世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.16

羽根木神社の参道

羽根木2-17-5(羽根木神社)

都水道局和田堀給水場近くに羽根木神社の小さなお社がある。今は家が建て込んで、農村だったころの面影はほとんどないが、社まで続いた参道のケヤキ並木が地元住民の運動によって一部残されている。風景変遷のものいわぬ証人だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

広告

1、羽根木と羽根木神社について

羽根木付近の地図(国土地理院)
羽根木付近の地図

国土地理院地図を書き込んで使用

世田谷で羽根木の地名と聞くと、せたがや梅祭りで有名な羽根木公園を思い浮かべ、羽根木公園周辺の町域といったイメージを持つ人が多いかと思いますが、現在の住所としての羽根木は羽根木公園よりも少し北に離れた場所、京王井の頭線の北側から和田堀給水場までの地域となります。

かつての羽根木は、世田谷村の飛び地、世田谷村羽根木として存在していました。それも数ヶ所に点在していて、羽根木公園周辺も飛び地の一つでした。羽根木公園の北西にある松羽稲荷神社は、南の飛地にあった神社で、かつては飛羽根木神社という名でした。

昭和7年に世田谷区が発足した際に、世田谷村から独立して羽根木町となり、その後、飛地を整理したり、町域変更が行われ、現在の羽根木1、2丁目といった町域になりました。

羽根木の地名は、享保10年(1725年)の記録にも残されるほど古いものですが、その由来はよくわかっていなく、世田谷区のサイトでは、「古老の言い伝えでは、昔から樹木が多く茂っていて、いろいろな鳥が飛んできて止まるので、鳥の羽根と合わせて羽根木になった。」と載っています。

その他、「羽根」は「埴」を指し、農耕地を差しているとか、「羽根木」は飛地の別称だとかいった説もあります。

羽根木神社
羽根木神社

とても小さな神社です。

羽根木の氏神様は、羽根木神社になります。創建は不明ですが、古地図などによると、江戸時代には既にこの場所にあり、昔は羽根木稲荷神社、或いは通称で「北原の御稲荷様」と呼ばれていたようです。

神社に設置されている由緒書きには、「昔は~~~」と沢山書いてありますが、昭和20年5月の空襲で社殿、神木等が焼けてしまったので、詳しいことがわからないようです。

羽根木神社の境内と社殿
羽根木神社の境内と社殿

ケヤキの大木があり、紅葉の時期は少しメルヘンチックな佇まいでした。

羽根木神社 近代的な社務所
近代的な社務所

二階部分は企業の事務所です

現在の神社は、昭和33年に地元の人々の寄付によって再建されたものです。社殿の横の社務所はビックリするぐらい近代的で洗練された建物です。これは2003年に建てられたもので、一階は社務所として使われ、二階は建築会社のオフィスとして利用されています。

ガラス張りのオフィス事務所から神社の様子がよく見降ろせるので、境内を散策していると、監視されているように感じ、ちょっと落ち着かないかもしれません。向こうもそう思っているかもしれませんが・・・。

広告

2、羽根木神社の参道

羽根木神社参道
羽根木神社参道

狭い路地といった感じです。

せたがや百景に羽根木神社が選ばれているのですが、それは神社そのものよりも、参道の方だったりします。

説明文に住民運動で残されたと書かれているので、さぞ立派な参道が残っているのだろう・・・と期待して訪れると、がっかりしてしまいます。

かろうじてマンションの横にケヤキの並木がちょこっと残っているだけで、もし「羽根木神社参道」という石碑が設置されていなければ、マンションの垣根ぐらいにしか思わなく、素通りしていることでしょう。

こういった狭い場所に並んでいる木は、いかにも東京らしい風景ですが、こういった参道が百景に選ばれているのは、ちょっと微妙に感じてしまいます。

羽根木神社参道の並木
羽根木神社参道の並木

枯れてしまっている木もあります。

どうしてこのような参道が選ばれたのか。それはこの参道がマンション建設の際に住民運動で残されたからです。

最近では、切るに切れない木のために困っている人も多いのではないでしょうか。そういったごたごたをワイドショウなどが面白おかしく取り上げられることもあります。

特にマンションの建設に関しては、景観や日照権などの問題が絡み、周辺住民の人が快く思っていないことのほうが多いです。区内を散策していても、工事現場の周辺に高層建築反対!といった幟やらボードが掲げられているのを時々見かけます。

現実問題として、区内で家やマンションを建てたくても、地価は高いし、空いた土地もなかなか見つかりません。何とか土地を手に入れることができたなら、法律の範囲内で大きな建物を建てたいというのは、所有者の願いでもあるだろうし、こういったごたごたが起きてしまうのは必然かと思います。

羽根木神社参道の並木
マンションの入り口付近の並木

まあ、普通に考えるなら、神社の参道の木を切ってマンションを建てるなんて、地元の人にとってはバチ当たりな行為と感じるでしょう。反対運動が起きるのも無理はないです。

しかし、実際に訪れてみると、ちょっと思っていたのと違い、モヤモヤとしたものを感じてしまいました。この羽根木神社参道の並木は、このマンション部分しか残っていなかったのです。しかも神社から直接続いている並木ではなく、少し離れています。それが私のようにすれた人間にはとっても気に止まる部分です。

他の部分がないのに、ここだけ残せという住民運動が起こるというのは・・・色々と考えてしまいます。とはいえ、マンションの入り口の真ん中に木があるというのも、見ていて複雑な気分になります。

古い航空写真があったので、ちょっと考察してみましょう。

1940年頃の羽根木神社付近の航空写真(国土地理院)
1940年頃の羽根木神社付近の航空写真

国土地理院地図を書き込んで使用

戦前になるのか、戦時中になるのか分かりませんが、昭和初期の頃です。

写真が不鮮明なので、詳細は分かりませんが、神社に向けて木が並んでいるのが分かります。ただ、神社に向けてきれいな並木道の参道があったわけではなさそうです。

1940年後半頃の羽根木神社付近の航空写真(国土地理院)
1940年後半頃の航空写真

国土地理院地図を書き込んで使用

1940年後半、戦後間もない頃の写真になります。空襲で社殿も神木も焼かれたと記述がある通り、神社が更地になっているのが分かります。

ちょうど神社で更地が途切れているので、神社の木々が延焼を食い止めたといった感じだったのでしょうか。

それにしても、神社の西側の一帯は、酷く更地になってしまったものです。と、この地図だけならそう思うのですが、実は空襲の被害はこんな生易しいものではないです。

1940年代後半の羽根木周辺の航空写真(国土地理院)
1940年代後半の羽根木周辺の航空写真

国土地理院地図を書き込んで使用

更に写っている範囲を広げていくと、東は大原から北沢、西原、笹塚にかけて酷い更地になっています。北側も、和泉、方南辺りが酷いことになっています。

どうやら空襲時に強い風が吹いていて、その風の影響で木造家屋が次々と延焼していき、一面火の海になってしまったようです。

この航空写真を見る限りだと、上空から分かりやすい目印となる和田堀給水場が標的になり、当日は強い南風が吹いていたということなので、風で流されて着弾した、となるのでしょうか。

1960年代の羽根木神社付近の航空写真(国土地理院)
1960年代の航空写真

国土地理院地図を書き込んで使用

1960年代になると、戦災からの復興を果たし、神社は再建され、付近もびっしりと住宅で埋まっています。

参道部分は、ひと際大きな木があるように見えます。まるで参道の並木というより、地域を見守っているような大木といった感じです。

1980年の羽根木神社付近の航空写真(国土地理院)
1980年頃の航空写真

国土地理院地図を書き込んで使用

マンションが建つ直前の1980年頃の写真を見ると、ひと際大きかった木がなくなり、参道付近が少しさっぱりとした感じがします。それとともに気持ち程度、参道部分の道の区画整理というか、境界整理でもしたのでしょうか。

現在、羽根木神社の石碑がある後ろに大きな切り株がありますが、それがあの大きな木の慣れの果てになるのでしょうか。

そもそもとして、マンションが建つ前の土地は地主さんでも暮らしていたのでしょうか。それ相当に広く、木々もあります。ちょうどこの頃相続等があり、土地を手放すことになったという流れなのでしょうか。

それとともに、この界隈には一軒家が密集しているのが写真からわかります。このような地域では、不特定多数が暮らすマンションへの拒否反応が起こりやすく、マンション建設反対の住民運動が起こったのもわかる気がします。

2009年の羽根木神社付近の航空写真(国土地理院)
2009年の航空写真

国土地理院地図を書き込んで使用

戦後から64年経った2009年にもなると、更地となった神社の敷地には木が生い茂り、もはや参道よりも立派になっています。もう、中途半端な参道の呪縛は解いてあげてもいいような気もします。この界隈にもマンションは増えていますし・・・。そろそろ倒木の心配も出てくることでしょうし・・・。

3、羽根木神社の秋祭り

羽根木神社 秋祭りのときの境内
秋祭りのときの境内

屋台が並んで参道が賑やかになります。

かつての羽根木は、世田谷村の飛び地でした。世田谷村の鎮守は世田谷八幡宮(旧宇佐神社)なので、この地のお祭りも世田谷八幡宮の祭礼が年に1度のお祭りでした。

しかしながら、ここから世田谷八幡まではそこそこ距離があります。自転車でもあればともかく、交通手段がない時代だったので、なかなか祭りに参加することができませんでした。

そこで羽根木神社と南の飛地にあった飛羽根木神社(現在の松羽稲荷神社)との二つの神社で、一年おきに10月3、4日に祭りを行い、集落の人々で盛り上がっていたそうです。

羽根木神社 盆踊りの櫓と楽しく踊る人々
盆踊りの櫓と楽しく踊る人々

大勢で一緒に踊ると盛り上がります。

現在の祭礼は、毎年9月の第一土曜日に宵宮、その翌日の日曜日に本祭が行われています。

ここのお祭りを訪れてビックリするのが、境内の真ん中に大きな櫓が建てられていることです。これは盆踊りの櫓になります。

世田谷区内では、7月中旬から8月の上旬にかけて盆踊りが行われる事が多いので、この時期に盆踊りを行うこと自体が珍しいです。しかも秋祭りと盆踊りが一緒になっているのはもっと珍しいというか、ここだけです。

この盆踊りなのですが、見ているといきなり小道具が配られて、小道具を使用した踊りが始まったりと、なかなかの凝りぶり。神社の掲示板にも踊りの練習の案内が貼られていたし、ついでに盆踊りでも・・・といった感じではなく、真剣に行っている感じでした。

羽根木神社 女神輿の渡御
女神輿の渡御

女性のみで担がれる神輿は華やかです。

盆踊りが行われるのも特徴的ですが、女神輿が運行されるのもここの特徴です。

区内では他にも女神輿を運行している神社や町会はありますが、ほとんどが夕方から宮入までといった一部の時間帯のみです。

担ぎ手がいなくて苦労している神社が多い中、二基の神輿を同時に運行させ続けているのは素晴らしいことです。

話を聞くと、現在のように男神輿と女神輿が運行されるようになったのはここ10年ほどのことのようです。昭和初めには神輿はなく、後年樽神輿を作って集落の人々が祭りを楽しんだとあるので、今のような賑やかな神輿渡御が行えてご老人の方はとてもうれしいようです。

羽根木神社 男神輿の宮入風景
男神輿の宮入風景

黄色い声援も多く、境内がものすごい盛り上がりでした。

一番盛り上がるのは神輿の神社に戻ってくる宮入の時です。男神輿と女神輿が境内に入ってくると、櫓を3周回ります。

櫓では太鼓が鳴らされ、取り囲む観客から声援が飛び交い、境内が異様な熱気に包まれます。見ているほうも熱くなるような宮入です。

女神輿に婦人会が頑張っている盆踊りと、女性の活躍が目立つ羽根木神社の秋祭りは、明るく、華やかという言葉がよく似合っていました。

4、感想など

羽根木神社参道の並木 秋祭りの時の参道
秋祭りの時の参道

一応提灯が並びます。参道の石碑の後ろに大きな切り株があります。

都市部では、寺社の参道はどんどんと消えています。参道は道であり、その周辺を含めて維持や買収をするとなると、とんでもない費用が掛かるからです。

そもそもとして、小さな神社は境内を維持するだけで精一杯で、境内の一部を行政に売って公園にしてもらい、社殿の改修費などに充てているのが実情です。

そうは言っても、昔から神社とこの土地を守ってきた住民としては、残せる風景はできる限り残しておきたいという思いを持つのは当然かと思います。

しかしながら、狭い場所に多くの人が暮らす都市部では、そういった理想的な主張よりも、現実や規則、そしてお金が優先されてしまいます。

人と人、人と自然、人と動物、そして人と神様、様々なことがうまく共存できればいいのにな。中途半端な状態の参道を見ながら思ってしまいました。

せたがや百景 No.16
羽根木神社の参道
2025年5月改訂 - 風の旅人
広告

・地図・アクセス等

・住所羽根木2-17-5(羽根木神社)、参道は東松原ハイムの西側
・アクセス最寄り駅は京王線代田橋駅、東松原駅。
・関連リンクーーー
・備考秋祭りは9月第一週末頃
広告
広告
広告