世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景の案内板の写真

せたがや百景 No.50

上祖師谷神明社

世田谷の秋祭り File.28

上祖師谷神明社例大祭

浅葱色をした社殿は昭和41年に建てられたもの。江戸時代から上祖師谷の鎮守だったと思われます。神明社の脇を通る道は、昔「滝坂道」といわれた街道で、現在も交通量は多い。時代の激しい移り変わりをじっと見つめてきたお社です。(せたがや百景公式紹介文の引用)

鎮座地 : 上祖師谷4-19-24  氏子地域 : 上祖師谷1~7丁目
御祭神 : 天照皇大神、倉稲魂命(相殿)  社格 : 旧上祖師谷村村社
例祭日 : 10月第一日曜と前日
神輿渡御 : 宮神輿、子供神輿、太鼓車、
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 上祖師谷神明神社の写真 ***

上祖師谷神明神社の写真
滝坂道から見た神社

こんもりとした丘の上に神社があります。

境内にある石橋供養塔の写真
石橋供養塔

街道沿いにあります。

上祖師谷神明神社の写真
ツツジが植えられている斜面

北側の斜面なので日当たりは良くありません。

ヤマトアオダモの根の写真
ヤマトアオダモの根

存在感があります。

上祖師谷神明神社の写真
鳥居と社標
上祖師谷神明神社の写真
狛犬
上祖師谷神明神社の写真
神明造の社殿
上祖師谷神明神社の写真
横から
上祖師谷神明神社の写真
社殿(塗り直し前)

柱が浅黄色でした。

上祖師谷神明神社の写真
小さな祠が集まる聖域

社殿の左右にあります。

夏に行われる夕涼み会の写真
夏に行われる夕涼み会

小さなステージイベントが行われます。

* 上祖師谷と上祖師谷神明神社について *

滝坂道の西端に位置するのが上祖師谷です。仙川沿いの都立祖師谷公園がある付近です。上祖師谷の南には祖師谷がありますが、かつては一つの村でした。祖師谷村が上下に分かれたのは元禄八年(1695年)の検地の時で、元禄十一年以降は幕末まで両祖師谷とも天領でした。祖師谷の名前は昔この地に地福寺があり、この寺に祖師堂があった事に因んでいるのではと言われています。

明治、大正と時代が進むと、村の北に京王線、村の南に小田急線が開通しますが、どちらも駅から離れていることもあって人口が急激に増えることはありませんでした。村は農業従事者が多く、仙川を中心に田や畑が広がっているような純農村地帯でした。

戦後間もない頃の航空写真を見ると、神明社付近の辺り一帯は田んぼと畑しかないような風景なのでビックリしてしまいます。上祖師谷の人口が増えたのは戦後になってからで、どんどんと田が埋められ、住宅が建ち並んでいくようになります。昭和9年には80世帯772人、昭和20年には315世帯1455人、昭和45年には4039世帯11887人と爆発的に人口が増えていくことになります。

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上祖師谷を横切っているのが滝坂道です。滝坂道は中世に江戸と府中を結ぶ主要街道でしたが、江戸時代になってすぐに甲州街道が整備されて裏街道となります。今でも榎木交差点から道幅が狭くなっていて、特に安穏寺から神明社付近は昔の街道の雰囲気が残っています。それだけならいいのですが、今でも甲州街道の抜け道として使う人も多く、道幅の割には車の交通量が多いので、歩いたり、自転車で通ると怖い思いをすることがあります。

その滝坂道が上祖師谷を縦に縦断している仙川と交わる場所にかかっている橋は宮下橋と言います。その名前の通り宮の下にある橋で、この橋のすぐそばの丘の上に神明社が鎮座しています。神社の道路沿いには滝坂道を見守るように石橋供養塔(1767年)があります。この供養塔は240年程前に橋の供養をしたときのものと言われています。目の前の宮下橋が水害か事故で壊れてしまった時に、二度と壊れないでねといった意味合いで建てられたのでしょうか。あるいは数年のうちに何度も壊れ、これは何か悪いものが取り憑いているのでは・・・と建てられたのかもしれません。

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この神明社が上祖師谷村の古くからの氏神様で、創建、歴史などの詳細はわかっていませんが、元禄年間(1688~1703年)に建立されたのではと言われています。ちょうどその頃に祖師谷村が上、下それぞれに分かれているので、村人が新たな村の繁栄を願って勧請、或いは分社等したのかもしれません。

神明社とは太陽神であり、皇室の祖神である天照大神を主祭神とした神社で、農耕祭礼と結びつき新田開発の際に創建することが盛んだったようです。天照大神を祀った神社は他に神明神社、皇大神社、天祖神社とありますが、これらは呼び方が違うだけで同じ種類の神社です。そして天照大神信仰は伊勢神宮内宮を総本社とするので、「お伊勢様」の通称で呼ぶ人もいます。

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現在の社殿は、昭和42年に改築されたコンクリート造りの社殿で、2008年に補修されています。それまでの社殿は明治45年に再建されたもので、社務所は昭和10年に建てられたものだったのですが、昭和41年の台風で社務所は倒壊、社殿や境内も大きな被害が出てしまいました。当時は南の丘は畑ばかりで家が建っていなく、まともに風が吹き抜ける状態だったそうです。

再建に当たっては現在神社の北側に小さな上祖師谷神明公園がありますが、それを区に売ったお金と氏子に寄付を募って、社務所と社殿の再建費用にしたそうです。神明社という事で建築様式は木造の神明造りが基本ですが、今度は少々の風でも倒壊しないように頑丈なコンクリート製です。

神明造とは、簡単に書くと高床式倉庫から発展した社です。奥行きより幅が大きく、床が高いのが特徴でしょうか。また構造的に左右対称で造られ、掘建柱、切妻造、平入といった建築様式が定番となっています。ただ木造建築をする場合の建築様式なので、コンクリートの場合は外観だけ神明造っぽくなっているといった感じです。

でも一度倒壊を経験してしまうとそんなことはいっていられないですね。ちなみに百景の文章では浅葱色(あさぎいろ=ごく薄い藍色)となっていますが、改修によって薄いピンク色になっていました。特に浅葱色にこだわりはなかったようです。個人的にはどちらも好きなパステルカラーの色だし、特にイメージが変わったと思いませんが、百景にこだわって散策しているならちょっと残念かもしれません。

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この社殿の横には向かって右側に3つの社、左側に2つの社があります。どちらも鳥居で隔たれた聖域となっていて入れないようになっています。これらの小さな社群は厳嶋社、三峯社、諏訪神社、秋葉神社、稲荷社で、上祖師谷の各地に祀られていたものが移築されたものです。これらの境内社も2008年に新築されたので、まだ木の香りがしそうなぐらい新しいです。

その他、境内に残る石灯籠には「享和元年(1801)九月」、手洗石には「文久元年(1861)建立」と刻まれていて、この神社の中では古い物となっています。また滝坂道から社殿への斜面はツツジなどが植えられていて緑豊かな丘といった感じですが、その中に一際大きな木があります。この木は「世田谷の名木百選」に選ばれているヤマトアオダモで、その根の凄い事。かなりの存在感があります。それよりも見る人が見たなら根っこよりもこの木自体が都市部では珍しい存在という事になるようです。

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全体的には地味な感じのする神社ですが、古くから農業に携わっていた人たちやこの地で育った人の心の拠り所となっていて、夏には納涼夕涼み会などが行われたりと地域のコミュニティーの中心的存在となっています。

*** 秋祭りの様子 ***

秋祭りのポスターの写真
秋祭りのポスター

 

秋祭りの境内を写した写真
秋祭りのときの境内

普段は暗い丘が明るくなります。

秋祭りの境内を写した写真
鳥居前の幟

所狭しと屋台が並びます。

秋祭りの境内を写した写真
屋台が並ぶ参道

結構賑やかな感じになります。

秋祭りの境内を写した写真
社殿

あまり参拝する人が多くないといった感じです。

秋祭りの境内を写した写真
奉納演芸

ちょっと小さめの舞台です。

* 上祖師谷神明神社の秋祭りについて *

秋の例大祭は昔は10月1日に本宮が行われていましたが、今では週末に移されて10月第1日曜日に本祭、前の日に宵宮が行われています。土曜日は宵宮で地元の有志による素人演芸が19時より行われます。日曜日は本祭で、午前11時より神輿の渡御が行われ、19時からプロによる奉納演芸が行われます。

境内はそこそこ広いので多くの出店が並び、普段とは比べものにならないほど賑やかになります。特に夜になると華やかで、普段は真っ暗で存在感のあまりない丘が明るくなり、闇に浮かび上がるような感じになります。そして多くの人が訪れ、祭りだなといった独特の雰囲気を感じます。おそらく昔も今もあまり祭りの雰囲気は変っていないのではないでしょうか。そんな感じのする秋祭りです。

*** 宮神輿の渡御の様子 ***

神輿渡御の様子を写した写真
出発式

挨拶や半纏合わせが行われます。

神輿渡御の様子を写した写真
出発前の宴会

出発前に一席設けられます。

神輿渡御の様子を写した写真
出発

静かな感じの宮出しです。

神輿渡御の様子を写した写真
滝坂道を渡御する様子

道が狭いので大変です。

神輿渡御の様子を写した写真
太鼓車

平成元年製の新しい物です。

神輿渡御の様子を写した写真
子供神輿

 

神輿渡御の様子を写した写真
大人神輿

最初は上品な感じの渡御でした。

* 上祖師谷神明神社の宮神輿渡御について *

上祖師谷神明社の例大祭では日曜日に宮神輿の渡御が行われます。神輿は昭和46年に浅草の宮本重義によって制作された小振りなもので、台座が一尺六寸の勾欄造り、延軒屋根には大きめの菊の紋が入り、駒札は神明社が掲げらます。神輿渡御は、先頭にお囃子を載せたトラック山車、次ぎに太鼓車、そして子供神輿に続いて大人神輿といった順番で町内を回ります。

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神輿渡御は11時前に挨拶とか注意事項の説明が行われ、担ぎ手たちの自己紹介的な半纏合わせが行われます。世田谷の西の端らしく、区外からの応援も多かったです。それよりもここの特徴的というか、面白いのは、すぐ目の前に駒澤大学の野球グラウンドがある為、野球ユニフォーム姿の駒大生がいる事です。地域交流で参加しているようです。

各団体の紹介が終わると乾杯して、渡御・・・、だったらいいのですが、挨拶が終わるといきなり直来のような宴会が始まってしまいます。見学者としてはこれから渡御が始まるぞというときに手持ちぶさたな状態となるので結構困ってしまいます。でも10分ちょっとでお開きとなり、11時15分頃境内を出発しました。

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神輿は鳥居のある階段からではなく横の坂から神社を出て行きます。そして神社の下で太鼓車と合流し狭い滝坂街道を渡御していきます。ただでさえ滝坂道は狭いので混雑は必死です。本来ならこのくらいの幅の道なら一時的に通行止めにして神輿を通したいところですが、交通量が多いし、バス通りでもあるので、そうもいかなく、神輿も車も窮屈に通らなければなりません。それでも普段自転車や徒歩で車に遠慮しながら通行している時に比べると開放感があります。町内を回ったお神輿は、メモした紙を無くしてしまったので不確かですが、確か夕方18時頃、神社に戻ってきます。

* 上祖師谷神明神社例大祭の感想 *

上祖師谷神明社は旧道の雰囲気が残る滝坂道や仙川を見下ろすような丘の上にあります。そういった絶好のロケーションにより、神社の雰囲気がとてもよく感じます。特に何があるわけでもなく、これといった由緒とかもあるわけでないのに、せたがや百景に選ばれている事からも、滝坂道を含めた雰囲気の良さは世田谷でも指折り数えてといった感じかもしれません。

もっとも住宅地に埋もれつつあるのが世田谷の神社事情なので、ましな方といった冷めた見方もできるでしょうか。そういた雰囲気のいい境内で行われる秋祭りですが、秋祭りもまた絵になるというか、いい感じです。特に夕方から夜に掛けて境内の屋台に明かりが灯った時の雰囲気は最高です。神社のある丘が幻想的というと美化しすぎですが、もあっとした明るさに包まれ、20年前も、30年前もそんなに変わらないんだろうなと感じました。

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昭和の初め頃は仙川の周辺は田や畑ばかりで、驚くほど何もなかった地域です。それが時代の流れと共にどんどん田や畑が住宅地となっていきました。ただ神社周辺は祖師谷公園や駒大の野球場グラウンドがあるので、比較的広々とした環境が残っています。その駒大の野球部が神輿渡御の応援にやってくるのは、ここならではのことです。こういった地域の事情に合わせた神輿渡御は見ていてほのぼのします。

近年の駒澤大学の野球部はいまいちぱっとしていないようですが、でもDeNAの中畑監督、広島の野村監督とプロ野球に駒大野球部出身の監督が二人もいます。そういった伝統のある野球部の助っ人が来てくれるのは心強いし、地域としてもうれしいものではないでしょうか。

<せたがや百景 No.50 上祖師谷神明社 2009年7月初稿 - 2015年10月改訂>
( 世田谷の秋祭り File.28 上祖師谷神明社例大祭 )