* 等々力渓谷について *

ゴルフ橋の入り口や日本庭園にあります。
目黒通りと環八が交わる付近を中心に「等々力」といった変わった地名があります。区内の人は難なく「とどろき」と読む事ができますが、普通の人はまず読めないと思います。
これはかつてあった簡易的な城、兎々呂城(とどろき)から名付けられたとか、谷沢川にあった姫の滝、或いは等々力渓谷内の不動の滝の「轟く」様子から名付けられたとか言われていますが、そもそもなぜこの漢字が当てられるようになったのかよくわからないそうです。
等々力と言えば、世田谷では東京都の名勝に指定されている等々力渓谷となるはずなのですが・・・、近年ではサッカーのJリーグチームである川崎フロンターレの活躍によって、等々力と言えば「等々力競技場でしょう。川崎市の。」といった意見も多くなってきた気もします。
実は川を挟んだ川崎にもこの難解で特徴的な地名、等々力があるのです。
なぜに川崎にも等々力があるのか。等々力って恰好いいぞ!と世田谷の真似をしたとか・・・、ってことはありません。
かつての多摩川は暴れ川の異名を持っていたほどの川でした。洪水の度に川の流路が変わり、等々力村も川の両岸に分断されてしまったとされています。
以前は川崎側の土地は等々力村の飛び地といった扱いだったのですが、現在では行政区分が多摩川で区切られているので川崎市に所属しています。
もちろん分断されたのは等々力だけではなく、隣の野毛、瀬田、或いは宇奈根といった地名も対岸で見る事ができます。

散策しやすいように案内板が立っています。
東急大井町線の等々力駅から環八方向へ向かうとすぐに等々力渓谷の入り口があります。
入り口には等々力渓谷の案内板や名勝の指定書などが掲げられていて、橋のすぐ脇から階段を下りていくようになっています。
が、その橋の名前はなんと渓谷にあるには相応しくないゴルフ橋。これから自然名勝の渓谷を訪れようと張り切っている人には、ゴルフ橋って・・・いきなり脱力感を味わうかもしれません。
これは昭和初期にあった東急系列の等々力ゴルフ場の名残で、ゴルフ場入口に通じている為に名付けられた俗称が元になっています。

緑に赤が映えます。
ゴルフ場は現在で言うなら渓谷の西側の広大な一帯がコースとなっていました。野毛町公園やその辺り一帯の公務員住宅、都営住宅などはゴルフ場コース跡地にあたります。
野毛町公園内にある野毛大塚古墳はかろうじて残されていたというか、コース場のちょうどいい障害物となっていたようです。
このゴルフ場ができたのは、満州事変が起こる3か月前の昭和6年6月(1931年)の事です。一説には当時の文部大臣鳩山一郎氏(後の第52~54代内閣総理大臣で、第93代内閣総理大臣鳩山由紀夫氏の祖父)が企画し、それを地元の有力者であった五島慶太氏(後の東急社長)に持ちかけて建設に至ったそうです。
当時の野毛地域は多摩川の水運や漁業による産業で成り立っている地域でした。ゴルフ場の建設に際して土地を提供する地元との条件として、スタッフやキャディは土地の者を雇うという条件があったそうで、周辺の人々にとっては家計の助けになったようです。
しかし戦時色が濃くなり、昭和14年に廃止。内務省防空研究所に買収され高射砲陣地として使用され、戦後に公園や団地に変わっていきました。

この付近は雰囲気がいいです。
話を等々力渓谷に戻すと、この渓谷は東京23区内で唯一自然の谷壁が残る渓谷という事になります。
この渓谷は桜並木として百景にも登場する谷沢川が武蔵野台地を削って形成されたもので、渓谷の深さは10mほど、全長約1kmの渓谷には湧水、渓谷林、鳥獣、寺院、古墳といった自然と文化財が一体した風致景観が形成されています。
昭和32年に国から風致公園として指定され、昭和49年には指定区域内の河川と斜面の一部を世田谷区立公園として開園。そして平成11年には等々力渓谷公園と等々力不動尊の区域(合わせて約3.5ha)が東京都指定文化財の「名勝」に指定されました。
現在も付近の用地を買収したり、植樹するなどして徐々に渓谷の緑地が広がっています。
また等々力渓谷及び等々力不動尊の湧水は平成15年東京都の「東京の名湧水57選」に選定されていて、渓谷内にある第三号横穴墳墓も昭和50年に都史跡に指定されています。

実は橋の下にスプリンクラーが付いています。
とここまで書くと、なかなか良さげな場所に思えるのですが、やはり注意深く観察していくと所詮は23区内の渓谷だなと思えます。
まず渓谷を流れている谷沢川ですが、全長約3.8kmの多摩川水系の一級河川に指定されている川なのですが、昭和初期に行われた玉川全円耕地整理事業によってほぼ全ての流路が変えられ、かつて自然に流れていた頃の面影がまるでない都市河川です。
おまけに下水道が普及する以前は流れ込む生活用水などの水質汚染が酷く、姫の滝付近には水質浄化装置が取り付けられていました。あまりにも水質汚染が酷かったので区役所が取り付けたようですが、あまり効果がなかったとか・・・。今でもその跡が残っています。
昭和56年以降下水道が復旧した事によって水質は徐々に改善されていくものの、今度は水量が少なくなり過ぎるという問題が起きます。そして平成6年以降は仙川から水をポンプでひいてきて水量を確保しています。
そうかと思えば近年のゲリラ豪雨では中町付近で川があふれてしまい、現在増水時に中町をバイパスする谷沢川分水路工事が行われています。

崖の上には普通に民家が建っています。
渓谷内の川もよく見ると自然っぽい形態できちんと護岸工事が成されていて、やはり都市河川かなといった感じです。
渓谷のすぐ外は住宅街になっているのが現状です。そのことによって崖状部分の植生に制限があったり、人工的な補強がされています。
それに渓谷のど真ん中を大幹線道路である環八が横切っているので、環八が通行する橋周辺は崩れないようにしっかりとコンクリートで補強されています。
渓谷を広げようと用地を買収したり、植生などを植え直したりしているようですが、やはり・・・なんていうか、冷めた目で見るなら等々力渓谷公園といった名の通り大きな自然庭園といった感じでしょうか。
自然豊かなと表現するにはちょっと人工的な部分が目に付き過ぎるように思えます。

木製の足場が敷かれていてちょっとした渓谷を散策している気分になれます。
渓谷の散策路はゴルフ橋から始まり、途中で環八の玉沢橋をくぐり、この付近に史跡の横穴古墳群があり、更に下ると等々力不動の寺域となり、等々力渓谷の象徴である不動の滝があります。
散策路は歩きやすく整備されていて、案内板も多く設置されているし、等々力渓谷保存会や地元の人々の努力によってきれいな環境が保たれているので、散策するのにとてもいい環境だといえます。
特に雰囲気がいいのはゴルフ橋から環八の玉沢橋の間です。この付近は渓谷の幅が狭いので、渓谷外の風景が見えにくく、自然の中といった気分を味わえます。それに散策路に木製の足場が使われているので、ちょっとした渓谷を歩いている気分になれます。

この付近は完全に人工的な流れになっています。

この付近は等々力不動の境内地になっています。
玉沢橋より下流になると、渓谷自体の幅が広がり、史跡や広場があったり、等々力不動の不動の滝や稚児大師があったりと、散策路以外の川べりや斜面を楽しむことができます。ただ、川自体は水路といった感じで人工的な護岸を施されています。
全体的にみると、なるべく人工的な部分が目立たないように護岸が整備されていたり、湧水の部分が保全されていたりと、うまく自然環境と治水や景観を両立している感じです。
奥多摩にあるような渓谷を想像して訪れると、あれっという事になるわけで、自然の地形を最大限利用した公園として訪れるのがいいような気もします。

寄贈された桜で、この場所に移植されました。
等々力不動の不動の滝に架かる橋より下流は明らかに人工的な護岸工事で固められていて、渓谷らしい趣はありません。
近年では日本庭園ができ、さらに渓谷を抜けた場所にちょっとした広場が増設されました。
この付近に広場があってもあまり人が来ない気もしますが、ここには区の保存樹に指定されている愛染桜が植樹されています。
愛染桜は八大明王の愛染明王から名付けられた桜で、白い花を咲かせます。桜の時期にはこちらの方にも足を延ばしてみてください。