梅と桜の羽根木公園
代田4-38梅ヶ丘駅北口の小高い丘が区立公園になっている。以前は六郎治山とか根津山と呼ばれていた。梅林には梅の木が約650本植えられ、2月下旬紅梅白梅の咲きそろうころには多くの人々が訪れる。また春には桜の名所でもある。子ども達自身が遊びを工夫し、自由気ままに遊べるプレーパークも設けられている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、羽根木公園の概要

駅に近い南西の入り口です。

一応この付近がメインストリートになります。
小田急線梅ヶ丘駅の北側の丘に、せたがや梅祭りで知られている世田谷区立羽根木公園があります。
羽根木公園は、都内でも有数の規模を誇る梅林をはじめ、木々に囲まれたプレイパークや子供の遊び場、更には野球グラウンドにテニスコート、プールといったスポーツ施設がある大きな総合公園です。

*国土地理院地図を書き込んで使用
この羽根木公園のある丘は、かつて六郎次という鍛冶屋が住んでいたので六郎次山と呼ばれていたり、大正末期には東武鉄道の根津財閥の所有地になっていたことから、根津山と呼ばれていたようです。戦前の写真を見ると、木が生い茂り、かなり緑の多い丘だったことが分かります。
さらに古い話になると、古代人がここで暮らしていたようで、根津山遺跡、六郎冶山遺跡、梅ヶ丘横穴といった縄文時代や古墳時代の遺構が見つかっています。
現時点で、世田谷区内で一番古い遺跡は、ここにある根津山遺跡の住居跡となり、これは縄文以前の無土器文化といった定義になるそうですが、公園内に案内板とかなかったので、実際にどこにあるのかはよく分かりませんでした。

*国土地理院地図を書き込んで使用
戦時中には、燃料の薪にするために地元の人が木を伐採し、戦争が終わるころには剥げ山になってしまった。と言われています。実際、戦後の写真を見てみると、かなりの木が伐採されている様子が確認できます。
戦後になると、都の所有地となり、昭和31年に羽根木公園として開園(簡単に整備しただけ)。その後、昭和40年、世田谷区に移管され、地域の特長を生かした区立羽根木公園として整備されることになりました。
あれっ、なんで羽根木公園なの?そう疑問に思った人もいるかもしれません。現在、この公園の住所は代田4丁目になります。羽根木といえば少し北の和田掘浄水所付近の町域。地域に根付いた名を付けるなら、代田公園とか、梅ヶ丘公園の方が適切に感じます。
実は、公園を整備した当時、この場所は羽根木村の飛び地で、住所も羽根木だったのです。公園が設置された後、飛地整理や新住居表示が行われ、この公園の周辺は代田などに変更されました。こういった事情があり、現在の地名とは異なった羽根木公園という名がついています。

*国土地理院地図を書き込んで使用
羽根木公園は、百景のタイトルにあるように梅や桜が有名ですが、野球場やテニスコートなどのある総合公園です。
丘という難しい地形に公園が立地している都合上、優先的に頂上部の平坦な場所に野球場やテニスコートなど運動施設が造られているので、園内を歩くと、スポーツ施設を中心に整備された公園といった印象を受けます。
区立公園として開園した頃の写真を見ると、野球場の周りに樹木が並木のように植えられているのが分かります。これは桜で、のちに百景のタイトルになるほど立派に育っていきます。
南側の斜面を見ると、この当時はまだ梅の木は植えられていないので、寂しい状態です。斜面部分は試行錯誤といった状態だったのでしょうか。南東部のプレーパークがあるエリアに関しても、現在はうっそうとした森のようになっているのが、木がほとんど生えていなく、全く違った印象を受けます。

ここでは将棋をしているお年寄りの姿をよく見かけます。


梅とともに百景のタイトルになっている桜は、開園時に運動施設の周りの道に並木として植えられたものです。なので、園内をぐるっと散歩しながら桜を眺めるような感じになります。
でも、せっかくだから桜を見ながら弁当を広げて花見をしたい。そういった場合は、花見をできる芝生がないので、野球場脇の通路が一番の花見場所となっていました。
平日ならいいのですが、休日などは多くの人が道に窮屈そうにシートを敷いて花見をしていました。その様子は、まるで北沢川緑道のよう・・・。公園での花見なのに、なんだかなと思ってしまいました。
梅の方は都内有数の規模を誇っているので、桜も・・・。と、期待して訪れると、ちょっとガッカリしてしまうかもしれません。ただ、桜の木自体は砧公園の桜に負けないぐらいの大木も多くあり、世田谷区の名木百選にも選ばれています。

なかなか楽しそうな遊び場です。
現在の羽根木公園には、子供の遊び場が豊富にあります。中でも面白いなと思ったのが、迷路のような遊具施設のある迷路の遊び場です。
山あり谷ありの立体感のある遊び場で、とても子供が楽しそうに遊んでいました。ただ、転落等があってはいけないので、下の方ではお父さんお母さんが温かく見守っていました。
この他にも、遊具施設のある児童遊園、草広場といったくつろげる広場もあり、都会にあって木々も多いので、子供を遊ばせるにはなかなかいい公園だと思います。

森の中の遊び場といった感じです。
遊び場で特徴的なのは、百景の文章にもあるプレーパークです。プレーパークは、プレーリーダーという常駐する大人の管理人がいて、その監視の元、子供が自己責任で自由に遊ぶことができます。
様々な遊びを体験したり、ユニークなイベントが行われる遊び場ですが、失敗は成功の元といった感じで、少々の怪我なら構わないという親の心構えがないと、遊ばせられない遊び場になります。
地域風景資産に「羽根木公園にある羽根木プレーパーク (風景2-2)」という項目があるので、そちらで開園の経緯など詳しく紹介しています。
2、羽根木公園の梅林と梅まつり

羽根木公園といえば、やはり百景のタイトルにもあるように梅ということになるでしょう。
梅ヶ丘駅方面の斜面に広がっている梅林の広さは、訪れてみて驚きました。公園の南側のほとんどが梅林になっています。
現在では百景の選定時よりも手入れが進んでいて、約700本の梅の木が2月の開花時期に花を咲かせてます。その数だけで考えると、23区内で最大級の梅林となるはずです。

梅の花と漂ってくる香りが素敵な道になります。
羽根木公園のすぐ南側には、小田急線の梅ヶ丘駅があり、梅丘町域が広がっています。なるほど。羽根木公園の丘に広がっている梅林から梅ヶ丘という町が生まれ、梅ヶ丘駅も誕生したのだろう。公園の梅林からすぐに地名の由来が連想できてしまうのですが、実はひっかけだったりします。
順番に見て行くと、梅ヶ丘駅が開設したのが、昭和9年。町名の梅丘1、2丁目が誕生したのが、昭和39年(3丁目は昭和43年)。
一方、羽根木公園の梅林は、昭和42年に世田谷区議会に当選した55名が、55本の梅の木を植樹したことに始まります。
その後、何周年記念といった記念行事の度に植樹されていき、現在のような立派な梅林になりました。駅名から住所ができ、それに合わせて梅林ができたというのは・・・、話のネタには面白い流れです。

梅の開花時期以外は普通の木です。気にかけて歩く人はいません。
では、そもそもの源である駅名は、なぜ梅ヶ丘と名付けられたかというと、これには色々な説があって、正確にはよく分かっていません。
候補に上がっている説も適当な感じのものばかりで、いい加減に付けてしまった理由を隠しているのだろうか・・・と、疑ってしまうぐらいです。もし知っている方がいたら教えてほしいです。
でもまあ、東京都内でも広く名が知れるぐらいの梅祭りを開催できるような地域の特徴ができ、今では結果オーライといった感じでしょうか。

丘の斜面にも植えられています。
約700本からなる梅林はなかなか立派なものだと思います。しかも、早咲、中咲、遅咲と梅の種類も豊富なので、咲き始めてから1ヶ月は何かしらの梅を楽しむことが出来ます。
ただ、桜のような感じで梅爛漫な迫力ある光景を期待するなら、ちょっと期待はずれと感じるかもしれません。
商業用の梅林なら、植えられている種類が同じなので、辺り一面が梅の花といった感じとなるのですが、あくまでもここは観賞用の梅林なので、訪れるタイミングによってはまだらになり、まとまりなく見えたりします。
ということで700本の梅の木があるとはいいながら、個別の品種の花をしみじみと観賞するような楽しみ方になるかと思います。

チューリップは植木市のものです。
また近年は梅の木自体が元気がなくなり、花が少なくなってしまったとか。そのため梅の木の根を守るために処置が施され、梅林の中の通路以外には入れないようになりました。
今後回復してきれいな花を咲かせる梅林に戻ってほしいものです。

女流俳人で、門下生が寄付したものです。
梅林の一画に、大きな青っぽい石に俳句が刻まれた碑が設置されています。これは女流俳人、中村汀女さんの記念碑で、昭和54年に門下生によって寄贈されたものです。
碑には「外にも出よ ふるるばかりに 春の月」といった句が刻ませています。汀女さんは昭和12年頃からこの近くに住み、昭和22年にこの句を詠んだそうです。
九州出身ですが、世田谷を第二のふるさととして愛した方なので、ここに設置されたとか。世田谷文学館には彼女の書斎が再現されていたり、少し北の築地本願寺 和田堀廟所にお墓があります。興味があれば足を運んでみるといいかと思います。
その他、梅林の中に茶室「日月庵」があります。騒々しい公園に茶室というのは不釣り合いな感じですが、梅林の中なので、梅の開花時期以外は比較的静かな場所といえます。
梅祭りの時には茶の振る舞いが行われますが、平素は茶会や短歌会などといった用途で使用されているようです。


地元の団体や警察署などによるイベントが行われます。
梅の開花時期、だいたい2月いっぱいぐらいでせたがや梅祭りが行われます。イベントの多い日曜日の昼頃に訪れてみると、凄まじい人でビックリすることでしょう。
駅からぞろぞろと人の流れがあり、まるで砧公園の桜の時期並みの混雑ぶりでした。日が短く寒い時期なので近くて手軽な目的地といった感じで人気があるのかもしれません。
梅まつりの時期は公園内に近くの町内会の販売ブースが出たり、ステージが設けられます。植木市が同時に開かれているのもここの梅祭りの特徴です。

週末の昼時はけっこう混雑します。

梅にちなんだものが売られています。

梅まつり期間中の週末に行われます。
町会のブースでは手ごろな値段で飲食ができたり、梅関係の食品を購入することができます。イベントは週末を中心に行われ、抹茶や甘酒のサービス、筝曲演奏や舞台の催し物、俳句講習会、モデルの写真撮影会、茶席など日によって色々とやっているようです。
それから日にちが決まっているようなのですが、梅ヶ丘駅前でも商店街によってちょっとしたイベントや青空フリーマーケットが開かれているようです。
3、イベントなど
* 雑居まつり *

紅葉も加わって色とりどりで華やかなステージでした。
梅祭りは都内で広く知られているほどの大きなイベントですが、秋(10月中旬頃)には雑居まつりといったユニークなイベントも行われています。
2013年で第38回目というから結構古くから行われているイベントで、この雑居祭りは「地域の問題は地域住民の手で」をひとつの合言葉に、さまざまな地域の問題をとりあげて活動している団体・個人の自発的参加によって行われます。

多様性なところが魅力です。
東京は地方から多くの人が集まってくる大都市であり、近年では多国籍化もしています。
人の出入りが激しい地域なので、イベントとして地域交流の場を作ってお互いをよく知ろうといった事から始まったのですが、現在では様々な異文化を感じるような出店が並び、国際文化交流の場にもなっている感じです。
色んな価値観や文化を持つ人が同じ地域に暮らす事で一番大事なのは相手の文化や価値観、生活スタイルなどを含めて「知る」事です。
外国人の問題行動もこういう習慣があるからこういう行動をしてしまうのかといった理解が進めば、我慢できるところは我慢してあわせたり、直すべきところは直したりすることができます。そういった意味でこういったイベントの意義は大きいのではないでしょうか。
なかなか素敵なイベントなので是非訪れて欲しいし、他の地域でもこういった交流が生まれるといいと思います。
* ガムラン演奏 *

プレーパークがインドネシアにワープしてしまったような空間となります。
プレーパーク内でも定期的に色々なイベントが行われていますが、大半が子供向けの小さなイベントです。
でも、中には大人が楽しめるようなものもあって、毎年五月の終わり頃に「音工場Omori」という団体によってインドネシアのバリ島の伝統芸能であるガムラン演奏と舞踏のコンサートが行われます。
この日はプレーパークの中に舞台が設置され、インドネシア料理の販売が行われ、緑豊かなプレーパークが異国情緒あふれる独特の雰囲気になります。
こういった普段体験できないような異国の伝統芸能を手軽に、しかも無料で行っているのは素晴らしいことです。(詳細はプレーパークのページに載せています。)
4、感想など

自分の好きな梅の絵を探しに出かけてみてください。
羽根木公園といえば、せたがや梅まつりが有名です。情報誌などにも頻繁に取り上げられ、今では広く知られるようになりました。梅の木が多く植えられているので、梅の開花時期の散策は花が美しいだけではなく、梅の香りが漂っていてとてもさわやかな気分になれます。
梅以外には特に特徴がない公園と思われがちですが、古くから行われている雑居まつり、独特の価値観を持った遊び場プレーパーク、近年ではガムラン演奏なども加わり、とても多様性に富んだ公園です。
こういった多様性を感じながら羽根木公園で元気に遊び、育っていく子供たちは、きっと鳥のように大きく羽ばたき、木の根ように少々のことで動じない大人になることでしょう。
せたがや百景 No.17梅と桜の羽根木公園 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 代田4-38 |
---|---|
・アクセス | 小田急線梅ヶ丘駅から徒歩。 |
・関連リンク | 羽根木公園(世田谷区)、せたがや梅祭り(公式)、梅ヶ丘商店街 |
・備考 | 毎年2月~3月頃の梅の開花時期にはせたがや梅まつりが行われます。 |