世田谷散策記 ~せたがや百景~

せたがや百景 No.39-2

粕谷八幡神社

芦花恒春園は、文豪徳富蘆花が明治40年から昭和3年の死亡までの20年間を、愛子夫人とともに過ごしたところで、園内には蘆花記念館と当時のままの書院、母屋が残されている。裏手には、児童公園や散策によい公園が続いている。近くの粕谷八幡には蘆花ゆかりの「別れの杉」二代目が植えられている。このあたりは緑の深い趣のあるところだ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 :粕谷1-23-18
・備考 :芦花恒春園については前項No.39-1で紹介しています。
秋祭りは体育の日付近に行われます。

***  このページの内容  ***

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* 粕谷村と粕谷八幡神社について *

粕谷八幡神社 別れの杉の切り株の写真
別れの杉の切り株

初代は切り株として保存されています。

芦花公園の一角といった感じで、蘆花恒春園エリアと隣接するように粕谷八幡神社があります。

徳冨蘆花の旧宅のすぐ裏という場所柄、蘆花とも関係があり、明治14年と大正14年に社殿の改築が行われた際に氏子の一人として450円を奉納しているといった記録が残っています。

著書にも粕谷八幡神社のことがたびたび登場していて、鳥居のそばにある杉は蘆花の著書「みみずのたはごと」に出てくる「別れの杉」になります。ただ・・・、残念ながら今では枯れてしまい根本部分しか残っていません。

その代わりというか、若い杉が植えられています。案内板によると由緒ある杉なのでみんなで話し合って新しく植えたそうです。まだまだ若木なので、神社の境内で存在感のある立派な杉となるには少し時間がかかりそうです。

粕谷八幡神社 鳥居付近の写真
鳥居と紅葉するイチョウの木

大きなイチョウの木があるので、秋には参道がいい雰囲気になります。

粕谷八幡神社は粕谷村の村社でした。詳しい由緒は分かりませんが、鎌倉時代に豪族粕谷三郎兼時の館がこの近くにあり、八幡様を勧請、或いは守護神にしたといった事が伝わっていることから鎌倉時代には存在していたのでは・・・と推測されています。

粕谷の地名についても詳しく分かっていませんが、この粕谷兼時が住んでいた事に関係があるのでは・・・と言われています。

粕谷氏は後に吉良氏の配下となり、現在の中町付近を治めていたとかで、中町付近の古くからの大きな家の表札は粕谷姓が多いです。特に中町天祖神社の祭礼を訪れると神輿の休憩所が粕谷家ばかりだったり、奉納者掲示板に粕谷姓が多かったりします。

粕谷八幡神社 蘆花の村入り百年の記念碑の写真
蘆花の村入り百年の記念碑

蘆花が粕谷にやってきてから百年を記念して境内に設置されました。

粕谷は江戸時代には天領となり、ちゃんとした村が形成されたのは1648年頃と推測されています。天領のため開墾が積極的に進むことなく明治を迎え、明治40年には徳冨蘆花が青山から引っ越してきます。

当時の様子を「みみずのたはこと」に書いていますが、「人家はまばらで、四方が寂しく、色々な物音が響く」と表現しています。大正九年の国勢調査でも33世帯、235人となっているので、本当に閑散とした地域だったようです。

昭和に入り、小田急線、京王線が開通すると世田谷の人口が爆発的に増えていきます。ただ・・・、ここ粕谷は駅から離れていたせいもあり、昭和30年頃まであまり人口が増えず、町が本格的に発展するのは昭和46年の環八通りの開通後となります。

粕谷八幡神社 狛犬と社殿の写真
狛犬と社殿

社殿の裏手が蘆花の家になります。現在の社殿は昭和34年に建てられたものです。

粕谷八幡神社は明治6年に粕谷村の村社となり、明治14年社殿を改築、大正14年にも改築が行われ、昭和2年に改築奉祝祭が盛大に執り行われています。

蘆花も氏子の一人として450円を奉納していて、その記録が残っていますが、当時の社殿は昭和34年には放火によって全焼してしまったので、蘆花の時代の面影は残っていません。

現在の社殿は、放火があった年の12月に氏子の努力によって鉄筋コンクリート製で建てられたものです。社殿の前には大きなイチョウの木、そして後ろの方にはモミジがあるので、秋には社殿がとてもいい雰囲気となります。

粕谷八幡神社 境内社の五所神社の写真
境内社の五所神社

社殿の奥に緑に囲まれるようにしてあります。

全焼してしまったのであまり古いものは残っていませんが、天保六年(1835年)建立の石鳥居と文久時代(1861~63年)の手水石が残っています。

また本殿の脇、木々や植物に埋まるような感じで境内社の五所神社がひっそりとあります。祭神は厳島姫命、宇迦御魂命、日本武命、淤母陀琉命、疽神の五神です。

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* 粕谷八幡神社の秋祭り *

粕谷八幡神社 秋祭りの時の神社の写真
秋祭りの時の神社

参道に出店が並んで少しにぎやかになります。

粕谷八幡神社の例大祭は、蘆花が暮らしていた大正の頃には10月3日が祭礼日で、3~5年に1度田舎歌舞伎が興行され、大変賑わったそうです。

蘆花の本にも「普段置いてある唐獅子はどこかに取り除かれ、そこになかなか馬鹿にできぬ舞台が設置されている。境内には一面ムシロが敷き詰められ、村はもとより他村の老若男女450人がどよめいている」などと書いています。

現在では体育の日、あるいはその近辺で祭礼が行われています。祭礼は一日のみで、11時から式典、13時から神輿と太鼓車の巡行。16時半頃に御神輿などが帰ってきて、17時から抽選会が行われます。

境内に露店は5店ほどですが、地域の団体のお店なので、焼きそばが200円とかとてもお財布に優しいです。

粕谷八幡神社の秋祭り 抽選会の写真
抽選会

この時は多くの子供たちでにぎわいます。

小さな神社なので、そこまで活気がある祭りではありませんが、神輿が帰ってきた後に行われる抽選会の時は境内が混雑します。自転車などが景品なので子どもたちも結構真剣です。

でもせっかく舞台を設置するなら何か奉納演芸でも行えばいいのにと思ってしまうのですが、やっぱり参加団体や観客が集まらないのでしょうか。

粕谷八幡神社の秋祭り 粕谷八幡神社の神輿の写真
粕谷八幡神社の神輿

中学生を中心に担がれます。

粕谷八幡神社の神輿は13時頃に出発して16時半頃に戻ってきます。

以前は担ぐ人が集まらなく、小さな子供神輿で行っていましたが、2010年から芦花中学の生徒が担いでくれることとなり、小さいながらもちゃんとした神輿が担がれ、町内を巡行できるようになりました。

粕谷八幡神社の秋祭り 太鼓車の列の写真
太鼓車の列

結構長い行列となります。

粕谷八幡神社の秋祭り 神輿渡御の様子の写真
神輿渡御の様子

部活帰りなどで参加の子も多く、色んなユニフォームでの混成チームです。

神輿渡御は太鼓車が先導します。神社を出るときはそうでもありませんでしたが、戻ってくる頃になるとそこそこ長い列になります。

神輿の方は中学生が大勢集まって見た目は活気があるものの、やっぱり素人の子どもたちが中心になって担いでいるので、普段見慣れている神輿本来の動きからすると不自然です。なんて言うか、あまり揺れない神輿です。

おまけに担ぐ姿も体操服だったり、部活の帰りで野球のユニホームだったりと様々で、担ぐというよりは運んでいるといった感じでしょうか。

粕谷八幡神社の秋祭り 環八の横断の写真
環八の横断

中学生なので規則正しく渡っていきます。大人だと・・・、大変です。

神輿渡御という事では他の神社と比べてしまうとこれといった見所があるわけではありません。

でも、ここでは神輿が運行される事が重要で、2010年に神輿がようやく運行されるようになった時の役員の方々のうれしそうな顔が忘れられません。大袈裟に言うなら昔日の思い出が戻ったといった感じでしょうか。

今後も蘆花中学の学生に頑張ってもらい、粕谷の神輿が町域を歩き続けるられるといいですね。

* 感想など *

粕谷八幡神社 紅葉の季節の写真
紅葉の季節

紅葉の時期には社殿の赤が引き立ちます。

粕谷は隣の八幡山と同様に人口が少ない寒村でした。それでも蘆花の時代に芝居を呼ぶような祭りを行ったり、神社を改築したりと頑張っています。氏子というより村全体が団結していたからこそできたのでしょう。

しかしながら時代が進むと、どんどん宅地化が進み、今まで住んでいた人よりも新しい移住者の方が多くなってしまいました。地域には住んでいる人は多いのだけど、地域の行事とか、秋祭りの盛り上がりの方は・・・というのが現状のようです。

「俺たちの時代の方が人は少なかったけど盛り上がっていたな・・・」などと神社の裏手にある墓から蘆花が眺めているのではないでしょうか。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所粕谷1-23-18
・アクセス最寄り駅は京王線芦花公園駅。駅から少し離れています。
・関連リンクーーー

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<せたがや百景 No.39-2 粕谷八幡神社 2009年7月初稿 - 2018年5月改訂>