* 三軒茶屋と太子堂八幡神社 *
世田谷で一番の繁華街といえば、世田谷で二番目に高いビル、キャロットタワーがそびえる三軒茶屋駅周辺地域です。
三軒茶屋といっても古くから地名としてその名前があったわけではなく、かつては現在の世田谷通り(旧大山道)の北側が太子堂村、南側が馬引沢村といった感じで分かれていました。
住所としての三軒茶屋が使われるようになったのは昭和7年(1932年)の世田谷区成立時です。上馬村などから分裂させてできた町域が新たに三軒茶屋と名づけられました。
ただ、三軒茶屋という呼び方は江戸時代からありました。大山道の本道(現世田谷通り)に新たに二子道(現玉川通り)が整備され、その交差点付近、昔で言うなら追分に信楽、角屋、田中屋の三軒の茶屋が並んでいたことから次第に三軒茶屋と呼ばれるようになり、文化文政(1804~30年)の頃にはその名が一般的になっていったそうです。
この地域はちょうど大山道を挟んで太子堂村と馬引沢村があったので、この三軒茶屋という呼び方が分かりやすかったのでしょう。
太子堂村はだいたい現在の太子堂町に一致していますが、国道246号よりも南側にある太子堂一丁目の大部分は後年の町域変更によって太子堂に加わったので、昔はほぼ国道246号と世田谷通りの北側の地域が太子堂村でした。
名前の由来は村の北東にある真言宗の円泉寺境内にある聖徳太子像を安置した太子堂に因んでいます。
この円泉寺は南北朝時代(1332~92)の後期に開創されたと伝わっています。大和国久米寺の賢惠大和尚が聖徳太子像と十一面観音を背負って関東に下り、文禄四年にこの地に滞在した時に聖徳太子が夢に出てきて、「この地に霊地あり円泉ヶ丘という。つねに霊泉湧き出づ、永くここに安住せん。汝も共に止まるべし。」と告げたとか、なんとか。
そしてこの地にとどまり、翌、文禄五年に本堂、太子堂などが完成したそうです。
江戸時代になると太子堂村は江戸市中への青物の菜の供給地として栄えました。それと同時に大山詣が盛んに行われるようになり、大山詣でに向かう人が行き帰りに太子堂へ参拝するのが定番コースのようになり、門前町としても活気があったようです。
しかしながら村自体は天領、大名領、旗本領に細分化されていたので、なかなかまとまらなく、ちょっとごたごたしていたようです。そのため村社である八幡様の祭礼を以って心を一つにしたと言われています。
村社である太子堂八幡神社は村の北西に鎮座し、八幡神社と言うことで誉田別命が祭神として祀られています。別当である円泉寺の縁起によれば、文禄年間(1592~1596)に創祀されたと記録されています。
ただもっと古い言い伝えも残っていて、平安時代後期に源義家、頼義親子が朝廷の命を受け陸奥の安倍氏征討に向う途中、この地で八幡神社に武運を祈ったと伝承されています。
この伝承では義家は太子堂村を通る鎌倉道のそばで進軍を止めて同勢を憩わし酒宴を行ったとされ、その場所が本村(5丁目)にある土器塚で、酒宴後の土器などこの地に埋めたのでそう呼ばれるようになったとか。
この土器塚に続く塚を同勢山と呼ぶのは、同勢を憩わした名残とも言われています。
これが真実なら平安時代には既にこの地に村人が信仰する八幡神社、或いは太子堂八幡神社の前身となる祠などがあったのかもしれませんが、あくまでも東日本各地によくある源氏伝説の一つかと思われます。
太子堂八幡神社はかつて社地が1150坪もあり、古木が深く幽すいの地だったと記録されていますが、現在では住宅街の中に埋まっているといった感じで、敷地もそこまで広くありません。
都会では神社自体が最低限の土地だけ残され住宅に埋まってしまうのはよくあることです。老朽化した社殿等の改修費用とか、維持費の捻出のために土地を売らなければならなかったりと、それぞれの地域で様々な事情をかかえています。
ここの神社でも鳥居のすぐ横にある広場は太子堂八幡広場と名がついた区の公園となっていて、少し子供の遊具などが置いてあったり、各町会の神輿が保管されている倉庫があります。
実際の太子堂八幡所有の境内は、鳥居のある参道部分とその先の門から先の敷地となるはずです。
そこまで広くない境内ですが今でも緑が多く残っていて、それは不自然に木が植えられているというより、もともとの森がそのまま残されている感じです。
せたがや地域風景資産にも「太子堂八幡神社と森」といったタイトルで登録されていて、すぐ近くの烏山川緑道から見ると、太子堂八幡は少し高台に位置するので、あの木が茂っているのが八幡様の森だとよく分かります。
ただ、そこまで厚い木の壁とはならないので、敷地内に入ってしまうと木々の間から向こうの建物が見えてしまうといった感じの森です。
境内には鳥居前に弁天社、鳥居の横に社務所、二の鳥居をくぐると広い広場になっていて、左に神楽殿、正面に社殿、奥に境内社があります。
社殿はどっしりとした建物ながらデザイン的にはシンプルなもので、 拝殿だけがあって本殿はありません。御神体は古代神導の形をしている紙の幣束が祀られているそうです。
* 太子堂八幡神社の秋祭り *
昔の太子堂八幡神社の例大祭は毎年10月2日に宵宮、3日に本祭が行われていましたが、今では週末に祭礼日が移動し、10月の第二日曜日に本祭、前日に宵宮が行われています。
ここの秋祭りの特徴はなんと言っても屋台の多さです。三軒茶屋のメインストリートである茶沢通りの太子堂3丁目交差点から神社まで続く通り沿い、そして神社の周りや太子堂八幡広場、参道やら境内に多くの屋台が並び、世田谷でも一番多くの屋台が出る秋祭りとなっています。
また毎週日曜日の午後は茶沢通りが歩行者天国となるのですが、その歩行者天国を各町会の神輿が練り歩き、町全体がとても賑やかになります。
神輿渡御の賑やかさはすぐ北に位置する下北沢の北沢八幡神社に譲るとしても祭り全体としての賑やかさは世田谷で一番です。
これは今に始まったことではなく、昔からここのお祭りは賑やかだったようで、かつては鳥居の先にある烏山川沿いには大きな空き地があり、お化け屋敷や見せ物小屋が建ったり、サーカス小屋が建てられた事もあったそうです。
祭礼は宵宮の16時半から宵宮祭、本宮の10時半から本祭が行われます。両日とも昼間は相模流の萩原社中によって里神楽が随時神楽殿にて奉納されます。
宵宮の夕方から和太鼓、囃子、その他様々な奉納演芸が神楽殿で行われます。
太子堂囃子は区の郷土芸能大会に出ていないのであまりよく知りませんでしたが、平成24年には明治神宮で奉納を行ったりするなど実力派です。
詳しく分かりませんが、西山町会の西山囃子が中心となっているようで、保存会を結成し、地域の住民や子ども達に継承しているそうです。
日曜日の昼間には各町会の神輿がやってきて境内がはち切れんばかりに賑わいます。ちょうどその時間帯は地元のえびす太鼓による太鼓の演奏が行われ、宮入に華を添えています。
19時からは宵宮と同じく奉納演芸が行われますが、さすがに大きな神社だけあって素人によるカラオケなどではなく、両日ともプロによる歌謡やマジックなどの演芸になります。
ただ、翌週には三軒茶屋の町全体での大きな大道芸大会「三茶de大道芸」が行われたり、サンバパレードなどイベントが多い地域なので、こぢんまりとした境内での見せ物はイベント慣れした三茶っ子にはちょっと微妙かもしれませんね。
両日とも奉納演芸は21時までで、本宮の最後には福餅まきが行われます。
太子堂八幡神社の秋祭りは三軒茶屋といった世田谷を代表するような繁華街で行われる秋祭りです。
境内には絶えず人がいる感じで、特に夕方からは人が多くなり、お参りする人の行列ができるほど境内が混雑します。
屋台が並ぶ通りも神輿が通るのもありますが、夕方前から混雑して歩きにくい状態になります。
多くの屋台がずらっと並んでいたり、歩行者天国を神輿が楽しそうに進んだりと、表面的に見るとイベント的な賑やかな祭りといった印象を受けるかもしれませんが、地元の囃子があり、神楽が奉納され、各町会の神輿が運行され、例大祭の式典が厳粛に行われていたりと真の部分がしっかりした地域に根付いたお祭りとなっています。
かつて所領が分れ、ばらばらだった村を太子堂八幡神社の祭礼で心を一つにしたと言い伝えられていますが、現在でもそういった事情は同じかもしれません。
町の発展と共に栄えていく町域、ちょっと不景気な町域、住宅街が中心となってしまった町域等々それぞれの町域で様々な事情が生まれてきます。
祭礼を行うのにも色々と手間がかかり、何よりお金がかかります。少々の不満でも毎年の積み重ねで大きくなることもあり、町会同士で仲が悪くなることもあります。
大きな町ほどそういった傾向が強いものですが、ここではあまりそういった雰囲気は感じませんでした。なんていうか、ギスギスしていない雰囲気というか、楽しい雰囲気が一杯です。
この賑やかで楽しい雰囲気を円滑に作り上げているのは、普段から歩行者天国を行っている地域全体の努力やサンバやら大道芸やら数々のイベントを行っている三軒茶屋の商店街の人たちの手腕に拠るところも大きいはずです。
それに町会でも防犯、防災などの取り組みを普段から町会間で活発に行っていたりと、町会やら商店街の結束の高さや努力が祭礼を円滑に行う基盤となっていて、町をあげて楽しい雰囲気の秋祭りを作り上げているように感じます。
* 太子堂八幡神社の神輿渡御 *
太子堂八幡神社の祭礼では神社所有の宮神輿ではなく、各町会による町会神輿が運行されます。現在の太子堂の町域は5丁目までですが、太子堂地域には7つの町会が存在しています。
唯一国道246号の南側に位置する太子堂1丁目はそのまま範囲で太子堂一丁目町会。ここは三宿や下馬から三軒茶屋から編入された土地と大塚の一部が町域となっていて、町域には昭和女子大や三宿中学、公務員住宅や都営住宅にJR社宅など大きな建物が多くあります。
太子堂2丁目の右下の大部分を占めるのが大塚町会(大塚共栄会)で、2丁目の残りの上側の細長い部分は下の谷町会です。かつて太子堂村では大塚が一番面積が大きかったのですが、一丁目町会や三軒茶屋町会ができたので大きく削られてしまいました。
下の谷は下の谷商店会を中心とした地域です。下の谷商店会は関東大震災後に谷中など下町から引っ越してきた人たちが造った商店会で、かつては朝市が行われるなど活気のある商店街だったのですが、今では店が激減してしまい、通りが閑散とした感じになってしまいました。
ただ祭りに関しては今でも下町の血が騒ぐようで、地元の人たちを中心に担がれる神輿はとても威勢がいいです。
太子堂の真ん中を背骨のように通っている茶沢通りの左右を町会域に持つのが太子堂三軒茶屋町会です。
ちょうど三軒茶屋銀座商店街と重なっていて、かつての大塚、下の谷、西山、前田の賑やかな部分で構成され、色んな意味で一番華やかな神輿渡御が行われます。
太子堂4丁目のキャロットタワーや教学院がある地域が西山です。
近代的なキャロットタワーのお膝元となるのですが、ごちゃごちゃとした下町っぽさも残っている地域で、お神輿も下町っぽい感じで賑やかに担がれます。
古くから伝わる西山囃子も人気となっていて、お神輿と一緒に練り歩き、都会的な三軒茶屋の町にお囃子の音が響き渡ります。
神社のお膝元にあたる太子堂5丁目はかつての上本村と前田を合せた町域とだいたい重なり、ここは太子堂5丁目町会で、睦会でいうなら宮元となります。
太子堂の名ともなった円泉寺のある地域はかつての下本村で、現在の太子堂三丁目とだいたい重なります。この地域は太子堂本町会となります。
神社に付随するようにある太子堂八幡広場に神輿舎があり、各町会の神輿がしまわれています。シャッターに各町会の名前が入っているのですが、太子堂一丁目町会の名はありません。
他の村から編入された土地であり、都営住宅や社宅ばかりという土地柄から神輿は運行されていなく、残りの6町会によって神輿渡御が行われています。
神輿渡御はそれぞれの町会のスケジュールによって違いますが、年によっても違うようです。
平成24年には世田谷区制80周年記念して36年ぶりに6つの町会の神輿が連合で茶沢通りから渡御し、宮入を行いました。全ての神輿が境内に揃った様子はとても華やかだったそうです。
これは特別な場合ですが、普段でも幾つかの町会が一緒に宮入を行ったり、個別に宮入を行ったりと年によって違うようです。
祭礼の準備段階で町会の責任者同士が今年は一緒に宮入しましょうかなどと思いつきで取り決めているのでしょうか。それとも年ごとに決まり事があるのでしょうか。
その辺の事情は分かりませんが、詳しく知りたい場合はそれぞれの町会の御酒所に運行スケジュールが貼ってあるので確認してみてください。
例年の傾向では土曜日に子供神輿や太鼓山車が運行され、日曜日は13時からの茶沢通りの歩行者天国に合わせて大人神輿が担がれるといった感じです。
時間帯によっては茶沢通りに神輿が幾つも並び、とても賑やかです。ただ本町会、宮元の神輿は担ぎ手が少ないのか、訪れた年は子供神輿が戻った後の夕方から担がれていました。
そして個別、或いは複数の町会が決められた時間に宮入を行い、17時の歩行者天国終了と共に各町会に戻り、18時頃に御酒所に戻って担ぎ終えるといった感じです。
全体的には下北沢のような激しさはなく、大勢で楽しく担いでいるといった感じでした。
もっと激しく担ぎたい、もっと長く担ぎたいという地域もあるのでしょうが、総代さんの話では町域が一般の人が多く歩く商業地区であり、商店街が中心となっているので、マナー良く、苦情を少なく、といったことを常に念頭に置いているそうです。
多くの人が見ている中で歩行者天国を長い時間練り歩けるので、楽しく担ぎたいといった神輿好きの担ぎ手には人気となっているようで、区内、区外の様々な半纏を見かけます。
賑やかな茶沢通りに色とりどりの半纏を着た担ぎ手に担がれた神輿が練り歩く様子はとても華やかで、見ているほうも楽しくなってきます。
* 感想など *
すぐ北側には三軒茶屋と並ぶ商業地下北沢があります。下北沢の祭りは山の手随一と言われるだけあって神輿渡御はとても華やかです。
そして華やかの中にも担ぎ手一人一人にドラマ性を感じるような人間臭さもあり、世田谷で一番の神輿渡御が行われる祭りとなっています。
三軒茶屋(太子堂)の祭りにはそういった華やかな印象は薄いのですが、多くの屋台が並び、町を挙げての楽しい祭りといった表現がピッタリくる祭りとなっています。
みんなで楽しむためには我慢するところは我慢して協力し合おう。様々な部分で地域間の信頼関係がうまくいっているのかなと見ていて感じました。
きっと祭りで心を一つにしたという昔からの伝統が今でも息づいているのでしょう。
太子堂八幡の森に、そして三軒茶屋の賑やかな町に伝統のお囃子が響く太子堂八幡神社のお祭りをぜひ訪れてみてください。
ー 風の旅人 ー