三宿の森緑地
三宿2丁目27-27烏山川緑道の崖上にある三宿の森は、昭和初期には個人のお屋敷、戦後は法務省の施設として使われてきました。今は、住民の方々の取り組みによって緑地となり、多様な自然環境をもった世田谷地域の風景の骨格となっています。(紹介文の引用)
1、三宿の森緑地について

三宿神社の裏手の高台に、平成16年4月に開園した区立三宿の森緑地公園があります。約8千㎡ある園内には、三宿の森という名の通り木々が多く、樹齢百年以上の大きな樹木もあります。
三宿の、しかも高台のいい場所に、このような広く、木々の多い公園があるのに驚きますが、それ以上に平成16年と最近できことに驚いてしまいます。

お屋敷だった頃の名残でしょうか。立派な門と大木があり、とても雰囲気がいいです。
この土地がなく、地価もべらぼうに高いご時世に、これだけ広い土地が手に入るということは、ここで暮らしていた大富豪が自分の土地を寄付した・・・と考えるのが普通でしょうか。実際、公園の多聞ゲートはお屋敷に使われているようなゲートだし・・・。
そんなことを安直に思ってしまいますが、三宿の森緑地はそういったふっと沸いた話で出来た公園ではなく、長い間、周辺の住民が要望を出し続け、努力を重ねてできた公園だったりします。

*国土地理院地図を書き込んで使用

*国土地理院地図を書き込んで使用
この緑地のある三宿について書くと、三宿や隣の池尻には、戦前に広い軍事施設や軍事関係の工場があり、戦時中には大規模な空襲に遭いました。
戦後になると、都心に近いといった立地から焼け野原にはどんどんと家が建ち並んでいき、気が付けば住宅やアパートが密集する地域となりました。
そういった経緯もあって世田谷区で最も緑被率が低い地域だったりします。まとまって緑があるといえるのは、烏山川緑道と三宿神社、三宿公園、そしてこの三宿の森ぐらいでしょうか。

*国土地理院地図を書き込んで使用
この三宿の森緑地が建設される前の土地は、法務省の研修施設でした。敷地内には木々が生い茂っていた為、ちょっとした森のようになっていたようです。
平成10年、法務省が研修所を浦安に新設し、三宿から完全に移転することになりました。建物と土地は、法務省から大蔵省へ管轄が移りましたが、この時点では次の用途はまだ決まっていませんでした。
そこで近隣住民は、環境と緑、樹林を保存するため特段の配慮を要請する文書を、世田谷区や法務省、大蔵省に提出しました。
これには伏線があり、昭和50年ごろにも法務省が8階建てのビルなどを建設すると発表し、それを環境保全の重要性と日照権の問題から反対運動を起こしています。
そのときは署名運動だけではなく、国会までも巻き込んだ運動となり、この結果、環境に配慮した形での建設となり、樹木についても「等価的かつ等量的に保存する」となり、住民の要望が認められた形になりました。この時点で一度古くからの樹木を守っていることになります。

建物が建っていた場所は、木々に囲まれた開放感あるスペースになっています。
そして平成10年10月の世田谷区議会にて、住民の提出した請願書が全会一致で採択しました。
その採択を踏まえて、区は大蔵省などと協議を重ね、平成12年12月にこの法務省跡地を国から買い取り、公園として整備することを正式に決定しました。
これにてようやく住民の念願が叶ったということになり、平成12年から地域の方々の参加のもとに公園づくりの検討が重ねられました。
公園としての利用イメージだけでなく、防災、近隣のプライバシー、具体的な管理・運営までも話し合われたそうです。

奥に見えるイチョウの木は三宿神社のものです。イチョウの紅葉が美しい神社です。

暖かい季節は色々と水生植物など見れそうです。

ボランティアの拠点にもなっていて、倉庫には災害用のトイレなどが収納されているようです。
そして平成16年、自然を住民の力で守り育てていくみどり豊かな公園として、区立三宿の森緑地が誕生しました。園内には、木々や芝生が植えられた普通の公園部分に加えて、水辺のビオトープ、草のビオトープに保全観察の林などが設置されました。
もちろん、いざという時のための地域の防災拠点として、かまどベンチ、井戸、マンホールトイレといった設備も備えています。多くの人が住む地域なので、何かあった時に広くて多くの人が逃げ込める場所が出来たことは、地域の安心にもつながるはずです。

象に乗るお釈迦様でしょうか。

お手軽セットといった感じでしょうか。なんだかドリフのコントに出てきそうな大仏様です・・・。
そもそもなぜこの土地は緑豊かだったのか。それは園内に不自然に置かれている石仏や石灯ろうと関係があります。
時をさかのぼって、昭和の初めごろ、敷根氏という方がこの付近の土地を手に入れ、二階建ての日本家屋を建て、敷地内の造園に着手しました。しかし、理由はよく分かっていませんが、実際に住むことはなかったそうです。

*国土地理院地図を書き込んで使用
そしてこの屋敷と敷地を引き継いだのが中村氏で、今に残る樹林や十三重の塔、石灯籠、石像を配置した庭と屋敷を作り上げました。
この中村氏は、大陸方面で日産コンツェルンを作った鮎川義介氏と共同で事業を営んでいた方で、この屋敷にはその息子夫妻が暮らしていました。3人の令嬢に恵まれ、テニスコートを邸内に持ち、揃って乗馬を楽しむという優雅な生活を送っていたという話です。
しかしながら、戦争で一家の生活は一転してしまい、戦後、敷地は国有地となり、法務省の施設として使われることになりました。

休憩中のようでした。
現在、この緑地は地域のボランティア団体「三宿の森を育てる会」が管理しています。
活動は毎月第4日曜日の午前中で、草木の手入れやビオトープなどの保全、整備、清掃活動等を行っています。
緑の少ない地に念願であった緑地ができたとあって、緑を守っていこうという意識は高く、マイペースで楽しそうに活動しているといった印象です。
やはり与えられたものを管理するのと、自分たちで苦労して手に入れたものを管理するのとでは気合の入り方やモチベーションが違うのは当然でしょうね。

三宿の森だよりなどがはってありました。
また「秋の虫の音を聞く会」や「身近な鳥に親しむ会」といった季節のイベントも行っています。こういった活動を行うことで、地域をつなぐ森づくりを目指しているそうです。
休憩所の壁に設置されている森の伝言板に、手作りの三宿の森だよりやイベント等の告知が貼ってあります。インターネットのブログにも活動内容が書かれているので、興味があれば閲覧してみてください。
2、感想など

花壇もきれいに手入れがされていました。
公園というのは、あることが当たり前。そう思っていましたが、長年かけて苦労して手に入れる公園もあったのですね。
普段の生活でも、欲しいものを苦労して手に入れたときの喜びは感慨深いものがあります。三宿の森だよりやブログなどを拝見していると、今なお関係者の方たちが楽しそうに活動されている感じがします。
やはり幸せや満足感は与えられるものではなく、自分で考え、行動して、苦労して手に入れるもの。管理のしっかりとしている緑地を見ると、ちょっと大袈裟にそんなことを思ってしまいました。
せたがや地域風景資産 #2-4三宿の森緑地 2025年5月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 三宿2丁目27−27 |
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・アクセス | 最寄り駅は田園都市線池尻大橋駅、三軒茶屋駅。 |
・関連リンク | 三宿の森を育てる会 |
・備考 | 開園時間は9時-16時(10~3月)、9時-17時(4~9月) |