* 下北沢と北沢八幡神社について *
下北沢といえばよく名が知られた町です。駅周辺にはオシャレな店や今時の店が並び、流行の先端を行く町としてよくテレビや雑誌などに紹介されています。また、劇場が多いことから演劇の町、或いは街の雰囲気から若者の街としても知られているでしょうか。
世田谷の中でも知名度抜群の下北沢ですが、地名としての下北沢はありません。下北沢と呼ばれているのは駅名からそう呼ばれているのもありますが、この付近一帯が下北沢村と呼ばれていた名残りです。
その旧下北沢村の村社だったのが北澤八幡神社になります。
北沢八幡神社の創建についてははっきりしませんが、文明年間(1469~87)に世田谷城主の吉良頼康が勧請したと伝えられています。
江戸時代、下北沢村が栄えると共に神社も立派になり、世田谷七沢八八幡随一と称えられるほどでした。寺宝にも嘉永七年(1854年)のものですが、七沢八社随一正八幡宮と書かれた拝殿額があります。
この七沢は「北沢」「池沢(池尻)」「馬引沢(上馬、下馬)」「野沢」「廻沢(千歳台)」「深沢」「奥沢」を差しているのではと言われていますが、八つの八幡様の方は具体的にどこの神社を指しているのかはわかっていません。
でも沢が多い地形と源氏による戦勝祈願伝説により八幡神社が多く残る世田谷を端的によく示した褒め言葉かと思います。
北沢八幡神社は下北沢地域の南側にあります。同じ通りのすぐ近くには森厳寺や地主の家があり、かつてはこの付近が下北沢の中心地で栄えていたようです。
現在の神社は三層構造になっています。一番下の鳥居から続く通路は神社の土地かと思いますが、その横の広場は遊具の置いてある区の北沢八幡児童遊園となっていて子供たちがよく遊んでいます。
階段を上がった二層目は神楽殿と御輿舎のある広々とした広場になっています。神楽殿は明治26年に建立されたもので、当時の村人は「どこよりも立派なものを建てたい」と鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮まで調べに行ったという逸話が残っています。
平成16年に改修を行っているので比較的新しい状態です。4月29日には昭和祭が行われ、その時には神楽殿で12時から奉納狂言会が行われます。
更に高い場所にあるのが拝殿と本殿、そして末社や社務所です。拝殿は昭和53年に改築され、コンクリート製の近代的な建物になっています。
拝殿の左手には小さな社が並んでいます。その中にはきちんと屋根で覆われている古い社がありますが、それは嘉永5年(1852)に建築された産土社で、今の本殿が建てられる前にあったものです。
その他にも有名なお屋敷にあった野屋敷稲荷社や高良玉垂社、円海稲荷社、弁天社、愛宕稲荷社といった地域の神社が境内に移され、祀られています。
秋祭りの賑わいは有名ですが、新年の賑わいもかなりのもので、参拝者の結構な行列ができます。
その他季節に応じて厳かに神事が執り行なわれています。また舞踊などの練習会場として社務所を提供していたりと、地域に根付いた神社となっています。
* 北沢八幡神社の秋祭りについて *
北沢八幡神社の秋祭り(例大祭)はせたがや百景に選ばれ、「多くの神輿が宮入してくる様子は時代絵巻のよう」「その規模は山の手髄一」と紹介されるほど区内では有名なお祭りです。
なぜ下北沢で祭りが盛んなのか。大きな商業圏で人が多かったというのもありますが、関東大震災を契機に郊外へ移り住む人が増え、世田谷が爆発的に人口が増えていったことに理由があります。
それはどんどんと家が建てられ、道路が整備されていくということであり、鳶などの職人さんの需要が非常に高かったのです。そのため祭りの本場である東京の下町から多くの鳶などの職人も多くこの地に移住してくることになります。
そういった職人さんが多く移り住んだのが下北沢、特に池ノ上から東北沢で、この地域を中心に神輿文化が根付いていきました。
ちなみにこの時に下北沢の南に位置する三軒茶屋にも下町から多くの人や商店が移住してきて、下の谷商店街を形成しています。もちろん三軒茶屋での太子堂八幡神社の神輿も同じように華やかなものです。
といったわけで、三軒茶屋から下北沢に掛けては世田谷を代表するような活気のある商業地域であると同時にお祭りにも活気のある地域となっています。
現在の祭日は9月の第一土曜日に宵宮、翌日曜日に本祭となっています。土曜日が基準となっているので、日曜日から9月が始まる場合は第二週末になります。
<*奉納芸能の内容や祭礼の時間は年によって違う場合があることを留意してください。>
宵宮の日は神楽殿で神代神楽を中心に奉納演芸が夕方から行われます。
神楽は毎年吉村社中によって舞われ、私が訪れた年には稲荷山、熊襲征伐、八雲神詠などの題目が演じられていました。神楽殿前の広いスペースには椅子が並べられ、お年寄りを中心に見学人が多く、古き良きお祭りの縁日といった感じがしました。
神楽の合間に行われる奉納演芸はお囃子、舞踊、巫女舞などです。巫女舞は境内にもお店を出していますが、ガールスカウトの団員による迦陵頻(かりょうびん)が最初に舞われます。
迦陵頻は子供の舞人四人が鳥の姿をして舞う童舞で、「祇園精舎の供養の日に極楽にいるといわれている、めでたい迦陵頻伽という霊鳥が飛んできて舞ったありさまを妙音天が舞とした」ものです。区内ではここだけのはずです。
この後は巫女装束で豊栄の舞が舞われます。4人舞い、6人舞いと多くの巫女さんによって舞われ、なかなか華やかです。
お神輿に関しては宵宮の日も町域によっては担がれますが、翌日の宮入に備えての肩慣らしといった程度の短いもので、子供神輿や太鼓山車が中心です。
本祭の日は神社だけではなく、下北沢の町全体が賑やなお祭りモードになります。
ハイライトである各町会の神輿宮入は13時からとなりますが、それは茶沢通りから各町会が揃って出発する時間で、各町会は自分の地域からそこまで担いで行かなくてはなりません。
昼前からあちこちから威勢の良い声が聞こえてきますし、神社でもお囃子や獅子舞が奉納されたりと宮入に向けて祭りのボルテージが上がっていきます。
宮入は子供神輿、大人神輿の順番で行われ、全ての神輿が宮入を追えると、14時半(15時の時もあり)から祭典式が齋行されます。それが終わると順次御神輿が神社から出て各町会に戻っていきます。
神社から神輿が出てしまうと人でごった返していた境内が一気に寂しくなりますが、17時から神楽殿で宵宮同様に奉納演芸が行われます。
まず舞踊が行われます。舞踊では前日同様の巫女舞に続いて、琉球舞踊、インド舞踊、ベリーダンス、日本舞踊などが演じられます。
20時から舞楽の方は神社で練習を行っている雅楽道友会という団体によるもので、20年以上も前から例大祭で演技を行っているそうです。
夜の闇に浮かび上がった神楽殿で、ゆったりとした日本古来の管弦の調べと独特の衣装に身を包んだ舞を見ていると過去の時代にタイムスリップしたような気分になる事でしょう。
華やかな神輿宮入が注目されがちですが、奉納演芸の方も結構充実していて、演劇祭や音楽祭などが行われる芸術の町下北沢らしい奉納演芸になっているように感じます。
北沢八幡神社の祭りは別の方面でも有名なことがあります。それは1993年に地域で協力して暴力団系の出店排除を実施し、暴力団と関係のある露天商を締め出しに成功したことです。
近年、2011年に東京都暴力団排除条例が施行されるにあたって、そのモデルケースとしてその取り組みや祭の様子がマスコミに何度も取り上げられました。
もちろんその道のりは平坦ではなく、暴力団からの嫌がらせがあったり、露店の減少によって祭りの活気がなくなるといった問題もあったようです。
現在の北沢八幡神社のお祭りはそこそこ人が集まり賑やかですが、露店の数は祭りの規模に比べるとちょっと少なく感じるのはそういった事情があるからです。その分、地元の団体や商店街の人が頑張って店を出して祭りを盛り上げています。
* 北沢八幡神社の神輿宮入 *
北澤八幡神社の秋祭りのハイライトは百景の紹介分にあるように次から次へ神輿が神社に入ってくる宮入です。
毎年、神社の氏子地域の8つの睦会(町会)の神輿が勢ぞろいし、連合で渡御し、順番に神社に入ってくる様子はとても見ごたえがあります。
現在は各町会大人神輿は1基で参加しているので、20基以上の神輿が威勢よく宮入してくると書かれているものもありますが、威勢よく宮入してくる大人神輿は8基で、年によって宮神輿が加わって9基となります。
ただ20基以上のお神輿が下北沢の町を練り歩くといった表現は正しく、睦会によっては町会渡御に子供神輿が2基運行されたり、佳境に入る夕方になると女神輿が短時間だけ運行されたりと多くの神輿が町を渡御して賑やかになります。
連合宮入は日曜日の昼頃に各睦会の神輿が茶沢通りの代沢三叉路から駅方面に入った通り、代沢5丁目の世田谷代沢郵便局前辺りに集合してきます。
多くの町会は早めにやってきてここで昼食休憩となるようです。大人の神輿が休憩中、一足先に子供神輿が神社に向い、宮入を行います。
子供神輿も大人神輿同様に威勢がよく・・・・、とはいきませんが、楽しそうに元気よく宮入りします。
大人が張り切っているから子供も仕方なく・・・、ってな感じでしょうか。付き添いの父兄の方が張り切っている場面も多々見られました。
13時になると年番町会を先頭に茶沢通りを一列になって行進し、神社に向かいます。
8基の神輿が茶沢通りを一列になって渡御する様子はなかなか圧巻で、担ぎ手の多さからも世田谷で一番の祭りだと言われるのも納得できます。
茶沢通りから森厳寺西交差点を曲がり、森厳寺の門前を進み、北沢八幡神社の前へ。そして一の鳥居をくぐって、階段を登って神社に宮入します。
宮入の華はやはり一番手での宮入です。まだか、まだかと神輿がくるのを心待ちにしていた観衆の声援を浴びるのは気持ちいいものです。
神輿が入ってくる度に歓声が上がり、境内が賑やかに、そして混雑していきます。最後の方になると宮入しても境内が混み合っていて、ぶつかって喧嘩にならないようにと窮屈な感じの担ぎ方になってしまいます。
また、一旦神輿を担ぐと宮入が終わるまで神輿を降ろすことができないので、最後の方になると地味に大変です。華やかな境内とは違って神社の外では担ぎ手が苦しそうにしているのはあまり知られていません。
そういった事から不公平をなくすために宮入の順番は一年ごとにずれていきます。
全ての神輿が宮入が終わると、もう境内は神輿と人でパンパンです。
14時半頃から神事が神楽殿で行われます。その後順番に宮出しが行われ、神輿はそれぞれの町会へ戻っていきます。
このような連合で宮入するスタイルは昔からあったものではなく、下北沢では伝説の人、金子葬儀店の社長金子省吾さんが1970年頃に考案したものです。
また、南部睦に所属していた金子さんが浅草に出向いて1000万円のお神輿をポンと買ってきたという話は神輿関係者の間で今でも語り継がれているそうです。
* 北沢八幡神社の個性的な睦会 *
* 惣町睦会 *
北沢八幡神社の神輿渡御が魅力的なのは、所属している睦会の多さと、その睦会が個性的なところにあります。
睦会というのは神輿を担ぐ団体のことで、神輿チームみたいなものです。ホームグラウンドとして自分の町域を持っていることが多く、下北沢でも町域によって8つの睦会が所属しています。
更にはこの8つの睦会を束ねる目的で作られた「惣町睦会」というのもあります。各睦会から5人ずつ代表として寄り合って全体を上から調整する役割を担っています。
今でこそ社会ルール、交通規則に則って神輿を運航していますが、昭和のころは小競り合いが絶えなく大変だったそうです。
惣町睦会は町会を持たない睦ですが、戦時中に東京で3番目に大きい神輿と言われた立派な御神輿を所有していました。
この御神輿は四南睦にあったもので、昭和初期に作られた彫刻の立派な御神輿です。「百貫御輿」といった愛称で呼ばれているように、その重さは400キロ以上あります。
担ぐにしても重すぎて担ぎ手が集まらず、ずっと神輿蔵で眠っていましたが、修復したのちに神社に寄贈されました。
現在では宮神輿となり、定期的に何年か一回担がれるようになりました。
* 宮本睦会 *
神社の周りに位置するのが宮本睦会です。神社があるのが代沢3丁目で、その北側、池の上駅にかけてが代沢2丁目で、だいたいこの辺りが町域になります。
この住所を見てわかる人はわかると思いますが、超高級住宅地です。せたがや百景にも選ばれるほど古くからの高級住宅地で、戦前から高官や著名人が多く暮らしていた地域です。
実際に歩いてみると、ビックリするぐらい敷地の広いお屋敷も多々あったりします。そういった地域なので担ぎ手がいなくて苦労をしている睦でもあります。お互い提携しているようで住所的に町域が被る下代田東睦会の半纏も多いです。
全般的には高級住宅地にあるために上品というか、大人しい感じ睦会といったように感じました。大人神輿は日曜日の大祭日にしか運行されませんが、年によっては夕方から女神輿を運行しているようです。
* 代五睦会 *
神社の西側に位置するのが代五睦会です。茶沢通りを含んだ代沢5丁目が氏子地域で、連合宮入の時には全ての睦会の御神輿が代五睦会のお膝元である茶沢通りに集合し、神社に向かって進みます。
代五の特徴は、担ぎ手の勢いというか、テンションの高さが尋常ではないところです。夜、茶沢通りを元気よく担いでいたり、雨の中を担ぎ手も神輿もずぶ濡れになりながら担いでいる姿を見るとそう感じてしまいます。
外国人の姿もたまに見かけ、性別、人種、年齢など関係無しにお祭り好きが集まっているといった印象が強い睦会ですが、逆の見方をすると一車線規制のところを広がって歩いたりと、警察や一般通行人や通行車に白い目で見られることの多い睦会でもあります。
ここの半纏は青系の淡い色と色自体は地味なのですが、背中には赤い背景に黒文字でくっきりと代五と書かれていて、後姿は一際目立ちます。
* 代四睦会 *
代五、宮本よりも南側、北澤八幡の氏子地域の南端に位置するのが代四睦会です。
代沢4丁目を中心とした地域ですが、代沢4丁目の全てが氏子地域ではなく、代田八幡神社の氏子地域も含まれます。
氏子地域は狭く、左右を代田八幡神社の氏子地域に挟まれ、南側は太子堂八幡の氏子地域といった土地柄もあって神輿の担ぎ手の半纏は様々です。特に下代田西睦会の半纏が多いようでした。
担ぎ手の数は他に比べると少なく、こじんまりとした印象の強い睦会です。特に代五の後に続いて、集合場所に向かう様子を見ると、おとなしいというか、ルールを守り大人びているといった印象が強くなります。
ただ夜になると、元気になるというか、人が増えて賑やかな感じになり、昼間とはちょっと違った感想になるかと思います。
* 南部睦会 *
神社の北側、下北沢駅の南口の商店街を中心とした地域を町域とするのが南部睦会です。神酒所は新しくできたレシピシモキタ(ダイエー?)付近にある南口商店街事務所に設置されます。
この地域は小さな小売店が並び、狭いながらも賑やかな通りが多いのが特徴で、古くからの下北沢らしい地域でもあります。
そういった雰囲気のある町域なので、ここで担ぎたいといった担ぎ手も多く、なかなか外部の人間が担ぐことができないと聞きます。
連合宮入の集合場所は目と鼻の先ですが、集合前に駅の南口に「新野睦」「四南睦」がやってきて連合で賑やかにメインストリートを練り歩いて集合場所に向かうと聞きましたが、再開発が進む今ではどうなのでしょう。
担ぎ手やお神輿の雰囲気に関してはちゃんと見ていないので、分かりませんが、現在の北沢八幡神社の神輿渡御の基本を整備した金子さんが所属していた睦会なので、色々とこだわりなどがありそうです。
* 新野睦会 *
下北沢駅の北側、南部睦会と同じ北沢2丁目という住所になりますが、井の頭線を境にした北側を町域にしているのが新野睦です。神酒所は下北沢一番街商店街事務所に設置されます。
ここはしもきた商店街と一番街商店街、北沢2丁目共和会と北沢3・4丁目西町会で構成されているといった大所帯であり、また下北沢の商業中心地でもあります。
一番街商店街といえば商店街を挙げて行われる冬の天狗祭りと夏の阿波踊りが有名なようにとてもお祭り好きな商店街です。普段から活動を共にしているため睦会としての団結感があり、神輿渡御でも仲良く楽しそうに担いでいて、担ぎ手の笑顔が一番多い気がします。
* 四南睦会 *
下北沢駅の東側のエリア、北沢1丁目を中心とした地域に位置するのが四南睦会です。小田急線を挟んだ北側にある北沢3丁目を中心とした東北沢睦会とは旧町域では同じ睦会だったという歴史があります。
下北沢でも池の上駅の北側から東北沢駅周辺といった地域は古くから大工関係の職人が多かった地域で、地域を挙げてお祭りの盛んです。
神酒所が盛大なのもこの地域の特徴です。どちらの睦も若い担ぎ手が多く、他からの応援なしでも担げてしまうほど大きな睦会を維持していて、区内の他の睦会から羨望のまなざしで見られています。
大人神輿は土曜日から担がれ、池ノ上駅北口商店街を中心に練り歩きます。硬派なイメージが強い睦会です。
* 東北沢睦会 *
下北沢駅の東側のエリア、北沢3丁目を中心とした地域に位置するのが東北沢睦会です。旧町域では四南睦会と同じ睦会で、小田急線の開通で町域が分断され、小田急線の北側が東北沢睦会となりました。
四南睦会のところでも書きましたが、京王線の池の上駅の北側から小田急線の東北沢駅周辺の地域は古くから大工関係の職人が多かった地域で、地域を挙げてお祭りが盛んです。
東北沢睦会の御酒所は茶沢通りの終点地点にある北沢公園に設置されますが、仮設にしてはなかなか立派なものです。このへんは伝統的に大工の血が騒ぐのでしょうか。
また、担ぎ手は基本的には地域内の人たちだけで、青い揃いの半纏で担がれます。
四南睦会同様、他の睦会からの応援なしで担げてしまうほど大きな睦会を維持していて、区内の他の睦会から羨望のまなざしで見られているそうです。
* 四五睦会 *
一番北側、かつての北沢1丁目である北沢4丁目、5丁目に位置するのが四五睦会です。
神社から最も遠い町域となり、神社まで普通に歩いて片道2.5キロほどになるでしょうか。神社からあまりに遠く、重い神輿を担いで往復するのが大変なので、神輿をやめようといった話が出たり、神輿を出すのを2年に1度にしてみたり、トラックで途中まで運んだりするなど苦労してきた歴史があります。
平成15年には神輿を新調し、今ではなるべくトラックを使わないようにと頑張っているそうです。見かけたら頑張ってと声を掛けたくなるような睦会です。
* 感想など *
下北沢の町は若者の街と言われるように、若者が文化を作っている町でもあります。町の小売店では流行のものや個性的なものが並び、買い物や乗り継ぎで立ち寄る若者がファッションなどの流行をつくり、また幾つかある演劇場では若手俳優や芸人が熱演し、それを見る人が感銘を受けています。
町では商店街全体が劇場となる阿波踊りや音楽祭が行われ、町全体で様々な文化が生まれています。町全体が、そしてそこで暮らす人々が生き生きとしているように感じるのが下北沢です。
そういった下北沢独特の土地柄、もちろん私個人の思い込みの補正が多分に含まれますが、北沢八幡神社の祭礼では担ぎ手一人一人に人間臭さ、ドラマ性を感じ、奉納演芸の踊り手は舞台に立つ女優のように輝いて見えてしまいます。
きっと観客を含めて祭りに関わっている全ての人がしっかりと自分の役割を演じているのでしょう。下北沢という大きな舞台で。そんな壮大なスケールで繰り広げられる素晴らしい祭りをぜひ見に出かけてみてください。
せたがや百景No.10 北沢八幡神社の秋祭り
ー 風の旅人 ー
2018年11月改訂