濃国(長野県)の下諏訪宿で中山道と合流します。その道中には全部で38の宿場が置かれていました。

*国土地理院地図を書き込んで使用
地図で見ると、中山道はかなり北を回っていて、現在の中央自動車道と重なる甲州街道の方が距離的に短く、便利と思ってしまうのですが、実際は道が険しく、街道の整備が遅れたのもあって、あまり大名行列には使われなかったようです。
その分と言っては何ですが、現在でも街道筋は比較的昔の面影を残しています。近年ではウォーキングが盛んになったのもあって、休日に甲州街道をバイクで走っていると、リュックを背負ったウォーキングの集団によく出会います。
そこまで観光地化が進んでいるわけではないので、宿場も素朴といった表現がふさわしく、どうやら通な人達に人気のコースとなっているようです。

日本三奇橋のひとつです。
私が甲州街道で一番好きなのは、大月近辺に残る鬼ヶ島伝説にまつわる事柄です。大月の手前には犬目宿、鳥沢宿、猿橋宿と、桃太郎の御供をした動物にちなんだ宿場が続いています。で、鬼ヶ島とされているのは、大月にあるかつて島だったとされる岩殿山。あくまでも伝説ですが、なかなか興味深い話です。
話がそれてしまいましたが、甲州街道の江戸から二つの目の宿場町が、高井戸宿になります。高井戸宿は上高井戸宿、下高井戸宿と二つに分けられていました。
あまりにも宿泊客が多く、賑わっていたから2つ宿ができたのではなく、逆に宿の需要が多くなかった為に、付近の住民の負担を軽くするように上下の宿で交代制にしていました。

*国土地理院地図を書き込んで使用
本陣が置かれていたのは、下高井戸宿は桜上水駅の北側、現・甲州街道沿いにある宗源寺の左隣、上高井戸宿は高井戸一丁目交差点(現甲州街道と環八通りの交差点)の北東角でした。
現在の地図を見ると、ちょうどその付近は杉並区となっていて、しかも世田谷区とはかなりいびつな境界となっています。それはこの両宿が古くから杉並区の文化圏に属していたためで、高井戸宿が置かれていた地域の分だけ大きく区境線が世田谷区に入り組んできているといった感じです。
2、烏山の旧甲州街道

道筋には旧道らしさが残っています。
上高井戸の本陣があった交差点、つまり環八と甲州街道の交差点のすぐ西側から、大通りを斜めに南側に外れていく道があります。この道はかつての甲州街道の本筋だった道で、この項目の主題となります。
現在の本筋となっている4車線の新道ができたのが、1970年頃。中央自動車道もまだできていなかったので、凄まじい交通量だったと想像できます。
都市部の往来の激しい場所の風景は、往々にして無機質なものになってしまうもの。百景の文章に「昔の街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていない」とある通り、実際に歩いてみても、周りの風景に期待するようなものはほとんどありません。
昔ながらの緩やかな道筋が、旧道だったんだな・・・といったことを感覚的に感じさせてくれるぐらいでしょうか。同じ百景に出てくる池尻の旧大山道と同じです。

*国土地理院地図を書き込んで使用
少し古い写真を見ると、烏山の町が甲州街道沿いに発展していたことがよくわかります。街道に沿って町並みが続いていて、その周辺は畑が広がっています。そういった郊外の畑の中に昭和初期に出来た烏山寺町は、かなり異質な存在だったことが分かります。

*国土地理院地図を書き込んで使用
1960年代の写真を見ると、新道が建設されている最中です。この烏山のバイパス部分以外は、ほぼ甲州街道の4車線化は完成しています。立ち退きの関係などで遅くなってしまったのでしょうか。
この後、中央自動車道や環八が整備され、高度経済成長期を迎え、一段と交通量が多くなっていきます。

*国土地理院地図を書き込んで使用
2017年の写真を見ると、街道筋だけではなく、全体的に住宅で埋め尽くされているのが分かります。土地が安かったこの地域は、古くから集合住宅が多かったのですが、住みやすい町という評判が広まったこともあってか、一段と増えています。
街道が住宅に埋まってしまい、もはやなんの変哲もない道になってしまった・・・と言いながらも、古いものを大切にする日本人のこと、今でも幾つか昔の面影が残っていたりします。

地域風景資産にも選定されています。
順番に見ていくと、芦花公園駅の北側の交差点にはケヤキが活かされた烏山下宿広場があります。
緑がこんもりとした公園といえばそうですが、背後に大きなビルが建っているので、なんか中途半端な印象を受ける公園です。それに下宿というと、学生がアパートを借りて・・・というのを連想してしまい、余計に混乱してしまうのかもしれません。
もちろんこの下宿は、その下宿とは違い、かつて烏山は甲州街道に沿って上宿、中宿、下宿と分かれていた名残りになります。

地域風景資産にも選定されています。
下宿広場の西隣には、戦前期に建てられた鉄鋼所を活用した家具の工房兼ショールームがあり、その隣にはちょっと古めの建物の山本農機・山本善水商店があります。
昭和17年に建てられた農機具を扱う商家で、かつては街道沿いにあった老舗店なんだなと感じる雰囲気を持っています。建物の造りも独特で、外壁に中途半端な感じで石材が使われているのは防火のためだそうです。
一応せたがや地域風景資産に”「山本農機・山本善水商店」を中心とした旧甲州街道の街並”として選定されていますが、昭和期の建物の為にわざわざ文字数を多くしてタイトルに入れる必要があったのかは疑問です。というか、ちょっとタイトルが長すぎです・・・。
とまあ、一応この付近がかつての関の宿の面影が色濃く残る部分ということになるでしょうか。


たまたまなのか、シャッターが閉まっている店が多かったです。
山本農機・山本善水商店の少し先には丸美ストアーという看板が掲げられた商店街があります。いかにも昭和の商店街といった雰囲気で、よくこんな古風な建物が残っているなと感心してしまいます。
実際に中を歩いてみると、まるで下北沢の北口市場みたいな雰囲気でした。真ん中が私道になっているので、再開発を行いにくいのでしょうか。いつまで存在できるのかわかりませんが、私の中では山本農機よりも気になった存在です。

石像などが並んでいると旧道らしさを感じます。
更に西へ向かうと、道が緩やかにカーブします。この辺りは道筋が左右にゆったりと蛇行しているので、わかる人には昔ながらの旧道だなと感じる事でしょう。
そして緩やかな坂を下ったところはかつて川の流れがあった場所で、道端に大橋場跡といった橋の欄干を使ったのか、モニュメントを欄干のデザインにしたのかわかりませんが、欄干のモニュメントが置かれています。
そのモニュメントの横には、古くからの庚申塔や地蔵様が並んでいます。真ん中に祀られている地蔵様は下山地蔵尊といい、江戸時代にこの辺りで繁栄した下山一族が建立したものだそうです。

新宿からの距離を目安に設置されたもの。給田にあります。
ここから更に西へ向かうと、千歳烏山駅前の賑やかな地域となります。開設は大正2年。昭和4年に烏山駅から千歳烏山駅に改称しています。
駅前を過ぎると、給田町の交差点で六郷田無道と交差します。そして、その少し先に新一里塚の碑が建っています。
江戸時代に日本橋から一里ごとに建てられた一里塚というのは広く知られていると思います。この新一里塚というのは、明治時代に内藤新宿(新宿)から一里ごとに建てられたものです。
ここにも普通の一里塚のように塚が造られ、その上にこの石碑が建てられていたようですが、今では石柱のみが保存されています。
3、イベントなど

古い建物の前だと神輿も絵になります。
今ではごく普通の道といった感じになってしまいましたが、この旧甲州街道が賑わう日があります。それは9月23、24日に行われる烏山神社の例大祭で、9月23日の秋分の日には旧甲州街道を町会神輿が連合渡御します。
烏山は古くから街道沿いに上宿、中宿、下宿と分かれていて、それが現在の町会、上町、中町、下町となり、この三町会の神輿とお囃子車が、パレードっぽい感じで芦花公園駅前の下町の御酒所から中町の烏山りんれい広場を経て、烏山駅前の上町の御酒所となっている千歳烏山区民センター前広場まで連合で渡御します。

ここからは商店街を通り、千歳烏山区民センター前広場まで進みます。
結構長い距離を渡御するので、担ぎ手には人気があり、東京の各地から担ぎ手が集まるようです。本来なら旧道には御神輿が似合うものですが、ここではそれなりに交通量が多く、また周りに古い建物が少ないので、あまり旧道の渡御といった感じがしないかもしれません。
ちなみに昔は天皇陛下がいる京都の方向に向けて住所が上、中、下と付けられていましたが、現在は皇居のある東京の中心に向けて1、2、3と付けられています。そのため現在の町会は住所の若いほうが下町となり、ちょっと違和感を感じる順番となっています。

芦花公園駅付近から歩行者天国が始まります。

あいにくの天気でしたが、街道沿いにフリーマーケットの店が並び賑わっていました。
もう一つ、10月の後半の日曜日に街道を封鎖して芦花まつりが行われていましたが、2013年から場所を蘆花恒春園へ場所を移して、イベントも烏山地域蘆花まつりと新しくなりました。まあ、漢字が違うだけですけど・・・。
2010年で第25回目とそこそこ開催を積み重ねているだけあって、世田谷の中でも来客数の多いイベントの一つとなっていました。
この祭りの特徴は、何といっても旧甲州街道を歩行者天国にして多くのフリーマーケットが街道沿いに並ぶ事です。それと共に蘆花氏縁の伊香保などからの物産展や地元の団体の露店もあり、安くいいものを求めて多くの人が集まってきました。なんていうか、甲州街道版のボロ市といった感じでしょうか。
しかしながら、烏山は住みたいランキングで上位になるほど人気の町となり、住民も増え、旧街道とはいえ、長い時間封鎖してイベントを行うことが難しくなったのかもしれませんね。
4、感想など

大勢の人が参加し、街道がにぎわいます。
現在の千歳烏山は、住みたい町ランキングの上位に登場するほどの人気の町になっているようです。住宅の需要が多く、旧街道沿いにもマンションが増え、町の様子も若い人の感覚を取り入れた感じにどんどん変わっています。
江戸五街道の一つだった甲州街道の道筋も、今では江戸や明治期の面影はもちろんのこと、少し前に本筋だった頃の面影を探すのも難しくなりました。ほんと、町の進化のスピードは速いものです。これからも烏山の町の発展とともに、道の様子もどんどん今風に変わっていくことでしょう。
でも、道は人とのつながりでもあります。神輿の渡御などの伝統的な文化を残しつつ、旧街道だからこそある人のつながりは大事にしてもらいたいです。
せたがや百景 No.45旧甲州街道の道筋 せたがや地域風景資産 #1-34
「山本農機・山本善水商店」を中心とした旧甲州街道の街並 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 南烏山3丁目24−4(山本農機)、その他旧甲州街道全般 |
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・アクセス | 最寄り駅は京王線芦花公園駅、千歳烏山駅など。 |
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