世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.94-2

野毛の六所神社

善養寺の境内には、都の天然記念物に指定されている高さ22.6メートル、幹回り5.25メートル、樹齢六百年を越えるカヤの巨木が株を広げている。雄株で一年おきに実を結び、実のたわわな枝を手にとれる。巨木そのものが風景になっているといってよい。六所神社では夏の大祭に、みこしを多摩川の中にかつぎ入れ、水神祭りを繰りひろげる。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :野毛2-14-2
・備考 :善養寺は前項No.94-1で紹介しています。六所神社の水神祭は7月の海の日(式典のみ)、秋の例大祭は9月第四日曜日と前日、詳細は野毛町会のホームページで確認してください。

***  このページの内容  ***

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* 野毛と六所神社について *

野毛六所神社前の坂と富士山の写真
神社前の坂と富士山

結構きつい坂があり、正面には富士山が見えます。

多摩川の二子玉川より下流、ちょうど第三京浜の玉川インターよりも南側に野毛町があります。

野毛(ノゲ)とは崖を意味する言葉で、その言葉通り国分寺崖線上に町域が広がっているのですが、世田谷の中でも特にこの辺りは崖の傾斜がきつく、坂もきつく、野毛の名の通りといった土地柄に感じます。

野毛は小さな町域なので、あまり野毛と聞いてもイメージが湧いてこないという人が多いかと思います。

例えば等々力渓谷は矢沢川が国分寺崖線を削って出来た地形で、この矢沢川は昔から野毛と等々力の境界となっています。等々力渓谷と名がついていますが、等々力渓谷の西側半分は実は野毛ということになります。まあ散策している人にはどうでもいいことでしょうが・・・。

また野毛町公園に東京都指定史跡になっている野毛大塚古墳があります。時代背景を顕著に表しているのこ古墳は歴史学者の間では有名な古墳となっているのですが、こちらも興味ない人にはどうでもいいことかもしれません。

玉川野毛町公園 野毛大塚古墳 葺石と埴輪が並べられている様子の写真
野毛大塚古墳

東京都史跡です。葺石がされ、埴輪が並べられていて古代の雰囲気満点です。

野毛は都の史跡にもなっている野毛大塚古墳があることから分かるように古くから開けていた土地です。

野毛大塚古墳は5世紀初め、古墳時代中期に造られたものとされています。この古墳が注目されているのは全国でも最大級の帆立貝式前方後円墳であり、また多くの鉄製の副葬品や武具が埋葬されていた事です。そのことからかなりの権力者(恐らく南武蔵地域の大首長)が埋葬されていたと推測されています。

しかしながら野毛の繁栄は一時的で、この後すぐに喜多見や狛江の方に繁栄の地が移動していきます。

次ぎに野毛が繁栄を迎えるのはかなり時が経ってからで、明治40年に玉電が二子玉川まで開通してからです。その頃は多摩川もきれいで、鮎漁が盛んでした。屋形船も多く出て、現金収入も多かったそうです。

更には関東大震災後は建築ラッシュで砂利の需要が高まり、多摩川の砂利採堀も盛んに行われるようになりました。野毛でも一時は農業をしのぐほど盛んに行われ、東北の方から出稼ぎに来る人も多かったそうです。

戦前には砂利採取も規模が縮小し、砂利のバブルは終わります。そして戦後になると宅地化が進み、また多摩川の汚染が進んだことから漁業での生業とする人もいなくなり、ありふれた多摩川沿いの町となっていきました。

野毛六所神社 神社の入り口の写真
神社の入り口

石垣があり、見方によっては城跡のようです。

野毛はかつて上野毛を含めた大きな村だったと考えられていて、江戸時代ころに上野毛と現在の野毛部分の下野毛に分かれました。

下野毛というと川向こうの川崎にその名を見つけることができます。これは川の流路変更で川向こうに取り残されたと考えられていて、かつては世田谷側の町域でしたが、明治45年の境界変更で神奈川県川崎市に編入されました。

昭和7年には世田谷区が誕生します。その際に町名が下野毛から玉川野毛町となり、後の町域変更の際に野毛と変更されています。

野毛六所神社 境内の様子の写真
境内の様子

木々に囲まれ、広々とした神社です。

野毛の村社は野毛六所神社になり、善養寺の裏手に鎮座しています。

由緒は伝説じみていますが、この付近の住民は大雨が降る度に暴れ川と異名を持つ多摩川の氾濫に苦しめられてきました。

そんなある時、やはり多摩川の水が溢れ、えらいこっちゃ、これ以上被害が広がらないでくれと村人達が祈りながら川を見守っていると、お宮が浮き沈みしながら流れてきたそうです。

これは大変だ。引き上げなければ・・・と村人が協力して宮を引き上げ、そして高台に安置すると洪水がたちまち収まっていきました。これは洪水を収めてくれる神様に違いねぇ~。そんだ~そんだ。と村人は考え、上、下の野毛村の境にお宮を安置することにしました。

お宮の方は調べてみると府中六所神社のお宮だったことから六所明神とし、両村の鎮守として祀ったというのが、この六所神社の言い伝えになるそうです。

府中六所神社というのは現在の大國魂神社のことで、実際に本当に流れ着いたのか、大國魂神社から勧請してきたものかは定かではないようです。

野毛の明神池龍神様の写真
野毛の明神池龍神様

住宅地の一角、かつて明神池があった場所に祠があります。

明治31年には上野毛のとの境界付近から現在の場所に移ってきました。どういった経緯で移ってきたのかはっきりとしてしていませんが、その時に村内にあった天祖神社、山際神社、日枝神社、八幡神社、北野神社を一緒に祀り、六所明神から六所神社と名称も改め、下野毛村総鎮守となりました。

一説によると村社の社格を得るためには敷地がある程度大きくないといけなく、そのために広い現在の場所に移ったとも言われています。

六所明神があった場所は今では住宅地となっていますが、上野毛と野毛の境の坂が明神坂で、その坂を下って丸子川に架かる橋が明神橋といった地名に名残が見られます。

また玉堤通りに明神池前というバス停がありますが、これはかつて明神坂を下った辺りに多摩川の流路変更により取り残された明神池があった名残りです。

今では宅地化により埋め立てられてしまい、住宅地の中に龍神様という小さな祠が残っているだけとなってしまいました。きっとこの辺りにお宮が流れ着いて、洪水が収まった時に流路が変わって明神池となったのでしょう。

この事によって流路が真っ直ぐになったと想像できるので、この後に伝承通りに洪水が起きにくくなったとも考えられます。とまあ、色々と過大解釈を含めて考えていくと、あながち伝承も間違っていないのかなと思えたりもします。

野毛六所神社 桜の時期の境内の写真
桜の時期の境内

鳥居から崖下への眺めはいいです。

現在の六所神社ですが、城の城壁のような階段を登ると鳥居があり、広々とした境内となっています。境内は大きな広場といった感じで、その周りに木々が生えているのでうっそうとした感じはしません。

それにしても六所神社の境内はいつ訪れても静かで人がいません。場所的にも分かり難いせいもあるかもしれませんが、実際にお祭りの時ですら静かでビックリしてしまったほどです。

野毛六所神社 社殿の写真
社殿

昭和44年に造営されたものです。

社殿は見た目に赤が美しいきれいな建物です。これは明治31年にこの地に引っ越してきた時のものではなく、昭和44年の秋に氏子崇敬者有志の方々の努力によって新しく造られたものです。

その際には境内にある神楽殿、社務所、手水舎、神輿庫といった建物も新しくしたそうです。

とりわけ南向きに建てられている社殿は立派で、神社自体が多摩川に向けて開けているので、拝殿の前に立ったときの眺めの良さは世田谷一かもしれません。

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* 水神様と水神祭 *

野毛六所神社 水神様の写真
水神様

境内の一角に水神様の祠があります。

広々とした境内の隅、ちょうど神楽殿の横に水神様が祀られています。水神様は川の恵みに感謝しつつ、水害を防ぐため、また川の安全と豊漁を願っての信仰によるものです。

水神様の祠の前には水龍や船といった川や水に関する置物が多く置いてあり、水の神様だなといった雰囲気満点です。

野毛六所神社 水神様の祠と置物の写真
水神様の祠と置物

水神様の像や舟などの置物が奉納されています。

この水神様には一つエピソードがあります。水神様の石碑が多摩川沿いに祀られていたのですが、明治43年の大洪水で流出してしまったそうです。

その後大正時代になってから多摩川では建築用の砂利採掘が盛んになりました。そして砂利の採掘中にその水神様の石碑が発見され、この六所神社の境内に安置されたという話です。

野毛六所神社 水神祭の日の祠の写真
水神祭の日の祠

水神祭の日には色々と奉納されます。

かつては水神様を祝う水神祭が盛大に行われていましたが、現在では規模を縮小して行われています。

水神祭について書くと、せたがや百景の文章に「夏の大祭に、みこしを多摩川の中にかつぎ入れ、水神祭りを繰りひろげる。」とあるように、多摩川にお神輿を繰り出して盛大に行われていました。

古い記述を読むと、大正時代や昭和の初め頃までは神輿が3基もでて、多摩川で豪快に水中渡御を行い、区長、宮司、総代の乗った屋形船なども出て、かなり迫力ある神輿振りを見せる大きな行事だったようです。

その当時は多摩川の水もきれいで水量も豊かだったので、川遊びがレジャーとして大人気でした。そういった事情を考えれば、多くの人が川遊びも兼ねて訪れていた様子も想像できます。

しかしながら戦後になると様々な事情で行われなくなります。

野毛六所神社 水神祭の神輿の写真
水神祭の神輿

後ろに隠れている神輿が水に濡れてもいい水神祭用です。見辛い写真ですみません。

その後、多摩川も徐々にきれいになっていき、昔のような清流を取り戻したいと昭和57年に水神祭が復活しました。

秋祭りよりも盛り上がり、豪快に多摩川へ繰り出す光景は野毛の祭りの象徴ともなりましたが、バブル期を境に再び行われなくなりました。

行われなくなった理由は元締めが居なくなってしまったからです。昔は野毛には土建屋が何軒もあって、祭りを取り仕切り、バブル期頃までは気前よくお金を出してくれていたそうです。

そういった人達がいなくなると、お金を出してくれる人がいなくなり、また人も集まらなく、神輿を出せなくなってしまったとか。やっぱり神輿を出すとなるとそれなりにお金がかかってしまうようです。

現在では野毛町会の人々によって海の日に水神祭の式典のみが行われています。水神祭に使われた神輿は今でも神輿舎に保管されていますが、一番後ろで埃を被っている状態でした。

* 野毛の盆踊り大会と正月 *

野毛六所神社の盆踊り大会の写真
盆踊り大会

盆踊りの時は出店も多く出て賑わいます。

夏には水神祭とは別に野毛町の盆踊り大会が境内で行われています。

多摩川沿いの町域では、秋祭りは神事と神輿のみを執り行い、余興や出店を行わなく、その分夏の盆踊りで出店を出したりして盛り上がるところが多いです。ここ野毛でも秋祭りよりもこの盆踊り大会の方が多くの人が訪れ、境内が賑やかになります。

野毛六所神社の盆踊り大会の写真
盆踊り大会

一年で一番六所神社が賑わいます。

盆踊りは7月下旬の土日の二日間行われ、事前に踊りの練習会も開かれます。境内には露店も並び、子供多く訪れ、普段静かな境内が信じられないぐらい賑わいます。

社殿前にちょうど広い空間があるので盆踊りを行うには最適な境内、いや盆踊りをするための境内といった感じで、とても雰囲気の良い盆踊り大会になります。

野毛六所神社 正月の境内の写真
正月の境内

篝火がたかれ、町会などの関係者が出迎えてくれます。

野毛六所神社 正月の参拝者の列の写真
参拝者の列

普段の神社の様子からは想像できない光景です。

大みそかの夜、善養寺の除夜の鐘を聞いた後に六所神社を訪れてみると、神社の入り口で篝火が焚れていました。

神社の入り口、鳥居付近は石垣になっているので、なんだか城みたい。なかなかいい雰囲気で、結構様になっていました。

境内は相変わらず閑散とした状態でしたが、社殿には参拝者の列ができていました。普段の人がいない状態や秋祭りでの静かな境内を知っていると、人が並ぶことがあるんだとちょっとした驚きです。

とはいえそ小さな町域なのでそこそこ人が集まりますが、沢山とまではいきません。野毛は町域が狭い上に、公務員住宅や都営住宅などの集合住宅が多く、実際に土地に根付いて住んでいる人は少なく、なかなか地域のイベントに人が集まりにくいようです。

* 野毛六所神社の秋祭り *

野毛六所神社の秋祭り 祭りの時の境内の写真
祭りの時の境内

一応出店が並びますが、人はまばらです。

かつての野毛六所神社の例大祭(秋祭り)は9月25日が宵宮、26日が大祭でした。

大正とか、昭和初期といった古い時代は神社の運営も収穫した米や麦を集めて奉納する制度だったので、不作の時は祭りが行われない年もあったようです。

現在では祭礼は週末に移され、9月の第四日曜日とその前日に行われています。

野毛六所神社の秋祭り 子供神輿の写真
子供神輿

みんなが自然と笑顔になってしまうような祭りです。

野毛の祭りというと、境内に人が少なく、神輿も何とか運行している状態。でもほのぼのとした祭り。というのが最初訪れたときの感想でした。

しかし関係者の方にお話を聞くと、以前の野毛の祭りは暴力団が絡んでいたために必ずもめ事が起き、一般の人があまり近づきたくないような祭りだったそうです。

警護に当たる警官にしても所轄では手に負えないということで本庁の方から大勢の応援がやってきていたぐらいひどい状態だったそうです。

夏の水神祭は特に顕著で、野毛にあった4軒の土建屋が元締めとして仕切り、盛大に行われる反面、一般の担ぎ手はおっかなくて近づけなかったそうです。

それもバブルを境に土建屋が他へ移ったり、元締めを降りたりし、徐々に祭礼の規模が縮小していき、水神祭は式典のみの祭礼となり、秋祭りの方も担ぎ手が集まらなくなってしまいました。

そういった昔のイメージを払拭したり、地域の人に楽しんでもらえ、また人が多く来てくれるような祭りにしようと若い人を中心に色々と試行錯誤し、今では少し人が集まってくるような普通の祭礼となったかなといった感じです。

野毛六所神社の秋祭り ビンゴ大会の写真
ビンゴ大会

この時だけは多くの人がいました。

祭礼は宵宮の日に御霊入れが行われ、子供神輿や太鼓車が運行されます。

本祭の日は午前中に例大祭が行われます。参列者は紋付き袴を着用するので、本格的というか、区内の中ではちょっと変った祭りの風景になります。

午後からは大人神輿の巡幸が行われ、夕方に宮入。その後ビンゴ大会や奉納演芸、投げ餅が行われます。

かつての奉納演芸は演歌歌手だったり、お笑い芸人が来たりとそれなりにお金をかけていましたが、境内の人の少なさを考えるとちょっと割に合っていない感じでした。

今では手軽に人が集まるビンゴ大会となり、この時間帯になると大勢の人で境内が盛り上がります。

野毛六所神社の秋祭り お囃子と神輿の写真
お囃子と神輿

野毛囃子保存会によって継承されています。宮出し、宮入の時には神輿が必ず向かいます。

神輿の宮出し、宮入の時や例大祭の前などに神楽殿でお囃子が演奏されます。

野毛には古くから伝統芸能のお囃子があり、等々力から師匠を招いて熱心に稽古を行い、伝統を絶やさないようにしてきたそうですが、今ではお囃子自体は存続しているものの、太鼓を叩くのが精一杯だとか。今でも昔使用したお面が10個ばかり残っているそうです。

野毛六所神社の秋祭り 太鼓行列の写真
太鼓行列

大勢の子供たちに引っ張られて坂の多い町域をまわっていきます。

土曜日の宵宮に子供神輿と太鼓車が運行されます。

野毛は坂だらけの町域。太鼓車にしても軽い子供神輿にしても大変です。でも元気いっぱいな子供たちには関係ないこと。楽しそうに担いだり、引いたりしていました。

本当に大変なのは付き添いのお母さん、そして祖父母。こりゃ~いい運動になるわぁ~と額の汗をぬぐっている様子をちらほらと見かけました。行列について歩いてもあまり面白くはないですからね・・・。

野毛六所神社の秋祭り 野毛の太鼓車の写真
野毛の太鼓車

野毛御自慢の秘密兵器です。

坂の多い野毛には驚くべき太鼓車があります。なんと運転席付き太鼓車で、ハンドル、ブレーキ付き、しかも足元は回りのいいゴムタイヤ。

おまけに子供を巻き込んだりしないように台車の部分にガードの柵まで取り付けられています。手抜きなしの職人技に感心してしまいます。

そのうち電動アシストとかも付いてしまうのではないでしょうか。これぞ野毛の秘密兵器!といったスーパー太鼓車が坂の多い町域を子供たちと回ります。

野毛六所神社の秋祭り 神輿の出発式の写真
神輿の出発式

神事の時のまま袴の人もいるし、木々の多い空間なので、とても雰囲気がよかったです。

昔の野毛には神輿がなく樽神輿を担いでいたのですが、初めて買った神輿を担いだときは大雨で神輿も担ぎ手も泥だらけになってしまったそうです。

その時に神輿を洗うついでに多摩川に入っていったのは野毛では自然な成り行きだったのでしょう。これが習わしとなって昔は秋祭りでも多摩川に神輿が入り、清めを行っていたそうです。

本殿の横に神輿が収められている倉庫があるのですが、そこには大神輿、中神輿、小神輿に水神祭用の大神輿と小神輿と多くの神輿が置かれています。この中で毎年の神輿渡御で使用されるのは中神輿です。

野毛六所神社の秋祭りの写真
神社からの宮出し

階段が広いので比較的楽に下ろすことができます。

中神輿の渡御は12時半に宮出しが行われ、19時前に宮入が行われます。

宮出しは役員の挨拶や責任者からの注意等があって、乾杯をした後に担がれます。まずは境内を神楽殿、手水舎、本殿前と三周し、鳥居から宮出しが行われます。

ここの鳥居は比較的大きく高さがあるので鳥居くぐりは楽です。その後に階段が待ち受けていますが、階段も横幅があるので大勢で担げ、それに担ぎ慣れしている担ぎ手が多いので余裕といった感じでしょうか。

野毛六所神社の秋祭り 住宅地の渡御の写真
住宅地の渡御

小さなアップダウンが多い渡御です。

神社を出ると、私が訪れたときはまずは1丁目を回り、その次ぎに2丁目、そして3丁目を回り、最後に2丁目の残り部分を回って神社に戻っていました。

緩い坂を選んでいるとはいえ、2回坂を登らなければならないので大変です。特に宮入前は坂の下から一気に神社まで登ってくるので、担ぎ手の息がかなり上がっていました。

野毛六所神社の秋祭り 境内に宮入りしてきた神輿の写真
境内に宮入りしてきた神輿

役員、関係者が見守る中境内を3周まわります。

宮入は宮出しと同じように階段を登り、境内を三周します。違うのは最後で、一旦収めた後、宮出しの時より一段上の場所に上がり、社殿前で最後揉みを行います。

宮入の時は拝殿前の階段に役員の人が提灯を掲げながら並び、宮入の様子を眺めているのも独特の雰囲気があっていいです。全体的に境内が広々しているので、雰囲気のいい宮入となっています。

野毛六所神社の秋祭り 大神輿の模擬宮入の写真
大神輿の模擬宮入

中神輿を収めた後、境内で担がれていました。

大神輿はとても重く、坂の多い町域を移動するには担ぎ手の数が足りないという理由が一番ですが、台座にもひびが入っているので渡御に使用されることはないそうです。

特別な年なのか、担ぎ手が多く集まったときなのか、気まぐれで決めているのか分かりませんが、中神輿が宮入した後に境内で担がれる事があります。

担ぐ様子を見ると、さすがに1トン近くあると言うだけあって重そうでした。でもたまにしか担げないという希少性からか、担いでいる人はとてもうれしそうでした。もちろん平らな境内で少し担ぐ程度だからいいのですが、これが坂が多い野毛を担いで回るとなるとさすがにしんどそうです。

昔のように血の気の多い男集が多く集まるのなら問題ないのでしょうが、それはそれで色々と問題も起きそうです。とまあ大神輿が町内を巡幸する事は厳しいのが現状です。

* 感想など *

野毛六所神社の秋祭り 多摩川沿いを進む神輿の写真
多摩川沿いを進む神輿

多摩川からの風を受けて担ぎ手も気分よさそうに担いでいました。

野毛は世田谷区内でも多摩川に縁の深い土地で、生活が多摩川に密着し、また多摩川の洪水にも苦しめられた土地でもあります。

現在では漁業を行っている人もいなければ、砂利の採取や渡し船や屋形船も廃止となってありません。土建屋もなくなり、多摩川沿いにある落ち着いた感じの住宅街となりました。

野毛は六所神社を中心に様々な行事が行われています。そういった行事を訪れると、地域の人がどこかのんびりとしていてぎすぎすしていない印象を受けます。

他の町域のように四方を何かに囲まれているわけではなく、すぐ横が多摩川で開放感があります。おまけに坂ばかりなので視界がよく開け、太陽がよく当たる地域です。

そういった環境が人間の気持ちにゆとりを生むのか、多摩川で生活をしていた風土が受け継がれているのか、私にとって野毛は心地よく感じる地域の一つです。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所野毛2丁目14−2
・アクセス最寄り駅は東急大井町線等々力駅。
・関連リンク野毛町会

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<せたがや百景 No.94-2 野毛の六所神社 2009年10月初稿 - 2018年6月改訂>