世田谷散策記 タイトル
世田谷の秋祭り#14

宇山稲荷神社と例大祭

桜丘4-14-1

ふせぎを思い浮かべるような神輿渡御や、農村歌舞伎を思い浮かべるような舞台と演目が行われるなど、かつて世田谷が農村地帯だったころを彷彿させるような秋祭りが行われます。

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1、宇山地区と宇山稲荷神社について

桜丘の地図(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

宇山稲荷神社が鎮座しているのは、小田急線千歳船橋駅の南側に広がっている桜丘です。桜丘にはもう一つ稲荷森稲荷神社があり、大まかに桜丘4丁目が宇山稲荷神社、それ以外が稲荷森稲荷神社と氏子地域を分けています。

なぜ一つの町に神社が二つあり、氏子地域を分けているのか。それは別の村(地区)を引っ付けて行政区分上の一つの町にしたからです。

桜丘の誕生については稲荷森稲荷神社の方で詳しく書いているので、ここでは簡潔に説明すると、江戸時代は世田谷村(世田ヶ谷村)の一部で、昭和7年に世田谷区が誕生した際は、隣の桜とともに旧世田谷5丁目に組み込まれました。

世田谷の地図(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

昭和41年に大がかりな町名変更が行われました。この時に世田谷町から分離し、横根と宇山が一つの町域となり、この地にあった桜丘国民学校(現・桜丘小学校)から桜丘という名が付けられました。

現在の桜丘、大蔵、砧、鎌田という地域は、江戸や明治時代には細々と内部で分かれていたり、多くの飛び地があったので、ここだけが特別に合併したというわけではありません。この界隈は現在と昔とではかなり町域が違っています。

横根地域に埋まるように存在する宇山地域。どういう地域なのでしょう。実は、多摩川沿いにある宇奈根地域の人々が幕府の新田開発政策や洪水などを機に移り住んで開墾した土地だと言われています。

なので、最初は宇奈根山谷(うなねさんや)と名付けられていましたが、後に短縮して宇山となったそうです。そういった経緯からだと思いますが、宇山の読み方は「うやま」ではなく「うざん」になります。

桜丘 宇山 久成院の写真
久成院

宇山稲荷神社と道を隔ててあります。

宇山稲荷神社と道を隔てて南照山久成院があります。この寺の初代住職の墓に元和6年(1615年)と刻まれています。

当時は一村、一社、一寺が推奨されていたので、その少し前に移住が行われたと推測でき、恐らく天文19年(1550年)、或いは天正18年(1590年)の大洪水で被害を受け、その後、幕府の後押しなどで移り住んだのではないでしょうか。

こういった歴史的な背景があるので、同じ町域内に二つの神社と二つの文化圏があり、お互い棲み分けが行われてきました。

桜丘 神社近くのファミリー農園の写真
ファミリー農園と宇山の森

正面奥が神社の森です。休みの日には畑で精を出す人の姿も見かけます。

宇山地域は世田谷通りと環八が交わる三本杉交差点の北東に広がる地域で、なだらかな丘になっています。水の便はあまりよくなく、雑木林に覆われていた土地を開墾し、畑と雑木林が広がる純農村地域としてやってきました。

1940年後半の桜丘周辺の航空写真(国土地理院)
1940年後半(戦後)の桜丘周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

戦後の航空写真を見てもこの地域は一面畑だらけ。農村だったことがよくわかります。その後の宅地開発もゆっくりとしたもので、昭和の後半まで畑が多く残る地域で、その農村風景は「心なごむ桜丘の原風景」としてせたがや地域風景資産にも選定されるなど、魅力的な原風景が近年まで多く残っていました。

ただ、代替わりが起きると、相続税という厄介なものがあります。農地だと税金は安く済みますが、農業を引き継ぐ人がいない場合は、その限りではありません。なので、土地を宅地用に変更したり、手放す選択を迫られる場合が多いです。

そしてその広い土地には大きなアパートや介護施設、或いは建売住宅が一気に建ち並び、のどかだった風景が大きく変わってしまう場合が多いです。現在では宅地化がいっそう進み、かつての面影がほとんどなくなってきました。

宇山稲荷神社 神社の社標の写真
神社の社標

丘の上にある神社です。

純農村地帯だった宇山にひっそりとあるのが宇山稲荷神社で、宇山の人々の守り神であり、心のより所となっていました。

宇山稲荷神社の由緒は不明ですが、江戸幕府は宇奈根山谷のように新しくできた村には菩提寺と鎮守社を建立することを推奨していたので、隣地の久成院と同じ時期、江戸の初めころに建立されたと考えるのが自然です。

多摩川沿いの宇奈根にあるのは氷川神社。周辺の喜多見と大蔵と合わせて三社宮になっているほど、氷川信仰が盛んな地域です。

それを考えると、なぜ氷川神社じゃなかったのかといった疑問がもたげてきますが、氷川神社自体はマイナーな種類の神社。この地域に元々あった稲荷社を利用したとか、最初は氷川神社にしてみたけど、自分たちの生活スタイルに合わせて稲荷社に改めたとか、柔軟に対応したのかもしれません。

木々に覆われた宇山稲荷神社の写真
木々に覆われた宇山稲荷神社

この一画は森のようになっています。

社殿は、初めは南向きに建てられていたそうですが、1800年ころに悪い病気が村に流行し、氏子たちは祈祷師か何かに相談したのか、独自の判断で行ったのか分かりませんが、社を西向きにしてみたところ、病気が治まっていったそうです。以来「西向稲荷」とも呼ばれ、防ぎ神の神事なども行われてきました。

時代が明治になると、政府による一村一社の合祀令が出されました。この地は世田谷村の一部に組み込まれていたので、郷社宇佐神社、現在の世田谷八幡宮に合祀しなければなりませんでした。

ただ、この地から世田谷八幡まではかなり遠いので、形式的な感じで行われたようです。神社の土地は残され、戦後の昭和29年に改めて神社本庁所属の宗教法人稲荷神社として登記し直しています。

ちなみに、同じ桜丘にある稲荷森稲荷神社の方は合祀に断固として反対し、独立を維持しました。現在でも神社本庁所属ではない単立神社として維持されています。

宇山稲荷神社 鳥居と参道の写真
鳥居と参道

小さいながらも雰囲気のいい神社です。

宇山稲荷神社 参道の狐様の写真
参道の狐様

今は新しいものが置かれているようです。

宇山稲荷神社 木々と社殿の写真
木々と社殿

敷地面積や周囲の背の高い木々からすると、小さく感じます。

現在の神社は、世田谷通りの方から見ると、少しこんもりとしている丘の上にあるといった立地です。

神社がある場所は背の高い木々が茂っていて、宇山の森といった印象を受けます。森の中に入って行くような感じで境内に入っていくと、背の高い木々に囲まれたそこそこ広い空間があります。

その中に社殿があるのですが、敷地の広さ、周囲の木々の背の高さと比べてしまうと、社殿が小さすぎて、ちょこんと可愛らしく佇んでいるように感じることでしょう。

宇山稲荷神社の写真
社殿

小さな社殿です。

宇山稲荷神社 境内社の写真
境内社

社殿の横に三つ並んでいます。

境内には、社殿、社務所の建物があるだけで、あとは何もありません。社殿の横に三つ並ぶ境内社は、第六天、天神様、御嶽・榛名神社となります。

神社自体は平成4年に大改修が行われ、社務所、社殿、鳥居、境内社などが整備されました。比較的新しさが残り、境内も手入れが行き届いています。

簡素ながらとても雰囲気がよく、今も昔もさほど変わらず存在していたんだろうな・・・といった素朴さを感じます。

宇山稲荷神社 造営記念碑の写真
造営記念碑

平成四年の造営を記念したもので、奉仕者の名が刻まれています。

参道横には、その平成四年に整備した時の造営碑が置かれています。とても大きく、目立つ石碑で、思わず立ち止まってしまいました。

そして何の気なしに碑を見ると、奉仕者に「棚網」というあまり聞くことのない苗字が多いのに目を引かれました。小川家とともにこの地域の地主さんになるのでしょうか。

ちょっと調べてみると、某苗字検索サイトでは、棚網さんは全国では410人ほどとなるようです。その半数以上が世田谷、おそらくここ桜丘に暮らしています。

宇山の棚網家は、この地域の旧家となり、江戸時代には大工をやっていた時期もあるようですが、明治中期頃より農業を中心に営み、陸稲や畑作物を栽培していた一族になるようです。

同じ苗字の一族が狭い地域に集中して暮らしているというのは、村意識が強いということ。「棚網」という姓からも宇山の特殊性が垣間見られるのではないでしょうか。

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2、納涼盆踊り大会

宇山稲荷神社の盆踊り大会の写真
夏の盆踊り大会

賑やかな感じで行われます。

宇山稲荷神社の盆踊り大会の写真
盆踊りの様子

立派な櫓が建てられます。

調整中

3、宇山稲荷神社の秋祭り

宇山稲荷神社 秋祭りの案内2009年の写真
秋祭りの案内 2009年

昔の祭礼日は10月1日とか、10日といった記述がありよく分かりませんが、今では週末に移され、おおむね10月第一土曜日に宵宮、日曜日に本祭が行われています。

神社や氏子の都合などによっては第二週末に行われる同じ桜丘の稲荷森稲荷神社と祭礼日が重なる事もあり、その年は同じ日に同じ町域で二つの祭礼が行われるという事になります。

同じ町域なのに祭りを別々に行っていると、傍から見たらいかにも町が分断していて、住民が対立しているような印象を受けてしまいますが、特にそういった事はありません。

代々この地で暮らしている方は色々としがらみもあるでしょうが、新しくこの界隈に暮らすようになった人などは、夏の盆踊りは宇山で、秋祭りは稲荷森で、と好きな方へ訪れていたりします。

宇山稲荷神社の秋祭り 秋祭りのときの境内の写真
秋祭りのときの境内

露店も少なく、昼間はとても静かです。

秋祭りといっても、ここの場合は駅から離れた桜丘4丁目限定の祭りになるので、普通の神社のような賑わいを期待してはいけません。露店は数店しか出なく、境内に人があふれるということもなく、ひっそりとした感じで行われます。

駅前にある稲荷森稲荷神社の賑やかさと比べると寂しい感じがしますが、地域限定の祭りとして考えるなら、むしろとても頑張っていて、その頑張りに拍手を送りたいほどです。

宇山稲荷神社の秋祭り 夜の拝殿の写真
夜の拝殿

静かで幻想的でもあります。

その理由は、境内に設置される大きな舞台で行われる奉納演芸です。この舞台こそ宇山の特徴とか、誇りと言っても過言ではありません。

夏の盆踊りの櫓も立派なものですが、こういった地域の祭りになると村人が総出で準備して・・・、というのは、昔の光景。しかしここでは今でも多くの人たちが協力して舞台などの設置を行っています。その様子を見ると、村(地域)の結束の高さを感じます。

宇山稲荷神社の秋祭り 奉納演芸 地元団体による民舞の写真
地元団体による民舞

地域の民舞会でしょうか。

祭礼は土曜日に宵宮、日曜日に本宮が行われます。神輿は日曜日の昼間に太鼓山車とともに町内を回ります。両日とも夜はご自慢の舞台で奉納演芸が行われます。

宇山稲荷神社の秋祭り 奉納演芸 農大サークルによる民舞の写真
農大サークルによる民舞

農大のサークルも参加していました。

宇山稲荷神社の秋祭り 奉納演芸 地元桜丘のアイドルの写真
地元桜丘のアイドル?

もし3で割るほど年齢が若返ったなら、地域外から観客が押し寄せたことでしょう・・・。

宇山稲荷神社の秋祭り 奉納演芸 コーラスの写真
コーラス

地元のおじさんたちです。

宵宮は素人奉納演芸となり、地域の婦人会の方々だったり、民舞などの教室だったり、農大の日本舞踏サークルだったり、またこの近所には老人ホームなどが出演しています。演目はバラバラですが、いかにも地元の秋祭りといった感じの奉納演芸です。

宇山稲荷神社の秋祭り 地元の有志による演目の写真
宇山稲荷神社の秋祭り 地元の有志による演目の写真
地元の有志による演目(2012年)

ミュージカル調の演目でした。

宵宮の奉納演芸の最後を締めくくるのが、宇山でしか行われていない地元の有志による演劇のような出し物です。訪れた2012年は、ミュージカルっぽい演目が行われました。

祭りの華といえば、神輿を思い浮かべる人が多いと思いますが、世界的に見ればパレードやらこういった劇のような出し物になるはずです。今年の主役は誰だとか、ヒロインは誰といった感じで、盛り上がります。

演劇とは違いますが、日本の秋祭りでは神話をもとにした神楽がよく行われています。関東ではあまり人気がありませんが、演劇の要素が強い石見神楽などはとても人気があり、神楽殿の前は多くの観客で埋め尽くされます。

菅生歌舞伎(東京都あきる野市 2010年)の写真
菅生歌舞伎(東京都あきる野市 2010年)

都指定無形民俗文化財。組立舞台も文化財になっています。

神楽とは別に農村歌舞伎というものも古くから行われてきました。農村歌舞伎とは、簡単に書くなら素人による歌舞伎。早い話、歌舞伎を真似た芝居みたいなものです。

本格的になると村で座をつくって定期的に練習し、公演を行い、演目も舞台用の道具も本格的だったりします。お隣の神奈川県では今でも幾つかそういった村単位の座が残っているようですが、東京ではあきる野市の秋川歌舞伎、菅生歌舞伎ぐらいしか残っていません。

ここ宇山での奉納演芸は、そういった農村歌舞伎みたい・・・などと言うと、大変おこがましいですが、手作りの舞台の組み方や、地元の人が多く登場し、地元ネタが満載の演技、見ている地元の人の笑顔が多いというのは共通です。なので、どうしても農村歌舞伎のイメージが頭に浮かんでしまいます。

ここ宇山で農村歌舞伎が盛んに行われていたという記録は見つからないので、恐らく真似事みたいな感じで行っていたのが、舞台を含めてずっと継続されているのではないでしょうか。

宇山稲荷神社の秋祭り 奉納演芸 出演者全員での合唱の写真
出演者全員での合唱

出演者が勢揃い。結構多くの人が出演していました。

芝居の最後は、出演者全員が登壇し、フィナーレの合唱が行われました。そして、演者の餅まきならず、ジュースの配布が行われ、終了しました。

ここの舞台は何でこんなに大きく、袖が長いの・・・と、ずっと疑問に感じていたのですが、この芝居のような演目を見て納得できました。

宇山稲荷神社の秋祭り プロによる演芸(2012年)の写真
プロによる演芸(2012年)

手品を行っていました。

日曜日の奉納演芸はプロによるステージになります。年によって違いますが、漫才だったり、手品だったりと芸人によるショーが行われているようです。

4、神輿渡御の様子

宇山稲荷神社 宇山の神輿の写真
宇山の神輿

小ぶりの神輿です。

宇山稲荷神社では、日曜日に宮神輿と太鼓車が運行されます。年によって違うかと思いますが、宮出しが11時とか12時で、15時とか16時頃に戻ってきます。

祭礼中は社殿横に神輿舎がつくられ、丁寧に飾られます。神輿は社殿同様に小さく、並んだ様子はコンパクトにまとまっているといった感じでしょうか。

神輿に比べると太鼓の方はなかなか立派で、毎年区民祭の連合渡御にも太鼓車のみ参加しています。

昔の記述を読むと、上馬にある駒留八幡神社と縁が深いようで、駒留八幡神社の大神輿が担がれるときには宇山の若衆が手伝いに出かけたり、逆に上馬から宇山へ神輿を担ぎに来ることもあったそうです。今ではどうなのでしょうか。

・2011年の様子

2011年は宮出しの様子を見学しました。

宇山稲荷神社 神輿渡御2011年 出発前の神輿と太鼓車の写真
出発前の神輿と太鼓車

担ぎ棒が丸棒というのは珍しいです。

12時に出発ということで、20分前に到着。境内に神輿と太鼓が用意してあり、太鼓引きに参加する子供たちが境内を走り回っていました。

ここの境内はほんと何もないので、子供たちが走り回る様子は、昭和的な絵図になっていて、懐かしさを感じます。

宇山稲荷神社 神輿渡御2011年 出発前の手締めの写真
出発前の手締め

とても人数が少ないです。

宇山稲荷神社 神輿渡御2011年 出発の写真
さ、頑張っていこう

ちょっと寂しい感じの出発でした。

出発時間前になると太鼓車は境内の外に出され、神社横の道路で隊列を整えます。その間に神輿の方に人が集まり、出発式を行うのですが・・・、担ぎ手がいない。ここまで人がいないとは思わなかったし、自分が唯一の観客になるとも思っていなかったので、かなり戸惑ってしまいました。

宇山稲荷神社 神輿渡御2011年 太鼓車の出発の写真
太鼓車の出発

大勢の子供が参加し、結構賑やかです。

宇山稲荷神社 神輿渡御2011年の写真
神輿の渡御

こちらは静かな感じです。

神輿が上がると、太鼓山車も出発。太鼓車の方は引っ張る子どもの数が多く、結構賑やかな感じに進んでいきます。

その後に続く神輿の方は、人が少ないのもあって静かな感じで進んでいきます。もう少し人が増え、賑わいが欲しいかなといったところでしょうか。

宇山稲荷神社 神輿渡御2011年 神輿回しの写真
神輿回し

グルグル回ります。

宇山稲荷神社 神輿渡御2011年 神輿振りの写真
神輿振り

上下に大きく揺らします。

ここの神輿は少々変わっていて、氏子の家を順番に回っていき、その家の前で神輿を回したり、大きく振るなどして、家内安全などを願います。その様子は農村などで行われている「ふせぎ」によく似ています。

「ふせぎ」はいわゆる「防ぐ」で、各家を回って災い除けの札を配ったり、村の入り口に藁でつくった蛇などを設置して村に災いが入らないようにする行事です。

宇山では昔疫病が流行って神社の向きを変えたり、ふせぎ神の神事も行われてきたという歴史があるので、そういった名残りが神輿渡御に表れているのかなと感じたのですが、どうなのでしょう。

ちなみに、宇山の旧家は「小川」や「棚網」姓が多いです。当然奉仕金もそういったお宅が多いので、回っていくお宅の苗字は小川と棚網が半分以上を占めているのではないでしょうか。

・2009年の様子

2009年は宮入りの少し前を見学しました。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 神輿振りの写真
神輿振り

上下に大きく揺らします。

16時前に訪れると、環八の手前でちょうど神輿を振っているところでした。ここも大きな家なので、旧家になるでしょうか。

今ではフォルクスワーゲンが入っているビルが建ちましたが、昔は広い敷地に造園用の植木が植えられていました。少し北にはすみれば自然庭園もあり、桜丘の環八沿いはとても緑が多かったです。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 環八へ向かう神輿の写真
さあ、環八へ

ここから大通りを通るので準備を整えます。

ここからは環八を通るので、しっかりと隊列を整えます。太鼓を引く子供たちの安全のためにも、消防隊員の交通誘導の見せどころです。

正面に見えるのは環八にあった銀座スエヒロ。2019年に取り壊されました。実は閉店してから15年だか、20年だが分かりませんが、長い期間放置されていて、通行する人から謎の存在となっていたことでしょう。

現在は環八が桜丘と砧の境界になっていますが、かつてはスエヒロの向こうの方まで桜丘というか、宇山の町域でした。詳しくは書きませんが、宇山の人にとっては色々思うところのあるスエヒロだったと思います。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 環八を進む太鼓車の写真
環八を進む太鼓車

太鼓は大きく立派なものです。車にも負けない大きさです。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 楽しそうに太鼓を引く子供たちの写真
楽しそうに太鼓を引く子供たち

とても楽しそうに歩いていました。

環八では世田谷通りへ入っていく側道を通っていきます。追い越し禁止の黄線区間なので、後ろの車はどうしていいのか困ります。でも、二ブロックほど通行し、井上病院のところを入っていくので、そこまで大きな混乱はありませんでした。

神輿が環八などの大通りを通行する際、他の町域では異常にテンションが上がり、担ぎ手の大人が大はしゃぎするものですが、ここではそういった担ぎ方をしていないので、逆に静かでした。

ただ、子供たちは普段歩けない大通りを歩いているという非日常的な感覚がうれしいのか、とてもうれしそうに歩いていました。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 住宅地を進む太鼓の写真
住宅地を進む太鼓

昔は畑ばかりだった桜丘も、今では閑静な住宅地になっています。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 氏子の家での神輿振りの写真
氏子の家での神輿振り

狭い路地にも入っていきます。

環八から住宅地に入っていくと、神輿は奉仕金をいただいた家を訪れていきます。そして、家の前で神輿を振っていきます。ご利益を運ぶ神輿といった感じでしょうか。

ここの神輿は地域の家々を回っていくといったとても地味な神輿渡御になります。他の地域からの応援というのは期待できなく、少人数での渡御になってしまうのはしょうがないことかもしれません。それでも一軒一軒元気に回っていく様子は好感が持てるものでした。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 介護施設への慰問の写真
介護施設への慰問

子供たちが訪れてくれると嬉しいことでしょう。

宇山稲荷神社 神輿渡御2009年 施設での神輿振りの写真
施設での神輿振り

地域が元気になる神輿渡御です。

その極めつけは、老人ホームの訪問でした。一緒に入らせてもらうと、ロビーでは神輿の到着を待つお年寄りがずらりと並んでいました。今日は神輿が来るのよ。と楽しみにしていたのでしょう。みんなの前で神輿を大きく振ると、うれしそうに目を輝かせている方が多かったです。

帰りがけには、神輿責任者は「また来年来るからね。それまで元気にしてね。」と言っていました。とても心に響きます。ここの神輿はふせぎ神輿と言うよりは、地域に元気を宅配して回る神輿という方がふさわしいかもしれません。

5、感想など

宇山稲荷神社 祭りの準備の写真
祭りの準備

割烹着がよく似合う土地柄です。

宇山稲荷神社は社殿が小さく、神輿も小さく、氏子地域も狭く、祭礼中でも人が少ないと、秋祭りとしては印象の薄い部類になるでしょうか。

しかしながら氏子の人々が協力して作り上げる舞台は必見です。普通に考えても、小さな町域で夏の盆踊り、秋の例大祭と一年に二度大きな舞台を設置し、それを毎年繰り返すというのは大変なことです。この舞台から地域の絆の深さや宇山の誇りを感じることができます。

神輿渡御にしても、大きな神輿による迫力ある神輿渡御や大勢の担ぎ手によって熱気あふれる渡御は確かに素晴らしいけど、小さな神輿で真心込めて家々を回っていくのもいいものだと感じさせてくれます。

せたがや散策記
宇山稲荷神社と秋祭り
2025年10月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所桜丘4-14-1
・アクセス最寄り駅は小田急線千歳船橋駅。
・関連リンクーーー
・備考ーーー
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