北沢八幡神社の秋祭り
代沢3-25-3世田谷北辺の守護神として、吉良家によって勧請された。世田谷七沢八社随一、正八幡と称され、人々の尊崇を集めてきた。秋の例大祭には30台もの神輿が出て、境内一帯は人々で賑わう。とくに神輿が境内に繰り込む時は圧巻で、まるで絵巻物を見るようだ。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、下北沢と北沢八幡神社について

下北沢と聞けば、多くの人が世田谷の繁華街・・・と認知できるほど、世間一般的に名が知られている町です。
駅周辺にはオシャレな店や流行の店が並び、流行の先端を行く町としてテレビや雑誌などに紹介されることもあります。また、劇場が多いことから演劇の町、或いは町を歩く若い人が多い様子から若者の町とも言われています。
知名度抜群の下北沢ですが、地名や住所の下北沢は存在しません。住所表記だと、北沢とか、代沢。代沢は隣の代田と北沢を足して2で割った地名になります。
では、なぜ北沢ではなく、下北沢と人々に呼ばれているのか。それは駅名が下北沢だからで、駅名が下北沢と名付けられたのは、かつてこの付近一帯が下北沢村と呼ばれていたからになります。

「七沢八社随一 正八幡宮」と書かれています。
その旧下北沢村の村社だったのが北澤八幡神社になります。創建についてははっきりしていませんが、文明年間(1469~87)に世田谷城主の吉良頼康が勧請したと伝えられています。
江戸時代になると、下北沢村は栄え、それとともに神社も立派になっていきました。その様子は世田谷七沢八八幡随一と称えられるほどだったとか。実際、七沢八社随一正八幡宮と書かれた嘉永七年(1854年)の扁額も残っています。
この七沢は「北沢」「池沢(池尻)」「馬引沢(上馬、下馬)」「野沢」「廻沢(千歳台)」「深沢」「奥沢」を差しているのではないかと考えられていますが、八つの八幡様の方は具体的にどこの神社を指しているのかはわかっていません。
でも、沢が多い地形と、源氏の戦勝祈願伝説によって八幡神社が多く残る世田谷を的確に表していて、さりげなく「この神社は世田谷で一番立派だよ」と褒めて称えていたりします。

実際にそうだったのか。それは分かりませんが、江戸時代、1830年代に書かれた江戸名所図会では、森厳寺境内にある淡島神社の立派さに目を奪われてしまいます。
江戸時代には森厳寺が淡島神社(粟島社)と北沢八幡神社を管理する別当寺でした。淡島神社は江戸市中に名が知れるほど有名で、実際淡島通りと通りの名になっているほどです。
それに江戸名所図会に描かれている他の地域の神社の様子などと比べてみても、少し微妙に感じます。とはいえ、七沢八八幡随一の扁額が描かれたのはその20年後。北沢地域の発展とともに、一気に盛り返したのかもしれませんね。

鳥居のある広場は遊具のある北沢八幡児童遊園になっています。
北沢八幡神社は下北沢地域の南側、北沢川にほど近い場所にあります。神社のすぐ近く、同じ筋に森厳寺という由緒ある寺があり、また地主の家も幾つかあります。鉄道が発達する前は、この界隈が下北沢の中心地として栄えていたようです。
神社は三層構造になっていて、一番下の鳥居から続く通路の横は、遊具の置いてある区の北沢八幡児童遊園となっています。神社が区に土地を貸しているのでしょうか。それとも区に土地を売却したのでしょうか。その辺の事情は分かりませんが、近くに幼稚園もあることから子供たちがよく遊んでいます。

昭和の日に行われる昭和祭で奉納されます。
階段を上がった二層目は、神楽殿と神輿舎のある広々とした広場になっています。秋祭りの際には、この広場に各町会の神輿がやって来て、人と神輿で埋め尽くされます。
北沢八幡神社の神楽殿は、明治26年に建立されたものです。存在感のある大きな屋根が特徴で、堂々としたたたずまいをしています。平成16年に大改修が行われているので、現状でも比較的新しく感じます。氏子地域には建築関係の職人さんが多いので、こういった修繕はお手の物でしょうか。
神楽殿の建築に当たっては、当時の村人は「どこよりも立派なものを建てたい」と、鎌倉の鶴岡八幡宮まで調べに行ったという逸話が残っています。
実際、区内の神楽殿の中でも抜きんでた存在だと思います。神楽殿に力を入れられるのは財力があるからで、なかなか神楽殿にまでお金をかけることができないのが実情です。
この神楽殿では、秋祭りで奉納の舞いなどが行われるのはもちろんですが、関係団体の演技の発表会に使われたり、4月29日には昭和祭が行われ、その時に奉納狂言会が行われたりしています。

立派なイチョウの木があります。
更に高い場所にあるのが、拝殿と本殿。そして、末社や社務所です。拝殿は昭和53年に改築され、コンクリート製の近代的な建物になっています。
拝殿前の階段脇には立派なイチョウの木があり、その様子は、まるで鎌倉の鶴岡八幡宮の縮小版みたい・・・。神楽殿を参考にしているぐらいなので、このイチョウの木もそうなのでしょうか。と、勘ぐってみたりして・・・。

拝殿の左側に並んでいます。

拝殿の右側にあります。
拝殿の左手には小さな社が並んでいます。その中にはきちんと屋根で覆われている古い社がありますが、それは嘉永5年(1852)に建築された産土社で、今の本殿が建てられる前にあったものです。
その他にも有名なお屋敷にあった野屋敷稲荷社や高良玉垂社、円海稲荷社、弁天社、愛宕稲荷社といった地域の神社が境内に移され、祀られています。

秋祭りの賑わいは有名ですが、新年の賑わいもかなりのもので、参拝者の結構な行列ができます。
その他、季節に応じて厳かに神事が執り行なわれています。また舞踊などの練習会場として社務所を提供していたりと、地域に根付いた神社にもなっています。
2、北沢八幡神社の秋祭りについて

北沢八幡神社の秋祭り(例大祭)はせたがや百景に選ばれ、「多くの神輿が宮入してくる様子は時代絵巻のよう」「その規模は山の手髄一」と紹介されるなど、区内では有名なお祭りです。
なぜ下北沢で祭りが盛んなのか。大きな商業圏で人が多いというのもありますが、関東大震災を契機に郊外へ移り住む人が増え、世田谷が爆発的に人口が増えていったことに理由があります。
それはどんどんと田畑が整地され、建物が建てられていくことであり、鳶などの建築関係の職人さんの需要が非常に高く、引手数多な状態でした。当時、腕のいい職人が多く暮らしていたのが、東京の下町。その下町から職人も多く世田谷に移住してきました。

入り口付近は常に人が多く、賑やかな感じがします。
そういった職人さんが多く移り住んだのが、下北沢界隈になります。とりわけ神社がある代沢地域は、政府高官などが暮らす高級住宅地。関東大震災後に分譲が始まったので、腕のいい職人の需要が非常に高かったのです。
職人さんが移り住んだのは、比較的土地の安かった池ノ上から東北沢にかけて。この移住してきた職人たちを中心に下北沢に神輿文化が根付いていきました。
ちなみに、下北沢の南に位置する三軒茶屋にも下町から多くの人や商店が移住してきていて、下の谷商店街を形成しています。三軒茶屋の太子堂八幡神社の神輿も下北沢ほどではないにしても、なかなか活気があり、華やかなものです。
といったわけで、三軒茶屋から下北沢にかけては、世田谷を代表する商業地域であると同時に、お祭りも下町ばりの活気があったりします。

版画調のなかなか味のあるポスターです。
祭礼の時間や奉納芸能の内容に関しては、年によって違う場合がありますので、そのことを留意してお読みください。
現在の祭日は、9月の第一土曜日に宵宮、翌日曜日に本祭となっています。土曜日が基準となっているので、日曜日から9月が始まる場合は第二週末になります。

結構人気があるようでした。
宵宮の日は、神楽殿で神代神楽を中心に奉納演芸が夕方から行われます。神楽は、毎年、吉村社中によって舞われ、私が訪れた年には稲荷山、熊襲征伐、八雲神詠などの題目が演じられていました。
かつては、祭りといえば神楽でした。どこの神楽団が来てくれるのだろう。今回の演目は何だろう。と、神楽を楽しみにしていた人が多くいました。しかし時は流れ、昭和後半頃から下火になり、現在では興味を持つ人はめっきり少なくなってしまいました。
世田谷区内の祭りでの神楽の人気はいまいちで、現在では神楽を呼ぶのをやめてしまった地域が多いです。
でも、ここでは神楽殿前の広いスペースには椅子が並べられ、お年寄りを中心に見学者が多かったです。多くの人が楽しそうに神楽を見ている様子を見ると、ここでは神輿以外でもしっかりとお祭り文化が根付いているんだなと感心しました。

ガールスカウトの団員によるものです。
神楽の合間に行われる奉納演芸は、お囃子、舞踊、巫女舞などが演じられます。巫女舞は境内にもお店を出しているガールスカウトの団員が努めていました。
まず最初に舞われるのが、迦陵頻(かりょうびん)。子供の舞人四人が鳥の姿をして舞う童舞で、祇園精舎の供養の日、極楽にいるといわれているめでたい迦陵頻伽という霊鳥がやってきて、舞ったありさまを妙音天(弁才天)が舞にしたものです。区内ではここだけで舞われているかと思います。
この後は、巫女装束で豊栄の舞が舞われます。4人舞い、6人舞いと多くの巫女さんによって舞われ、なかなか華やかです。
お神輿に関しては、宵宮も町域によっては担がれますが、翌日の宮入に備えての肩慣らしといった程度の短いもので、子供神輿や太鼓山車が中心になります。

お囃子は北沢囃子保存会によるものです。境内は常ににぎわっているといった感じです。
本祭の日は、神社の境内だけではなく、下北沢の町全体が賑やなお祭りモードになります。
ハイライトである各町会の神輿宮入は13時からですが、それは茶沢通りから各町会が揃って出発する時間で、各町会は自分の地域からそこまで担いで行かなくてはなりません。
町を歩いていると、昼前からあちこちから威勢の良い声が聞こえてきます。神社でも午前中からお囃子や獅子舞が奉納され、宮入に向けて祭りのボルテージが上がっていきます。
宮入は子供神輿、大人神輿の順番で行われ、全ての神輿が宮入を追えると、14時半(15時の時もあり)から祭典式が齋行されます。それが終わると順次御神輿が神社から出て各町会に戻っていきます。

こちらも意外と人気があるようでした。
神社から神輿が出てしまうと、人でごった返していた境内が一気に寂しくなりますが、17時から神楽殿で宵宮同様に奉納演芸が行われます。
まず舞踊が行われます。舞踊では前日同様の巫女舞に続いて、琉球舞踊、インド舞踊、ベリーダンス、日本舞踊などが演じられます。
20時から舞楽は、神社で練習を行っている雅楽道友会という団体によるもので、20年以上も前から例大祭で舞を行っているそうです。
夜の闇に浮かび上がった神楽殿で、ゆったりとした日本古来の管弦の調べと独特の衣装に身を包んだ舞を見ていると、過去の時代にタイムスリップしたような気分になる事でしょう。
華やかな神輿宮入が注目されがちですが、奉納演芸の方も結構充実していて、演劇祭や音楽祭などが行われる芸術の町下北沢らしい奉納演芸になっているように感じます。

提灯に明かりが灯ってきれいです。
北沢八幡神社の祭りは別の方面でも有名なことがあります。それは1993年に地域で協力して暴力団系の出店排除を実施し、暴力団と関係のある露天商を締め出しに成功したことです。
2011年に東京都暴力団排除条例が施行されるにあたって、そのモデルケースとしてその取り組みや祭の様子がマスコミに何度も取り上げられました。
もちろんその道のりは平坦ではなく、暴力団からの嫌がらせがあったり、露店の減少によって祭りの活気がなくなるといった問題もあったようです。
現在の北沢八幡神社のお祭りはそこそこ人が集まり賑やかですが、祭りの規模に比べると露店の数が少なく感じるのは、そういった事情があるからです。その分、地元の団体や商店街の人が頑張って店を出して祭りを盛り上げています。
3、北沢八幡神社の神輿宮入

各町会の高張り提灯が勢ぞろいです。
北沢八幡神社の秋祭りのハイライトは、百景の紹介分にあるように次から次へ神輿が神社に入ってくる宮入です。
毎年、神社の氏子地域の8つの睦会(町会)の神輿が勢ぞろいし、連合で渡御し、順番に神社に入ってくる様子はとても見ごたえがあります。
現在は各町会大人神輿は1基で参加しているので、20基以上の神輿が威勢よく宮入してくると書かれているものもありますが、威勢よく宮入してくる大人神輿は8基で、年によって宮神輿が加わって9基となります。
ただ20基以上のお神輿が下北沢の町を練り歩くといった表現は正しく、睦会によっては町会渡御に子供神輿が2基運行されたり、佳境に入る夕方になると女神輿が短時間だけ運行されたりと、多くの神輿が町を練り歩きます。

子供たちも揃いの半纏を着て宮入を行います。
日曜日の昼頃、各睦会の神輿が茶沢通りの代沢三叉路から駅方面に入った通り、代沢5丁目の世田谷代沢郵便局前辺りに集合してきます。
多くの町会は早めにやってきて、ここで昼食休憩となるようです。大人の神輿が休憩中、一足先に子供神輿が神社に向い、宮入を行います。
子供神輿も大人神輿同様に威勢よく・・・、とはいきませんが、元気よく宮入りしてきます。
大人が張り切っているから仕方なく・・・。お菓子をもらえるからとりあえず・・・。というのが、実際のところでしょうか。付き添いの父兄の方が張り切っている場面も多々見受けられました。

なかなか壮観な眺めとなります。
13時になると、年番町会を先頭に茶沢通りを一列になって神輿が行進し、神社に向かいます。
8基の神輿が茶沢通りを一列になって渡御する様子は圧巻で、担ぎ手の多さからしても世田谷で一番の祭りと言われるのも納得できます。

ここから階段を上るので大変です。
茶沢通りから森厳寺西交差点を曲がり、森厳寺の門前を進み、北沢八幡神社の前へ。そして一の鳥居をくぐって、階段を登って神社に宮入します。
宮入の華はやはり一番手での宮入です。まだか、まだかと神輿がくるのを心待ちにしていた観衆の声援を浴びるのは気持ちいいものです。

拝殿前まで行かず階段下で差し上げます。
神輿が入ってくる度に歓声が上がり、境内が賑やかに、そして混雑していきます。最後の方になると宮入しても境内が混み合っていて、ぶつかって喧嘩にならないようにと窮屈な感じの担ぎ方になってしまいます。
また、一旦神輿を担ぐと宮入が終わるまで神輿を降ろすことができないので、最後の方になると地味に大変です。華やかな境内とは違って神社の外では担ぎ手が苦しそうにしているのはあまり知られていません。
そういった事から不公平をなくすために宮入の順番は一年ごとにずれていきます。

人と神輿で溢れかえります。
全ての神輿が宮入が終わると、境内は神輿と人で溢れかえり、パンク寸前です。
14時半頃から神事が神楽殿で行われます。その後順番に宮出しが行われ、神輿はそれぞれの町会へ戻っていきます。
このような連合で宮入するスタイルは昔からあったものではなく、下北沢では伝説の人、金子葬儀店の社長金子省吾さんが1970年頃に考案したものだとか。
また、南部睦に所属していた金子さんが浅草に出向いて1000万円のお神輿をポンと買ってきたという話は、神輿関係者の間で今でも語り継がれているそうです。
4、北沢八幡神社の個性的な睦会
* 惣町睦会 *

特別な時にだけ運行され、担ぎ手も選ばれた人のみでした。
北沢八幡神社の神輿渡御が魅力的なのは、所属している睦会の多さと、その睦会が個性的なところにあります。
睦会というのは神輿を担ぐ団体のことで、神輿チームみたいなものです。ホームグラウンドとして自分の町域を持っていることが多く、下北沢でも町域によって8つの睦会が所属しています。
更には、この8つの睦会を束ねる目的で作られた「惣町睦会」というのもあります。各睦会から5人ずつ代表として寄り合って全体を上から調整する役割を担っています。
今でこそ社会ルール、交通規則に則って神輿を運航していますが、昭和のころは小競り合いが絶えなく大変だったそうです。

惣町睦会は町会を持たない睦ですが、戦時中に東京で3番目に大きいと言われた神輿を所有していました。
この御神輿は四南睦にあったもので、昭和初期に作られた彫刻の立派な御神輿です。「百貫御輿」といった愛称で呼ばれているように、その重さは400キロ以上あります。
担ぐにしても重すぎて担ぎ手が集まらず、ずっと神輿蔵で眠っていましたが、修復したのちに神社に寄贈されました。現在では宮神輿の扱いになり、何年かごとに担がれるようになりました。
* 宮本睦会 *

高級住宅地がお膝元なので比較的上品な睦会です。
名前の通り、神社の周りに位置するのが宮本睦会です。神社があるのが代沢3丁目で、その北側、池の上駅にかけてが代沢2丁目で、だいたいこの辺りが町域になります。
この住所を見てわかる人はわかると思いますが、超高級住宅地です。せたがや百景にも選ばれるほど古くからの高級住宅地で、戦前から高官や著名人が多く暮らしていた地域です。
実際に歩いてみると、ビックリするぐらい敷地の広いお屋敷も多々あったりします。そういった地域なので担ぎ手がいなくて苦労をしている睦でもあります。お互い提携しているようで住所的に町域が被る下代田東睦会の半纏も多いです。
全般的には高級住宅地にあるために上品というか、余裕があるというか、大人しい感じの睦会といったように感じました。地域を代表する地主のお宅も幾つかあるので、資金的に余裕があるせいかもしれませんね・・・(勝手な想像)。
大人神輿は日曜日の大祭日にしか運行されませんが、年によっては夕方から女神輿を運行しているようです。
* 代五睦会 *

とっても元気のいい睦会です。
神社の西側に位置するのが代五睦会です。茶沢通りを含んだ代沢5丁目が氏子地域で、連合宮入の時には全ての睦会の御神輿が代五睦会のお膝元である茶沢通りに集合し、神社に向かって進みます。
代五の特徴は、担ぎ手の勢いというか、テンションの高さが尋常ではないところです。夜、茶沢通りを元気よく担いでいたり、雨の中を担ぎ手も神輿もずぶ濡れになりながら担いでいる姿を見ると、そう感じてしまいます。
外国人の姿もたまに見かけ、性別、人種、年齢など関係無しにお祭り好きが集まっているといった印象が強い睦会ですが、逆の見方をすると、一車線規制のところを広がって歩いたりと、警察や一般通行人や通行車に白い目で見られることの多い睦会でもあります。
ここの半纏は青系の淡い色と色自体は地味なのですが、背中には赤い背景に黒文字でくっきりと代五と書かれていて、後姿は一際目立ちます。
* 代四睦会 *

昼間は静かな睦会です。
代五、宮本よりも南側、北澤八幡の氏子地域の南端に位置するのが代四睦会です。
代沢4丁目を中心とした地域ですが、代沢4丁目の全てが氏子地域ではなく、代田八幡神社の氏子地域も含まれます。
氏子地域は狭く、左右を代田八幡神社の氏子地域に挟まれ、南側は太子堂八幡の氏子地域といった土地柄もあって神輿の担ぎ手の半纏は様々です。特に下代田西睦会の半纏が多いようでした。
担ぎ手の数は他に比べると少なく、こじんまりとした印象の強い睦会です。特に代五の後に続いて、集合場所に向かう様子を見ると、おとなしいというか、ルールを守り大人びているといった印象が強くなります。
ただ夜になると、元気になるというか、人が増えて賑やかな感じになり、昼間とはちょっと違った感想になるかと思います。
* 南部睦会 *

南口の商店街を中心とした睦会です。
神社の北側、下北沢駅の南口の商店街を中心とした地域を町域とするのが南部睦会です。神酒所は新しくできたレシピシモキタ(ダイエー?)付近にある南口商店街事務所に設置されます。
この地域は小さな小売店が並び、狭いながらも賑やかな通りが多いのが特徴で、古くからの下北沢らしい地域でもあります。
そういった雰囲気のある町域なので、ここで担ぎたいといった担ぎ手も多く、なかなか外部の人間が担ぐことができないと聞きます。
連合宮入の集合場所は目と鼻の先ですが、集合前に駅の南口に「新野睦」「四南睦」がやってきて連合で賑やかにメインストリートを練り歩いて集合場所に向かうと聞きましたが、再開発が進む今ではどうなのでしょう。
担ぎ手やお神輿の雰囲気に関してはちゃんと見ていないので、分かりませんが、現在の北沢八幡神社の神輿渡御の基本を整備した金子さんが所属していた睦会なので、色々とこだわりなどがありそうです。
* 新野睦会 *

阿波踊りで知られる一番街商店街の睦会です。
下北沢駅の北側、南部睦会と同じ北沢2丁目という住所になりますが、井の頭線を境にした北側を町域にしているのが新野睦です。神酒所は下北沢一番街商店街事務所に設置されます。
ここはしもきた商店街と一番街商店街、北沢2丁目共和会と北沢3・4丁目西町会で構成されているといった大所帯であり、また下北沢の商業中心地でもあります。
一番街商店街といえば商店街を挙げて行われる冬の天狗祭りと夏の阿波踊りが有名なように、とてもお祭り好きな商店街です。普段から活動を共にしているため睦会としての団結感があり、神輿渡御でも仲良く楽しそうに担いでいて、担ぎ手の笑顔が一番多い気がします。
* 四南睦会 *

池ノ上北口商店街を中心とした硬派な印象の強い睦会です。
下北沢駅の東側のエリア、北沢1丁目を中心とした地域に位置するのが四南睦会です。小田急線を挟んだ北側にある北沢3丁目を中心とした東北沢睦会とは旧町域では同じ睦会だったという歴史があります。
下北沢でも池の上駅の北側から東北沢駅周辺といった地域は古くから大工関係の職人が多かった地域で、地域を挙げてお祭りの盛んです。
神酒所が盛大なのもこの地域の特徴です。どちらの睦も若い担ぎ手が多く、他からの応援なしでも担げてしまうほど大きな睦会を維持していて、区内の他の睦会から羨望のまなざしで見られています。
大人神輿は土曜日から担がれ、池ノ上駅北口商店街を中心に練り歩きます。硬派なイメージが強い睦会です。
* 東北沢睦会 *

若い担ぎ手の多い睦会です。青い半纏もなかなか目立ちます。
下北沢駅の東側のエリア、北沢3丁目を中心とした地域に位置するのが東北沢睦会です。旧町域では四南睦会と同じ睦会で、小田急線の開通で町域が分断され、小田急線の北側が東北沢睦会となりました。
四南睦会のところでも書きましたが、京王線の池の上駅の北側から小田急線の東北沢駅周辺の地域は古くから大工関係の職人が多かった地域で、地域を挙げてお祭りが盛んです。
東北沢睦会の御酒所は茶沢通りの終点地点にある北沢公園に設置されますが、仮設にしてはなかなか立派なものです。このへんは伝統的に大工の血が騒ぐのでしょうか。
また、担ぎ手は基本的には地域内の人たちだけで、青い揃いの半纏で担がれます。
四南睦会同様、他の睦会からの応援なしで担げてしまうほど大きな睦会を維持していて、区内の他の睦会から羨望のまなざしで見られているそうです。
* 四五睦会 *

一番遠くから神社にやってくる睦会です。
一番北側、かつての北沢1丁目である北沢4丁目、5丁目に位置するのが四五睦会です。
神社から最も遠い町域となり、神社まで普通に歩いて片道2キロほどあります。神社からあまりに遠く、重い神輿を担いで往復するのが大変なので、神輿をやめようといった話が出たり、神輿を出すのを2年に1度にしてみたり、トラックで途中まで運んだりするなど苦労してきた歴史があります。
平成15年には神輿を新調し、今ではなるべくトラックを使わないようにと頑張っているそうです。見かけたら頑張ってと声を掛けたくなるような睦会です。
5、感想など

どれだけ祭りの歴史を重ねてきたのでしょうか。
下北沢の町は若者の街と言われるように、若者が文化を作っている町でもあります。町の小売店では流行のものや個性的なものが並び、買い物や乗り継ぎで立ち寄る若者がファッションなどの流行をつくり、また幾つかある演劇場では若手俳優や芸人が熱演し、それを見る人が感銘を受けています。
町では商店街全体が劇場となる阿波踊りや音楽祭が行われ、町全体で様々な文化が生まれています。町全体が、そしてそこで暮らす人々が生き生きとしているように感じるのが下北沢です。
そういった下北沢独特の土地柄、もちろん私個人の思い込みの補正が多分に含まれますが、北沢八幡神社の祭礼では担ぎ手一人一人に人間臭さ、ドラマ性を感じ、奉納演芸の踊り手は舞台に立つ女優のように輝いて見えてしまいます。
きっと観客を含めて祭りに関わっている全ての人がしっかりと自分の役割を演じているのでしょうね。下北沢という大きな舞台で。そんな壮大なスケールで繰り広げられる北沢八幡の秋祭り。ぜひ見に出かけてみてください。
せたがや百景 No.10北沢八幡神社の秋祭り 2025年5月改訂 - 風の旅人
6、地図・アクセス等
・住所 | 代沢3丁目25−3 |
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・アクセス | 下北沢駅から徒歩 |
・関連リンク | 北澤八幡秋まつり実行委員会 |
・備考 | 例大祭は9月第1週末。実行委員会のフェイスブックで日程やスケジュールを公開しています。 |