世田谷散策記 ~世田谷を楽しもう!~

散策を楽しもう! 〜散策の勧め〜

趣味がなくて困っていませんか。好奇心や意欲がくすぶっていませんか。

休日にすることがなく、家にこもりっきりだったり、定年後や子供に手が掛からなくなって時間をもて余しているのでしたら、散策をしてみることをお勧めします。

歩くことは健康にもいいし、見聞が広がると、生活が楽しくなったり、新しい趣味や生きがいが見つかるかもしれません。

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* 散策とは? *

疑問のイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

散策って何だろう。散歩とはどう違うのだろう・・・。散策がどういった性質なのかを理解していると、散策もやりやすくなるというものです。

散策について書いていく前に、散策の上位互換的な「旅」についてちょっと触れておきます。

旅・・・、その言葉を聞くと、好奇心が刺激され、心の中にワクワクしたものを感じるのではないでしょうか。

旅といっても、ちゃんとした定義のある言葉ではないので、人それぞれ思い浮かべる旅は違います。一人で世界一周旅行をするのと、家族で行う温泉旅行では趣旨が異なりますし、目的地が一緒でも、個人旅行、ツアー旅行、修学旅行では、旅の様子はまったく異なります。

旅の数だけ旅が存在すると言っても過言ではないので、これが正しい旅だと断定することはできません。

旅行のイメージ(*イラスト:nendoさん)

(*イラスト:nendoさん 【イラストAC】

ただ、旅の本質を突き詰めていくと、外せない核心部分があります。それは「日常の行動範囲や習慣から脱出し、新しい風景や人物、食べ物などの文化に出会うこと」です。

簡単に言うなら、「しがらみのない移動」とか、「脱日常」となるでしょうか。上司などといった上下関係がはっきりとした人と同伴する旅では、日常のしがらみに束縛され、心底楽しめません。

ツアーの団体旅行に参加し、海外を旅行をしても、多くの部分で日常的な日本の村社会のままなので、楽しさの中にもモヤモヤとしたものを感じる人もいることでしょう。

仕事で遠方を訪れる出張も、旅っぽく感じても、行動の中身は日常の延長になるので、旅にはなりません。流浪の民とか呼ばれる遊牧民も、生活のために土地を移動しているだけであって、旅にはあたりません。

海外旅行のイメージ(*イラスト:Saiイラストさん)

(*イラスト:Saiイラストさん 【イラストAC】

時間とお金をかけて長距離を移動し、旅先で日常と変わらない風景を見ても、日常と同じ食事をしても、魂を揺さぶられるような感動は湧き上がってきません。むしろ、せっかく移動してきたのに・・・と、ガッカリ感が強くなることでしょう。

その逆に、日常とかけ離れた風景や建物などには強く惹かれます。そういった風景は手間や時間を掛けてでも見に行きたいと思うはずです。日常と差異の大きな海外旅行が人気なのは、そういった理由からです。

こういった旅の本質を考えたとき、世田谷区民が余暇を利用して旅をしたいと思った場合、同じ区内、もっと言うなら東京23区内は旅の目的地になりにくいです。

逆に、周囲を田畑に囲まれて暮らしている地方の人にとっては、建物だらけの世田谷区内の至る所が物珍しく、旅の目的地になることでしょう。何が珍しく感じるか。どこが旅の目的地として魅力的か。それは日常生活の差異から生まれるものが大きいと言えます。

散策のイメージ(*イラスト:bonbonさん)

(*イラスト:bonbonさん 【イラストAC】

散策もまた、旅と同じで多くの人がその言葉の意味を理解していますが、ちゃんとした定義のない言葉です。それぞれの解釈によって程度や範囲が異なります。

散策と似た言葉に散歩があります。どちらもほぼ同じ意味と考える人もいるでしょうが、散策には「策」の字が入っています。ただ歩くだけではなく、策を巡らせた歩行(移動)・・・というのは仰々しいですが、なにかしら思惑や目的、計画性が入った行為となり、その結果を期待する町歩きやトレッキングとなるはずです。

なんとなくといった惰性や、いつもの習慣で歩くのではなく、目的や計画といった思惑を巡らせながら歩くには、日常の行動範囲や習慣から少し外れないとできません。

商店街のイメージ(*イラスト:アトリエリーフ Atelierさん)

(*イラスト:アトリエリーフ Atelierさん 【イラストAC】

例えば、暇だから最寄り駅の商店街をブラブラしてみようかな・・・というのは、散策よりも散歩の概念が適切で、普段使わない隣の駅の商店街をブラブラしてみようと思い立つのは、何か新しい発見や出会いへの期待がある行為なので、散策になるはずです。

散策の場合だと、旅と違って日常の行動範囲から少し脱出するだけで行えますし、新しい風景や人物に出会うことは望ましいけど、期待するような出会いや結果が得られなくても、大きな不満を感じません。

旅よりもハードルが下がるというか、旅よりも大袈裟ではない旅?ってっ変な表現ですが、日常から少し逸脱した簡易的な旅といった感じでしょうか。

楽しみ方も旅の脱日常、現実逃避的な楽しみに対して、散策は日常の延長上で行える楽しみとなり、強烈なインパクトは・・・あったほうがいいけど、近場の目的地に大きな期待はしていないはずなので、それほど重要ではありません。

そろそろ近所の公園の桜が満開かもしれない・・・といった小さな期待感や、テレビや町の話題、広報誌やタウン誌などの身近な情報源がきっかけとなり、日常的な感覚で楽しむ事ができます。

タウン誌のイメージ(*イラスト:佐桃冬雪さん)

(*イラスト:佐桃冬雪さん 【イラストAC】

それに旅と違って時間に縛られません。日常の中で時間を見つけ、日常にプラスアルファして楽しむことができます。

休日の午後を利用したり、子供が幼稚園に行っている昼間、中途半端に時間が余っているお母さんでも・・・、って、気力があればですが、少しずつ小分けにしてあちこち散策して回ることも可能です。

もちろん子供を自転車で迎えに行った帰りに、今日は桜がきれいだから遠回りして帰ろうか・・・といったことも散策の一つの形です。日常にひと手間加えて、気持を豊かにするといった感じでしょうか。

更に言うなら、旅と違って日常の感覚に近いので、日常の金銭感覚、要はあまりお金を掛けずに行えます。日本人はなぜか旅に出ると懐が緩みがちですね・・・。

土産物を買い込むイメージ(*イラスト:ぺりりかんさん)

(*イラスト:ぺりりかんさん 【イラストAC】

といった感じで、散策は旅のようにしっかりと準備して、遠くへ移動して、大きな感動を味わうのではなく、気軽に近場で小さなワクワク感を探す行為になります。

日常と距離や感覚が近いので、旅のような大きな感動を得るのは難しいのですが、身近にこんな場所があったのか・・・といった新鮮な感動や、家族や知人に教えたくなるようなプチ感動を味わうことはできます。

更に感動や楽しさを増やしたい場合は、少し手間がかかりますが、郷土史や歴史、地理の知識を増やすといいでしょう。歴史的建造物や、町の地形などから見た以上の事が理解できるので、色々見て回るのが楽しくなります。

* 世田谷散策の勧め *

ウォーキングのイメージ(*イラスト:kotoneさん)

(*イラスト:kotoneさん 【イラストAC】

普段の生活で時間をもて余していませんか。定年後だったり、子供に手が掛からなくなり、日々することがないと、時間をもて余しているのでしたら、散策をしてみることをお勧めします。

近年、ウォーキングが人気となっているように、しっかりと長い時間歩くことは、とても健康にいい影響を与えます。利便性の高い都会では、長い時間を歩く機会が少ないので、歩くことが趣味になれば、健康や生きがいという点で大きなメリットがあります。

とはいえ、歩くのが健康にいいというのは頭ではわかっていても、ただ歩くのは退屈です。何かしらの目的や、それなりの楽しさがない限り、長続きするものではありません。

ウォーキングのイメージ(*イラスト:きのさん)

(*イラスト:きのさん 【イラストAC】

それを解決する手段の一つが、散策です。日課としての近所の同じ場所を歩くような散歩ではありません。新しい刺激を求めるのが、散策。簡単に表現するならプチ旅です。

費用もほとんどかからないし、難しい知識も必要ないし、時間も縛られないので、新しく始める趣味としては最適だと思います。

といっても、当てもなく歩いたとしても、すぐに飽きてしまうでしょうし、普段慣れ親しんでいる地元に興味を持つこと自体が面倒に感じるかもしれません。

多くの人が散策に対して抱く思いに、「わざわざ・・・」といった表現が当てはまるのではないでしょうか。わざわざ地元を歩き回るのは面倒だ・・・。わざわざ時間を割いて住宅地ばかりの世田谷を見て回っても面白くない。時間の無駄だ・・・。興味が湧いてこない・・・。

でも、最初はそう感じていても、始めてみると意外に楽しいものです。いや、楽しい町なのです。世田谷は。知れば知るほど興味がわいてくるといった感じでしょうか。

だから何事もそうですが、まずは始める事が大事です。そして楽しくなければ別の趣味を探せばいいのです。

せたがや百景の冊子 世田谷区企画部都市デザイン室発行

*世田谷区企画部都市デザイン室発行

さしあたり目標というか、達成感という点で、せたがや百景めぐりなどがお勧めです。まずは有名な場所から始めていき、気力が続くなら小さなスポットへ足を運ぶといいでしょう。

最後の方は作業的な感覚になってしまうと思いますが、こういったウォークラリー的な目標があれば、初心者でも楽しむこともできるかと思います。

一人で散策するのが嫌なら、NPO団体などが企画している町歩きや史跡を巡る散策に参加するのもいいと思います。知識を持っている人から解説を受けると、理解も早いし、より地元を詳しく知ることができます。それに気の合う散策仲間ができるかもしれません。

ウォーキングの会のイメージ(*イラスト:コバルトいろどりさん)

(*イラスト:コバルトいろどりさん 【イラストAC】

散策のいいところは、散策を行うことで見聞が広がり、興味の対象が増えることです。知的探求は人類だけの特権です。知識が増えると、生活が楽しくなるし、知的探求は脳の老化防止にもつながります。

更には、あちこち見て回っていると、歴史や寺社に興味を持ったり、商店街や建造物、はたまた自然や鳥、カメラや自転車などに興味を持つようになるかもしれません。或いは、どこのお店がおいしいかを食べ比べできるような食通になってしまったりと、違った趣味が増える可能性があります。

ほんと、散策は色んな趣味と組み合わせやすいです。しかも散策だけで行うよりも、他の趣味と同時進行で行うことで、やる気というか、行動への推進力が何倍も増え、楽しさも増します。

ウォーキングの会のイメージ(*イラスト:copeeeさん)

(*イラスト:copeeeさん 【イラストAC】

といった感じで、散策は人生の楽しみの幅が無限に広がる可能性を秘めた趣味だといえます。と、大袈裟にアピールしてきましたが、あくまでもこれは旅好きな私の場合です。人それぞれ、何に楽しみを感じるか、何に感動するかは違います。なので、全ての人に当てはまるわけではありません。

数多くある趣味の中の一つとして、散策が自分に合っていると感じたなら始めてみればいいし、やってみて合わなければ他の趣味を探せばいいだけのことです。

何かをしようと思っているだけでは人生は楽しくありません。新しいことに挑戦することこそが、何かを変えるきっかけになったり、日々の生きがいや楽しみにつながるものです。何事もまずはやってみることが大事ではないでしょうか。

* 認知症予防としての散策 *

脳のイメージ(*イラスト:カフェラテさん)

(*イラスト:カフェラテさん 【イラストAC】

人間の脳は40歳ぐらいから機能が衰退していくようです。記憶力が衰えたり、判断力が鈍ったり、集中力がなくなっていきます。

普段から仕事や日常生活で脳を動かしている人は、急激に衰えを感じることはありませんが、定年となり、急に脳を動かさない生活になったり、目的意識もなく、ダラダラと単調な生活をしていると、思考する能力が退化し、脳の萎縮が進んでいきます。その結果、早いペースで物忘れが酷くなったり、認知症になってしまう人もいます。

脳の活性化のイメージ(*イラスト:白いねこねこさん)

(*イラスト:白いねこねこさん 【イラストAC】

脳の老化や萎縮の原因の一つは、脳に刺激が少ないことです。刺激といっても、テレビを叩いて直すような事ではなく、脳に新鮮な体験をさせたり、新しいことを学習をさせたりと、活発に、尚且つ、臨機応変に働かせる事です。なので、認知症予防に大事なのは、趣味を持つことや日々多くの人と話すことだと、一般的に言われています。

但し、前提として、脳に強いダメージを与えるようなこと、例えばサッカーのヘディングやボクシングなどの直接的なダメージ、脳が萎縮するような強度のストレス、過度な飲酒や薬物の摂取などを避けることが大事です。

年を取ると、生き甲斐がなくなったり、行動のバリエーションが少なくなり、日々の生活が単調になりがちです。これも脳に刺激の少ない状態になり、老化の進行を早める恐れがあります。

それを改善させるために、地域活動に参加したり、趣味を持つことが大事です。地域活動に参加すれば人とのコミュニケーションをとる機会が増えるし、趣味があれば、趣味に没頭している時間は楽しく過ごせるし、趣味に関することなら新しい知識を吸収することもそんなに苦にはなりません。それに趣味を通じて人と話す機会が増えれば、なお良しといった感じです。

地域活動のイメージ(*イラスト:タービタービさん)

(*イラスト:タービタービさん 【イラストAC】

人それぞれ興味や生活習慣が違うので、何が一番いいということはできません。地域活動やボランティアを生きがいにしている人もいれば、スポーツを趣味にしている人もいます。それぞれの好みで選べばいいのですが、人付き合いが苦手だと、年をとってから社交的なことを始めるのは抵抗があるかもしれません。

趣味はあっても、月に一回の山歩きとか、テニス教室で、日常的にあまり人と接する機会がないという人もいるかもしれません。もし、趣味が無かったり、手持無沙汰感があるのでしたら、散策をお勧めします。

散策は誰でも行えます。そして、認知症予防になりえると考えられます。歩くこと自体が健康によく、更に歩きながら視覚的に刺激を受けることが脳にいい影響を与えます。朝夕に公園を歩いている年配の方をよく見かけるのも、そういった健康を考えてのためです。

ただ、何も考えず毎日同じ場所を歩いていても、日常のマンネリに他なりません。健康には良くても、脳を鍛えるという面では少々心もとないです。

計画のイメージ(*イラスト:ぴかちゃんさん)

(*イラスト:ぴかちゃんさん 【イラストAC】

散策の場合は、この季節ならどこの景色がいいだろうといった目的地を選別するための推察や、今日はどこへ行って、どこを回って、あそこで夕飯の買い物をして帰ろう・・・というような、ちょっとした計画性が必要になります。

この思考や計画性が大事で、計画を立てて、歩きながら考え、新しいことを見たり知ることで、脳が刺激を受け、活性化してくれます。また、花が咲いていなかったら、3日後また訪れてみようとか、咲いていた場合でも、違う時間帯に来てみよう・・・などと、次の行動につながる可能性があります。

頻繁に全く知らない場所を訪れるという行為も、いい影響を与えることでしょう。例えば、訪れたことのないスーパーで買い物することは、勝手がわからないので、とても面倒に感じます。マンネリな生活をしている人にとっては、ちょっとした意欲や行動力が必要です。これと同じことで、新しい場所をどんどんと訪れるといったことの継続で、意欲低下予防にもつながると期待できます。

それに地域のことをよく知れば、日常の会話でのレパートリーが増えるし、散策名人になれば、一人で散策をためらっている友人や知人からもよく誘われて、交流関係にもいい影響を与えることでしょう。

楽しく町歩きをするシニアのイメージ(*イラスト:カフェラテさん)

(*イラスト:カフェラテさん 【イラストAC】

といった感じで、散策は気軽に、そしてあまりお金をかけずに認知症の予防になりえます。もし、趣味がなかったり、家でじっとしがちな両親がいれば、情報を積極的に与えて外出しようとする気持ちにさせてあげるといいと思います。認知症になってしまうと本人が辛いのはもちろん、家族も大変な思いをします。

とはいえ、「このままだと認知症になってしまうでしょ。ちょっとは外に出たら。」と子供に言われて、素直に「はい」と出かけるほど親のプライドは低くありません。口喧嘩になり、よけいに家から出なくなってしまう場合もあります。

「この前テレビでやっていた下北沢のケーキが食べたいのよ。今日暇なら買ってきて。」と頼んでみるとか、「梅が丘の羽根木公園の梅が見ごろで梅まつりをやっているらしいよ」などと教えてあげるような勧め方がいいと思います。散策しやすいようにさりげなく地図などを用意してあげることも大事です。

迷子のイメージ(*イラスト:麦さん)

(*イラスト:麦さん 【イラストAC】

ただ、もう既に認知症の兆候がある場合は気を付けましょう。認知症になり始めて散策が趣味になると、家に戻ってこれなくなってしまったり、落とし物を遠くの警察署に取りに行くことが続発するので、家族としては大変です。

もし認知症になり始めている場合は、周囲の人間に見守ってもらうためにも、近所の定番コースだけにしたほうがいいです。そして、混雑した駅前商店街よりも車の往来が少ない緑道や公園などのほうが適しています。

とはいえ、散策を行うことで、徘徊しやすくなるといった可能性もあります。現実的なものの見方をすると、昼間に仕事等で留守をしている家族としては、できる限り家から出ないでほしい・・・というのが本音になるでしょうか。

結局のところ、認知症対策や認知症の介護は、本人の性格、家庭の介護事情によって何が正解か、何ができるかは異なります。なかなかサザエさんのような大家族で暮らしている人は少ないので、どこの家庭でも温かく見守るなんてことはできません。できる範囲で最適解を見つけるしかないのが現状です。

散策を楽しもう! 〜散策の勧め〜 2025年5月改訂 - 風の旅人
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