世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
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せたがや百景 No.75

多摩川の緑と水

世田谷区の南の区境に沿って流れる多摩川は区内に残された最大の自然の景観といえる。水量こそ減ったが、周辺に残された緑また河川敷の広々とした空間は大変貴重なものだ。清流復活の願いも徐々に実り、野鳥や魚影を以前より多く観察することもできるようになった。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 多摩川一帯
・備考 : ーーー

*** 多摩川の写真 ***

多摩川の風景を写した写真
多摩川の流れ

二子玉川付近は橋が3本架かっています。

多摩川の風景を写した写真
多摩川の流れと富士山

結構好きな風景です。

多摩川の風景を写した写真
土手の様子

ジョギングや散歩をしている人が多いです。

多摩川の風景を写した写真
土手の碑と富士山

距離表示があるのでジョギングにはいいですね。

多摩川の風景を写した写真
河川敷に広がるグラウンド

広い河川敷があります。

多摩川の風景を写した写真
野球グラウンドと富士山

グラウンドごとに所有者が違ったりします。

多摩川の風景を写した写真
送電線の鉄塔

河川敷だと存在感があります。

多摩川の風景を写した写真
白バイの訓練場

大会が行われる事もあります。

多摩川の風景を写した写真
河川敷の多摩川の碑
多摩川の風景を写した写真
土手のお地蔵様
多摩川の風景を写した写真
多摩川の夕暮れと富士山
多摩川の風景を写した写真
夕暮れの多摩川土手
多摩川の風景を写した写真
河川敷を活かした兵庫島公園
多摩川の風景を写した写真
河川敷でバーベキューを楽しむ人々(川崎)
多摩川の風景を写した写真
再開発前の二子玉川駅北側
多摩川の風景を写した写真
再開発前の松林
多摩川の風景を写した写真
谷沢川の合流地点
多摩川の風景を写した写真
ススキと第三京浜
多摩川の風景を写した写真
多摩川サミット記念碑
多摩川の風景を写した写真
宿河原堰堤(川崎市と狛江市の間)

* 行事など *

たまがわ花火大会を写した写真
たまがわ花火大会

夏の終わりの恒例行事です。

灯篭流しを写した写真
灯篭流し(狛江市)

小田急線の高架下付近で行われます。

どんど焼きを写した写真
鎌田のどんど焼き
どんど焼きを写した写真
狛江のどんど焼き

* 多摩川クリーン作戦 *

多摩川クリーン作戦を写した写真
ゴミ拾いに向かうボランティアの方々

花火大会の翌日に行われます。

多摩川クリーン作戦を写した写真
新二子橋の下で

熱心に頑張っていました。

* いかだレース *

古代カップを写した写真
狛江古代カップ(狛江市)

五本松の付近からスタートします。

古代カップを写した写真
古代カップらしいいかだも(狛江市)

ビジュアル的に面白い筏も多いです。

アドベンチャー in 多摩川を写した写真
アドベンチャー in 多摩川(世田谷区)

第三京浜の高架下辺りで行われます。

多摩川ECOカップを写した写真
多摩川ECOカップ(川崎市多摩区)

せせらぎ館近くからスタートします。

* 多摩川について *

テーマが大きすぎてなかなかコメントするのに困ってしまう項目です。しかも区内における最大の自然景観であるというものの、広大な多摩川流域に占める世田谷区の割合は微々たるものです。ですから世田谷の多摩川を見て、多摩川は・・・と意見するのも陳腐なことだと思います。

結局のところ川の流域は運命共同体であり、上流で川を汚せば下流も汚くなるし、昔で例えるなら上流で疫病が起これば下流にも広がり、上流で干ばつや大雨が起これば下流にも被害がでるといった感じです。

それに世田谷区と多摩川の関わりというなら、他のせたがや百景の項目の中に個別に関わるものが幾つかあります。ですからここでは多摩川そのものについてちょっぴり書いてみたいと思います。

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多摩川についてあれこれを書いていくと、全長は138kmで、流域面積は1,240k㎡の一級河川です。源流は山梨県の笠取山で、この山からは荒川、富士川も流れ出ています。ですからここの分水嶺では雨が降った斜面によってその水の行き先が東京湾になるのか、駿河湾なのか大きく変わってしまいます。そう考えると自然の神秘というか、ちょっと面白味を感じてしまいます。

この笠取山から流れ出した水は東京都に向かって流れていき、東京都に入るとまず奥多摩湖の大きなダムに蓄えられ、水量調整が行われます。そしてここからはどんどんと支流から水を増やし、青梅や羽村、中流部の昭島や日野と東京都を東西に横切っていき、下流では神奈川と東京の境を流れ、羽田空港の脇で東京湾に注いでいます。多摩川は流域で山梨県、東京都、神奈川の3県と関わり、流域人口はおよそ425万人とされています。

多摩川という名前の由来ははっきりしていなく、上流部の丹波川(たばがわ)の転訛説が有力候補の一つです。そして多摩川と玉川の関係ですが、江戸時代に多摩川よりも同音で語呂のいい玉川の名が使われる事が多く、現在でも語呂の良さや、書体の簡易さ、川としての多摩川と区別するために「玉川」の文字を使った地名を選んでいる地域もあります。って二子玉川の玉川や用賀の玉川台の事ですが・・・。

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また、多摩川といえば勾配が急な川の為、古くから洪水が絶えない「あばれ川」として有名でした。特に下流域ではその被害に悩まされ、現在でもその名残りが残っています。それは川の両岸に同じ地名がある事です。これは氾濫の時に川の流れが変わってしまい、村が分断されてしまった事によります。

例えば世田谷区に等々力という地名がありますが、対岸の川崎市の川沿いにも等々力という地名があります。等々力渓谷や等々力不動は世田谷区で、サッカーの有名なチーム、川崎フロンターレの本拠地となっている等々力緑地の等々力競技場は川向こうの川崎市と、他の地域の人にとってみれば、等々力って東京なの?神奈川なの?とややこしい事になっています。世田谷区周辺では宇奈根、野毛、丸子などといった地名も同じように両岸で見る事ができます。

また橋を架けても洪水によって頻繁に流されるし、江戸幕府も多摩川を江戸の最終防衛線と位置づけ架橋を制限していたので、1688年から1874年の間は多摩川に橋が掛けられなかったという話も残っています。その影響もあって矢の口の渡し、二子の渡し、野毛の渡し、丸子の渡し、六郷の渡しといった渡しが比較的近年まで活躍していました。

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多摩川は古くから人間の営みと共にありました。現在は漁で生計を営んでいる人はいないかと思いますが、大正や昭和の初めなどは世田谷でも鮎漁が盛んに行われ、川には屋台船が浮かび、川辺には鮎料理を出す料亭が並んでいたという時代もありました。

昭和の始めぐらいまで奥多摩から切り出した木材を筏にして川を流して運搬していた事もありました。今でも筏師が奥多摩へ歩いて戻っていた筏道の名残が幾つか見られます。

砂利の採集が盛んに行われていた時代もあります。現在の田園都市線の前身は玉川電鉄ですが、これは砂利を運搬するために敷かれた路線で、客車の後ろに砂利運搬車が連結されていたそうです。特に関東大震災後の復興に役立ちました。

また祭りの際に威勢良く多摩川にお神輿が飛び込んだり、対岸の同じ町域に筏で運んだりとといった事も行われていました。現在ではこういった昔の面影を見つけることは難しいですが、正月のどんど焼きが鎌田付近や狛江で行われていたり、お盆の灯篭流しが狛江で行われていたりと伝統文化的な行事も幾つか行われています。

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さてこの項目が百景に選ばれた一番の核心部分を上げるなら、やはり死の川からよみがえったという部分ではないでしょうか。高度経済成長期の時代、急激な都市化によって流域人口が増加していきました。また科学の発展により化学物質を多く含んだ洗剤などが大量生産され、そして大量消費といった生活スタイルの変化により、多摩川にはどんどんと汚染された生活排水が流れ込む事となりました。

その結果はご存知の通り、魚が住めないような死の川となってしまいました。流れの緩やかな川岸付近は洗剤の泡や灰汁で覆われ、悪臭が漂っているような状態だったそうです。このままでは多摩川の未来が・・・、付近に住む住民の健康が・・・という事で、流域の自治体などが昭和50年代後半頃より協力して下水処理を徹底する事にしました。

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その結果、年を追うごとに下水道が普及し、それと共に汚染水の流れ込みが減っていき、徐々に川の汚れが少なくなっていきました。そして今では命のあふれる川に戻りました。下流付近でも川に釣り糸をたれる人もいれば、川で遊んでいる人の姿も多いです。

2002年に多摩川に現れて話題になったアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」などもいい例かもしれません。というより逆に命あふれ過ぎる川となり、熱帯魚の違法放流によって本来生息していない魚まで暮らしていて問題となっています。それを揶揄り、アマゾン川と多摩川を掛け合わせてタマゾンと呼ばれることもあります。

なぜ日本で熱帯魚が住めるのか。越冬できないはずでは。そう思うのが普通なのですが、今では多摩川の下流部を流れている水の半分ぐらいが下水処理された水だというから驚いてしまいますが、下水処理された水は比較的温かく、また工場排水の出る付近の水温がかなり温かいことによって越冬してしまう魚もいるようです。

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また河川敷をきれいにして水辺を守るといった活動も盛んに行われています。多摩川クリーン作戦と名付けられて、定期的にゴミ拾いがボランティアの方々によって行われていますが、とりわけ玉川花火大会の翌日に行われている活動は広く知られているのではないでしょうか。花火大会で楽しんだ翌日の朝に昨夜の余韻を楽しみながら気分よく河川敷の掃除を行うというのも悪くないものです。

普段河川敷を使って練習している少年野球や少年サッカーチームの子供たちがユニホーム姿でゴミを拾っていたり、付近の小中学生が多く参加しているのが印象的でした。ゴミを拾う側の気持ちが子供のうちから分かっていれば、大人になってもゴミを捨てにくいものです。こういった取り組みが続いていけば多摩川も安泰でしょうか。

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近年ではきれいになった多摩川を利用して手作りいかだ下りレースといった面白いイベントも盛んに行われています。ペットボトルなどの廃材などでいかだを製作し、チームで協力していかだをこいで多摩川を下っていき、タイムを争うといったものです。

一番有名なのは狛江市の「狛江古代カップ」で盛り上がりもなかなかのもの。本気でタイムを狙っていくチームや仮装に力を入れるチームやら見ていて楽しいです。それを参考に世田谷でも「アドベンチャー in 多摩川」といういかだレースが行われているのですが、残念ながら小学生を中心としたイベントになっていて、PTAなどを中心に盛り上がっているといった感じです。川崎の多摩区でも「多摩川ECOカップ」が行われていますが、まだ開催回数が少ないのでこれからといった感じです。

こういったいかだに乗って多摩川を下っている光景を見ていると、多摩川もきれいになったんだなとしみじみと感じてしまいます。もし汚い川だったら川に落ちたら病院行きになってしまうので、とてもじゃないけどレースなんてできません。という私も多摩川ではありませんが、昔川下りで川に落ちて2週間下痢やジンマシンに苦しんだ事があります。

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と言ったわけで、この項目は「多摩川の緑と水」といったタイトルになっていますが、言葉通りに世田谷を流れる多摩川の緑と水は素晴らしいという意味ではなく、一度絶望的に汚してしまった過ちを経験した後によみがえった多摩川を見て、自然はなんて素晴らしいのだろう、自然はありがたいといった意味合いを多く含むものです。

ちょうど戦争を経験した人が訴える平和と、戦争を知らない人が理想論で訴える平和といった感じで、ちょっと重みのある項目かなと思えます。そして「川はよみがえらせることができる」「環境問題は努力すれば解決できる」「もう川を汚すような過ちは犯すまい」といったようなメッセージをこの項目からぜひ感じ取ってもらいたいです。

また、どのように下水を再生処理しているのだとか、多摩川のあれこれに関しては「多摩川流域リバーミュージアム」のホームページに色々と載っていたので、そちらを参考にしてみてください。それからあまり有名ではありませんが、多摩川の土手から眺める富士山もいいものです。送電線が邪魔といえば邪魔ですが、目の前の開放的な空間と多摩川の流れ、そして富士山の雄大な姿(小さいけど)が心をいやしてくれる事でしょう。

<せたがや百景 No.75 多摩川の緑と水 2009年5月初稿 - 2015年10月改訂>