世田谷散策記 せたがや百景項目一覧

せたがや百景 No.31-40の紹介

昭和59年に世田谷区と区民によって選定された「せたがや百景」のNo.31-40の紹介です。詳細は個別のページをご覧ください。

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No.31 北沢川緑道ユリの木公園

北沢緑道 ユリの木公園案内板

北沢川緑道でもこのあたりは都会的な趣きのある遊歩道だ。レンガタイルを敷き、芝生を植え、スツールが置かれていて、公園のような緑道となっている。近所の人々のゆきとどいた手入れで、いっそう心地よい憩いの空間となっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:宮坂2丁目付近(北沢川緑道) 備考:ーーー

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北沢緑道 ユリの木公園

小田急線豪徳寺駅のすぐ南にある世田谷線の山下駅。ここから西へ向けて、旧北沢川の暗渠が直線的に600mほど続いています。暗渠部分は歩行者用の緑道となっていて、レンガ敷きの歩道が設置されています。

緑道には木が植えられていて、並木となっているのですが、植えられているのは、桜でも、イチョウでも、ケヤキでもなく、なんとユリの木。しかも住民の要望で植えられたのことです。

ユリの木ってなに?って事になるのですが、よく知る花の百合とは関係なく、モクレン科ユリノキ属の落葉高木です。木につける花の形がチューリップに似ていることからチューリップツリーとも言われています。

北沢緑道 ユリの木公園 紅葉するユリノキ

ユリノキは、葉の大きさが大きいのが特徴です。緑の季節に緑道を歩くと、とても緑が濃く、ちょっと堅い印象を受けます。しかし、紅葉する秋になると、その大きな葉がモザイク的に色付くので、印象がガラッと変わります。

その様子は天然のモザイク模様で、並木全体で見ると、ユリノキアートと言っても過言でないほど素敵です。地面に敷かれているのがレンガというのもあり、秋のユリノキ公園はどことなく芸術的に感じます。

No.32 松原のミニいちょう並木

松原のミニいちょう並木 せたがや百景の切り絵

松原の住宅街のなかにかわいらしいイチョウ並木がある。戦前、別荘の敷地のなかに植えられていたものが、戦後の住宅地化のなかで生き残って、今の姿になった。まちの小さな一角に季節の訪れを告げ、付近の人々から親しまれている。また戦災から焼け残った昭和初期のモダンな住宅が見られるのも楽しい。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:松原6-22、23付近 備考:ーーー

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松原のミニいちょう並木の様子

松原の住宅地の細い路地に、小さなイチョウ並木があります。この場所には、かつて大きなお屋敷がありました。その持ち主が、敷地内にイチョウの並木道を造り、それが宅地開発の際にそのまま残され、現在まで維持されています。

タイトルにあるように、ミニイチョウ並木という表現がぴったりで、葉が緑の時期に訪れても感動的な風景とはならないと思います。しかし、紅葉の時期に訪れると、少し雰囲気が華やかになり、そこはかとなく趣きを感じる路地に変化します。

No.33 松原の菅原神社

百景の切り絵 松原の菅原神社

境内に朱塗りの社殿が目立つ。江戸時代、石井兵助という人が寺小屋を開き、学問の神様である菅原道真公を祀ったのが始まりだろうと伝えられる。いまも学業祈願、合格祈願の絵馬札がたくさん下がっている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:松原3-20-17 備考:ーーー

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松原菅原神社 拝殿
菅原神社拝殿

松原の住宅街の一画に、松原の氏神である菅原神社があります。菅原の名は、菅原道真公のことで、天神様を祀っている神社になります。

境内には天神様らしく、神牛の像や、梅の木が置かれ、合格祈願の絵馬が絵馬掛けに奉納されています。

松原菅原神社 弁天まつりの様子
弁天まつりの日

かつて菅原神社には、少し離れた場所に弁天池がありました。農業用水にもなっていて、日照りが続くと、雨乞いが行われました。

現在でもその名残りで、5月には弁天まつりが行われ、ステージイベントなどで賑わいます。また、秋祭りの時も多くの町会神輿がやって来て、境内が賑わいます。

No.34 下高井戸の阿波おどり(廃止)

下高井戸の阿波おどり(せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用)
下高井戸の阿波おどり

*せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室制作から引用

「おどらにゃ、そんそん・・・・・」町会・商店会を中心に始めた下高井戸の阿波踊りは年々規模が大きくなってきた。本家に負けない熱気と興奮が町を包む。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:ーーー 備考:現在では行われていません

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下高井戸 しもたかサマーフェスティバル
しもたかサマーフェスティバル

昭和の時代、経済の上昇とともに町には熱気があふれていました。そんな社会の様子にマッチしたのが阿波踊りで、各商店街が阿波踊りに熱狂しました。

下高井戸もそうでしたが、今では阿波踊りは行われていなく、代わりに盆踊りやステージイベントを中心とした「しもたかサマーフェスティバル」に移行しました。

No.35 日大文理学部の桜

百景の切り絵 日大文理学部の桜

新学年に満開の桜は欠かせない風物詩。日大文理学部には立派な桜のアーケードがあり、勉学に意欲を新たにする学生たちを迎えてくれる。青春時代の学び舎の忘れがたい風景として、記憶されている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:桜上水3-25付近 備考:ーーー

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日大文理学部と桜
日大文理学部

桜上水駅の南側に、広大な敷地を擁した日本大学の文理学部があります。ここあるのは学部の校舎だけではなく、百周年記念館や運動部のグラウンド、そして付属高校も隣接してあります。

ちなみに文理学部とは、文字通り文系と理系が融合した総合学部で、学校の紹介文によると、「文・理融合」を教育理念に、総合的なものの見方や考え方を身に付けた人材を育成する学部になるようです。

日大文理学部前の桜並木
日大文理学部前の桜並木

下高井戸駅から日大文理学部へ続く道は、日大通りと名付けられています。駅付近は少し賑やかな商店街となっていて、文理学部付近では、道の両側が桜並木となっています。春の開花時期になると、素敵な桜のトンネルとなります。

そんな桜のトンネルの中を通って、学校に通ったり、卒業式や入学式を迎えた生徒たちは、とても印象深い体験となり、後々まで思い出に残ることでしょう。

また、3月の最終週末には、商店街によって「しもたか大さくら祭り」が行われます。日大前の通りは歩行者天国となり、多くの出店が並び、ステージイベントなどが行われます。

No.36 上北沢の桜並木

百景の切り絵 上北沢の桜並木

住宅街の道の両側に桜並木がつづいている。桜は毎年欠かさずこのまちに訪れる春を確かめてきた。地図の上で見ると、中央の通りからちょうど肋骨のように規則正しく斜めに、枝道が延びている。この道が肋骨通りと呼ばれる由縁だ。区画整理された際に桜の木が植えられたことが分かる。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:上北沢3丁目 備考:ーーー

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上北沢の桜並木
上北沢の桜並木

上北沢駅の南口側は、少し変わった区画をしていて、葉の葉脈のように中心となる通りから、斜めに路地が伸びています。この独特な住宅地は、関東大震災後の復興事業として誕生しました。

その宅地開発の時に、街路樹として桜が植えられました。今では中心となる通りにしか残っていませんが、その桜並木が百景に選ばれています。

成城や旧・新町住宅地のように並木の規模は大きくありませんが、桜の木を見ると、様々な工夫がしてあり、地元の人がとても桜を大事にしていることを感じられます。

また、4月の最初の週末には、上北沢町会によって小規模な桜まつりが行われています。

No.37 船橋の希望丘公園

希望丘公園 案内図

ガスタンク群や清掃工場、団地の三つの大きな建築物が空を圧しているなかに、公園がある。小高い丘に木が植えられ、芝生がきれいだ。園内には水が巧みに設計して取り入れられており、水が流れる広場は周囲の風景に清涼感を与えている。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:船橋7-9 備考:ーーー

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希望丘公園 団地と公園
希望ヶ丘団地と公園

船橋、千歳台界隈では、公園や学校などに希望丘の名称が多くみられます。それはこの界隈で行われた区画整理が、希望丘土地区画整理事業と名付けられたことに由来します。

希望丘公園は、船橋にある公園で、東側には大きな希望が丘団地があり、北側には高い煙突がそびえる清掃工場があり、西は温水プール、南は学校や商社のビルと、大きな建物に囲まれています。とはいえ、百景の紹介文に書かれているほど、圧迫感は感じないかと思います。

希望丘公園 時計塔
希望丘公園の時計塔

希望丘公園はヨーロッパの公園を参考にして整備したということで、園内にはレンガ造りの建造物が多いです。レンガの時計塔やアーチ橋、壁泉などが、品よく配置されていて、ちょっとお洒落な感じがします。実際、ドラマなどのロケによく使われているそうです。

周囲に大きな団地があることから、朝は健康の為に歩く老人の姿、日中はたえず子供の遊び声が聞こえてくる公園で、この土地に欠かせない存在となっています。

No.38 廻沢のガスタンク

百景の切り絵 廻沢のガスタンク

巨大な球形のガスタンクもいつの間にか、まちの風景の中に溶け込んでいく。朝日を浴び、夕日に照らされ、雨に霞んで、一冴の風情さえ帯びてくる。都市風景のなかで一際目立つランドマークだ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:粕谷1-7-8(東京ガス世田谷整圧所内) 備考:敷地内見学不可

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東京ガス世田谷整圧所のガスタンク
東京ガス世田谷整圧所のガスタンク

芦花公園の西隣には東京ガス世田谷整圧所があり、球形のガスタンクが並んでいます。その数は5つ。間近かで見ると、迫力があります。

ガスタンクの正式名称は、ガスホルダー。一つの大きさは直径約33mで、中の容量は8万世帯の一日分の使用量に相当します。

世田谷が世界に誇る特撮もの、ウルトラマンシリーズでは、よく怪獣に踏みつぶされて爆発していました。もし実際に爆発したら、8万世帯のガス爆発と同じ規模の爆発に・・・。と思ってしまいますが、安全対策は万全なので、そういったことが起きる可能性は限りなく低いようです。

芦花公園から見たガスタンク
芦花公園から見たガスタンク

この東京ガスの制圧所は、昭和31年6月(1956年)に建てられ、2基のガスタンクが設置されました。実は、この最初の2基が、今あちこちで見かける球形のガスホルダーの始まりとなるようです。

当時は斬新で、違和感のある風景だったかもしれませんが、今ではすっかりと周囲の風景に溶け込んでいます。百景選定時で、設置されてから18年。現在では50年以上が経過しているので、もはやそこにあるのが当たり前の存在となっているのではないでしょうか。

No.39 芦花公園と粕谷八幡一帯

百景の切り絵 芦花公園と粕谷八幡一帯

芦花恒春園は、文豪徳富蘆花が明治40年から昭和3年の死亡までの20年間を、愛子夫人とともに過ごしたところで、園内には蘆花記念館と当時のままの書院、母屋が残されている。裏手には、児童公園や散策によい公園が続いている。近くの粕谷八幡には蘆花ゆかりの「別れの杉」二代目が植えられている。このあたりは緑の深い趣のあるところだ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:粕谷1丁目20-1 備考:ーーー

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蘆花恒春園 旧蘆花邸
蘆花恒春園 旧蘆花邸

明治、大正時代の文豪、徳冨蘆花。彼が40才から暮らしたのは、人がほとんど住んでいない粕谷の地でした。自分の土地を恒春園と名付け、執筆活動を行いながら、亡くなるまで夫人とともに晴耕雨読の暮らしをしました。

蘆花が亡くなった後、夫人の愛子さんが、土地や建物、遺品を都に寄贈し、都立蘆花恒春園が誕生しました。恒春園では、蘆花が暮らしていた建物や、実際に使用していた書斎等が見学でき、後に建てられた蘆花記念館では、遺品や原稿などが展示されています。

蘆花の命日には「蘆花を偲ぶ集い」が行われ、公園内にある墓前で献花が行れたり、お話会などが行われます。これ以外にも、蘆花にちなんだイベントが多く行われています。

芦花公園 花の丘
芦花公園 花の丘

蘆花の敷地から始まった蘆花恒春園でしたが、後に周辺の土地を買収していき、今では当初の7倍もの広さになりました。

園内で一番象徴的な場所は、平成12年に出来た花の丘。高遠コヒガン桜が丘の囲むように植えられ、丘の中央にはボランティアが管理している花壇があり、一年中きれいな花が咲いています。また、月に一度、花の丘フェスタといった小規模なイベントも行われています。

その他、子供用の遊び場、児童公園やアスレチック広場、愛犬家のためのドッグランなども設置されています。芦花公園は運動施設がない分、草木で溢れる公園となっていて、季節を感じながら歩くのがとても楽しいです。

粕谷八幡神社
粕谷八幡神社

蘆花恒春園に隣接しているが、粕谷村の村社だった粕谷八幡神社です。蘆花とも関りが深く、蘆花の著書に度々登場しています。とくに有名なのが、鳥居前にある杉で、別れの杉として「みみずのたはごと」に描かれています。

残念ながら、別れの杉は枯れ、放火によって社殿は全焼してしまったので、蘆花の小説に出てきた頃の面影はありませんが、今でもこじんまりした雰囲気のよい神社です。

No.40 粕谷の竹林

百景の切り絵 粕谷の竹林

世田谷からは竹林も姿を消しつつあるが、粕谷あたりには、はっとするほど見事な竹林がまだまだ残っている。風が渡るときなどは、ほんとうに素晴らしい。春、垣ごしに頭を出している竹の子を見つけるのも楽しい。残して欲しい風景だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)

場所:粕谷2-11付近 備考:ーーー

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粕谷 地主さんの土地にある竹林
地主さんの土地にある竹林

昭和以前、農村風景が広がっていた世田谷には、多くの竹林がありました。竹林は、タケノコを売ったり、農業作業用の簡易的な櫓や道具を製作するのに都合がよかったからです。しかし、畑が宅地に変わっていくと、竹林は不要となり、どんどん姿を消していくことになります。

芦花公園の北側に広がっている粕谷の地には、平成の頭ぐらいまで、古くからの地主の土地を中心に農地が多く残っていました。竹林も多く残っていて、それが百景に選ばれました。

選定当時は、粕谷を歩いていると、竹林をあちこちに見かける状態だったようですが、今では地主さんの土地(粕谷二丁目本橋家の竹林市民緑地)や、蘆花恒春園ぐらいにしか残っていません。

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