世田谷散策記 タイトル
せたがや地域風景資産 #1-11

深沢の屋敷林(旧・秋山の森と旧秋山邸)

深沢6丁目10-1

母屋は大正4年築で、茅葺のセガイ造りである。農家としての歴史を語る建築物である。母屋の周辺の樹木は、「秋山の森」と呼ばれる屋敷林である。(選定当時の紹介文の引用)

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1、深沢と秋山邸について

世田谷代官屋敷(ボロ市通り)の写真
世田谷代官屋敷(ボロ市通り)

世田谷一の家系といえば代官の直系大場家でしょうか。

「世田谷三大地主」って聞いたことがありますか?インターネットで調べていて見つけたものですが、なんでも膳場家、大場家、秋山家だとか。

膳場家は戦国時代に世田谷を支配していた吉良氏の配下、膳場将監の子孫にあたる家系で、世田谷城主であった吉良家が滅亡後、帰農して三軒しかなかった下北沢の地を開墾した一族になるようです。言ってみれば、下北沢の生みの親的な存在となるでしょうか。

大場家は、言わずと知れたボロ市通りの代官屋敷で、世田谷代官を代々務めた家系。こちらも吉良家家臣だった一族。そして秋山家は、深沢の大地主になります。

ただ、これは膳場家出身の元NHKアナウンサー膳場貴子さんの紹介文で用いられることが多い言い回しで、誰が言いだしたのかは知りませんが、実際にそういった三大地主なんていう定義はありません。

そもそも三大○○というのは、3番目以降の立場の人が使う宣伝文句なので、よく聞くような日本三大○○的なことはあくまでも話のネタとして考えたほうがいいです。

秋山邸の写真
秋山邸

緑に囲まれ、立派な門のあるお宅です。

三大地主とか、格付けとか、そういったことを抜きにしても、この三家はいずれも世田谷で名が知られている地主であることには変わりありません。

その中でも今回は秋山家がテーマとなっていて、せたがや地域風景資産には、最初「秋山の森と旧秋山邸」といったタイトルで選ばれていましたが、後に「深沢の屋敷林」と名が変えられました。

この秋山家、先にあげた地主の大場家、膳場家についてはインターネットで調べると情報が色々と出てくるのですが、秋山家についてはほとんど情報がないのが実際のところです。ある意味なぞの地主、いや、謙虚な地主というべきなのでしょう。

まず秋山家がある深沢について書くと、深沢といえば、その名前の通り深い沢の地といった感じで、呑川とその周辺の湧水のたまり場を中心に沢を形成し、付近も雑木林や畑ばかりの寂しい土地でした。

江戸時代になると天領となり、純農村として発展します。明治時代までは開発とは程遠い地域で、現在の駒沢公園がある場所などは明治天皇の兎狩りの狩場となり、呑川沿いの竹やぶはタケノコの産地となっていたという話です。

1940年頃の深沢周辺の航空写真(国土地理院)
1940年頃の深沢周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

深沢村が開けてきたのは、明治後半から大正時代の初めにかけてで、大正二年に東京ゴルフクラブの会員達が深沢村から土地を借りて駒沢ゴルフ場を造ったり、郊外型別荘地として新町住宅街が造成されたり、日本最初の園芸専門の園芸高校が建設されたりしました。

その後、オリンピック開催のために駒沢競技場が造られ、周辺の道路が整備され、気が付くとこの界隈は住宅で埋まり、今では閑静な高級住宅地として名が知られていたりします。

1990年頃の深沢周辺の航空写真(国土地理院)
1990年頃

国土地理院地図を書き込んで使用

2017年の深沢周辺の航空写真(国土地理院)
2017年

国土地理院地図を書き込んで使用

秋山家本宅があるのは駒沢公園の西側で、駒沢公園通りと駒沢通りと呑川に囲まれた深沢6丁目となります。まあ6丁目に限らずこの付近一帯が秋山家の土地だったようですが・・・。

あまり情報のない秋山家ですが、幾つかの記述を抜粋すると、江戸時代の元和から寛永年間に烏山の秋山喜兵衛から分家し、深沢に移ったとされています。その頃は質屋と油屋を商いとし、「油屋」の屋号を称していました。

駒沢通りと駒沢公園通りの交差点付近にある深沢不動は、明治31年に10代目秋山紋兵衛氏によって成田不動尊の分霊を迎え、盛大な入仏供養式が行われています。

深沢地区の区画整理施行の際には、先頭に立って遂行し、深沢小学校の敷地を寄付したとなっています。中町(旧野良田村)の人の多くは小作料を秋山家に納めていたといった記録もあります。

秋山邸の前の通りの写真
秋山邸の前の通り

この一帯が緑に囲まれています。

秋山邸の前の通り2の写真
秋山邸の前の通り2

別の角度からですが、どの角度から見ても緑だらけです。

実際に秋山邸の本宅がある場所を訪れてみると、その一角が丸々森となっていてビックリすることでしょう。

さらには周辺の区画も森や畑だらけ。一体どこまでが秋山家の土地なのだろう・・・。って考えるまでもなく、恐らくほとんどが秋山家とか、分家などの敷地に違いありません。

秋山の森と大袈裟なタイトルがついているのも納得というか、本当に森なんだ・・・。ちょこっと木々があるだけじゃないんだ・・・。恐れ入りました・・・といった気分になってしまいます。

とりわけ秋山邸のある敷地を取り囲んでいる屋敷林の凄い事。都内でこれだけのものはなかなかお目にかかれるものではありません。

これだけ広いと管理も大変だろうし、補助金出るの?とか、税金対策はどうしているのだろうか?などと、スケベ心にお金のことを気にしてしまうのは庶民の性でしょうか・・・。

ただ、古い記述を読むと、秋山の森というのはこういった屋敷林とかではなく、秋山邸の北側に広がっていた杉林のことを差していた事もあったようで、過去には幹の太い杉が多くある立派な杉林を所有していたそうです。

秋山邸の冠木門の写真
秋山邸の冠木門

シンプルながら力強い印象を受けます。

改訂前のタイトルにあった旧秋山邸は、道路沿いにある冠木門の後方に見ることができました。

ちょっと遠目だったし、木々で隠れていたので、大きな古民家があるというぐらいしか分かりませんでしたが、紹介文によると、母屋は大正4年築で、茅葺のセガイ造りだったようです。農家としての歴史を語る建築物であることから、そのまま民家園に持っていけば目玉になるような建物になったのではないかと思われます。

旧秋山邸ということで、私が訪れた2010年はもちろん、ずっとそれ以前から古民家で暮らしていないようです。同じ敷地内に立派で近代的な邸宅がありましたから・・・。

この茅葺の旧秋山邸は、2018年頃に取り壊されてしまいました。古くなって倒壊等の心配があったからでしょうか。仮に直しても、使い道はないでしょうし・・・。というより、修繕して文化財になってしまうと、面倒が増えるだけです。

もちろん、文化財であることで価値や収益を生み出すのなら、文化財であることを強調したくもなりますが(観光客の多い宿場町など)、一般のお宅では文化財に指定されると、ちょっとした修理をするにしてもいちいち許可が必要になり、面倒事や厄介ごとが増えるうえに、無駄にお金がかかって苦労します。

なので、文化財貧乏、文化財ストレスにならないためにも、さっさと処分するのが吉というのが、実際のところです。

そのほか、古い江戸時代の地図を見ると、敷地内に池があったようです。やはり地主ということで、ちゃんと湧き水がでる土地を押さえていたということでしょうか。

古い記述には、秋山の森の谷戸頭から呑川に流れる伊之助堀は、どんなに日照りでも水が涸れることがなかったとありますが、この池の水源がそうだったのでしょうか。

とまあ、色々と興味が尽きないのですが、個人のお宅なので中には入れないのが残念なところです。

ただ、第二回の地域風景資産が選定された年、平成20年には見学会(オープンガーデン)が催されたそうです。また、NPO法人せたがや街並保存再生の会が行っている町歩き見学会で、秋山邸を訪問していたこともありました。

現在では建物が取り壊されてしまったし、タイトルからも秋山邸の文字が消えてしまったので、そういった機会はもう訪れないでしょう。

秋山家の家紋の写真
秋山家の家紋

丸に紋の文字が入っています。

そういったわけで、深沢6丁目の秋山邸付近はやたらと木が多く、ありえないほど静かな環境です。どこまでが秋山家本家の土地になっているかなどは分かりませんが、周辺にある閑静を売りにしているような高級マンションなども、きっと秋山家の不動産なのではないでしょうか。

庶民からしてみれば、この辺りの地価は一体いくらだろう?資産の総額は・・・なんて考えると、なんとも羨ましい限りです。

資産といえば・・・。秋山家の家紋は○に紋が入った図柄です。これは秋山家当主の秋山紋兵衛の紋の字ということになるでしょうか。

秋山紋兵衛といえば・・・。平成元年4月。かの松下(パナソニック)の会長松下幸之助氏が94歳で死去した際に、遺産総額が2,450億円と、高額遺産のトップを更新しました。

そのときに高額遺産が話題となり、当時の高額遺産のランキングの第2位が大正製薬名誉会長の上原正吉(669億円)、そして3位だったのが、不動産会社社長秋山紋兵衛(598億円)・・・、でした。これって、この秋山さんなのでしょうか。

このご時世では珍しい名前だし、名前は代々世襲していもおかしくないだろうし、どうも世田谷の人らしいし・・・、と他には考えにくいのですが、ちゃんと確認を取ったわけではありません。

しかし凄い額ですね・・・。うらやましい反面、そんな額を税金として払えと税務署から催促がきたら・・・、鬱になりそうです。

秋山邸 植木の剪定中の写真
植木の剪定中

庭の植木や屋敷林の手入れだけで年間うん百万円かかるそうです。

週刊誌の記事に、大豪邸に住む人たちの「暮らし」と「苦悩」という特集があり、これは面白そうだと読んでみると、匿名でしたがここのお宅と北烏山九丁目屋敷林のお宅が載っていて、考え方の対比が面白いなと思いました。(記事のリンク - 週間現代

土地を守り続けることの苦悩は、大きな土地を持ったことのない人にわからないことですが、土地を持っているだけで高額の維持費がかかり、相続の際には税でごっそりと持っていかれてしまいます。持っている人の生活は、「税金との戦い」の一言です。

更には、多くのものを持っていることで、周辺の人からの妬みも受けます。私の親族も地方の地主なのでよくわかるのですが、地主というものは周辺の人の目や税務署の目が怖いので、目立たないように、角が立たないように、ごたごたを起こさないようにひっそりと生活し、ひたすら土地と家柄を守っているものです。

傍から見ていると、何が楽しくて土地にしがみつき、周囲の目を気にして生きてるのか。いや、土地に取りつかれてしまっているのでは・・・と思ってしまうほどです。

代々同じ規模で土地を守っていくというのは、税制上無理な話だし、広い土地なんだし、どうせ相続の際に減るものなんだから、減ることが前提で割り切れば・・・と、一般庶民的には思ってしまいますが、旧家の地主として小さいころから家や土地を守ることを当たり前だと思いながら育った人間にとっては、土地をそのまま維持することが信念であり、使命であり、存在意義であり、プライドであり・・・と、色々と理屈ではないようです。

こういった土地を失わないように立ち回る行動や感覚が、ご先祖様というバックボーンのない成金のお金持ちとの違いになるかと思います。

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2、秋山邸の周辺など

深沢6丁目開放樹林地の写真
深沢6丁目開放樹林地(現・深沢こもれび緑地)

秋山邸の隣にあります。元は敷地だったのでしょうか・・・。

秋山邸の駒沢公園通り側の隣地は、深沢6丁目開放樹林地となっていましたが、現在はより公園らしい感じに整備され、深沢こもれび緑地と名が変わったようです。

緑地制度というものがあり、保存樹林・小樹林地に指定された樹林を、税の優遇と引き換えに緑と親しむことができるよう一般に開放するといったものです。

おそらく秋山さんの土地でしょうから、プチ秋山の森といった感じになるでしょうか。ここは自由に入れるので、秋山の森の見学はここで我慢するしかないですね。

旧三越迎賓館の写真
旧三越迎賓館

現在は駒澤大学の所有です。桜の時期と紅葉の時期に入ることができます。

プチ秋山の森である深沢6丁目開放樹林地の北側は、旧三越迎賓館です。現在では駒大のキャンパスの一部となってしまいましたが、以前に使用していた建物や庭園は健在です。

かつて秋山本邸の北側には秋山の森があったということなので、この迎賓館のある場所は杉などが生い茂る森だったのでしょうか。

迎賓館が建築される際、どの程度昔の面影が残されたのか、どのくらい木が残されたのか、それとも全く残っていないのか分かりませんが、桜の開花時期や紅葉の時期などに無料で一般公開しているので、時期が合うなら訪れてみるといいでしょう。

秋山家の土蔵(次大夫掘公園民家園)の写真
秋山家の土蔵(次大夫掘公園民家園)

世田谷区指定文化財に指定されています。

秋山邸は非公開ですが、秋山家で使われていた建物を見ることができる場所があります。それは、喜多見にある次大夫堀公園民家園で、かつて秋山邸にあった土蔵が移築、復元されています。

この土蔵は秋山家にある多くの蔵の中でも「穀倉」として使用されていたもので、土蔵内部の祈祷札によると、文政13年頃に建築されたもののようです。

復元の際に、茅葺きの置屋根形式や外壁の鎧絵を持つ日漆喰塗が再現され、建築された時の美しい姿で展示されています。世田谷区の指定文化財に指定されています。

深沢2丁目広場の写真
深沢2丁目緑地

三田家の土蔵や門などが保存されています。

深沢の地主といえば、この地にあった深沢城(兎々呂城)城主の家系である谷岡家や、深沢2丁目付近の地主三田家も有名です。

三田家は、駒沢公園南側付近の深沢2丁目辺りの土地を所有していた地主で、駒沢公園近くの深沢2丁目緑地(旧・深沢2丁目広場)には、三田家の門や土蔵、母屋が保存、公開されています。

江戸時代の豪農ということで、基本的には秋山家の母屋と似た感じでしょうか。屋根は寄棟造草葺で屋根裏部屋では養蚕が盛んに行われていたそうです。

が・・・・・、なんと平成21年2月に母屋は火事で消失してしまいました・・・。残念です。

呑川親水公園の写真
呑川親水公園

せせらぎと桜並木が美しく、桜スポットとしても有名です。

秋山邸のある深沢6丁目は、政治家の小沢一郎氏の邸宅があることでも知られています。常に機動隊が警備している場所がそうで、事あるごとに街宣車が押しかけてきて、騒がしい時代もありました。

特に天皇家を政治利用したといった時には喧しかったようですが、近年は表舞台に現れなくなったので、警備の人も少なくなり、普通のお屋敷になったようです・・・笑。

秋山の森など木々が多く、またとても雰囲気のいい呑川親水公園もありと、とても閑静な住宅地なはずなのですが、騒々しい住民を一人でも持ってしまうと、必ずしもそうでもなくなってしまうといった悪い例ですね。

3、感想など

秋山邸 手入れの行き届いた屋敷林の写真
手入れの行き届いた屋敷林

屋敷林の様子だけでも秋山家の哲学がわかるような気がします。

深沢にさりげなくある広大な地主の土地。実際に訪れてみると、う~ん!と少なからず感嘆するはずです。

世田谷の名所とか、観光地ではありませんが、実は地方から出てきた親族を案内したこともあります。世田谷の「恐るべき名所」ってな感じでしょうか。

本来、地主はとても目立たないように生きています。この風景資産でも、地域の人に頼まれ、地域のためによかれと秋山の名を出したのではないでしょうか。

しかし、あまりにも反響があり、旧母屋を取り壊すにあたって、やっぱり名を出すのは・・・と言った感じで、タイトルの変更になったような気がします。

土地や家を守るために目立たないように耐えていく。それが正統な地主の生き方。私の中では秋山家は地主の鏡です。これからも陰湿な税務署に負けず、世間の妬みにも負けず、この深沢の風景を黙々と守り続けてもらいたいものです。

せたがや地域風景資産 #1-11
秋山の森と旧秋山邸
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所深沢6丁目10-1
・アクセス最寄り駅は田園都市線駒沢大学駅
・関連リンクーーー
・備考個人のお宅なので内部は非公開です。
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