世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.30

廻沢稲荷神社例大祭

かつて廻沢と呼ばれた地域をご自慢の太鼓と山車が廻沢囃子の音と共に練り歩く祭り。地味な祭りながらも境内の賑わいはなかなかのものです。

鎮座地 : 千歳台5-17-23  氏子地域 : 千歳台1、2丁目(一部)、3~6丁目
御祭神 : 倉稲魂神  社格 : 無格社
例祭日 : 9月第二土曜日に宵宮、翌日曜日に本祭
神輿渡御 : 太鼓車、山車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

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*** 旧廻沢村(千歳台)と廻沢稲荷神社 ***

廻沢稲荷神社の写真
神社の入り口

両側に建物がありますが、雰囲気のいい参道です。

廻沢稲荷神社の写真
参道

イチョウの巨木がそびえています。

廻沢稲荷神社の写真
境内

社殿前は広く、背後には木がそびえています。

廻沢稲荷神社の写真
社殿

昭和6年に建てられたもの。左の祠は天神社。

廻沢稲荷神社の写真
境内社の天神様

絵馬掛けはありますが、売っている場所が・・・

廻沢稲荷神社の写真
神楽殿や倉庫

新しい建物です。

廻沢稲荷神社の盆踊り大会の写真
盆踊りの時の参道

露店も並び賑やかです。

廻沢稲荷神社の盆踊り大会の写真
盆踊りの様子

かなり賑わいます。

* 旧廻沢村(千歳台)と廻沢稲荷神社について *

環八の小田急線の高架から滝坂道が交わる千歳台の交差点を右辺として、その西側に千歳台の町域が広がっています。千歳台は昭和46年に付けられた新しい町名で、それ以前は廻沢という名でした。廻沢は古くから開けていた村で、中世期には烏山南部、粕谷、八幡山、船橋などを含む大きな地域だったと考えられています。

はっきりした記録では世田谷城主の吉良頼康家臣の大平精九郎に与えた土地の文章に「施沢之内船橋谷」といった文字があります。廻沢の由来ははっきりと分かっていませんが、かつては「施沢村」「巡沢村」と書かれたことがあることから、水が巡る沢といった地形から付けられたものと推測されていて、東覚院の西北にあった窪地は雨が降ると水が溜まる沢地で、この水が落ちるように烏山川へ流れていく様子が水巡る沢といった感じだったことから名付けられたのではといった説もあります。

文政九年(1826年)の新編武蔵風土記稿にも廻沢の事が書かれていますが、民家56棟あり、この辺り平地にて民戸は所々に散在している。村の曰くについては、開村の年歴明らかではなく、推測するには橘樹郡上小田中村泉沢寺にある古い記録に、泉沢寺領施沢村という文字が見られ、文字は違うけどこれが廻沢村のことで、古くから開けていた村ではないだろうかと簡潔に書かれています。

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江戸時代になると廻沢村は二人の旗本に知行されることとなり、村が二分するような少し複雑な村事情になります。また廻沢村は品川用水の通り道にもなります。ちょうど現在の千歳通りその流れ跡になります。元禄十年(1697年)には両旗本とも知行替えとなり、以後幕末まで幕府の天領として治められます。

時代が明治になるとめまぐるしく所属が変わり、明治22年には上祖師ヶ谷村、下祖師ヶ谷村、廻沢村、船橋村、八幡山村、粕谷村、給田村、烏山村が合併し、神奈川県北多摩郡千歳村が誕生します。なぜ千歳村なのか。それは8つの村で投票した結果、縁起のいいこの名に決まったという事なので、この地域に由来する地名ではありません。

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明治26年には水道管理の事情で東京府編入されます。大正九年には千歳村の役場が廻沢に置かれる事になります。昭和11年には東京市に編入され、世田谷区に属することとなり、世田谷区廻沢町となります。

その後、昭和27年から区画整備が行われ、また環八が開通した後の昭和44~46年にかけても大きく町域変更が行われ、町域の形はシンプルになったものの、旧町域が複雑に絡んだ状態となりました。そのためなのか、昭和46年には町名を返上し、千歳村の中心だった事などから千歳と宅地開発に語呂のいい「台」を足した千歳台に町名が変わりました。現在駅名で千歳烏山、千歳船橋とあるのは、同じ名前の駅名を避けるために千歳が付けられたものですが、これも昔の千歳村の名残りとなっています。

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廻沢の氏神様は二つありました。それは村が二人の旗本によって治められていたためで、村の南地区のお伊勢様、そして北地区の御稲荷様です。旗本領から天領となっても別々に祭礼を行うなど、完全に村の中で分かれていたので、明治になっても村内に村社という格式のある神社はありませんでした。

明治41年には合祀令により、神明社、第六天が稲荷社の方に合祀されます。大正時代の後半には神社を改築し、お伊勢様も合祀する計画が立ちます。普通だとお伊勢様の末社がお稲荷様となるのですが、費用や村内の力関係などといった大人の事情もあり、お稲荷様が本社となり、お伊勢様と第六天が末社となりました。

そして村を上げて造営に取り組み、昭和六年には遷宮祭が行われます。これが当時としては盛大なものだったようで、その当時に有名だった市川猿十郎一座による忠臣蔵の芝居が二晩行われたとか。これ以降豊作の年には村を上げて祭りが行われ、村の結束が高まったそうです。

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現在の廻沢稲荷神社はちょっと奥まった場所にあるのもあって、ひっそりとした感じの神社です。全体的にこぢんまりとした小さな神社で、昭和23年に祖霊社、昭和38年に社務所や神楽殿が建設されているぐらいで、昔とさほど変わらずといった感じなのでしょう。神社のすぐ周りは住宅が建ち並んでいますが、周辺には世田谷の中では開発が遅かった地域だけあって、未だに畑が多くあります。

特に境内で特筆すべきものはありませんが、参道にはイチョウなどの古木が並んでいて雰囲気がいいものとなっています。参道沿いの住民が花を植えているのもそう思える一因でしょうか。また、案内板を見てもお伊勢様の名はないし、社殿を含め境内にもお伊勢様の名はありませんでした。元に戻されたのでしょうか。この辺の事情はよく分かりません。

*** 廻沢稲荷神社の秋祭りの様子 ***

廻沢稲荷神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの入り口

提灯が掲げられて賑やかな感じになります。

廻沢稲荷神社の秋祭りの写真
社殿

社殿前に幟が立てられます。

廻沢稲荷神社の秋祭りの写真
神楽殿

奉納演芸がおこなわれます。

廻沢稲荷神社の秋祭りの写真
輪投げの出店

100円で遊べるのはいいですね。

* 廻沢稲荷神社の秋祭りについて *

廻沢稲荷神社の祭礼は神社の名前のように目まぐるしく変わっています。最初は10月4日だったのが、9月18日となり、大正3年以降は長い間9月26日でしたが、平成になってから祭礼日に台風に見舞われる事が多いからと9月15日となり、現在では氏子や地域の都合を考えて9月の第二土曜日と翌日といった日程になりましたが、厳密には第二週末頃といった曖昧なようです。

祭礼は二日間行われ、土曜日は宵宮で18時より奉納演芸が行われます。日曜日が本祭となり、11時より太鼓や山車が町内を巡り、同じく18時より奉納演芸が行われます。昔は豊作の時には舞台が作られ、神楽や芝居が奉納され、そうでない年はとっくり祭(お酒を飲むだけの祭り)で済ませる場合もあったそうです。また大きな鍋にお湯を沸かし、その中に榊を入れ、そのお湯を振りかけてお祓いをするといった湯花神事が行われていたという記録もあります。現在では廻沢稲荷神社は喜多見氷川神社の兼務社となっていますが、同じく兼務社となっている喜多見の須賀神社では今でも湯花神事が行われています。

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廻沢稲荷神社には祭りの華である神輿がないので、外部から祭りに足を運ぶ人は少なく、地域の小さなお祭りといった感じです。露店も少なく、人もまばらで・・・なんて想像して訪れるとビックリします。結構賑わっているのです。いや時間帯によっては大混雑しています。そして子供が多いのです。

ここでは夏の盆踊り大会でもそうなのですが、境内に多くの出店が出ます。それらは地域の団体が運営しているものが中心なので、価格が安いし、しかも境内での買い物を金券制にしているので子供でも安心して楽しむことができるようになっています。特に射的や輪投げといった遊ぶ屋台は100円で遊べるとあって大人気です。この辺の事情はお隣の船橋と一緒かもしれません。といった感じで、小さいながらも大賑わいの秋祭りとなります。

*** 廻沢稲荷神社の神輿渡御 ***

*** 太鼓、山車の渡御 ***

廻沢稲荷神社の太鼓、山車の渡御の写真
社殿前での出発式

一日の無事を祈願します。

廻沢稲荷神社の太鼓、山車の渡御の写真
出発の準備

お年寄りがうれしそうに準備していました。

廻沢稲荷神社の太鼓、山車の渡御の写真
山車

平成17年に建造した立派な山車です。

廻沢稲荷神社の太鼓、山車の渡御の写真
廻沢囃子の提灯

面白いデザインです。

廻沢稲荷神社にはお神輿がありませんが、毎年太鼓と山車が町内を巡行しています。珍しいといえば、珍しいスタイルです。昔からちゃんとした神輿はなかったようですが、樽神輿を作って担いでいたといった事は行われていたようです。

太鼓は昔からあり、直径1m程の立派なものです。これは社殿を建て替えた年と同じ昭和6年に製造されたもので、青年会員が親からもらう小遣い銭を50銭、60銭と積み立てて貯めた貯金300円で購入した献納大太鼓です。値段とか云々ではなく、廻沢の心意気というか、自慢の一品となるでしょうか。時間の都合がつかなかったので出発前の様子しか見ていませんが、巡行コースを聞くと結構精力的に町域を回るようです。

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廻沢には神輿はありませんが、立派な山車があるのが特徴です。区内の山車は簡易的なトラック山車がほとんどですが、ここのはきちんとした山車です。これは平成17年に新調したもので、小振りながらもなかなかのもので、太鼓に負けず廻沢の自慢の一品となるようです。

山車に乗ってお囃子を努めるのは廻沢囃子保存会です。廻沢では昔からお囃子が盛んで、現在でも廻沢囃子保存会によってその伝統が受け継がれています。秋祭り以外にも春の希望ヶ丘記念公園(タイヤ公園)での桜祭りや区の郷土芸能大会で活躍しています。そういった伝統があるから神輿よりも先に山車になったのかもしれません。

というよりも神輿を建造しても担ぎ手が集まらないような気もします。ここは駅から遠いですし、町域に賑やかな駅前商店街もないですし・・・。秋祭りや盆踊りの時に境内の外に停められているおびただしい数の自転車がそれを物語っているような気がします。そもそも神社周辺の人は最寄り駅はどこを使っているのでしょう。

* 感想など *

室町時代、この地域の中心だったのが廻沢村です。時代が流れ、甲州街道が整備されると烏山村が栄え、更に時代が進んで鉄道が整備されると、駅から離れている廻沢は取り残されていきます。それでも明治22年に8つの村が集まってできた千歳村の役場が大正九年には廻沢に置かれ、千歳村の行政の中心となります。

二度この付近の中心となった廻沢ですが、その名は千歳台と変わってしまったので今はありません。町名が消えてから40年以上経っているし、その間にどんどんと畑が宅地になり、人口が爆発的に増えているので、千歳台に住んでいる人でも廻沢の名を聞いてもピンとこない人が多いかと思います。そういった歴史を持つ廻沢の地にひっそりとあるのが廻沢稲荷神社です。神社は大きな通りに面していなく、地元の人でないとわかり辛い場所にあるし、何時訪れても境内がひっそりと静まりかえっているの現状です。

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神社にある案内板に秋祭りは9月26日とあったので、念のために9月中旬頃に秋祭りがやっているのなら少なくとも開催のポスターが貼ってあるだろうと訪れてみたのですが、一切そういったものはなく、もはや秋祭りすらやっていないんだとビックリしてしまいました。翌年広報に廻沢稲荷神社で地域の盆踊り開催の日付が載っていたので、静かな神社でひっそりと行われる盆踊りという写真もいいかなと思い、それに合わせて訪れてみたのですが、たまげました。

神社の外には自転車がずらっと並び、神社は明々と明かりが灯り、境内には露店が並び、大勢の人で賑わっていたからです。もちろん盆踊りの方も賑やかに行われていました。秋祭りもやっているかもしれない。氏子関係者の人に聞くと、秋祭りは今でもやっていて、第二土曜日に変更されたとのこと。前年訪れたときはもう既に終わっていたようです。「神輿はないけど、その代わり立派な山車が運行されるから見に来てよ」と役員の人に誘われました。

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秋になって訪れてみると、盆踊りの時同様に境内は賑わっていました。残念ながら山車の運行は時間の都合で準備段階しか見る事ができませんでしたが、準備している老人たちのうれしそうなこと。まるで子供の頃に戻ったような感じでした。そもそも神社に人が集まって賑わう様子がうれしいようで、終始目元がゆるんでいるといった感じです。この日だけは昔の廻沢に戻ったといった気分なのかもしれません。そして廻沢の名を心に留めてもらいたいといった事が心にあるのかもしれません。夏の盆踊りと秋祭りと年に二回、廻沢稲荷神社が賑わう日はここに古くから暮らす人たちの心が廻沢に戻る日であり、新しく暮らす人の心が廻沢に近づく日なのかもしれません。

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<世田谷の秋祭り File.30 廻沢稲荷神社例大祭 2013年8月初稿 - 2015年10月更新>