野沢稲荷神社と例大祭
野沢2-2-138月、世田谷で一番最初に御神輿が担がれるお祭り。暑さに負けない氏子たちの団結した神輿渡御が行われます。
1、旧野沢村と野沢稲荷神社について
*国土地理院地図を書き込んで使用
世田谷区の環七通りと聞くと、ラーメンを頭に浮かべる人も多いのではないでしょうか。1987年、京王井の頭線、新代田駅の北側の環七沿いに九州とんこつラーメンの「なんでんかんでん」がオープンし、豚骨ラーメンの大ブームが起きました。
その後、付近の環七沿いにラーメン屋が次々と出店し、環七がラーメン激戦区になっていきます。1990年代になると、国道246号から駒沢通りまでの環七沿いにも多くのラーメン店並びました。
野沢の町域は国道246号から駒沢通りまでの環七に沿うように広がっています。ちょうどラーメン店が多く出店していた地域にあたり、野沢の地名からラーメンストリートとか、ラーメン店街みたいなことを思い浮かべる人も多いかと思います。本当に多くの店が並び、夜になると周辺は多くの人でごった返し、深夜まで賑わっていました。
ただ、このラーメンブームはいいことばかりではなく、路上駐車が社会問題となりました(この付近の環七は路肩が広く、車を停めやすかった)。路上駐車の取り締まりが厳しくなり、法改正が進むと、客足が鈍り、閉店したり移転する店が増えました。そして激戦区は世田谷通りに移っていきました。
普段はひっそりとしています。
野沢の環七でラーメン店が多かったのが、国道246号付近と少し南の龍雲寺交差点付近でした。この龍雲寺交差点から少し入ったところに野沢稲荷神社があります。
旧野沢村の村社だった神社になりますが、その創建についての詳細は明らかではなく、下馬の駒繋神社から分社したとか、昔は若林の稲荷神社の本殿を譲り受けて使っていたとか言われています。
野沢村の名が入った古いものです。
野沢稲荷神社の北側の角には、小さなお堂の中に庚申塔が祀られています。庚申塔には「元禄八年野沢村」と刻まれていて、17世紀末には野沢村が成立していたことを示す貴重な資料となっています。
ここ野沢は、元々は馬引沢村(上馬、下馬、三軒茶屋)の一部でした。正保年間(1644年 - 1647年)に開発され、野沢村として独立したと言われています。
世田谷には馬引沢、池沢(池尻)、廻沢(千歳台)、深沢、奥沢、上北沢、下北沢など、起伏が激しい土地柄から沢がつく名前が多く、世田谷七沢というような言い方もあります。
しかし、ここ野沢の地名は、この地を開拓した葛飾領の野村治郎右衛門と、六郷領の沢田七右衛門の二人の名字をあわせて命名されたので、その七沢には含まれていません。
更に付け加えると、駒沢も新しく作られた合成地名になります。周辺の下馬、上馬の「馬(駒)」と、深沢、野沢の「沢」を当ててつけられました。
一丁目の住宅地にある庚申塔です。一応古道になりますが、そういった感じはしません。
野沢の由来には別の説もあります。周辺が特に何も無い荒野や沢地であったため、野沢と名づけられたといったもの。
実際、野沢で歴史的な出来事が起きたことはなく、現在もありふれた住宅地。昭和59年に選定された「せたがや百景」にも野沢からは一つも選ばれていません。
「今日も野沢交差点で何キロ渋滞」とか。「桜の名所となっている野沢公園で・・・」というような日常的、或いは季節の話題になることもなく、無味乾燥といった地域です。
おかげで環七にラーメン店が並んでいたこと以外、野沢について記すことが見つかりませんでした・・・。なので、この説の方が妙に納得できてしまったりします。
拝殿前の参道に聳えるようなイチョウの木があります。
野沢稲荷神社に話を戻すと、龍雲寺交差点から少し入った住宅地の中にある平坦な一画が神社の社地になります。
東向きに入り口の鳥居が設置されていて、その先には本殿と拝殿があります。神社が向いている東にあるのは龍雲寺。真っすぐ龍雲寺に向いて建っているので、龍雲寺の別当として建てられたのでしょうか。
鳥居をくぐると、右手に神楽殿があり、正面に拝殿などがありますが、最初に目を引くのは拝殿前の参道にある大きなイチョウの木でしょうか。大きな木で、紅葉の時期にはひときわ目を引きます。
社殿前に背の高い木があります。
拝殿があり、その後ろに本殿を備える覆屋があります。拝殿と本殿は明治33年に造られ、本殿を収納している建物は昭和51年に建てられました。
時代が全く違うのでしょうがないのでしょうが、拝殿部分は木造建築の古いものなのに、後ろの本殿部分はコンクリート造り。しかも拝殿は一般的な切妻造で、正面左右にひさしをつけている屋根を持つ日吉造(ひえづくり)。本殿の方は神明造りと建築様式も違うので、ちぐはぐな印象を受けてしまいます。ここまで違うのもある意味珍しいのではないでしょうか。
内部に納められている本殿は、一間社流造の総欅造りで、屋根は柿葺、壁や脇障子などに彫刻が入っているそうです。
境内には銀杏の大木が多いです。
鳥居をくぐって右手に神楽殿があります。この神楽殿も拝殿、本殿と同じく明治後期に建てられたものになります。昭和41年に拝殿とともに茅葺から銅板葺に替えられ、近年にも補修が行われたようで、比較的いい状態で保っています。
拝殿と同じ日吉造の屋根を持ち、おそろいの赤い欄干(手すり、高欄)が取り付けられているのがワンポイントとなっていて、目を引きます。
この神楽殿周辺にはイチョウの木が何本か植えられていて、イチョウの紅葉時期には参道にある御神木とともに境内を華やかに彩ります。
2、野沢稲荷神社の秋祭
世田谷区内の秋祭りは、9月初旬~10月中旬の間に集中して行われます。ここ野沢稲荷神社の祭礼は、他よりも一足早い8月第4週の日曜日が祭礼日で、その前日に宵宮が行われます。
区内では東玉川神社も8月の後半に例大祭が行われますが、ここは神輿が出ないので、野沢稲荷神社の神輿が世田谷の秋祭りの先陣を切る形になります。
もっとも、神輿渡御だけでいうなら8月第1週目に行われるせたがや区民祭で周辺の町会が集まって神輿パレードを行うので、そちらの方が先になりますが、これはあくまでもイベント的要素が強いものです。
なぜ野沢稲荷神社の祭礼は他の神社よりも早いのか。実は、かつては9月17、18日に行われていました。しかし、毎年のように雨に祟られるということで、一か月ほど前倒し、晴れの多い8月の第四週末に行わうことにしたそうです。
雨に降られるよりも夏の暑さの方がマシという判断だったのでしょう。でも、時代が平成、令和と進んでいくと、温暖化の影響でこの時期の昼間は灼熱状態。夏に行われていた祭りやイベントが、安全のために秋などの開催に変更されることが多くなってきました。
更には、夕立ちを激しくしたゲリラ豪雨に見舞われることも増え、9月開催よりもリスクが高くなってしまったようにも感じます。
とはいえ、自然の気象相手なので、こればかりは運次第。9月に戻したとしても、台風が来て、全く祭りができなくなることもあるだろうし、難しいところですね。
囃子車の先導で土曜日に神社周辺を周ります。
祭礼のスケジュールについては、年によって変わるかもしれませんが、訪れた2010年~2013年のスケジュールに則って書いていきます。
宵宮の土曜日は、午後一時から子供太鼓山車が運行されます。「野沢稲荷神社の祭礼が始まりましたよ」「今日、明日は祭りですよ!」といった寄せ太鼓的な感じの巡行で、2時間ほど町内を回ります。といっても、遠くまで行かず、神社周辺の龍雲寺や児童館などを周るだけ。移動しているよりも休憩時間の方が長かったりします。
暑い中、多くの子供が参加していました。
9月開催と8月開催の違いは、8月が暑いだけではなく、子供が夏休み期間中だということ。夏の最後の思い出をって感じで、暑い中ですがそこそこ多くの子供が参加していました。
ただ、とても暑い時期の、しかも暑い時間帯の太鼓引きになるので、熱中症が心配です。付き添いの大勢の保護者が心配そうに見守りながらの太鼓引きとなっていたのが印象的というか、私的には衝撃的な光景でした。
大正15年建造の古い太鼓です。
太鼓引きに使用される太鼓は、大正15年に建造したもの。かなり年数が経っていますが、近年修復を行ったようで、とてもきれいな状態でした。太鼓は翌日の大人神輿とは一緒に渡御しないので、出番は土曜日のみとなります。
宵宮の渡御は子供のメンバーが中心です。
太鼓車を先導するお囃子車に乗っているのは、野沢稲荷神社所属のお囃子、南風連です。平成8年に結成したと言うことなので、古くからあるというわけではありませんが、着実に歴史を積み重ねている団体となるでしょうか。
メンバーには小中学生もいて、月3回ほど指導を受けているようです。こちらは小南風連となり、本祭の神輿渡御の時は大人の南風連がお囃子を努めますが、宵宮の太鼓車の時には小南風連の子供たちがメインでお囃子を務めます。
太鼓車が神社に戻ると、昼間は子供たちのための遊び場となり、ゲームや子供カラオケ大会、神輿担ぎ体験などが行われます。夏休みの縁日といった感じで、地元に密着した祭りということが伺えます。
お囃子の南風連による演技です。
背後に写っているのは、この後に行われるビンゴ大会の景品です。
演技者が楽しそうだったのが印象に残っています。
宵宮の夕方からは大人の時間となり、神楽殿で奉納の踊りやカラオケなどが始まります。
途中7時からは南風連によって獅子舞やお囃子が奉納されます。南風連は先に書いたように野沢稲荷神社所属のお囃子団体です。獅子舞の演技は人気があるようで、獅子舞が始まるとどっと人が神楽殿の前に集まっていました。
景品が掛かっているので盛り上がってました。
その後もカラオケなどが続き、8時半になると宵宮の締めとしてビンゴ大会が始まります。ビンゴカードは18時頃に無料で配られるそうです。景品が掛かっているのでみんな真剣なこと。とても盛り上がっていました。
暗くなると提灯が灯り、路上にも何軒か出店が出ます。
露店は境内だけではなく、神社の前の通りにも数店並び、全部で15店程度でした。食べ物の店ばかりです。
祭礼に訪れる人はそんなに多ありません。何度か訪れましたが、境内がごった返すというほどではありませんでした。
野沢稲荷神社の近くにある龍雲寺では、8月初旬に盆踊り大会が行われます。この盆踊りがとても活気があり、多くの出店が並び、多くの人が訪れます。そのイメージで訪れると、あれ、あまり人がいないといった感想になってしまうかと思います。
特に昼間は閑散としていて、その年の暑さにもよりますが、よほど祭りが好きだったり、子供が参加したいイベントでもない限り、わざわざ日中の暑い時間帯に祭りに出かけようとならないようです。
参拝者の長い行列ができる事はありません。
日が陰る夕方以降になると、提灯が灯り、祭りらしい雰囲気になります。その頃になると、ぼちぼちと人が集まってくるといった感じです。
ただ、神社が立地しているのが駅から遠い場所なので、通りがかりの人や遠方の人が来るのではなく、周辺の人がぞろぞろと集まってくるといった感じになり、「あ~こんばんは~」「あ~何々さん」なんて声があちこちから聞こえてきます。
不特定多数の人が訪れる祭りではなく、同じ町内に暮らす人達が気兼ねなく楽しむといった、地方の夏まつり的な雰囲気になるでしょうか。
日曜日の朝行われます。
本祭の日は、神社関係者が拝殿に集まり、朝10時から例大祭の神事が行われます。神様にお供え物をしたり、祝詞を奏上したり、関係者が玉串を奉納したりする神事です。
昼の12時から神輿が運行されます。さすがに8月の真昼間に行われる神輿渡御は半端なく暑いです。木陰のある境内はまだましですが、路上に出ると日影が少なく、アスファルトからの照り返しや、担ぎ手の情熱や熱意も加わり、見ているだけでも暑いです。
日曜日の夜に行われ、なかなか賑わっていました。
神輿は夕方遅く神社に戻ってきます。夜は宵宮と同様に神楽殿で奉納演芸が行われるのですが、本祭の日はプロの演者による出し物が行われます。年によって違うかと思いますが、大道芸だったり、パントマイムだったり、バルーンアートだったり、漫才だったりするようです。
戦前には神楽が盛んに行われていたといった記録が残っていたりしますが、残念ながら今では神楽は行われていません。
3、神輿渡御の様子
大、中、小と揃っています。
野沢稲荷神社には、大、中、小の三種類の宮神輿があります。基本的には毎年大神輿が使われますが、2010年のように中神輿を修復した年には中神輿だったり、新型コロナウイルで中止になっていた祭りが再開した2023年には、大、中、小、三つの神輿が同時に渡御したりと、変化することもあります。
大神輿は、昭和2年に行徳・後藤直光によって建造されたものです。台座は二尺八寸、延軒屋根の勾欄造りで、背か高く、かなり大柄です。
鳥居、胴、台座などに施されている木彫は見事で、特に鳥居や胴に巻き付いている龍の彫刻は存在感があります。中神輿も同じ制作者によるもので、大神輿をそのまま少し小さくしたような感じです。
・2011年の大神輿渡御
大人神輿は日曜日に運行されます。訪れた2011年の場合は、12時に担ぎ手が集合し、出発前の挨拶などが行われ、12時半ころ宮出が行われ、神社に戻ってくるのが18時過ぎでした。
2025年のスケジュールを見ると、集合が10時半になり、11時に宮出し、18時に宮入と、渡御時間が伸び、いっそう過酷になっているようです。もしかしたら休憩時間が長くなっただけなのかもしれませんが・・・。
暑いので・・・が決まり文句です。
神輿が出発するにあたって、まずは境内で出発式が行われます。責任者からの注意事項は、毎年「暑いので・・・」「熱中症にならないように・・・」というのが、決まり文句になっています。
8月後半と9月。残暑が厳しい近年では、同じような暑さ、いや、太平洋高気圧の張り出し具合では、9月でも軽く30度を超え、9月の方が暑いんじゃない・・・と感じる事もあったりします。
なので、9月に渡御を行う神社でも同じように「熱中症に気を付けて・・・」と声をかけていますが、やはりというか、8月という言葉の持つ心理的重みは大きいようで、注意を聞く担ぎ手の表情も真剣です。
ただ、訪れた年は雨上がりだったので、気温はあまり高くなく、ちょっと蒸し暑い程度でした。
境内を数周してから神社を出ます。
神輿が大きいので鳥居から出すのが大変です。
出発式の後、担がれた神輿は境内を回っていきます。そして拝殿前やお囃子のいる神楽殿に神輿を差し上げて挨拶をします。
まだ担ぎ始め。ウォーミングアップといった感じで、ゆっくりとした感じで境内を担がれた神輿は、宮出しといって神社の外へ出すのですが、大神輿の場合だと結構高さがあるので、鳥居をくぐるのにかなり低い位置まで神輿を下げなければなりません。担ぎ手の人も体勢が悪くなるので、大変そうでした。
高提灯が先導します。通りに出ると担ぎ手が張り切り始めます。
ご祝儀をもらったお宅にお礼の差し上げを行います。
神社を出ると最初の休憩所の龍雲寺へ向かいます。神社前の細い通りでは静かに担いでいましたが、2車線道路の龍雲寺通りに出ると、スイッチが入り、とたんに元気になります。ご祝儀をもらったお宅にお礼の差し上げをしながら、元気よく進んでいきます。
曇っているとはいえ、真夏の、しかも真昼の神輿渡御は暑く、すぐに担ぎ手の半纏は汗で濡れます。汗を乾かすためにも、風がない時には大きな団扇であおって風を送ったりします。
木々の緑と白壁を背景に神輿が進む様子は素敵です。
神社から龍雲寺までは直線距離で100mほど。区画整理された道を進んでも200mほど。そんなに距離はないので、すぐに着いてしまいます。
途中龍雲寺の横の坂を通るのですが、長く続く寺の白壁が美しく、なかなかいい渡御風景になります。住宅ばかりの今の世田谷では、このようなシンプルな風景は少なくなりました。
周囲が緑なのでなかなか絵になっています。
当たり前のように本堂の前で収めていました。
龍雲寺に到着すると、山門前で休憩。と、私の中では筋書きが描かれていたのですが、神輿はそのまま山門をくぐって境内へ入っていきました。しかも、お山入りといった感じで、そのまま本堂の前で収めて、休憩となりました。
神社の神様を載せた神輿がお寺に入っていく。神仏分離ということで、神様と仏様は別。水と油みたいに交わることがないもの。それが当たり前だと思っていたし、特別な祭り以外ではこういった神仏習合的な場面を見たことがなかったので、当たり前のようにお寺に入っていったことにビックリしてしまいました。古くからの野沢での習慣なのでしょうか。他では野毛の善養寺でも見ることができます。
それはさておき、龍雲寺境内はとても緑が多いです。これだけ緑に囲まれていると、担ぎ手も暑さを忘れるほど気分がいいのではないでしょうか。
ここで最初の休憩となるのですが、お寺の中だし、始まったばかりだし、暑くて脱水症状になるのが怖いしと、アルコールを飲んでいる人はいませんでした(たぶん)。
出発時に比べて担ぎ手が増えていました
鳥居をくぐって最後の締めを行います。
神輿は野沢の町域を回り、夕方18時過ぎに神社に戻ってきます。夕方になると、昼に宮出ししたときに比べ担ぎ手の数が増え、渡御の様子も賑やかで、威勢のいい感じの渡御になります。
少し涼しくなったというのもあるでしょうが、昼間はあまりに暑く、アルコールを飲むと危険なので、涼しくなった夕方から解禁にしている人が多かったり、単純に疲れてハイテンションになっていたりするからです。
神社に帰ってくると、まずは神社前の神輿舎で差し上げて、そして宮出しと同じように神輿を鳥居にくぐらせて宮入りを行います。
宮出しの時と同様に神楽殿や拝殿に差し上げを行いながら境内を周ります。
比較的簡単に収めていました。
宮入りしてきた神輿は境内で最後の揉みを行います。神輿渡御で一番盛り上がるのは、宮入のこの時。野沢でもそれは変わらなく、テンションマックスで社殿や神楽殿に差し上げの挨拶を行ったりします。
訪れた年は、宮入の時間が遅れ、後の奉納演芸の時間が迫っていたのか、疲れすぎて気力がなくなったのか、毎年こんなものなのかわかりませんが、あっさりとした感じで締めていました。
・2010年の中神輿渡御
2010年は中神輿を修繕したということで、中神輿が担がれました。この日は他の祭りを訪れたかったので、宮出しだけ見学し、すぐに移動しました。
新しくなった中神輿のお披露目です。珍しく晴れました。
新しくなった神輿なので、楽しそうに担いでいました。
大団扇で風を送ると効果的です。
ご祝儀をいただいたお宅に差し上げを行います。
お囃子の先導で龍雲寺へ向かっていきます。
中神輿は単体で見ると、そこそこ大きく、見映えがいいので、立派な神輿となるのですが、大神輿と比べてしまうと、やはり小さく、担いでいる様子も迫力不足に感じます。
ただ、小さい分、小回りが利くし、軽いので、同じ人数でも軽やかに担げるしと、見ていてテンポがいいというか、爽快感があるというか、真夏に担ぐにはこっちの方がいいように感じたりもします。
もっとも、この年は中神輿がリニューアルした後の担ぎ始めだったので、担ぐ人の気持ちがいつも以上に軽やかだったからそう感じたのかもしれません。
4、感想など
暑い中、真剣に担ぐ様子は美しく感じます。
野沢・・・。私の中ではラーメンしか思いつかなかいというぐらい印象の薄い土地でしたが、8月の暑い中行われる野沢稲荷神社の祭りを訪れ、少し印象が変わりました。
8月の暑い中の神輿渡御。しかも、宮出しが昼間の12時という一番暑い時間帯。地域の小さな祭りだし、きっと暑いので、適当に担いで、休憩を長くとって・・・と、形だけの神輿渡御なんだろうな。と想像していました。
しかし訪れてみると、暑いのでアルコールを控えたりと、担ぎ手がだらけることなく、真剣に神輿を担いでいました。むしろ、暑い中だからこそ担ぎ手が団結し、いい雰囲気の神輿渡御に思えました。厳しい環境の中でこそ生まれる団結心とか、絆とかがあるのかもしれません。
8月第一週末に行われます。
神輿の休憩所が龍雲寺というお寺の中というのには驚きましたが、この龍雲寺では8月上旬(たぶん第一週の週末)に盆踊り大会が行われます。
場所は境内ではなく、環七の龍雲寺交差点のところにある大駐車場です。これが世田谷でも屈指の規模を誇る盆踊り大会で、賑わいは野沢稲荷神社での秋祭りの比ではありません。
野沢地域では盆踊り大会と野沢稲荷神社の祭礼と8月に2度も祭りを楽しむことができます。真夏に熱い地域、そして暑さに負けない熱い人々。そんな言葉が似合うのが野沢なのかなと感じました。
世田谷の秋祭り #4野沢稲荷神社と例大祭 2025年9月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
| ・住所 | 野沢2-2-13 |
|---|---|
| ・アクセス | 最寄り駅は田園都市線駒沢大学駅。 |
| ・関連リンク | ーーー |
| ・備考 | ーーー |