成城3・4丁目の崖線
せたがや地域風景資産 #2-25成城3丁目の国分寺崖線の樹林
成城3、4丁目辺りの崖崖線に沿って緑が豊かに残されている。低地に下る坂は両側の深い緑で隈取られ大地との間に陰影をかたちづくる。まちに変化に富んだ散歩道があることは素晴らしいことだ。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、国分寺崖線と成城について

国分寺崖線を代表する場所で、名水百選に選ばれ、国分寺崖線緑地保全地域にも指定されています。
世田谷区内の野川、多摩川に沿って「国分寺崖線」と呼ばれる崖地が続いています。国分寺崖線というのは、立川市から始まり、国立市、国分寺市、府中市、狛江市、世田谷区、大田区まで続く総延長が約25km、高さが10~20mほどの崖や斜面の連なりです。国分寺付近に特徴的な目立った崖の連なりがあることから、この名が付けられています。
崖線を全体的に見ると、野川と並行して連なっている感じですが、太古の多摩川が武蔵野の台地の南側を削ってできた河岸段丘になります。
崖というのは現代人にはあまり住みよい環境とはいえませんが、太古の人々、縄文人、弥生人などには絶好の定住場所となっていました。
遠くの獲物や敵を発見しやすく、天候の変化もよみやすいし、水害から身を守れるし、何より崖下には湧水が出る事が多いので、生活をするにはもってこいといったわけです。
実際、崖線上には多くの縄文遺跡があり、崖には横穴式墳墓が多数見つかっています。豊かな自然を育む国分寺崖線は、太古から人々の生活の場となっていました。

遺跡は多く発見されていますが、公開されているものはほとんどありません。
世田谷区内では約7kmに渡って崖線が続いています。人口増加や経済発展で宅地化が進んだ世田谷ですが、崖線は急な斜面という開発しにくい地形によって、比較的開発から免れる事ができていて、現在でも緑地公園や自然保護区を中心に多くの自然環境が残されています。
せたがや百景、そして後年選定されたせたがや地域風景資産でも国分寺崖線に関わる項目が多く登録されています。
大雑把に見ていくと、下流付近では等々力渓谷、上野毛自然公園、五島美術館など。中流付近では行善寺、岡本三丁目の坂道、小坂邸と崖線庭園、静嘉堂緑地、東名高速の橋など。

*国土地理院地図を書き込んで使用
そして上流の成城では、この項目の他にも富士見橋や、喜多見ふれあい広場から見た「野川と国分寺崖線の纏まとまった緑」、成城三丁目緑地などがあります。
個人的にはこの「成城3・4丁目の崖線」の項目というか、この辺りの崖線の様子が好きです。崖線的な自然景観、そして崖を利用した町の景観が素敵で、特に人間の生活と崖の景観や自然という部分がうまく融合し、崖文化が色濃く現れていると感じます。
人気の成城、地価の高い成城だというのに、自然環境が多く残っているのには理由があります。古くからこの地域の自然保護に携わってきた世田谷トラストによる活動の功績が大きく、世田谷トラストによって多くの市民緑地が整備され、地域の緑の保全が進められてきたからです。


自然を残す活動をしている団体です。
少し古い話をすると、崖線の続く成城3、4丁目が宅地開発されたのは、成城学園が引っ越してきて、小田急線が開通した昭和になってからです。
もともとこの地は喜多見の一部で、喜多見村東之原でした。具体的にどれだけの広さがあったのか定かではありませんが、江戸時代は徳川幕府、明治になっては宮内省の直轄地として特別に保護されてきた地域です。
なんでも喜多見藩が断絶になったときに幕府に召し上げられ、幕府直轄領の喜多見御料林となったそうです。

不動橋のところ、小田急の線路沿いにあります。
明治以降は長らく皇室ゆかりの苗畑があり、それを守るため林野庁の管轄下にありました。御料林でなくなった後もそのまま林野庁の敷地となり、宅地開発から免れてきた経緯もあるようです。
そういったわけで、現在の成城は世田谷通り(旧登戸道)近辺を除けば崖の中腹に喜多見不動があるぐらいで、野川と仙川に挟まれた特に何もない丘だったようです。

今でも開発が行われているようで分譲中の土地を幾つか見かけました。
昭和2年に小田急線が開通してからは、宅地化が進んでいきました。昭和11年になると、砧村が東京市に編入される事となり、その時に喜多見から独立し、初めて世田谷区成城となります。
崖上の成城住宅地は人気の住宅地となり、宅地開発がどんどんと行われていきました。昭和45年になると町区域変更が行われ、住所まで広くなることになります。

*国土地理院地図を書き込んで使用
地価が高く、人気の成城の町にあって、崖線は昔の土木技術では防災上の不安があり、あまり開発が進みませんでした。
土木技術が進歩し、土地不足となると、開発の手が崖線まで及んできましたが、今度は市民の努力などによって緑の保全が進められるようになりました。
実際問題として、成城の住宅地には公園というものがなく、せめて崖線ぐらいはといった気持ちが強いのでしょう。
2、国分寺崖線の樹林と自然林について

ここは自然豊かな里山の環境が残っています。
成城の国分寺崖線上には多くの緑が残っています。その象徴的なのが、「成城三丁目緑地」、「神明の森みつ池特別保護区」、「成城三丁目なかんだの坂市民緑地」「成城三丁目崖の林市民緑地」などです。
成城三丁目緑地は、世田谷通りと玉堤通りが交差する交差点から病院坂を上ったすぐの場所にあります。この付近の崖線にある緑地として一番広い面積を持っています。
せたがや地域風景資産の方に「成城三丁目緑地(風1-27)」という項目がありますので、簡単な紹介で済ませると、ここはみどりの保全を目的に世田谷区が農林水産省から買取った緑地で、約2haの広さがあり、緑地内には斜面林とともに2箇所の湧水地があるのが特徴です。
よく手入れが行き届いていて、現代の生活にあった「まちの里山」をテーマに、地域住民が中心となって、住民参加による公園づくりを行っています。

4丁目にある自然保護区です。

中に入れないので外から
神明の森みつ池特別保護区は、小田急線の線路よりも北側の4丁目にあります。面積は約22haで、ここは公園のような緑地と違い、本格的な保護区となっていて、一部しか入る事ができません。
案内板によると、「東京23区内には2カ所しか自生していないゲンジボタルや、絶滅危惧種に指定されている動植物が数多く残る貴重なサンクチュアリです。」との事です。
この保護区の管理、運営は「(財)世田谷トラストまちづくり」が行っていて、現在「成城みつ池を育てる会」のボランティアによる保全活動が行われています。
貴重な動植物が生息しているため、実際に中に入れるのは年数回の観察会実施時に限られているようです。興味があれば「(財)世田谷トラストまちづくり」のサイトから観察会の日を調べて参加してみるといいでしょう。
実際に中に入った事がなく、外からしか見た事がないので詳しくはわかりませんが、保護区内には4カ所の湧水があり、緑豊かな森にはハンノキやクマシデなどの落葉樹と、武蔵野の林を代表するクヌギやコナラなどの林とが混じりあっているようです。いちおう崖の下のフェンス越しに湧水の溜まった池を見る事ができます。
近年では、崖上の旧山田邸が一般公開されるようになり、そこのテラスから眺めることができるようになっていたり、同じく崖上の北側部分の一部が緑地として公開されているようです。

不動橋近く、なかんだの坂にあります。

狭い斜面の敷地に階段が設置されています。
成城三丁目なかんだの坂市民緑地は、百景に選ばれている「不動橋」と「成城3丁目桜ともみじの並木」の間にあります。
ここは土地の所有者がいて、市民緑地制度を利用して一般に公開しています。市民緑地制度とは、簡単に書くと300平方メートル以上の広さを持つ民有地を緑地として市民の憩いの場として一般に公開する代わりに、色々と税制面などで優遇措置が受けられる制度です。
とはいえ、ここは制度を利用する前から地域の人たちに親しまれるような林を目指して、所有者の方を中心に近隣の方々が維持管理を進めていたそうです。
ここの特徴は、個人がもともとの林を活かしながら道をつくり、その趣向によって木を植え、そして守り育ててきた事にあります。
ですから他の緑地ではかつての武蔵野の林を目指してといった方針とかで植林されるのですが、ここでは町の街路樹でよく見かけるユリノキやクスノキといった木々が植わっていたりと、ちょっと本来の崖線の林と趣が異なっています。また、さりげなく地面に植わっている野草などにこだわっているのも特徴でしょうか。

なかんだの坂の途中にあります。

ありふれた林といった感じの緑地です。
その他、すぐ近くに同じような市民緑地として「成城三丁目崖の林市民緑地」があります。こちらは名前の通り崖の林といった感じで、崖の林の中に通路を作っただけといったシンプルな感じの緑地です。
成城4丁目の方にも「成城四丁目緑地」「成城四丁目十一山市民緑地」、カシオ計算機の故樫尾俊雄氏の「成城四丁目発明の杜市民緑地」や「ビール坂緑地」といった変わった緑地もあります。
3、成城の坂道

狭い割に車通りの多い坂です。
もう一つ、崖といえば坂のある町並みにも興味が湧いてきます。坂のある町並みは奥行きがあるというか、とても美しいと感じる人も多いようで、坂マニアな人たちも多く存在します。
とりわけ東京には名前の付いた坂が多いので、東京(江戸)の坂を解説したような本も多くあったりします。
この成城3、4丁目にも古くから名前の付いている坂があります。病院坂、お茶屋坂、不動坂といった坂です。
病院坂は玉堤通りと世田谷通りが交わる交差点から成城2丁目に上がっていく坂で、車の通行量が多い割には今でも道が狭いので、通行するのが大変です。

*国土地理院地図を書き込んで使用
この坂の名の由来ははっきりしていませんが、昭和初期頃に伝染病患者の隔離施設があったから病院のある坂、病院坂と呼ばれるようになったとか言われています。
小さな施設というか、建物だけだったようでしたが、他に何もない土地だったのでちょっと大袈裟な名前で呼ばれるようになったのでしょう。
坂の途中には成城三丁目緑地があり、また周辺から古墳や遺跡が多く発見されています。もしかしたら古代人も使っていた歴のある坂なのかもしれません。

急な坂で明正小学校の通学路になっています。ウルトラマンにもよく出てきます。
お茶屋坂は喜多見藩の喜多見氏ゆかりの坂となります。分家筋の喜多見流を創設するほどの茶道の達人、喜多見重勝(1604~1685)の茶室があった事で名付けられたそうです。富士山を見ながらお茶をたてていたのでしょうか。
この坂は急なうえに真っすぐです。昔からここまで真っすぐだったのかわかりませんが、舗装される以前は坂というよりも階段状の道だったのではないでしょうか。
またこの坂は明正小学校の通学路になっているので、子供たちが元気に坂を上り下りして通学しています。岡本三丁目の坂とちょっと似ているかもしれません。そして岡本三丁目の坂と同様にウルトラマンシリーズに登場しています。

冬至の星供養護摩で知られています。
不動坂は喜多見不動尊がある事からその名前が付いたようです。この坂はとても急なうえに、カーブもきつく、更には道も細いので、通行するのが大変です。成城らしからぬというか、昔ながらの旧道っぽい坂の雰囲気を感じる坂です。

緑地があり、緑と住居が混在した坂です。
不動橋のすぐ南側にある「なかんだの坂」は、途中になかんだの坂市民緑地と成城三丁目崖の林市民緑地があります。坂の途中には住宅も建ち並んでいて、緑とこじゃれた住宅が調和した雰囲気のいい坂となっています。

桜並木と木々が美しい坂です。
成城4丁目の北側、調布市と境界をなしているのがビール坂です。坂の途中にはビール坂緑地があり、さらに下の方には大きなマンション群があります。
お酒飲みにはなかなか魅力的な名が付いた坂道となるのですが、ここにはサッポロビールの社員寮やビアレストラン「ライオン」(2000年閉店)があったことから、ビール坂の名前が付いたそうです。
坂の両脇が木々に覆われていて、しかも桜の並木となっているので、春にはとても雰囲気のいい坂になります。現在はビールにちなんだものは何も残っていませんが、桜の季節にはオープンカフェでも設置して、ビールを飲みたいですね。

坂という土地柄の工夫が随所にあります。
それ以外にも名前の付いていないような坂や小道が多く、歩いていると小さな発見があったりします。
また、高級住宅地らしく塀や家にもお金がかかっていて、坂のある道が表情に富んでいます。なかには世田谷トラストのオープンガーデンに登録して、休日に庭を開放してくれているお宅もあります。

段々畑のようなお庭でした。まだ下に続いています。
訪れてみると、崖地ならではの工夫がされていて、色々と感心しました。なかでもびっくりしたのが、庭が段々畑状態となっていたことです。こんな庭は初めて見ました。自由な雰囲気を持つ成城らしいといえばそうなのですが、ちょっと疲れる庭でもあるようでした。
とまあ、自然あり、お洒落なお宅がありと、この界隈は歩くのが楽しいです。こういった坂道の散策ができるのも成城の隠れた魅力なのではないでしょうか。
4、感想など

喜多見の町の向こうに富士山が見えます。
自然あり、面白い街並みがあり、崖や坂の中にさりげない発見があるのが成城の崖線です。また西側の斜面にあるので、富士山の眺望があったり、西日の当たり方によって表情が変わってくるのもここの特徴です。
ただ、上ったら下らなければならないのが難点で、「この坂、雰囲気いいな」と思っても、戻ってくることを考えると躊躇してしまいます。さすがに三往復目になると、もういいや~。また今度。ってなってしまいます。

山道のような小道も残されています。
電動アシスト付き自転車といった便利なものもありますが、そうそう楽ができないのが崖の散策で、緑地内は階段しかないので、結局歩いて上り下りをしなければなりません。散策するのにちょっと体力がいりますが、そのぶん、楽しみも多いかと思います。
せたがや百景 No.57成城3・4丁目の崖線 せたがや地域風景資産 #2-25
成城3丁目の国分寺崖線の樹林 2025年2月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 成城3、4丁目辺りの崖 |
---|---|
・アクセス | 最寄り駅は小田急線成城学園前駅、喜多見駅。 |
・関連リンク | (財)世田谷トラスト、国分寺崖線発見マップ(世田谷区) |
・備考 | ーーー |