上町天祖神社と例大祭
世田谷1-23-5ボロ市通りにある天祖神社は上町が氏子地域の小さな神社です。地元小学生が奉納演芸を行ったり、神輿を担いだりと小規模ながら楽しそうに行われる祭りです。
1、上町と上町天祖神社について
*国土地理院地図を書き込んで使用
現在の世田谷の行政の中心は区役所のある世田谷4丁目になります。時代をさかのぼっていくと江戸時代は代官屋敷のある世田谷1丁目、その前は世田谷城のある豪徳寺2丁目となり、これらはいずれも1キロ以内にあるので、今も昔もこの付近が世田谷の中心ということになります。
この三カ所は全く関係のない場所ではありません。世田谷城が整備されたのが室町時代。その頃、区役所のある付近を鎌倉道が通っていてちょっとした宿場になっていました。古い字でも元宿と付けられています。
また、この付近は高台になっているので見晴らしが良く、後には武家屋敷が並ぶようになったそうです。
*国土地理院地図を書き込んで使用
少し時代が進み、戦国時代になると、鎌倉道よりも厚木方面に抜ける大山道(矢倉沢往還)が重視されるようになり、戦国時代の後半、新たに新宿が設けられました。それが代官屋敷のあるボロ市通りになります。
昔は上宿、下宿と分かれていました。ボロ市通りを含む上宿は後に字の上町となり、現在の世田谷1丁目のボロ市通り付近と世田谷2丁目になります。下宿の方は下町と名付けられ、駒沢公園通りから東側になります。
茅葺屋根の門です。
かつての世田谷のメインストリート、現在では冬の風物詩として全国的に名が知れるボロ市が開かれるのが、ボロ市通りです。
ボロ市通りの中心は代々代官職を努めてきた大場家の屋敷を利用した世田谷代官屋敷で、現在でも現存していて、一般に公開されています(内部は土間だけ入れます)。
同じ敷地内には、世田谷郷土資料館も建てられていて、世田谷の歴史やボロ市の歴史などを知ることができます。
建物の間にあるといった感じです。
この代官屋敷と通りを挟んであるのが、世田谷信用金庫や上町まちづくりセンターで、その間に挟まれるような形で天祖神社の参道があり、奥まったところに社殿があります。
広場にぽつんと神社があるといった感じです。
この上町天祖神社は稲荷社が相殿となっていて、天照大御神と倉稲魂神が祀られています。創建年代や由緒は不明ですが、中宮として保存されている本殿の沓石に刻まれている文字によると「此の祠は昔伊勢森にあった。その始めは不詳、今嘉永己酉夏予小吏郷民に命じて新しく祠を字上町に造らしめた」とあり、恐らく横根の伊勢森(桜や経堂付近でしょうか?具体的にどこか不明)にあった稲荷社の祠をこの地へ移して相殿とし、嘉永己酉(1849年)に新たに祠を創ったという事のようです。
ただ、この社殿の造りは向唐破風屋根の宮殿造り。稲荷社の社殿造りとは建築様式が異なっているので、言い伝えとは別の曰くがあるのかもしれません。この社は昭和55年に区に寄贈され、現在は郷土資料館に展示されています。
小ぶりな神明造りの社殿です。
天祖神社は上町の鎮守として人々の信仰を集めていましたが、村の守り神としての村社ではなく、字の守り神といった位置づけでした。その為、明治41年の政府による小社合祀の令の一村一社の原則に従い、明治42年6月に世田谷村の鎮守世田谷八幡宮に合祀しなければなりませんでした。
この時、一度神社は廃止されましたが、上町の人々の要望により、昭和6年に本殿を建て直し、再建しました。
昭和7年に世田谷区が誕生します。この時、上町は旧世田谷一丁目に組み込まれました。終戦を迎えると、寺社は政府の管轄から離れ、小社合祀の令も守らなくてもよくなり、昭和29年には設立登記し、社殿ならびに社務所を建設して神社としての形式が整えられました。
神社の前は広場になっています。
昭和41年には大規模な町域変更が行われ、旧世田谷1丁目は現在の世田谷1~4丁目という住所となり、旧上町の町域にあたるのは現在の世田谷1、2丁目になります。
それと同じくして天祖神社も改築を行い、現在の境内配置になりました。それまでは今の鳥居のところに社殿があり、社務所はその裏にありました。
現在の天祖神社は、参道から入っていくと社殿や鳥居前に大きな広場があります。この広場はボロ市などのイベントにも使われています。とても広々とした境内を持っているようにもみえますが、この広場の境界は曖昧です。実際、神社の前の広場は区立公園である世田谷天祖神社広場となっています。
神社の敷地なのか、区の土地なのか、神社の土地を区が借りて公共の場にしているのか、神社関係ではこういうあいまいな土地が多くあります。
宗教という要素も関わり、行政が特定の宗教を優遇するな、と、たまに問題となっていたりします。あまりはっきりとしたくない部分なのかもしれません。
社殿部分は柵が設けられていて、普段は中には入れません。
狛犬や境内社がありました。
社殿の前にはコンクリート造りの大きな鳥居があります。鳥居をくぐってお参りとなるのですが、社殿の建物には近づけないように、社殿の周りは頑丈な柵で覆われています。広場で遊ぶ子供たちが入ったり、ボールなどが入らないようにしているのでしょうか。
多分この柵で覆われている部分が、現在の事実上の神社の敷地となるはずです。広々としているようで、とても窮屈にも見える神社です。
社殿は小ぶりの神明造の建物で、柵に囲まれた社地の中には、賽銭箱、そして狛犬や境内社が置かれています。
普段は広場で遊ぶ子供達や通行人がいるぐらいですが、冬のボロ市、夏の鷺草市と盆踊りの時はとても混雑します。特にボロ市は何十万という人出があるので、広場も一日中大混雑です。そういった日に訪れると、神社が柵で覆われていると地域の人は安心してこの場所でイベントを行えるだろうな・・・と思いました。
2、ボロ市とさぎ草市
上町天祖神社がある場所は、かつての世田谷のメインストリート。そして現在では、世田谷の冬の風物詩、いや、東京の冬の風物詩の一つになっているボロ市が開催されている場所です。特殊な場所に神社が位置していることになります。
神社で行われるイベントといえば、秋祭りに盆踊りが定番。その他には地域の縁日的なこととか、骨董市や植木市みたいなことが行われる程度でしょうか。
しかし、ここではボロ市の会場となったり、ホタル祭りとサギ草市の会場となったりと、大きなイベントの会場にもなります。
・せたがやボロ市
代官屋敷や世田谷信金金庫のある付近に本部が置かれます。
ボロ市が開かれるのは、年に4日間。曜日に関係なく毎年12月15、16日と、1月15、16日です。
毎年開催期間中には、代官屋敷前のボロ市通りを中心に700近くの露店が軒を連ね、一日20~30万人の人で賑わいます。特に週末と重なったときの混み具合はアメ横並みで、身動きが取れなくなることもあります。
ボロ市の起源は、北条氏政が世田谷新宿で天正六年(1578年)に楽市(市場税を免除した特別な市)として認めた六斎市が始まりだと言われています。
あれ、戦国時代の世田谷って、世田谷城主の吉良氏が治めていたんじゃなかったの?ってことになりますが、この時の吉良家当主は、北条から養子として迎えられた吉良氏朝です。もはや北条の一部といった状態だったのです。
ボロ市保存会による展示です。いわゆるこれがボロで、ボロ市の起源です。
なぜボロ市というのでしょうか。現在のボロ市では骨董品の店が多く並び、ボロ市=ガラクタ市といった勘違いしてしまいやすいですが、ボロ市の由来はちゃんとボロにあったりします。
それは農家の作業着のつくろいや、わらじになえこむボロが安く売られていて、それが市の目玉的存在となっていたからで、いつとなしにボロ市の名が生まれたようです。
とりわけ草鞋(わらじ)をボロと一緒になう(編み込む)と、何倍も丈夫になるというので、民は争って買ったようです。これぞボロ儲け!・・・というのは、言葉の意味が違い、ボロ儲けは「ぼろい儲け」の言葉で全く関連はありませんでした・・・。
明治中頃にはボロ専門の店が十数件もあり、午前中にはほとんど売切れになったほどの盛況ぶりだったとか。この時期にボロ市の名前が世間一般的に確立したようです。とはいえ、正式にボロ市という名称になったのは、戦後のことのようですが。
多くの人が訪れ、賑わいます。
最近のボロ市は何でもありといった雰囲気です。フリーマーケットと歳の市が混じったような感じでしょうか。売られているものも骨董品からアジアン雑貨まで多種多様です。
特に近年はアジア雑貨を売る店が増えたなといった感じを受けます。ペット関係の店も多くなりました。売られているものは流行が影響するので、毎年訪れていると、出店の様子で流行り廃れを感じることができるでしょう。
店で一番多いのは、食品関係です。行列ができているのも食品関係の出店ばかりです。祭りの縁日的な感じで、おいしそうとか、家族に買って帰ると喜びそうとか、衝動的に買ってしまうものがよく売れている感じです。
中でも、本部のある世田谷信用金庫の裏側、天祖神社前の広場の隅っこで売られている代官餅は、ボロ市名物とも呼べる商品になりつつあるようで、毎回大行列ができています。
「きなこ、あんこ、からみ」の三種類が各600円でずっと売られていましたが、近年、徐々に値上がりしていき、今では1000円になってしまったようです。そこそこ値段がしますが、その場で蒸して造っているので、温かく、またボリュームもある事から人気となっているようです。
神社の参道には植木屋がずらっと並びます。
ボロ市通りは賑わいますが、ここは夕刻以降は静かです。
神社の前が植木市で賑わうといった感じです。
飲食店やら雑貨が並ぶメインストリートとは一転して、天祖神社の参道や神社前の広場には植木屋が並びます。その様子は植木市。ここだけ趣きが違った空間になっています。
昼は代官餅の売り場がそばにあるので、ある程度混雑しますが、夜にもなると人が少なくなり、落ち着いた雰囲気になります。
・ホタル祭りとサギ草市
ボロ市と同じように代官屋敷の門の前で行われます。
代官屋敷の中に設置され、暗くなってから公開されます。
7月の中旬頃、ボロ市通りや代官屋敷、そして天祖神社前の広場でホタル祭りとサギ草市、そして盆踊り大会が開かれます。
あまり馴染みのない組み合わせに感じますが、世田谷の花は鷺草伝説に因み「サギ草」です。サギ草は夏に咲く花です。ホタルの方は・・・、昔は農村地帯だったので至る所にたくさんいたのでしょう。2000年の初めころまでは、岡本公園にホタル園があり、ホタルの飼育をしていました。
ボロ市の時とは違った趣きです。
多くの提灯が設置され、とても賑やかな雰囲気になります。
ホタル祭りとサギ草市では、ボロ市と同様にボロ市通りが歩行者天国になります。と言っても代官屋敷周辺のみですが。
ボロ市の時にはお店が並んで多くの人が歩きと、とても賑やかですが、このホタルとさぎ草の時には、通りに提灯が並び、奥ゆかしい感じになります。どちらが好みかと言うと、それぞれでしょうが、質素な代官屋敷の佇まいには提灯の方が似合っているように私は感じます。
さぎ草以外にも多くの植木が売られています。
暗くなると情緒が増します。
本日の主役ですが、飛ぶように売れて・・・とはなっていませんでした。
天祖神社では盆踊りの櫓が組まれ、その周囲には食べ物などの屋台が並びます。そして鷺草市ということで、ボロ市の時のように参道付近に植木屋が並び、植木市といった様子になります。
天祖神社といえば、植木市。そういった印象が強い人も多いのではないでしょうか。ちなみに本日の目玉であるサギ草は500円で売られていました。といっても、育てるのが難しいし、小さな草だし、あまり売れていない感じでした。
多くの人でごった返していました。
天祖神社前の広場の真ん中には、盆踊りの櫓が設置され、周囲には地域団体のお店が並びます。
櫓では婦人会や子供たちが踊り、周りを一般の人が踊ります。
太鼓をたたくのは地元の子供たちです。
地元の婦人会の方を中心に多くの人が踊りを楽しんでいました。
盆踊りは婦人会の方を中心に行われ、各町会の婦人会の方が交代で櫓に上がり、踊りをリードします。時々子供たちも上がっていました。
浴衣を着て来場する人も多く、盆踊りでは大きな輪ができるなど、とても賑わっていました。
代官屋敷や郷土資料館の敷地では、暗くなると設置されたホタルドーム内や籠などに入れられたホタルが公開されます。過大な期待を込めて訪れるよりも、ホタルが光っているのを見れるといったぐらいの気持ちで訪れるのがいいかと思います。
今の世田谷では見ることのできないホタルが見れ、盆踊りも楽しめるので、子供達には大盛況で、時間によってはかなり混み合っていました。
3、上町天祖神社の秋祭りについて
上町天祖神社の祭日は、かつては9月14日に行われていましたが、現在では諸事情により週末に行われるようになりました。
14日近くの週末というのが正式かと思いますが、氏子地域が被る世田谷八幡の祭礼が第3土曜日と翌日だと考えると、宮司さんや氏子の都合上被らない第二土曜日と翌日曜日・・・、というより世田谷八幡宮の一週前の週末に行われるというのが、簡潔でしょうか。
実際、ボロ市通り商店街を歩くと、店のウインドーなどに上町天祖神社と世田谷八幡宮の祭礼のポスターが仲良く並んで張られているのをよく見かけます。
子供たちの舞台が続くので早い時間は混雑します。
祭礼は土曜日に宵宮、日曜日に本宮が行われます。年によって違うでしょうが、宵宮では昼間に子供用のイベントが行われることもあります。
奉納演芸は宵宮、本宮ともに夕方から行われます。私が訪れた2009年、2013年頃は、宵宮の奉納演芸で桜小学校や松丘小学校の生徒による太鼓などの演奏が行われたり、キッズダンスや民謡民舞やカラオケなどが行われていました。
本宮の方は、手品や寄席、町会商店会対抗歌合戦など、宵宮とは少し違った演目になりますが、小学生が出演する宵宮の方がその保護者や友人などが集まり、盛り上がっていました。
近年のプログラムを見ると、奉納演芸にとても力を入れているようで、2010年頃とは比べ物にならないほど内容が充実していました。
子供たちの舞台が続くので早い時間は混雑します。
そして両日とも最後に紅白餅まきが舞台より行われます。2011年は8時前に訪れたのですが、ちょうど餅撒きが終わったところでした・・・。このへんは奉納演芸の参加者の数に拠るのでしょう。
ただ、最近のプログラムを見ると、フィナーレはお菓子撒きとなっていました。お餅はお金や手間がかかるし、簡単にお菓子にしようとなったのでしょうか。この神社はボロ市の代官餅のイメージが強いので、お餅の方が・・・というのは、外部の勝手な意見です。
とっても簡素に行われていました。
とっても簡素に行われていました。
日曜日の大祭では午前10時に祭典が行われます。本来なら建物の内部で行われるのでしょうが、ここの社殿は本殿が収められているだけで、広い拝殿がありません。なので、階段の上の狭いスペースで神事が行われていました。
神事を執り行う神職や参列者が横並びになっている様子は、なかなか見られない光景で、ユニークというと変ですが、面白く感じました。神社の前には大きな桜の木があるので、桜の時期に同じ事が行われていたらかなり絵になることでしょう。
拝殿内にすっぽりと本殿が収められています。
ここの神社は周囲を柵で囲まれていて、普段は柵の外から賽銭を入れたり、拝んだりしなければなりません。しかし、祭礼の期間中はこの柵が開けられ、本殿近くで拝むことができます。
地元の人にとってはお祭りの特別感や、祭礼期間中のありがたみがあっていいのではないでしょうか。お祭りに合わせて参拝すると、願掛けがうまくいきそうに思えます。
日曜日の午後2時からは、神輿と太鼓車が町内を回りますが、残念ながら神輿は子供用のものだけです。大人の神輿は人が集まらなく、売却してしまったそうです。
ボロ市や盆踊りの時に比べると簡素です。
ポツンとあるのでより暗く感じます。
舞台と地域の団体の出店が並びます。
露店は年によって違うようで、参道の入り口付近と社殿の広場に数軒出るだけとかなり寂しい感じの時もあれば、もう少し多いときもあります。広場の方は地域の団体の出店で、参道の方は外部といった感じになるでしょうか。
特に参道にポツンと屋台が出ている様子は、暗い路地裏にある赤提灯の屋台のようで余計に寂しく感じてしまいます。せめて提灯や行灯などが明々と灯されていればいいのですが、それも部分的でしかなく、暗くなってから訪れると、全体的に暗く、寂しい感じのするお祭りです。
もっともボロ市や鷺草市の時の境内の賑やかさを知っているので、寂しい光景といった印象がより強くなっているのかもしれません。
区が主催、或いは後援をしているイベントと、地域のイベント、しかも氏子地域が限定される狭いエリアでのイベントを比較してもしょうがないことですが・・・。
4、神輿渡御の様子
ずらっと並んだ様子はなかなかのものです。
上町天祖神社の祭礼を訪れたら、テントに子供用の小型神輿が三基、太鼓車が4台置いてありました。ずらっと並んで置いてある様子はなかなか壮観。
あれ、そういえば大人用の大きな神輿はどこ?別の場所に置いてあるのかな・・・。話を聞いてみると、以前は所有していて、祭りの時には若者が威勢よく担ぎ盛り上がっていたそうですが、担ぎ手も集まらなくなり、売ってしまったとのことでした。
理由はそれだけではないのかもしれませんが、氏子地域の小さい神社では色々と苦労が多いことでしょう。
虫干しも兼ねているような感じです。
ここの自慢の一品になるでしょうか。
でもまあ、小型の神輿が三基、太鼓車が四台もあれば十分でしょうか。古風に感じる神輿は戦後に造られたものだとか。太鼓が昭和24年から30年代にかけて建造されているので、神輿もそういった時期に造られたようです。
それよりも神輿に詳しい人が見れば、天祖神社なのに唐風屋根とは珍しい・・・となるでしょうか。というより、なんで全部形が違うの?って疑問が生じるでしょう。
基本的には、神輿は神社と同じ形式で作られることが多く、天祖神社や神明社などの社殿は神明造りとなっているので、屋根は真っすぐな延軒屋根になっていることが多いです。上の写真だと二番目に写っているやつです。
ただ、ここの場合は稲荷社が相殿となっていて、その稲荷社の社が向唐破風屋根の宮殿造りだったので、唐風屋根の神輿も造られたのではないかと思われます。
後は、確認していませんが、造った団体(商店街)が違い、紛らわしいので違ったものをといったこともあったのかもしれません。
・2009年の様子
運行前にはボロ市通りに神輿がずらっと並びます。
この年は小さな花笠がプレゼントされました。
人数に合わせて使う台数も決まります。
楽しそうに引っ張っていました。
代官屋敷を背景に入れると、上町っぽいです。
大うちわが印象的です。
私が訪れた2009年では、神輿が運行されるのは日曜日の午後2時からで、その少し前からボロ市通りに神輿や太鼓が並べられていました。多くの神輿と太鼓が並んでいる様子はなかなか壮観でした。
出した分は全部運行するのかなと思ったのですが、どうやら集まった子供の数に応じて必要な分だけ運行するといった感じで、次々と出発していきました。氏子地域は旧上町なので、世田谷1丁目の駒沢公園通りより西側と世田谷2丁目付近となります。
2026年の祭りの案内を見ると、神社から一斉に出発するのではなく、ボロ市通り 桜栄会、上町銀座会、さくら通り 共栄会の三つの商店街がそれぞれ神輿を運行し、神社にやってくる様な形になっていました。渡御の方法が少し変わったようです。
5、感想など
とてものんびりとした感じの祭りです。
ボロ市通りは江戸時代の世田谷のメインストリートと呼べるような通りでもあります。そこに立地している上町天祖神社は繁華街にあった神社と言えるかもしれません。
現在でも年に四日行われるボロ市の時には境内はごった返し、夏の鷺草市の時には植木市が行われ、盆踊りの櫓も組まれ、大いに賑わいます。
そういった賑やかな時しか知らないで秋祭りを訪れると、あれっといった気持ちになってしまうでしょう。特に夜に訪れると、盆踊りの時のような賑わいはなく、何でこんなに暗いの・・・とビックリします。
よくよく考えると、賑やかなイベントは区が主催したり、後援しているイベントです。秋祭りは地域の人やお店がお金を出し合って行う地域のためのイベント。これがこの神社の本来の状態なんだな・・・と、秋祭りを訪れ、氏子地域の小さな神社であることを改めて認識した次第です。
とはいえ、イベントの大小でイベントの良し悪しが決まるわけではありません。賑やかなイベントとは違って、落ち着いて雰囲気で行われる秋祭りは、本来ののんびりとした上町らしさを感じられる機会となるでしょう。
せたがや散策記上町天祖神社と例大祭 2025年9月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
| ・住所 | 世田谷1-23-5 |
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| ・アクセス | 最寄り駅は世田谷線上町駅 |
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