世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.3

八幡山八幡神社例大祭

せたがや地域風景資産 No.3-15

八幡山の八幡社

毎年9月22日、23日に行われる八幡神社の祭礼では八幡山ご自慢の山車が運行され、一際目を引きます。

鎮座地 : 八幡山1-12-2  氏子地域 : 八幡山1~3丁目(一部を除く)
御祭神 : 誉田別命(応神天皇)、倉稲魂命(相殿)  社格 : 旧八幡山村村社
例祭日 : 9月22日(本祭)と翌23日
神輿渡御 : 宮神輿、山車、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 20店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 旧八幡山村と八幡神社 ***

八幡山八幡神社の写真
鳥居と境内

広くもなく、狭くもなくといった感じです。

八幡山八幡神社の写真
社殿

昭和46年に建てられたものです。

八幡山八幡神社の写真
社殿横に並ぶ記念碑

これ以外にも幾つか並んでいます。

八幡山八幡神社の写真
ラジオ体操の案内板

夏にはラジオ体操の会場となっているようです。

八幡山八幡神社の納涼まつりの写真
八幡山町会納涼まつり

8月下旬に行われます。

八幡山八幡神社の納涼まつりの写真
納涼まつりの様子

多くの人で賑わいます。

* 旧八幡山村と八幡神社について *

京王線の八幡山駅の南側に八幡山町が広がっています。八幡山町は環八通りが左辺、旧滝坂道の118号線が底辺、赤堤通りが右辺の三角形というか、京王線が短い上辺となった台形の形をしています。八幡山の名はこの地に建てられた八幡社に因んで付けられたものだと言われています。

更に昔の記録の中には梶山村(鍛冶山村)という呼ばれ方もあり、鍛冶屋が必要とする炭をまかなう山(森)だったからそう呼ばれたのではないかと推測されています。実際、縄文時代の八幡山遺跡から17世紀のものと思われる炭焼窯も発掘されています。

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八幡山は今でもそんなに広い町域ではないのですが、町域変更が行われる前はもっと狭く、環八付近は粕谷町でした。狭い上に水にも恵まれていなく、江戸時代は世田谷区内でも極端に石高が低く、貧しい村でした。これは水利が悪いのもありますが、世田谷を治めていた井伊家の御林に指定されていたのもあります。

時代が明治になっても高台で水利に恵まれない上に、御林だったので雑木林ばかりといった土地柄、人口が増えることがなく、大正二年に京王線が開通しても当時は八幡山の駅がなかったのもあってほとんど人口が増える事がなく、大正九年の国勢調査でも24世帯154人と寒村のままでした。

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関東大震災後には復興のため杉の需要が高まり、八幡山の杉はほとんど伐採され、売りに出されたそうです。そして杉林が伐採された後地に竹を植えてタケノコを栽培し、それが貴重な収入源となり、また村も開けました。

戦後になると、新宿からそんなに離れていない広大な未開拓の土地は魅力的で、竹林や雑木林、そして畑がどんどん宅地化されていき、人口が爆発的に増えていきました。農業には不向きな土地でも住宅地としては最適だったようです。

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人口が少なく、貧しかった八幡山村の氏神様が八幡社でした。神社は古くからあったようですが、もともとこの付近は船橋村だったとか。そして船橋村というのは湿地帯が多く、鎌倉時代などには鎌倉道に浮かんだ筏のような舟を繋げた橋が架かっていて、そのことから村の名が名付けられたとされています。

その船橋が架かっていたのが八幡神社の南側で、八幡社は船橋や鎌倉道の安全を見守るように建てられたとか、或いは船橋で亡くなってしまった人の霊を慰めるために建てられたのではといった説もあります。その真偽は分かりませんが、現在の社殿に建替えの際に奥宮の裏から文化七年(1810年)の記が見つかっています。

また狛犬も元治元年(1864年)に寄進されたという記があるので、江戸時代からこの地域の氏神様だったのは確かです。明治6年に村社となり、明治42年に合祀令により稲荷神社を合祀しますが、昭和11年には再び元の場所に戻されています。昭和46年に建替えが行われ、翌47年に現在の社殿が完成しています。

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現在の境内はきれいに整備されていて、都会的というか、公園的というか、シンプルな境内となっています。ある意味境内らしくないのですが、逆にイベントなどを行うには平坦でやりやすいかと思います。そういった境内を利用して秋祭り以外にも青年会によってイベントが行われていて、夏にはラジオ体操の会場になっていたり、下旬頃には八幡山町会納涼まつりが行われます。

納涼まつりといっても青年会が中心となって出店を出すだけですが、夏の夜の納涼を求めて多くの人が集まります。このように神社は地域の人々の憩いの場所であり、交流の場にもなっていて、第三回のせたがや地域風景資産にも選定されています。

*** 八幡山八幡神社の秋祭りの様子 ***

八幡山八幡神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの境内

多くの屋台が出て賑わいます。

八幡山八幡神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの境内

子どもの姿がよく目に付きました。

八幡山八幡神社の秋祭りの写真
拝殿

拝殿前も子どもたちだらけでした。

八幡山八幡神社の秋祭りの写真
奉納演芸

神楽殿がないので地面で行われます。

* 八幡山八幡神社の秋祭りについて *

八幡山八幡神社の祭礼は毎年日にちが決まっていて、9月22日に本祭と宵宮、23日に神輿渡御が行われます。基本的に秋分の日は9月23日ですが、暦上、近年では閏年に22日になる場合があり、その時は現在の交通事情や氏子の事情によって日程が変更されるかもしれません。

祭礼は22日の10時から式典や祭事が行われます。夕方18時半頃から芸人による奉納演芸が行われます。神楽殿がないので境内の地面の上で行われるのですが、これでは大道芸そのものといった感じです。そして演目が終わった後ビンゴ大会が行われ、盛り上がったところで宵宮が終わります。翌日は朝9時から神輿渡御が始まり、夜に神社に戻ってきます。境内に多くの出店が出ることから夕方から夜にかけては両日とも混み合います。

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現在の祭礼は色々と賑やかに執り行われていますが、かつては村が小さく、人口も少なく、裕福でもなかったので、神社に村人が集まってお酒を飲むだけといった「とっくり祭」だったそうです。他の村でもとっくり祭は行われていましたが、それは不作の時とか、何年かに一回行われる盛大な祭りのための資金繰りとかといった事情があったのですが、ここのように毎年とっくり祭が秋祭りだった地域はありません。

そういう意味ではやはり特殊な環境だったのでしょう。戦後になると人口が増え、念願だった神輿を購入し、盛大に祭りが行われるようになります。畑がなくなってから収穫を祝う秋祭りが盛大に行われるようになるというのも皮肉な話です。そして今では世田谷で一番立派な山車を所有していたりします。その反面、神楽殿がなかったり、お囃子連がいなかったりと少しちぐはぐな感じも受けます。

*** 八幡山八幡神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

八幡山八幡神社の秋祭りの写真
出発

山車、子供神輿も同時に出発するので賑わいます。

宮出し

鳥居から宮出しされます。

子供神輿

子供達も揃いの半纏で担ぎます。

山車

山車に乗る年輩の方のうれしそうな事・・・。

大人神輿の渡御

朝は大人しい感じの渡御です。

お菓子を待つ

子供が多いので配るのも大変です。

間もなく宮入

女性の担ぎ手も結構いました。

宮入してきた神輿

参道を進んで拝殿前に進みます。

乱闘騒ぎでめちゃくちゃな宮入

てんやわんやな宮入でした。

八幡山八幡神社の神輿渡御は毎年9月23日に行われます。宮出しは朝9時で、宮入は19時半頃。渡御時間が長いのが特徴です。神輿は新しく昭和53年に地元宮大工が建造したもの。台座は二尺二寸、延軒屋根、勾欄造りです。その他、子ども神輿と立派な山車も渡御します。

ここの山車も神輿と同じ年に建造されています。区内の山車はトラックを改造したものがほとんどなので、さすがに存在感があります。彫刻とか中身とかはよく分かりませんが、見た目では世田谷で一番立派な山車となるかと思います。八幡神社の祭礼以外でも毎年区民祭の神輿パレードで先陣を切っています。区民祭での渡御の様子や、地元の祭りでの様子を見ると、八幡山のご自慢の一品といった感じでした。

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宮出しは朝9時という少し早めの出発となります。その分というか、すがすがしい感じの宮出しで、青年会の人たちが朝から頑張っているなといった見ていて気持ちいいものでした。渡御は大人神輿が鳥居から早々に宮出ししていき、その後から山車が脇から出発、その後ろを子供神輿が付いていっていました。最初の休憩場所はすぐ近くで、別々に休憩を取っていましたが、この後一緒に渡御を行うのかどうかは見ていないので分かりません。

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宮入は19時半頃なのですが、宮入する前から担ぎ手のまとまりがなく、酷い状態でした。何度も喧嘩が起きるし、一番しっかりしなければならない責任者まで喧嘩に加わっているといったあきれる状態。宮入してからも喧嘩は起こり、もうめちゃくちゃな宮入でした。

朝の雰囲気のいい宮出しの面影はどこへやら。多くの子どもたちが見ているのにいい大人が何やっているんだといった感じの宮入になっていました。この年がたまたまだと思うののですが、ちょっと残念な印象を受けた神輿渡御でした。

* 感想など *

八幡山は小さな町域です。駅周辺は高井戸、上北沢が大半を占めるので、大きな商店街があるわけでもありません。集合住宅も多く、おまけに古くからの家というのも少なく、新しい町といった印象を受けます。そういった地域では色々と行事を行うのに人が集まらなかったりと困るものですが、ここでは春には桜祭り、夏には盆踊りや納涼会、秋には八幡社の秋祭りと定期的に色々なイベントを行っていて、参加する子どもたちも多いように感じます。

町内会、或いは青年会などの団体が積極的にイベントを行い、住民が参加しやすい環境を整えているからなのでしょう。八幡山はかつて貧しく、お祭りをしたくても人はいないといった寒村でした。そういった歴史を知ると、老人達が自分たちの若い頃にできなかったことを教訓に色々と知恵を貸しているのでは・・・・などと勝手に勘ぐってしまうのですが、どうなのでしょう。

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秋祭り以外でも八幡山の行事の雰囲気はよく、秋祭りでも全体的にはいい印象を受けたのですが、神輿の宮入だけはよくありませんでした。あれさえ見なければよかったのでしょうが、見てしまったので印象は最悪です。正直、今まで見てきた中で一番最悪な宮入でした。

印象を悪くしているのは、とばっちりを受けたのが多分に含まれています。アル中の父親を持つ私としては酔っぱらいの喧嘩に関わる無意味さを身にしみているので、神輿で喧嘩が起きても絶対に近づかないのですが、写真を撮っていたら取っ組み合いながらこっちに来てしまうし、目の前で血を流しているし、他に止める人がいないし、仕方なく押さえるのに力を貸したのですが、その見返りは頭上から降り注ぐ日本酒でした。

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総代だか、役員だか知らないけど、喧嘩をやめろというつもりで日本酒をぶっかけのでしょうが、仲裁に入った私に掛けてどうするの?そもそも日本酒をかけて何がしたいの?これで喧嘩が収まるわけないだろうに。酔っぱらいは本当に嫌です。

おかげで私の頭は酒でべたべただし、服も鞄もぬれて、おまけにカメラも酒がかかって大掃除するはめに。喧嘩を止めた見物人がこんなになっているのに誰も謝りにも来ないし、せめてタオルぐらい貸してくれてもいいのでは。神輿責任者は短気を起して喧嘩しているし、役員の年寄りは短絡的だし、そう考えると宮入が最悪だったのも納得できてしまいます。でもきっとこの年が特別だったのでしょう。そう願いたいです。

<世田谷の秋祭り File.24 八幡山八幡神社例大祭 2013年8月初稿 - 2015年10月更新>
( せたがや地域風景資産 No.3-15 八幡山の八幡社 )