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せたがや地域風景資産 No.1-11

秋山の森と旧秋山邸

母屋は大正4年築で、茅葺のセガイ造りである。農家としての歴史を語る建築物である。母屋の周辺の樹木は、「秋山の森」と呼ばれる屋敷林である。(紹介文の引用)

・場所 : 深沢6丁目10-1
・登録団体など : ざわざわ深沢駒沢倶楽部
・備考 : 個人のお宅なので内部は非公開です。

*** 秋山の森と旧秋山邸の写真 ***

旧秋山邸の写真
秋山邸

門の奥に古民家が見えます。

旧秋山邸の写真
秋山邸の冠木門

シンプルながら力強い印象を受けます。

秋山の森と旧秋山邸の写真
秋山邸の前の通り

この一帯が緑に囲まれています。

秋山の森と旧秋山邸の写真
屋敷林

これだけの屋敷林はなかなかないのでは

秋山の森と旧秋山邸の写真
別の角度から

どの角度から見ても緑だらけ・・・

深沢6丁目開放樹林地の写真
秋山邸の隣にある樹林地

元は敷地だったのでしょうか・・・

旧秋山邸の土蔵の写真
次大夫掘公園民家園にある秋山邸の土蔵

世田谷区指定文化財

* 秋山の森と旧秋山邸について *

世田谷三大地主というのはご存知ですか?なんでも膳場家、大場家、秋山家だとか。膳場家は吉良氏の配下膳場将監の子孫にあたる家系で、吉良家滅亡後帰農して三軒しかなかった下北沢の地を開墾した一族です。言ってみれば下北沢の生みの親的な存在です。大場家は言わずと知れた世田谷代官様の家系、そして秋山家は深沢の大地主です。

ただ、これは膳場家出身の元NHKアナウンサー膳場貴子さんの紹介文で用いられることが多い言い回しで、実際にそういった三大地主なんていう定義があるかは不明です。でもまあいずれも世田谷を代表するような地主であることには変わりなく、その中でも今回は秋山家がテーマで、せたがや地域風景資産に秋山の森と旧秋山邸といったタイトルで選定されています。

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先にあげた三大地主の大場家、膳場家については調べるのに困らないほど情報があるのですが、秋山家についてはほとんど情報がないのが実際のところです。ある意味なぞの地主、いや謙虚な地主というべきなのでしょうか。

まず秋山家がある深沢について書くと、深沢といえば名前の通り深い沢といった感じで、呑川とその周辺の湧水のたまり場を中心に沢を形成し、付近も雑木林や畑ばかりの寂しい土地でした。江戸時代になると天領となり、純農村として発展します。明治時代までは開発とは程遠い地域で、現在の駒沢公園がある場所などは明治天皇の兎狩りの狩場となっていたという話です。

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深沢村が開けてきたのは明治後半から大正時代の初めにかけてで、大正二年になると東京ゴルフクラブの会員達が深沢村から土地を借りて駒沢ゴルフ場を造ったり、郊外型別荘地として新町住宅街が造成されたり、園芸高校が建設されたりしました。その後オリンピック開催のために競技場が作られ、交通網の整備が進んでいくと、いつしか閑静な高級住宅地と変わってしまいました。

秋山家本宅があるのが駒沢公園の西側、駒沢公園通りと駒沢通りと呑川に囲まれた地域は深沢6丁目です。まあ6丁目に限らずこの付近一帯が秋山家の土地だったようですが・・・。そして秋山家について幾つかの記述を抜粋すると、深沢不動は成田不動尊の分霊として明治31年に10代目秋山紋兵衛氏によって盛大な入仏供養式が行われて現在の地に祀られたもの。深沢地区の区画整理施行の際に先頭に立って行ったとか。深沢小学校の敷地を寄付したとか。中町の人は昔は小作料を秋山家に納めていたとかいった記録もあります。

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実際に秋山邸の本宅がある場所を訪れてみると、その一角が丸々森となっていてビックリします。さらには周辺の区画も森や畑だらけ。一体どこまでが秋山家の土地なのだろうか。って考えるまでもなく、恐らく全部秋山家のものに違いありません。

これだけ広いと管理も大変だろうし、何より補助金とか、税金対策はどうしているのだろうか?などと気にしてしまうのは庶民の性なのかも知れません・・・。何にせよ秋山の森と大袈裟なタイトルがついているのも納得というか、本当に森なんだ・・・ちょこっと木々があるだけじゃないんだ・・・と恐れ入りましたといった気分になります。

とりわけ秋山邸のある敷地を取り囲んでいる屋敷林の凄い事。都内でこれだけのものはなかなかお目にかかれるものではありません。ただ古い記述を読むと、秋山の森というのはこういった屋敷林とかではなく、秋山邸の北側に広がっていた杉林のことを差していたようで、過去には幹の太い杉が多くある立派な杉林を所有していたようです。

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旧秋山邸のほうは道路沿いにある冠木門の後方に見ることができました。ちょっと遠めなので大きな古民家があるというぐらいしか分かりませんが、そのまま民家園に持っていけば目玉になるような建物になることでしょう。旧秋山邸ということで、さすがに今では古民家で暮らしていないようです。同じ敷地内にこれまた立派で近代的な大豪邸がありましたから・・・。

そのほか、地図を見る限りでは敷地内に池もあるようですね。やはり地主ということでちゃんと湧き水がでる土地を押さえているのでしょうか。古い記述には秋山の森の谷戸頭から呑川に流れる伊之助堀はどんなに日照りでも水が涸れることがなかったとありますが、この池の水源がそうなのでしょうか。とまあ色々と興味が尽きないのですが、個人のお宅なので中には入れないのが残念なところです。

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ただ第二回の地域風景資産が選定された年、平成20年には見学会(オープンガーデン)が催されたそうです。またNPO法人せたがや街並保存再生の会が行っている町歩き見学会で訪問することもあるようなので、全く入る機会がないというわけではなさそうです。次にそういった機会があればぜひ訪れてみたいです。

ちなみにすぐ隣の敷地は深沢6丁目開放樹林地となっています。これは保存樹林・小樹林地に指定された樹林のうち、みどりに親しむことができるよう一般に開放しているものです。プチ秋山の森といった感じでしょうか。ここは自由に入れるので、見学はここで我慢するしかないですね。更にはこの北側は旧三越迎賓館です。現在では駒大のキャンパスの一部となってしまいましたが、中の建物や庭園は健在です。桜の開花時期などに一般公開していますので、訪れてみるといいでしょう。

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そういったわけで深沢6丁目の秋山邸付近はやたらと木が多く、ありえないほど静かな環境です。実際に現在どこまでが秋山家本家のものなのかとか分かりませんが、付近の閑静を売りにしている高級マンションなどもきっと秋山家の不動産なのではないでしょうか。庶民からしてみればこの辺りの地価は一体いくらだろう?資産の総額は・・・なんて考えると、なんとも羨ましい限りです。

秋山家の家紋は○に紋が入った図柄です。これは秋山家当主の秋山紋兵衛の紋の字ということになるでしょうか。秋山紋兵衛といえば・・・、平成元年4月にかの松下(パナソニック)の会長松下幸之助氏が94歳で死去した際に、遺産総額が2,450億円と高額遺産のトップを更新しました。そのときに高額遺産が話題となり、当時の高額遺産のランキングで第2位が大正製薬名誉会長の上原正吉(669億円)、3位不動産会社社長秋山紋兵衛(598億円)・・・、って、この秋山さんなのでしょうか。余りある名前ではないし、名前は代々世襲していもおかしくないだろうし・・・とちょっと気になりましたが、実際のところは分かりません。

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秋山邸は普段は非公開ですが、喜多見にある次大夫堀公園民家園に秋山邸にあった土蔵が移築、復元されているので、これだけは内部を見ることができます。この土蔵は秋山家にある多くの蔵の中でも「穀倉」として使用されていたもので、茅葺きの置屋根形式で、土蔵内部の祈祷札によると文政13年頃に建築されたもののようです。世田谷区の指定文化財に指定されていてます。

また深沢といえば秋山家に並ぶ地主三田家も有名です。三田家は駒沢公園南側付近の深沢2丁目辺りの地主で、深沢2丁目広場には三田家の門や土蔵、母屋が保存、公開されています。江戸時代の豪農ということで基本的には秋山家の母屋と似た感じでしょうか。屋根は寄棟造草葺で屋根裏部屋では養蚕が盛んに行われていたそうです。が、・・・・・残念ながら平成21年2月に火事で消失してしまいました。

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ちなみに深沢6丁目といえば、政治家の小沢一郎邸があることでも知られています。常に機動隊が警備している場所がそうで、事あるごとに街宣車が押しかけてくるので、騒がしい時もありました。特に天皇家を政治利用したといった時には喧しいかったようですが、近年は表舞台に表れなくなったので警備の人も少なくなり、静になったようです。木々が多く、また呑川親水公園もあって閑静な住宅地なはずなのですが、騒々しい住民を一人でも持ってしまうと、必ずしもそうでもなくなってしまうといった悪い例ですね。

<せたがや地域風景資産 No.1-11、秋山の森と旧秋山邸 2011年5月初稿 - 2015年10月改訂>