世田谷散策記 タイトル
せたがや百景 No.50

上祖師谷神明社

上祖師谷4-19-24

浅葱色をした社殿は昭和41年に建てられたもの。江戸時代から上祖師谷の鎮守だったと思われます。神明社の脇を通る道は、昔「滝坂道」といわれた街道で、現在も交通量は多い。時代の激しい移り変わりをじっと見つめてきたお社です。(せたがや百景公式紹介文の引用)

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1、上祖師谷と神明社

祖師谷周辺の地図(国土地理院)
祖師谷周辺の地図

国土地理院地図を書き込んで使用

滝坂道の西端に位置するのが、かつて上祖師谷村だった上祖師谷です。仙川沿いにある都立祖師谷公園付近です。

上祖師谷の南には祖師谷があります。祖師谷村とは一つの村でした。祖師谷の名前は、昔この地に地福寺があり、この寺に祖師堂があった事に因んでいるのでは・・・と言われています。

祖師谷村が上下に分かれたのは元禄八年(1695年)の検地の時で、元禄十一年以降は幕末まで両村とも天領になっていました。

明治、大正と時代が進むと、村の北に京王線、村の南に小田急線が開通しますが、祖師谷の南部以外は駅から離れていることもあって、人口が急激に増えることはありませんでした。村は農業従事者が多く、仙川を中心に田や畑が広がっているような純農村地帯でした。

1940年代後半の神明神社周辺の航空写真(国土地理院)
1940年代後半の神明社周辺

国土地理院地図を書き込んで使用

戦後間もない頃の航空写真を見ると、上祖師谷神明社付近一帯は、田んぼと畑しかないような風景なので、ビックリしてしまいます。

上祖師谷の人口が増えたのは戦後になってからで、仙川の護岸工事を機にどんどんと田畑が埋められ、住宅が雨後のタケノコのように建ち並んでいきます。

数字で表すと顕著で、昭和9年には80世帯772人、昭和20年には315世帯1455人、昭和45年には4039世帯11887人と、爆発的に人口が増えていることが分かります。

滝坂街道 地蔵堂と庚申塔
安穏寺近くにある地蔵堂と庚申塔など

交通量の多い街道を見守っています。

上祖師谷を横切っているのが、滝坂道です。滝坂道は、中世に江戸と府中を結ぶ主要街道でしたが、江戸時代になると甲州街道が整備され、裏街道となってしまいます。

裏街道であるゆえに、現代になってもあまり熱心に整備をされることがなかったので、今でも昔の街道の雰囲気が残っています。特に安穏寺から神明社付近は旧街道の趣がよく残っています。

ただ、今でも甲州街道の抜け道として使う人も多く、道幅の割には車の交通量が多いので、歩いたり、自転車で通ると怖い思いをすることがあります。

滝坂道から見た神明神社
滝坂道から見た神明社

滝坂道沿いのこんもりとした丘の上に神社があります。

上祖師谷神明社 石橋供養塔
石橋供養塔

滝坂道沿いにあります。

滝坂道が仙川と交わる場所にかかっている橋は、宮下橋と言います。その名前の通り宮の下にある橋で、この橋のすぐそばの丘の上に、上祖師谷村の村社だった神明社が鎮座しています。

神社の道路沿いには、滝坂道を見守るように石橋供養塔(1767年)が置いてあります。この供養塔は、240年程前に橋の供養をした時のものと言われています。

宮下橋が水害か事故で壊れてしまった時に、今までありがとう。二度と壊れないでね。といった意味合いで建てられたのでしょうか。

上祖師谷神明社 鳥居と社標
鳥居と社標

シンプルな靖国鳥居なので、質素な印象を受けます。

上祖師谷神明社(神明神社)は、上祖師谷村の古くからの氏神様になります。創建、歴史などの詳細はわかっていませんが、元禄年間(1688~1703年)に建立されたのではと言われています。

歴史を紐解くと、ちょうどその頃に祖師谷村が上、下それぞれに分かれているので、村人が新たな村の繁栄を願って勧請、或いは分社したのかもしれません。

神明社とは、太陽神であり、皇室の祖神である天照大神を主祭神とした神社になり、農耕祭礼と結びつき、新田開発の際に創建することが多かったようです。

天照大神を祀った神社は、他に神明神社、皇大神社、天祖神社とありますが、これらは呼び方が違うだけで、基本は同じ種類の神社です。そして天照大神信仰は、伊勢神宮内宮を総本社とするので、「お伊勢様」の通称で呼ぶ人もいます。

上祖師谷神明社 社殿(塗り直し前)
社殿(塗り直し前)

柱が浅黄色をしていました。

神明社なので、社殿は一応神明造をしています。神明造とは、簡単に書くと高床式倉庫から発展した社です。奥行きより幅が大きく、床が高いのが特徴になります。

また構造的に左右対称で造られ、掘建柱、切妻造、平入といった建築様式が定番となっています。ただ、木造建築をする場合の建築様式なので、コンクリート造の場合は、外観だけ神明造っぽくなっているといった感じです。

上祖師谷神明社 横から見た社殿
横から見た社殿

コンクリート造りながら美しい神明造の社殿となっています。

現在の社殿は、昭和42年に再建されたコンクリート造りの社殿で、2008年に境内の整備とともに補修されました。

百景の文章では、浅葱色(あさぎいろ=ごく薄い藍色)となっていますが、改修によって薄いピンク色になっていました。特に浅葱色にこだわりはなかったようです・・・。

ただ、銅葺の屋根からの色落ちや錆で、土台のコンクリ部分が浅黄色になっていました。この神社は、浅葱色とは切っても切れない運命にあるのかもしれません。

昭和42年以前の社殿は、明治45年に再建されたもので、社務所は昭和10年に建てられたものだったのですが、昭和41年の台風で、社務所は倒壊。社殿や境内も大きな被害が出てしまいました。当時は南の丘は畑ばかりで、家や木がなく、まともに風が吹き抜ける状態だったそうです。

再建に当たっては、現在神社の北側に小さな上祖師谷神明公園がありますが、それを区に売ったお金と、氏子から寄付を募って、社務所と社殿の再建費用に当てたそうです。現在では頑丈なコンクリート製なので、少々風が吹いても大丈夫そうです。

上祖師谷神明社 境内社が並ぶ神域
境内社が並ぶ神域

社殿の左右にあります。木のぬくもりがいいのか、猫の寝床になっていました。

社殿の横には、向かって右側に3つの社、左側に2つの社が祀られています。どちらも鳥居で隔たれた神域となっていて、中に入れないようになっています。

これらの小さな社群は、厳嶋社、三峯社、諏訪神社、秋葉神社、稲荷社で、上祖師谷の各地に祀られていたものが、移されました。これらの境内社も2008年に新築されたので、まだ木の香りがしそうなぐらい新しいです。

その他、境内に残る石灯籠には「享和元年(1801)九月」、手洗石には「文久元年(1861)建立」と刻まれていて、この神社の中では古い物となっています。

上祖師谷神明社 ヤマトアオダモの根
ヤマトアオダモの根

とても荒々しく存在感があります。

また、滝坂道から社殿への斜面にはツツジなどが植えられていて、緑豊かな丘といった感じですが、その中に一際大きな木があります。

この木は「世田谷の名木百選」に選ばれているヤマトアオダモで、その根の凄い事。かなりの存在感があります。それよりも見る人が見たなら、根っこよりもこの木自体が都市部では珍しい存在になるようです。

上祖師谷神明社 夏に行われる夕涼み会
夏に行われる夕涼み会

小さなステージイベントが行われます。

全体的には地味な感じのする神社ですが、夏には納涼夕涼み会などが行われたりと、地域のコミュニティーの中心的存在となっています。

昭和の初めには、田畑ばかりで千人も暮らしていなかった地域が、今では田畑は消え、代わりに3万人も暮らす住宅地へと激変しました。

時代の変化を見守り、台風で神社が倒壊したり、仙川の水害を経験してきた神社と氏子たち。古くからの住民にとっては、地域の風景は変わってしまっても、神明社は人の心の拠り所であることには変わらないようです。

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2、上祖師谷神明神社の秋祭り

上祖師谷神明神社の秋祭り 鳥居前の幟
鳥居前の幟

幟が立つと秋祭りといった雰囲気になります。境内には所狭しと屋台が並んで賑わいます。

上祖師谷神明神社の秋祭り 屋台が並ぶ参道
屋台が並ぶ参道

夜には結構賑やかな感じになります。

秋の例大祭(秋祭り)は、昔は10月1日に本宮が行われていましたが、今では週末に移されて、10月第1日曜日に本祭、前の日に宵宮が行われています。

土曜日は宵宮では、地元の有志による素人演芸が19時より行われます。日曜日の本祭では、午前11時より神輿の渡御が行われ、19時からプロによる奉納演芸が行われます。(2009年、2012年の訪問時)

境内はそこそこ広いので多くの出店が並び、多くの人が訪れ、普段とは比べものにならないほど賑やかになります。特に夜になると華やかで、普段は真っ暗で存在感のあまりない丘が明るくなり、闇に浮かび上がるような感じになります。

おそらく昔も今もあまり祭りの雰囲気は変っていないのではないでしょうか。昔ながらの素朴な感じのする秋祭りです。

上祖師谷神明神社の秋祭り 神輿の出発式
神輿の出発式

挨拶や半纏合わせが行われます。

上祖師谷神明社の例大祭では、日曜日に宮神輿の渡御が行われます。

神輿渡御は、11時前に挨拶とか注意事項の説明が行われ、担ぎ手たちの自己紹介的な半纏合わせが行われます。世田谷の西の端らしく、区外からの応援も多いです。

それよりもここの特徴的というか、面白いのは、すぐ目の前に駒澤大学の野球グラウンドがある為、野球ユニフォーム姿の駒大生がいる事です。地域交流で参加しているようです。

近年の駒澤大学の野球部は、あまり話題になることがないですが、一時期はDeNAの中畑監督、広島の野村監督と、プロ野球に駒大野球部出身の監督が二人もいました。そういった伝統のある野球部の助っ人が来てくれるのは心強いし、地域としてもうれしいものではないでしょうか。

上祖師谷神明神社の秋祭り 宮出し
宮出し

静かな感じの宮出しです。

神輿は昭和46年に浅草の宮本重義によって制作された小振りなもので、台座が一尺六寸の勾欄造り、延軒屋根には大きめの菊の紋が入り、駒札は神明社が掲げらます。

神輿は鳥居のある階段からではなく、横の坂から神社を出て行きます。そして神社の下で太鼓車と合流し、先頭にお囃子を載せたトラック山車、次ぎに太鼓車、そして子供神輿に続いて大人神輿といった順番で町内を回っていきます。

上祖師谷神明神社の秋祭り 滝坂道を渡御する様子
滝坂道を渡御する様子

道が狭いので大変です。

まずは、神社の前の狭い滝坂街道を渡御していくことになります。滝坂道は幅が狭いので、混雑は必死です。

本来ならこのくらいの幅の道なら一時的に通行止めにして、神輿をさっと通したいところですが、交通量が多いし、バス通りでもあるので、そうもいかないようで、神輿も車も窮屈に通らなければなりません。

それでも、普段は車に遠慮しながら通行しなければならないこの道を、今日は車の方が遠慮して進んでいくので、ちょっとうれしいというか、気分的に開放感があるというか、なんか歩いている人の顔が笑顔だったのが印象的でした。

上祖師谷神明神社の秋祭り 大人神輿の渡御
大人神輿の渡御

最初は上品な感じの渡御でした。

町内を回った神輿は、奉納演芸の始まる前、確か夕方18時頃、神社に戻ってきます。宮出しの時とは違った激しい宮入になるのかどうかわかりませんが、きっと賑わうに違いありません。

3、感想など

上祖師谷神明神社の秋祭り
秋祭りのときの神明社

普段は暗い丘が明るくなり、少し幻想的な感じがします。

上祖師谷神明社は、旧道の雰囲気が残る滝坂道や仙川を見下ろす丘の上にあります。そういった絶好のロケーションにより、神社の雰囲気がとてもよく感じます。

特に何があるわけでもなく、凄い由緒とかもあるわけでないのに、せたがや百景に選ばれている事からも、滝坂道を含めた雰囲気の良さは世田谷でも指折り数えてといった感じかもしれません。

そういた雰囲気のいい境内で行われる秋祭りですが、なんか絵になるというか、いい感じです。特に夕方から夜に掛けて境内の屋台に明かりが灯った時の雰囲気は最高です。

神社のある丘が、もあぁ~とした明るさに包まれ、幻想的というと美化しすぎですが、20年前も、30年前もそんなに変わらない雰囲気なんだろうなと感じました。

せたがや百景 No.50
上祖師谷神明社
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所上祖師谷4丁目19−24
・アクセス最寄り駅は京王線千歳烏山駅、仙川駅。あるいは小田急線成城駅。駅から結構離れています。
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・備考ーーー
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