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せたがや百景 No.48

上祖師谷の六郷田無道

狭いうえにも交通量が多く、古い道とは想像もできない。しかし、道筋に寺や社を見つけると、かつてののんびりした往来が目に浮かんでくる。地形に素直に合っている古い道は、なぜか人の匂いがある。(せたがや百景公式紹介文の引用)

・場所 : 上祖師谷1、2丁目
・備考 : ーーー

*** 上祖師谷の六郷田無道の写真 ***

六郷田無道の様子を写した写真
住宅の多いエリア
六郷田無道の様子を写した写真
真っ直ぐで細い道
六郷田無道の様子を写した写真
生産緑地地区の造園
六郷田無道の様子を写した写真
道沿いの小さな祠
六郷田無道の様子を写した写真
吉実園
六郷田無道の様子を写した写真
吉実園の鶏たち

フェンスに近づいたらワサワサと寄ってきました。

* 上祖師谷の六郷田無道について *

六郷田無道・・・。最初に思いついたのは六郷用水があって、田んぼが・・・ない!・・・道?って、なんじゃそりゃといった感じでした。実際に歩いてみてもよくわからない道で、でも田んぼの文字が入っているから昔の農道みたいなものなのかな。造園もあるし・・・といった感想でした。

その次に六郷田無道の言葉を見たのは世田谷城に関する本の中でした。その中で世田谷城近くを六郷田無道が通っている地図があり、「なんとこの道はボロ市通りまでつながっている道だったんだ。」「地域的な農道ではなく、ちゃんとした街道だったんだ。」と知った次第です。

そして更に調べてみると、なんと名前の通り六郷と田無を結んでいた街道だと知りました。六郷はもちろん東海道の六郷の渡しの六郷であり、田無は青梅街道沿いの田無・・・って、いつの間にか田無市は西東京市になっていたのですね。とまあそれはおいておいて、六郷田無道はそれなりに遠距離を結んでいた昔の幹線道路だったのです。

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世田谷付近の六郷田無道の道筋を書くと、六郷側からの道筋は環七通りと合致します。野沢で品川道と合流し、環七と246が交わる上馬交差点で大山街道と交わり、斜めに駒沢公園通りに向かいます。駒沢生活実習所あたりで駒沢公園通りと合流し、ボロ市通りを目指します。ボロ市通りを西に抜けると、北西に千歳船橋を目指して進みます。途中で桜丘小学校、経堂4丁目交差点、千歳船橋駅前の稲荷神社を通る道です。

千歳船橋駅の西側を通過すると、ここからは千歳通りと重なります。塚戸十字路は直進で塚戸小学校前を通り、榎の交差点に至ります。ここで滝坂街道と交差します。そして百景に登場の上祖師谷区間が始まり、そのまま道なりに進むと踏切があり、給田町の交差点に至ります。ここで甲州街道と交差します。さらに北上していくと現在の甲州街道と交差し、ここからは吉祥寺通りと重なります。そして東八道路に抜けるといった感じです。

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現在の六郷田無道はいまいちパッとしない感じです。確かに古い道は通り抜けがしやすくできているので裏道として利用しやすいのですが、百景に選ばれるような趣を探しても???と疑問を感じてしまいます。ただ、昭和の初め頃の記述を読むなら、当時は田無街道、あるいは大森田無線、澤田道と言って東京郊外の数少ない環状道路の役割を持っていたようです。環七、環八が整備されるまではそれなりに重要な道だった事が伺えます。

とりわけ百景に選ばれているこの区間で言うなら、滝坂街道と甲州街道をほぼ直線的に結んでいるので利便性が高く、交通量が多かった事が想像できます。そういった名残りから恐らく百景に選ばれたのでしょうが・・・、やはり今では特に何もない道となってしまっているような気がします。環八のアメリカ村がそうであるように、街道沿いの風景は時代の流れとともに変わりやすいものですね。

<せたがや百景 No.48 上祖師谷の六郷田無道 2009年7月初稿 - 2015年10月改訂>