代沢阿川家の門
代沢3-9-16(個人宅)江戸時代にこの一帯の名主だった阿川家の門は美しい紅殻色に塗られている。屋敷林の緑、そして紅葉のとき、門の色に照り映えても見事である。門越しにのぞく母屋も昔の名主屋敷の遺構を残し、代沢のまちの歴史をとどめた静かな一角だ。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、代沢阿川家の門について

2008年の様子です。現在では柵が設けられていて、少々事情が違うようです。
代沢の住宅街、北沢八幡神社から程近い場所に、高くそびえたケヤキの巨木と赤くて大きな門があります。
明らかに尋常ではない佇まいをしているので、通る人は、お寺?江戸時代の武家屋敷跡?東大のレプリカ?なんの文化財?などと気になるはずです。それぐらいインパクトのある一画です。
ここは阿川さん宅で、この阿川家は、江戸時代にはこの地域の寄場名主という役職を務めていました。簡単に言うならミニ代官様といった感じでしょうか。
更には、将軍家も休息所に使っていたというお家柄だったそうですし、「阿川の森」と呼ばれるような広大な敷地も擁していたそうです。そう聞くと、この門の立派さに納得です。

*国土地理院地図を書き込んで使用

私が訪れたのは2008年ころ。門は健在なものの、百景選定当時と比べて雰囲気が変わっていました。敷地内に見える母屋は今時の建物になっていて、周りの風景もおしゃれな感じになっていました。
というより、古い赤門が今時の洋風の建物の間に埋まっている・・・、といった感じ。でも、不思議とそんなに違和感を感じませんでした。

近年補修されたようでかなりきれいでした。
阿川家の門は、屋根にあった棟札に享保6年(1721年)とあったということなので、300年の歴史を持つ門ということになります。
元は茅葺でしたが、関東大震災後、飛び火で燃えないようにと、瓦葺に修繕したそうです。その時に傷んだ木材にベニガラと光明丹を柿渋で溶いたものを塗ったのが、朱色となった始まりとなるようです。
門に近づいてみると、門はきれいな朱色に塗られ、屋根もきちんと補修されていました。風雨による劣化がほとんど感じられないほどです。補修前の状態がどの程度だったのかは分かりませんが、相当な手間と金額がかかったはずです。
田舎にある私の親戚の家も文化財だったかに登録されていますが、補助金などはほとんど貰えません。あまり詳しくありませんが、国の重要文化財とか、美観地区に指定されているとか、何か特殊な事情がない限り、個人が住んでいる家を補助金(税金)で修繕したりしないからです。
この場合も恐らくそういったケースで、門はせたがや百景に選定されているし、先祖の誇りなので残すとして、それ以外の旧主屋は古くなってきたし、維持するのが大変だし、暮らしにくいし、文化財に指定されると色々と面倒だし、今時の家に建て直してしまおう!といった感じだったのではないのでしょうか。これも時代の流れというやつです。
ほんと、年代物の古い家は維持するのが大変ですし、よほど愛着がない限り都会では暮らしにくいものです(空調、防犯、火災、耐震、雨漏り、シロアリ等々)。

時代の流れといえば、私が訪れたときは門の周辺が公園のようにきれいにしてあり、夜にはライトアップされ、見学者ウエルカムといった感じだったのですが、グーグルのストリートビューを見ると、2017年に柵が設けられ、それ以降は門に近づくことができなくなっているようです。
近年では観光公害という言葉が一般化しているぐらいだし、以前よりも凶悪な強盗事件が増えているといった社会事情もあります。そもそもとして、せたがや百景と言えども個人の私有地。しょうがないですね。
2、感想など

代沢の住宅街の中に忽然とある阿川家の赤門。今どきの東京の住宅地の中にあっては、いまいちしっくりしないような気もするのですが、これはこれでモダンでもあるような・・・。門の前で立ち止まってみると、どっちとも取れるのでなんとも感想に困ってしまいます。
ただ、付近の高級住宅地などを散策した後で振り返ってみると、今どきの豪邸などよりも気高く、気品のある存在だったかなと思えます。もちろんそれはきちんと修繕され、手入れしてあるから、そう感じるのでしょう。きっとこの門の存在は阿川家の誇りとか、魂なのでしょうね。
せたがや百景 No.9代沢阿川家の門 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 代沢3丁目9−19 |
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・アクセス | 池ノ上駅、下北沢駅から徒歩 |
・関連リンク | ーーー |
・備考 | 個人宅なので、見学には配慮が必要。 |