* 野毛の善養寺について *
六郷用水の名残である丸子川に沿って細い道が続いています。この道は岡本では民家園の前を通り、二子玉川の辺りでは行善寺坂から下ってきた大山道と交差し、上野毛では自然公園の前を通り、野毛では第三京浜をくぐり、そして善養寺の前にやってきます。
ここには一際目立つ赤い橋が架けられていて、これが善養寺の参道となる大日橋です。この丸子川は仙川付近から始まり、途中に道路用の橋、民家へのアプローチの橋と何十もの橋や橋もどきが架かっていますが、その中でも一番目立つ橋はやはりこの朱色の大日橋です。
ちなみにこの丸子川沿いの道はかつての「いかだ道」とかぶる部分が多い道です。いかだ道はかつて奥多摩で伐採した木をいかだのように組んで多摩川の下流に流していた時に、いかだに乗っていた筏師が歩いて奥多摩へ戻る際に使っていた道の事です。大蔵の永安寺から野川へ向かい、宇奈根、喜多見と続いていました。
かつてこの道沿いには筏師が宿泊した施設、筏宿などがありました。野毛は喜多見と同様にいかだ道の面影が比較的後年まで残っていた地域で、この善養寺の並びにも筏師がよく利用するそばや(いかだ宿)があったそうです。
善養寺はあまり知名度のある寺ではありませんが、本当に楽しいお寺です。なんていうか、まるで境内が石像のテーマパークといった感じでしょうか。
せたがや百景に出てくる中では世田谷観音を個性的なお寺として紹介していますが、ここもなかなか個性的で、ちょっと怪しげでもあり、インパクトのあるお寺です。この他に区内では玉川大師や大蔵妙法寺の回転大仏なども個性的な存在となるでしょうか。
この楽しい?お寺の由緒について書いていくと、正式には影光山仏性院善養密寺で、真言宗智山派に属しています。ちょっと怪しい雰囲気は密教からのものです。
真言宗智山派という事なので京都の東山七条にある智積院が総本山になります。これは等々力の満願寺と同じで、古い記録では満願寺の末寺と記載されているものもあります。
本尊は大日如来坐像。開山は祐栄阿闍梨で、慶安五年(1652年)に深沢から遷化(移転)したとか。
ただそれ以前の記録は残っていないので、どういう状況でここに移転してきたのか、どういった由緒があったのかは分かりません。
一応、「新編武蔵風土寄稿」には、深沢村からここに移され、鎮守六所神社の神輿を入れる神輿堂閻魔堂があったことや「表門柱間九尺」と現在の赤い山門の事が記されています。
境内について書くと・・・(正直ネタバレみたいになるのであまり書きたくないのですが)、丸子川に架かる大日橋を渡ると左右の高いところから対になっている煩悩の象徴とされる石羊がこちらを見下ろしています。本物のヤギのような眼をしているので、結構不気味です。
そしてその後ろには守備隊長のような金の剣と銀の剣を持った巨人が入ってくるものに対してにらみを利かせています。
橋を渡ると木の陰から石像が出てくる感じなので、初めてこの寺に、しかも大日橋からやってきた人はここで少なからず動揺をすることでしょう。
正面にある門に向かって進むと、門の前で正義や公正を象徴である祥獣の海駝がこちらを睨み付けています。
この海駝は朝鮮半島に伝わるのもので、本場の中国では牛や羊の姿をしているのですが、獅子の姿をしているのが特徴です。真贋を見極める能力があるとされる事から朝鮮では魔除けとして狛犬のように建物の前に置かれることが多いそうです。
丸っこい感じの像なので、見方によって愛くるしいような、妖怪のようで不気味なような、なんとも不思議な像です。
海駝の横には大きな人型の石像が配置されています。これが大きくて大陸の儒教的な風体なので更に非日常的な印象が上積みされていきます。
とはいうものの、この石像は儒教的で温厚な顔をしています。ここまでの他の石像が寺の門番といった感じで眼光が鋭かったり、威圧感が凄いのに対して、この像は「ようこそいらっしゃいました。ご用は何でしょう?」といった執事っぽい雰囲気なので、少しホッとし、気分的に落ち着く人もいるかと思います。
海駝と儒教的な石像の右側、駐車場の方には大きな亀の石像、亀王があったり、小さな人型の石像が幾つもあります。本当にこれでもかといった感じで驚きの連続です。
この亀の置物の横に並ぶ木は枝垂れ桜で、春になるととてもきれいです。桜の木の下の大亀。絵になっているような、なっていないような・・・、よくわかりませんが、桜の時期に訪れてみてください。
海駝の守る階段を上っていくと、赤い門があります。これが「新編武蔵風土寄稿」に出てくる古い門です。記録と同じサイズや格好である事から野毛で一番古い建造物とされています。
この門の前には大陸的な石像と狛犬が並べて置いてあります。これらの像は長い月日の雨風によって溶けつつあり、なかなか味があります。恐らく現在置いてある大きな門番的な石像や海駝の元祖ではないでしょうか。そんな朽ち加減と配置に感じます。
門を入って左側に社務所、奥に大きな本堂があります。この辺りにもまた多くの石像やら仏像やらと多くの置物が置いてあります。
特に社務所のところに置かれているヒンドゥー教の神であるガーネーシャ(象の顔をした神)の大きな像は異彩を放っている感じです。この他にも南インドの獅子吼などが置かれていて、門をくぐると中国からインドに雰囲気が変わるといった感じです。
本堂は奈良の唐招提寺金堂をモデルに造られたそうで、大きく立派な瓦ぶきの寄棟造りの屋根には一対の金色の鴟尾(しび)が誇らしげに輝いています。
本堂前や横の方にも石像が多く置いてあり、ここにはインド仏教的な像が多くなっています。
本堂の斜め前には新しめの梵鐘堂と鐘があります。これは平成10年に善養寺中興400年慶讃記念として造られたもので、梵鐘の長径は3尺(約90センチ)、重さが250貫(約1トン)といった立派なものです。
この鐘は京都の太秦で鋳造されたもので、なんでも黄鐘調という稀な響きを出す平成の名鐘だとか。どんな音色なのか是非聞いてみたいと思い、除夜の鐘を聴きに訪れたのですが、私には普通の鐘との違いが分かりませんでした。