世田谷散策記 タイトル
せたがや地域風景資産 #2-3

代田の丘の61号鉄塔

代田2丁目4-11

東京電力の鉄塔のひとつである代田の丘の61号鉄塔のすぐ下には、昭和8年頃、詩人の萩原朔太郎が家を建てて住んでいたということです。その娘葉子の小説にも鉄塔が描写されるなど、文学にゆかりのある貴重な資産となっています。(紹介文の引用)

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1、代田の丘の61号鉄塔について

駒沢線61号鉄塔のナンバープレートの写真
鉄塔のナンバープレート

こういったプレートは普段まじまじと見ることがないし、何番というのも気にすることがないですね。

この項目、「代田の丘の61号鉄塔」は、せたがや地域風景資産の項目の中でも、なかなか興味を惹かれるタイトルではないでしょうか。一体どんな鉄塔があるのだろうか。61号鉄塔とは何者なのかと。

代田の丘の61号鉄塔とは、代田2丁目の丘の上にある高圧電力の鉄塔のことで、61号というのはこの鉄塔が駒沢線に含まれ、その61番目にあたる鉄塔という意味です。

駒沢線61号鉄塔の写真
駒沢線61号鉄塔

住宅地の中に埋まっています。

この61号鉄塔だけが選ばれたということは、この鉄塔だけ歴史的に価値があり、貴重な工業遺産ってやつなのだろう。などと真っ先に頭に浮かんできますが、他と形が違ったり、建造年が違ったり、色がピンクに塗られているわけではありません。他の鉄塔と同じ、ありふれた近代的な鉄塔だったりします。

では、なぜありふれた送電線の鉄塔が選ばれてしまったのか。なぜ60号でなく、62号でもなく、この61号鉄塔なのか。それは昭和初期の近代文学に関係していて、この61号鉄塔の真下に詩人萩原朔太郎が邸宅を構えたことにあります。

戦前の代田の航空写真(国土地理院)
戦前の代田

国土地理院地図を書き込んで使用

東京電灯(現東京電力)によってこの高圧線の駒沢線が開通したのは、昭和元年のこと。実際にこの61号鉄塔が建てられたのは大正時代になります。

本当はもっと東側を通したかったようですが、住民の反対運動が起き、住宅が密集していない代田や若林地域を縦断する形になってしまったとかなんとか。

今でこそ代田地域は地価の高い住宅地となっていますが、当時は郊外にあたり、住んでいる人も少なく、送電線を通すには都合がよかったようです。

ただ、戦前の写真を見ると、もう既に鉄塔が住宅地に埋まりつつあるので、のんびりとした時代のように思えて、インフラ整備は時間との戦いだったと推測できます。

駒沢線61号鉄塔 鉄塔とキャロットタワーの写真
61号鉄塔とキャロットタワー

丘の上にあるので眺めがいいです。向こうに見えるのが60号鉄塔やキャロットタワーです。

61号鉄塔は、北沢川から丘を登ったところに設置されました。立地上よく目立ち、見た目以上に高くそびえているような感じを受けます。

そして本題ですが、昭和8年にこの61号鉄塔の真下に詩人萩原朔太郎が家を構えました。自らデザインした和洋折衷の家は、鉄塔に合わせて鋭く尖がった三角屋根だったそうです。

そこまでするぐらいですから、土地が安かったから鉄塔の下で我慢しようといったわけではなく、自ら好んで鉄塔の下に住居を構えたようです。

実際に彼の作品の中に鉄塔が登場し、近代化、都市化、モダニズムの象徴的な存在で描かれているそうです。

しかしながら、彼の娘で小説家萩原葉子の小説「蕁麻の家」にも61号鉄塔が登場しますが、こちらは父とは逆の「不安」が見て取れるようです。

親子で対照的ですね。こういうのはやはり心の持ちよう。個人的な問題といったところでしょうか。

駒沢線60号鉄塔の写真
お隣の60号鉄塔

こちらも住宅の中に埋まっています。

ただ、現実的な問題として、真上に鉄塔や電線があるというのは、地震等での倒壊や、台風などの強風で送電線が切れるといったリスクがあります。それとともに、高圧電流が頭上に流れることで、鉄塔からは微弱ながら電磁波が出ているという話です。

それを毎日浴び続けることで、人体に影響が出るのか、出ないかは、両論あり、はっきりとしたことはわかっていませんが、目に見えないものなので、精神的に過敏に反応する方は、土地や家賃が安いからといった理由では住まないほうがいいかと思います。

代田 円乗院と戦災樹木の写真
円乗院と戦災樹木

フォークのように先が尖っています。

萩原朔太郎は、1942年(昭和17年)5月11日にこの自宅で死去。享年55歳。死因は急性肺炎だったそうです。

その後のことはよくわかりませんが、昭和20年5月25日の空襲でこの界隈は大きな被害が出ました。環八付近の北沢緑道沿いにある円乗院には、この空襲で被災した高山槙(こうやまき)の木が保存されています。

もはやこの木には葉が付かなく、枝は怒りを表しているかのように天に鋭く伸びています。まさに怒りの形相といった感じで、見る者を圧倒します。

戦後の代田の航空写真(国土地理院)
戦後の代田

国土地理院地図を書き込んで使用

戦後の地図を見ると、萩原邸もその時に被災しているように見えます。家もそうですが、現在、萩原朔太郎と娘の萩原葉子がこの代田に暮らしていた痕跡はなく、何度も作品に登場するこの61号鉄塔だけが、その名残となってしまいました。

駒沢線61号鉄塔 真下から見る鉄塔の写真
真下から見る61号鉄塔

鉄塔にしては珍しく登りやすいように階段がついています。

この風景資産選定人であり、また古くからこの地域の情報を発信してきた北沢川文化遺産保存の会の”きむらけん”さんが面白い紹介していたので、それを紹介すると、「代田の丘の61号鉄塔は近代日本文学を象徴する鉄塔であるとともに、地域風景資産に選定されたことで、日本一大きい文学風景記念碑になったと言えます。」との事です。

文学的でなかなかうまい例えですね。そういった風に言われると、どこにでもあるありふれた鉄塔でも見に出かけたくなってしまうものです。

でも、実際に訪れてみると、文学の香りなどしなく、ただのありふれた鉄塔なんですよね・・・。探したり、訪れるまでがあれこれ考えられて楽しいといったやつでしょうか。

この鉄塔の他にも、北沢川緑道の代沢小学校のところに坂口安吾の記念碑もあります。合わせて訪れてみてはどうでしょう。

2、感想など

駒沢線61号鉄塔 鉄塔と住宅地の写真
鉄塔と住宅地

改めて空を見上げると世田谷は電線が多い町ですね。

旅のガイドブックや観光パンフレットなどを眺めると、日本三大なんちゃらという言葉が溢れています。

実際、日本三大なんちゃらを数えてみると、5つ6つあったりといい加減で、人を呼び込む側のうまい宣伝文句となっていたりします。

でも、旅の目的地として「日本三大なんちゃら」と聞くと、ちょっと行ってみようかなといった好奇心をくすぐられるのではないでしょうか。日本一となると、もっとワクワクするはずです。

「世田谷の代田には日本一大きい文学風景記念碑があります。」 どうでしょう。行ってみたくなりましたか。

何でもないことに遊び心や好奇心、ワクワクを感じるのが散策を楽しくするコツであり、もっと言えば日常生活をマンネリにしないコツでもあるかと思います。

せたがや地域風景資産 #2-3
代田の丘の61号鉄塔
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所代田2丁目4−10
・アクセス最寄り駅は小田急線世田谷代田駅
・関連リンク東京荏原都市物語資料館
・備考ーーー
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