* 羽根木と羽根木神社について *
世田谷で羽根木と聞くと、せたがや梅祭りで有名な羽根木公園を思い浮かべる人が多いかと思いますが、現在の住所としての羽根木は羽根木公園よりももっと北側、京王井の頭線の北側から和田堀給水場までの地域となります。
かつての羽根木は世田谷村の飛び地、世田谷村羽根木として存在していました。それも数ヶ所に離れていて、羽根木公園周辺もその飛び地の一つでした。
昭和7年に世田谷区が発足した際に世田谷村から独立して羽根木町となり、その後、飛地を整理したり、町域変更が行われ、現在の羽根木1、2丁目といった町域になりました。
羽根木の地名は享保10年(1725年)の記録にも残されるほど古いものですが、その由来はよくわかっていなく、世田谷区のサイトでは、「古老の言い伝えでは、昔から樹木が多く茂っていて、いろいろな鳥が飛んできて止まるので、鳥の羽根と合わせて羽根木になった。」と載っています。
その他、「羽根」は「埴」を指し、農耕地を差しているとか、「羽根木」は飛地の別称だとかいった説もあります。
羽根木の鎮守様が羽根木神社になります。創建は不明ですが、地図などによると江戸時代には既にこの場所にあり、昔は羽根木稲荷神社、或いは通称で「北原の御稲荷様」と呼ばれていたようです。
神社に設置されている由緒書きには「昔は~~~」と沢山書いてありますが、昭和20年5月の空襲で社殿、神木等が焼けてしまい詳しいことがわからないようです。
現在の神社は昭和33年に地元の人々の寄付によって再建されたものです。社殿の横の社務所はビックリするぐらい近代的で洗練された建物です。これは2003年に建てられたもので、一階は社務所として使われ、二階部は建築会社のオフィスとして利用されています。
ガラス張りのオフィス事務所から神社の様子がよく見降ろせるので、境内を訪れると監視されているようでちょっと落ち着かないかもしれません。向こうもそう思っているかもしれませんが・・・。
* 羽根木神社の参道 *
せたがや百景に羽根木神社が選ばれているのですが、それは神社そのものと言うよりも参道の方です。
説明文に住民運動で残されたと書かれているので、さぞ立派な参道が残っているのだろうと期待して訪れると、がっかりしてしまいます。
かろうじてマンションの横にケヤキの並木がちょこっと残っているだけで、もし「羽根木神社参道」という石碑が建っていなければマンションの垣根ぐらいにしか思わないです。
こういった狭い場所に並んでいる木はいかにも東京らしい風景ですが、こういった参道がわざわざ百景に選ばれるのも何というか、ちょっと微妙です。
どうしてこのような参道が選ばれたのか。それはこの参道がマンション建設の際に住民運動で残されたからです。
最近では切るに切れない木が多くて困っている人も多いのではないでしょうか。そういったごたごたをワイドショウなどが面白おかしく取り上げられることもあります。
特にマンションの建設に関しては景観や日照権などの問題で周辺住民の人が快く思っていないことのほうが多いです。区内を散策していても工事現場の周辺に高層建築反対!といった幟やらボードが掲げられているのを時々見かけます。
家やマンションを建てたくても区内には空いた土地が多くないし、何とか手に入れた土地に法律の範囲内で大きな建物を建てたいというのは所有者の願いだろうし、こういったごたごたが起こるのは必然です。
この羽根木神社参道の並木はこのマンション部分しか残っていませんでした。それが私のようにすれた人間にはとっても気に止まる部分です。
他の部分がないのにここだけ残すという住民運動が起こるというのは・・・色々と考えてしまいます。とはいえ、マンションの入り口の真ん中に木があるというのも、見ていて複雑な気分になります。
部外者が口を出す問題ではありませんが、木にとっても、地元住民にとっても、マンションに暮らす人にとっても複雑な船出となったのは容易に想像がつきます。
* 羽根木神社の秋祭り *
かつて羽根木は世田谷村の飛び地でした。世田谷村の鎮守は世田谷八幡宮(旧宇佐神社)なので、この地のお祭りも世田谷八幡宮の祭礼が年に1度のお祭りでした。
しかしながら結構離れた飛び地なので神社までの道のりは遠く、交通手段がない時代なので祭りに参加することができませんでした。
そこで羽根木神社と南の飛地にあった飛羽根木神社(現在の松羽稲荷神社)との二つの神社で一年おきに10月3、4日に祭りを行って、集落の人々で盛り上がっていたそうです。
現在のお祭りは羽根木神社のみで毎年行われています。祭礼は基本的には毎年9月の第一土曜日が宵宮、その翌日の日曜日が本祭となります。
ここのお祭りを訪れるとビックリしますが、なんと境内の真ん中にドカンと櫓が建てられています。これは盆踊りの櫓です。
世田谷では7月中旬から8月の上旬にかけて盆踊りが行われる事が多いので、この時期に盆踊りを行うこと自体珍しいし、秋祭りと盆踊りが一緒になっているのはもっと珍しいというか、商店街で行われるイベントを除くと区内ではここだけです。
この盆踊りなのですが、見ているといきなり小道具が配られて、小道具を使用した踊りが始まったりとなかなかの凝りぶり。神社の掲示板にも踊りの練習の案内が貼られていたし、ついでに盆踊りでも・・・といった感じではなく、真剣に行っている感じでした。
盆踊りが行われるのも特徴的ですが、女神輿が運行されるのもここの特徴です。
区内では他にも女神輿を運行している神社や町会はありますが、ほとんどが夕方から宮入までといった一部の時間帯のみです。
担ぎ手がいなくて苦労している神社が多い中、二基の神輿を同時に運行させ続けているのは素晴らしいことです。
話を聞くと、現在のように男神輿と女神輿が運行されるようになったのはここ10年ほどのことのようです。昭和初めには神輿はなく、後年樽神輿を作って集落の人々が祭りを楽しんだとあるので、今のような賑やかな神輿渡御が行えてご老人の方はとてもうれしいようです。
一番盛り上がるのは神輿の神社に戻ってくる宮入の時です。男神輿と女神輿が境内に入ってくると、櫓を3周回ります。
櫓では太鼓が鳴らされ、取り囲む観客から声援が飛び交い、境内が異様な熱気に包まれます。見ているほうも熱くなるような宮入です。
女神輿に婦人会が頑張っている盆踊りと女性の活躍が目立つ羽根木神社の秋祭りは、明るく、華やかという言葉がよく似合っていました。
* 感想など *
都市部では寺社の参道はどんどんと消えていっています。参道は道であり、その周辺を含めて維持や買収をするとなるととんでもない費用が掛かるからです。
そもそも小さな神社は境内を維持するだけで精一杯で、境内の一部を行政に売って公園にしてもらい、社殿の改修費などに充てているのが実情です。
そうは言っても昔から神社とこの土地を守ってきた住民としては残せる風景はできる限り残しておきたいという思いを持つのは当然かと思います。
でも狭い場所に多くの人が暮らす都市部ではそういった理想的な主張よりも現実や規則、そしてお金が優先されてしまいます。
人と人、人と自然、人と動物、そして人と神様、うまく共存できればいいのにな。中途半端な状態の参道を見ながら思ってしまいました。
せたがや百景No.16 羽根木神社の参道
ー 風の旅人 ー
2018年11月改訂