* 岡本もみじが丘について *
岡本もみじが丘・・・、恐らく多くの人がこの名を聞いて「ぜひ秋に訪れてみたい」と思ったのではないでしょうか。
なかなか魅力的な名が付いた丘なのですが、実際にはそういった名が付いた丘があるわけではなく、静嘉堂文庫のある丘、岡本静嘉堂緑地一帯の丘を地元の人が岡本もみじが丘と呼んでいます。・・・、いや、呼んでいたといった過去形になるでしょうか。
せたがや百景に選定され、大蔵通り沿いに「もみじが丘」というバス停もあり、一般的な名称として認識されているようでありながら、有名な場所でも紅葉スポットとなっているわけでもないので、付近で道を尋ねてもバス停の場所しか知らない人も多いかもしれません。
なんて言うか・・・、一言で言うなら素晴らしい名前の割にはマイナーな場所というか、名前負けしている場所です。
丸子川と谷戸川の合流地点、この二つの川に挟まれるようにした台地が岡本もみじが丘のある静嘉堂文庫のある丘になります。
静嘉堂文庫については2つ後の項目にあるので簡単にしか記載しませんが、三菱グループ創始者岩崎家が収集した古書や美術品を収蔵した建物のことで、大正後期に建設されました。
この丘全体はそれ以前から岩崎家所有の土地で、明治末に岩崎家玉川廟が造られ、静嘉堂文庫が建設された後も昭和初期にかけて丘の斜面を中心に庭園が整備されるなど、岩崎家の栄華を感じるような丘だったようです。
昭和20年頃から文庫や廟以外に人の出入りがなくなり、その後は丘が自然の状態へ戻っていきました。
現在は財団によって静嘉堂文庫と収蔵品の一部を展示している静嘉堂文庫美術館、岩崎家玉川廟を含めた主要の部分は管理されていて、美術館下の崖の斜面に昔の名残りのような庭園が整備されています。
そういった管理された以外の場所は岡本静嘉堂緑地として整備され、貴重な自然空間が保全されています。
静嘉堂のある丘にもみじがある風景は岩崎家所有となる以前、江戸時代から有名だったようです。
旧大山道沿いにあり、ちょうど国分寺崖線、瀬田の高台にある行善寺から眺望は江戸時代からそれなりに有名で、その眺めは行善寺八景と称えられていました。
その八景の中の一つが岡本紅葉、このもみじが丘の紅葉でした。自然豊かで辺りに何もない時代には丘が紅葉する様子が際立ち、赤く染まる様子は美しかったようです。
残念ながら現在では紅葉の季節に訪れても辺り一面建物で、岡本紅葉を含めて行善寺八景は見えなかったり、見えても残念な感じとなっています。
東京の紅葉は遅く、だいたい12月初旬頃になるでしょうか。ただ近年では暖冬のせいで紅葉も遅かったり、急激な冷え込みがない為にだらだらと色素が抜けていくようなくすんだ紅葉になってしまったりと当たり外れが激しいような気がします。
ということで何年か気にかけて訪れてみたものの、やっぱり岡本もみじが丘のモミジの紅葉は素晴らしいといった感想にはなりませんでした。
ここの紅葉がいまいちな原因を考えると、あまりにも木が多すぎて丘全体が雑木林状態になっている事が良くないのではないでしょうか。更には赤い種類のもみじとオレンジ色の種類のもみじが混ざっていて色合いが中途半端な感じです。
「もみじ」というのは背が低いので、他の木と一緒に植わっていたら目立ちませんし、他の木の陰になったりして日当たりの善し悪しでも紅葉がまばらになってしまいます。
庭園や寺院の敷地などにあるもみじが美しく見えるのは配置を含めてきちんと管理されているからです。
せっかく「もみじが丘」と名付けているなら、今後はもみじの木をきちんと人工的に整備して世田谷に香嵐渓のような紅葉の名勝にすればいいのに!と無責任に思ってしまいますが、特にもみじ山を目指しているわけではなく、あくまでも自然緑地として自然な環境を残していく方針のようなので、そういった期待は難しいようです。
平成14年に選定されたせたがや地域風景資産でもこの岡本静嘉堂緑地が選ばれていますが、それはもみじ林ではなく自然林としてでしたし・・・。