世田谷散策記 タイトル
せたがや地域風景資産 #1-27

成城三丁目緑地

成城3丁目16-38

国分寺崖線に位置し、雑木林であった経緯を持つ緑地である。湧水もあり、地域の植生等を活かした公園づくりが展開されている。その活動には、隣接した小学校、地元町会、区等が参画している。 (公式紹介文の引用)

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1、成城三丁目緑地について

成城三丁目緑地の案内板の写真
成城三丁目緑地の案内板

生態系を学ぶ教室なども行われているようです。

成城三丁目の国分寺崖線に世田谷区立の成城三丁目緑地があります。国分寺崖線の斜面をうまく利用した緑地で、1995年から部分的に公開され、段階的に拡張されていきました。現在の状態になったのは、比較的最近の2008年です。

情報収集のために幾つかのサイトを閲覧したのですが、まず多くのサイトが検索に引っかかるのに驚き、そして閲覧していると、その訪れ方によって印象が違うのに興味深く感じました。

私の場合だと、多摩堤通りの終点から成城に登る病院坂沿いにあるといった表現を使い、崖の下から見上げるイメージなのですが、成城で暮らす人や電車で訪れた人は、成城から喜多見へ下るといった崖の上から見るイメージになります。

同じ公園でも入る入り口が違うと、少し違和感を感じてしまうのと同じで、崖の上から訪れた人の感想を読んだりすると、あっそうなんだと新鮮な感覚を感じました。川や崖のように地域を分断するような対象を逆から見ると、結構自分の持っているイメージと違うものですね。

成城 成城三丁目緑地にある崖線の案内図
成城三丁目緑地にある崖線の案内図
成城三丁目緑地 きよみず橋がかかる谷の写真
きよみず橋がかかる谷

トレッキング気分を味わいながら散策ができます。

国分寺崖線は立川から大田区まで続いている壮大な崖線となるわけですが、成城三丁目、四丁目付近は、崖の自然と崖地をうまく利用した住宅地が適度に合わさり、崖線の風景が特徴的、或いは興味深く感じられる地域と言う事ができます。

この成城三丁目緑地部分では、崖線の自然的特徴がよく表れていて、崖線から湧き出る2箇所の湧水地を中心に、約20mの高低差がある崖の斜面には、ヒノキ、サワラの常緑樹、コナラ、クヌギの落葉広葉樹が混在する里山的雑木林が広がっています。

成城三丁目緑地 緑地内の階段の写真
緑地内の階段

崖線に階段や通路が設けられています。

崖部分には手すりの付いた階段と、ちょっとしたトレッキング気分で歩ける散策路が設置されていて、崖線の散策を行うことができます。

階段を一気に昇り降りしてもいいのですが、足が健康で、ちゃんとした靴を履いているのなら、トレッキング気分を味わえる散策路を歩くのがおすすめです。気分がリフレッシュでき、結構高低差があるのでいい運動になります。

成城三丁目緑地 橋と湧水の池の写真
橋と湧水の池

橋や池があり、成城らしからぬという感じで雰囲気がいいです。

崖下部分では、湧水の流れを見ることができます。ここの湧水は安定した水量があり、一年中涸れることがないそうです。

この湧水の流れは、まるで山林から流れてきた小川のような雰囲気となっていて、橋が掛けられていたり、湧水を溜めた池があったりと、とても雰囲気がいいです。

この流れの上流部分には立ち入ることができませんが、少し上流部分を覗くと、セキショウなどの湿生植物群落も形成されていて、暖かい季節はちょっとした山の中といった雰囲気を感じ、ここは本当に成城かといった言葉が自然と出てきそうです。

成城三丁目緑地 湧き水が流れる小川の写真
湧き水が流れる小川

部分的に切り取れば成城ではなく山の中といった感じです。

見晴らしのいい台地と豊富な湧水、そしてすぐそばに魚が生息し、農業を行うのに十分な水量のある野川があるとなれば、古代人にとっての絶好の住居地となります。

実際、世田谷の崖線上には多くの古墳が残っていて、特に有名なのは野毛の野毛町公園にある都指定史跡になっている野毛大塚古墳です。

この緑地と道を挟んだ砧中学校の敷地にある砧中学校古墳群は、一つの大きさでは大した事はないものの、8号墳まであるそれなりの規模の群墳となっています。

それに崖地付近からは旧石器時代から古墳時代までの幅広い年代の住居跡も見つかっているので、この付近が古代の人に暮らしやすい土地だったと伺えます。

成城三丁目緑地 水源の写真
水源

きよみず橋の上にある水源です。この付近はシダなど植物が豊かです。

この緑地は下神明遺跡に含まれていて、旧石器時代から平安時代までの遺構が見つかっています。

古代人にとって崖の斜面というのは横穴墓を作るのに適していて、この付近では不動橋横穴墓群、中神明横穴墓群、上神明横穴墓群など成城4丁目にかけて多くの横穴墓が見つかっています。

切り通しを造るために大規模に掘った不動橋付近から多くの遺構が見つかっていることから、おそらく緑地を含めたこの付近には多くの小さな遺構がまだ多く眠っている事でしょう。

成城三丁目緑地 崖下のきよみず橋(改修前)の写真
崖下のきよみず橋(改修前)

明正小学校の生徒が考えた名前だそうです。
奥が林野庁の宿舎があった付近、現在はマンションがあります。

人気の成城に立地していながらこれだけの緑がまとまって残っているのは、この土地が林野庁によって保護されていたからです。

緑地ができる前は、農水省の管轄の土地で、林野庁の宿舎がある場所以外は雑木林となっていました。崖線の下、現在マンションがある辺りに林野庁の宿舎があったために、湧き水も林野庁宿舎裏の湧き水という名称で呼ばれていました。

林野庁がこの地を離れることになり、崖下の宿舎のあった部分は民間に売却し、マンションに。崖地部分は緑や自然の保全を目的に世田谷区が買取り、緑地として整備したという流れになります。

成城三丁目緑地 水源付近の斜面の写真
水源付近の斜面

立ち入りを禁止して、保護してあります。

なぜこの地が林野庁の土地だったのか。調べてみると、この地域は面白い歴史を持っているようです。

この成城三丁目緑地を含めた崖線、具体的にどれくらいの広さだったか定かではありませんが、江戸時代は徳川幕府、明治になっては宮内省の直轄地として特別に保護されてきた地域です。

かつてはこの地を江戸氏に所縁のある喜多見氏が治める喜多見藩がありました。が、不祥事によりお家断絶となり、その際にこの成城付近の土地を幕府が召し上げたとかで、喜多見御料林と呼ばれていたそうです。

明治以降は長らく皇室ゆかりの苗畑があり、それを守るため林野庁の管轄下にあり、御料林でなくなった後もそのまま林野庁の敷地となり、開発を免れてきたようです。

といっても開発を免れたものの、整備もされなかったようで、世田谷区の緑地になる前は結構荒れた感じの雑木林となっていたようです。

戦時中には明正小学校の辺りに学習院が移転する計画もあったという話も興味深いです。こうしてみると皇室にゆかりがある土地ともいえます。

昭和40年代後半(戦後) 成城三丁目緑地周辺の航空地図(国土地理院)
昭和40年代後半(戦後)
1990年頃 成城三丁目緑地周辺の航空地図(国土地理院)
1990年頃

*それぞれ国土地理院地図を書き込んで使用

2017年 成城三丁目緑地周辺の航空地図(国土地理院)
2017年

*それぞれ国土地理院地図を書き込んで使用

余談ですが、高校時代、私の友人がこの林野庁の宿舎(社宅)に住んでいました。本人が言うには誰が見てもボロボロの建物で、内部も酷い状態だったそうです。

その彼は北海道から転校してきたのですが、中学校では周囲がどこぞの社長とか、役員といった金持ちばかりで、場違いも甚だしかったそうです(しかも時代はちょうどバブル期)。表面的には仲良くできても、価値観や金銭感覚が全く違い、会話がうまくかみ合わなかったとか何とか。

高校は成城の外に出たものの、住所が成城ということで、お金持ちだとか、好奇の目で見られるしと、成城に暮らす公務員の子として劣等感を抱き続けていたようです。

住所は確かに成城だけど、駅から遠いし(むしろ喜多見駅の方が坂がない分近く感じる)、住んでいるのは成城にふさわしくないボロボロの宿舎だし、親は普通の公務員で金持ちどころか、生活が苦しいし(本人曰く、林野庁は国家公務員の中でも特に給料が安いとか・・・)、住所が成城ってだけでなんでこんな目に合わないといけないんだ・・・と、常々不満を愚痴っていました。

成城三丁目緑地 バイオトイレのある広場の写真
バイオトイレのある広場

かつてはここにも建物が建っていました。

林野庁としても、成城の外れでも成城に宿舎があれば贅沢だと批判され、かといってそこで暮らしている人間が幸せかと言うと、周囲と生活の水準が乖離しすぎて成城に暮らしている喜びはなく、建物の老朽化とともに宿舎は移転しました。

で、友人は目黒の林試の森近くの宿舎に引越ししました。もちろん目黒の辺りもいい場所ですが、やっぱり住所が成城というのは周囲に強烈な印象を与えますからね。移動できてうれしかったようです。

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2、成城三丁目緑地での活動

成城三丁目緑地 水源のある谷の写真
水源のある谷

斜面の竹林や水源付近の植生は里山らしく手入れが行き届いています。

この成城三丁目緑地は地域の住民の努力によって崖線の自然、いわゆる里山としての自然環境が守られています。

この緑地を守っているのは成城三丁目緑地里山づくりコア会議で、2000年に地元住民の有志によって設立されました。

具体的な活動としては、月に一回第一木曜日に地域住民、小学校、世田谷区等と「成城3丁目緑地コア会議」を開き、緑地の保全や活用法などについて話し合っています。

そして第三・五木曜日には実際に里山づくり活動を行い、下草刈りや落葉かき、剪定、植樹などを行うことで里山保全に取り組んでいます。

成城三丁目緑地 落ち葉溜めの写真
落ち葉溜め

カブトムシのためのものでしょうか。

湧水周辺や里山に暮らす植生調査や生物調査も行っていて、この緑地にはクヌギやコナラを中心にシラカシ、アカマツ、ヒノキ、サワラ、竹林、サクラ等の植栽林が混在し、カワセミ、サワガニ、カブトムシなどといった生物が生息しています。

その他、緑地の魅力や活動を未来に引き継ぐためのイベントを実施したり、小学校などのへの授業協力を行う事で、子供たちが里山の管理を体験する場を提供していたりしています。

特に里山と隣接している明正小学校では、総合学習の授業で里山活動を取り入れています。

身近な自然への興味や大切にする心を育むために、コア会議のメンバーも児童たちの指導にあたり、この活動は都会における里山での環境学習のモデルケースとして全国でも注目される活動となっています。

成城三丁目緑地 バイオトイレの写真
バイオトイレ

排泄物を微生物分解するエコなトイレです。

この他、区内の公園では現時点ではたぶんここだけにある代物だと思いますが、近年のエコ志向からか、バイオトイレなんていうものが設置されています。

簡単に書くなら汲み取り式のトイレの汲み取り部におがくずを入れ、出した物を微生物の力で分解してしまうというものです。水を使わないので環境を汚さず、更には肥料として再利用もできてしまうといった優れものです。

下水管がいらないし、環境に優しいしと近年山や自然保護地域でシェアを伸ばしていますが、正直言って下水処理がうまくいているここにあるメリットはあまりないように思います。

でも、ここにあることに意味があるのかもしれませんね。個人的には崖下から崖線の林の中を歩いた後にバイオトイレを見ると、トレッキングをしている気分というか、自然の中にいるといった気分に少し浸れるのでこれはこれでありかなと思ったりも・・・。

それに普通のトイレのような快適さがないので、トイレだけを借りに来る人が少ないかもしれません。

3、感想など

成城三丁目緑地 崖を下る写真
崖を下る

下りだと崖下の建物が気になるかもしれません。

成城にある成城三丁目緑地は、高級住宅地として有名な成城にありながら、郊外の里山に入ったような気分になれる緑地です。

ここでは竹林、水源の植生などの手入れが行き届き、里山らしい風景が随所にあります。里山は、自然は自然でも人間の手によって好ましい環境に育てられた自然になります。秩序のある自然なので、歩いていて心地よさや、安心感を感じる人も多いかと思います。

緑地内を歩くと、しばし都会の喧騒を離れたような気分に・・・と言いたいところですが、木の隙間から近代的で大きなマンションがチラチラと視界に入ってしまうのが、いまいちな点でしょうか。

そのへんは地価が高く、人気の成城なので、しょうがない部分ですね。それも含めて成城の里山といった感じがします。

一番最初に上から見る視点と、下から見る視点が違うと書きましたが、下から訪れるとマンションを背にして崖を登っていくので、トレッキング気分が確実に増します。この緑地を初めて訪れる場合、下から訪れる方が満足度が高くなることでしょう。

せたがや地域風景資産 #1-27
成城三丁目緑地
2025年2月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所成城3丁目16-38
・アクセス最寄り駅は小田急線成城学園前駅。
・関連リンク成城三丁目緑地(世田谷区)里山づくりコア会議 (世田谷トラストまちづくり)
・備考ーーー
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