世田谷散策記 せたがや百景のバーナー
せたがや百景の案内板の写真

せたがや百景 No.49

武家屋敷風の安穏寺

寛永年間(1624-44)に建てられたといわれるが、一時荒れはてていたため詳しいことは不明。古い墓石には名字を持つものが多く、謎が深まる。車の往来の激しい坂道に沿って、山門や白壁の塀が黙然と存在している。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 上祖師谷2-3-6
・備考 : ーーー

*** 安穏寺の写真 ***

安穏寺の武家風の門の写真
安穏寺の門

新しさと古さが融合したような均整の取れた門

安穏寺近くの地蔵堂と庚申塔の写真
門前近くにある地蔵堂と庚申塔など

街道を見守っています。

安穏寺の写真
本堂
安穏寺の写真
桜と本堂
安穏寺の写真
桜の時期の境内
安穏寺の写真
桜の木と桶棚

* 安穏寺について *

環八の千歳台の交差点から芦花公園、ガスタンクと西へ向かう道は古くからの街道で滝坂街道といいます。榎の交差点までは広い二車線道路なのですが、この先は旧道そのままで、道は曲がりくねり、車がすれ違うのがやっとの道幅です。おまけにバス通りにもなっています。

その滝坂街道の中でも難所とも呼べるのがこの安穏寺前です。道は急な坂になっていて、しかも曲がっているので見通しは悪く、車がすれ違うのも困難です。そのため車の通行が多い時間帯になるとしばしば渋滞も起こります。自転車や歩行者にとってもこの場所は歩道がないので溜まったものではありません。

その難所のちょうど見通しの悪いカーブの真ん中付近に安穏寺の入り口があります。世田谷で一番出入りしにくいお寺かもしれません。この安穏寺の前から少し坂を下ると道の脇に地蔵堂があります。地蔵堂の中には岩船地蔵尊が安置され、庚申等や馬頭観音が一緒に並んでいます。なんというか旧街道っぽくていい感じです。しかもなぜか横に懐かしき昭和の香りがするオート三輪が置いてあったりして、更に郷愁を帯びた雰囲気を感じさせてくれます。

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さて安穏寺なのですが、正式には舜栄山行王院安穏寺と号し、新義真言宗智山派に属し、川崎市小杉の西明寺の末寺になります。一応墓碑や奉納された石灯籠から、元禄年間(1688~1703年)に吉岡九郎左衛門によって開基されたのではと推測されています。また過去帳などから等々力の満願寺の権大僧都元光が寛政年間(1789~1800年)に中興したとも言われています。

そして明治維新前後18年間は住職が不在となってしまい、近くの東覚院によって管理される事になったのですが、その時に寺は荒れ果て、博徒が入り浸り、博打場として使われていたそうです。明治18年には風禍によって本堂が倒壊し、大正14年までは再建されず荒廃していました。このときに寺に関する資料など一切は失われてしまいましたが、そもそも江戸初期に書かれた新編武蔵国風土記稿に開山、開基の年歴は伝えずとなっていたりします。

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現在の安穏寺は過去に荒廃していたとは思えないほどとても整然とした印象を受けるお寺になっています。境内は煩雑な門前の滝坂街道とは打って変わって静かな感じで、植木はきちんと手入れが行き届き、墓地参拝用の桶などもきちんと並んでいて、なんて言うかとても雰囲気がいいです。ちょうど桜の時期に訪れたのですが、境内に咲く花がとてもいい感じでした。

百景のタイトルにあるように武家屋敷風というのがこの項目の焦点になるのでしょう。通りから少し奥まった場所にある門は白壁が美しく、均整が取れたセンスを感じる門です。確かに武家屋敷の門としても違和感がないのですが、なぜでしょう。再建の時に武家屋敷風にしてしまったのか、武家屋敷から移築したのか。その辺の事情はよく分かりません。それ以外は武家屋敷っぽさはなく、境内も武家屋敷っぽい門以外は・・・、正直普通のお寺ってな感じです。

<せたがや百景 No.49 武家屋敷風の安穏寺 2009年7月初稿 - 2015年10月改訂>