世田谷散策記 タイトル
せたがや地域風景資産 #2-1

北沢地域に隠れている石造物群

北沢3丁目付近の茶沢通り(旧二子道)界隈や北沢1丁目界隈

下北沢界わいの石造物群は、旧二子道である茶沢通りや都道420号線といった「古道」に点在しています。長い間地域を見守ってきた石造物群は、若者の街にふと昔の息吹を感じさせてくれます。(紹介文の引用)

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1、北沢地域の石造物について

北沢川緑道と二子橋の写真
北沢川緑道と二子橋

せせらぎのある美しい緑道で、桜の名所として知られています。

三軒茶屋と下北沢を結んでいるのが、茶沢通り。その茶沢通りが北沢川、現在では北沢川緑道と交わる所に架かっている橋は、橋場橋。上から書いても下から書いても・・・という面白い橋名です。

その橋場橋よりも一つ西側(上流側)に架かっている橋は二子橋で、二子道の名残りとなります。二子橋の更に西側の橋は鎌倉橋で、こちらも鎌倉道の名残りとなっています。

下北沢界隈の地図(国土地理院)

国土地理院地図を書き込んで使用

鎌倉道とは、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網になりますが、江戸時代に「室町期以前の最終的に鎌倉へつながってる道はみんなまとめて鎌倉街道」と総称したので、関東各地にもっともらしいものから、これはちょっと・・・というものまで、多くの鎌倉街道と名がつくものがあったりします。

この鎌倉道も後者の方で、古い道にしては道沿いに目ぼしいものがないし、そもそもこの道がどことどことを結んでいたのかもはっきりしていないので、鎌倉時代からあった道だと考えられるけど、主要な街道ではなかったとか、その後、新道ができて廃れたのでは・・・といった感じでしょうか。

ただ、太子堂の八幡神社に伝説が残っていて、平安時代後期に源義家、頼義親子が朝廷の命を受け、陸奥の安倍氏征討に向う途中、この地で八幡神社に武運を祈ったと伝承されています。

この時、義家は太子堂村を通る鎌倉道のそばで進軍を止め、軍勢を憩わし、酒宴を行ったとされています。その場所が本村(5丁目)にある土器塚。酒宴後の土器などをこの地に埋めたので、そう呼ばれるようになったとか。

この伝説が本当なら、軍隊を進めるだけのそれなりの道として存在していたのかもしれません。

下北沢駅南口にある庚申塔の写真
下北沢駅南口にある庚申塔

商店街の入り口あるので人通りが多いです。

二子道は、道沿いに庚申塔や地蔵菩薩などが置かれていて、古くから人々の営みや信仰心とともに存在してきた事を感じます。

北沢川緑道から下北沢の方へ二子道を進んでいくと、下北沢南口商店街の名物、6差路の交差点に至ります。その先の二股に分かれる交差点のところに、屋根のついた庚申塔が置かれています。

普段は扉が締まっていることが多いようですが、祭りの日などには開帳されています。

とても人通りが多く、賑やかな商店街の片隅にさりげなく残されている庚申塔。情緒があるというか、この周囲だけが時間が止まっているような違和感に趣きを感じたりします。経堂のハートフル商店街にあるのも同じような雰囲気でしょうか。

戦後、急速に発展した世田谷の商店街には、こういった昔ながらの石碑や石仏、祠などが多く残っていたりします。

ギリシャ神殿風の井の頭線高架橋の写真
ギリシャ神殿風の井の頭線高架橋

残念ながら今ではありませんが、下北沢らしくて好きでした。

庚申塔の右の道を進んでいくと、駅が近くなり、商店の数も多くなります。さらに進むと、以前はギリシャ神殿風のアーチが目の前にそびえていました。・・・。って、井の頭線の高架橋にペイントしたものです。

道の両脇にも古代のイオニア式っぽい石柱のレプリカまで設置されていたので、これも石造物群と言えなくもないでしょうか・・・。

この壁画と柱がどのような経緯で設置されたのかわかりませんが、この高架をくぐって左側にあるのは、演劇の世界で聖地と呼ばれる本多劇場。本多劇場が関係しているものではないかと、推測できるのですが、どうなのでしょう。

何にしても「演劇の町下北沢」らしく感じる光景で、現代の二子道の象徴となるでしょうか。結構好きなオブジェでしたが、再開発とともに消えてしまいました。というより、どうせ再開発で壊してしまうので、色を塗ったりするのを許可したのでしょうね。

茶沢通りにあった踏切 開くのを待つ阿波踊りの団体の写真
かつて茶沢通りにあった踏切

踏切の先は一番街。夏の阿波踊りで有名です。

北沢地域の石造物群 茶沢通りにある庚申塔の写真
茶沢通りを進む神輿

踏切から先の茶沢通りは道が細くなります。

賑やかで活気のある商店街を進んでいくと、茶沢通りと合流します。この位置にはかつて小田急線の踏切があり、踏切待ちの車や人で賑わっていました。

ここからは茶沢通りが二子道と重なります。道が狭い割には車の通りが多いので、自転車や歩行者の通行は少し注意が必要になります。

北沢地域の石造物群 茶沢通りにある庚申塔の写真
茶沢通りにある庚申塔

道が枡形に曲がっている場所にあります。

茶沢通りを進んでいくと、道が直角にかくかくと二回折れ曲がる場所があります。昔の宿場や大きな町の出入口は、外敵が馬で勢いよく進入しにくいように、意図的に道を二度直角に曲げた枡形が設置されていました。

ここもそんな感じなのですが、江戸時代、ここが町の繁華街の入り口だったのでしょうか。下北沢がそんなに栄えていたとは思えないので、地主の家を避けて道が設置されたのでしょうか。それとも、この場所に何か動かしたら祟りが起こるようなものがあったのでしょうか・・・。散策好きなら周囲の風景を見ながら色々と頭を巡らせてしまう道の形です。

ここの場合、どうしても目がいくのがちょうど曲がっている場所にあるお堂。その中には庚申塔が祀られています。庚申塔のために道を避けて造った・・・とは考えられないので、道が不自然に曲がっている理由からは除外してもよさそうです。

北沢地域の石造物群 西日が差し込む庚申塔の写真
西日が差し込む庚申塔

手入れがもの凄く行き届いていて、地元の人に大切にされている感じです。

赤い屋根が特徴的なお堂は、手入れが行き届いていて、いつ通りがかってもきれいな花が供えられている気がします。

散策している最中に、こういった地域の人に大切にされている石像が目に入ると、なんか親しみをもてるというか、気持が安らぎます。また、この地域の治安の良さを感じ、安心感を感じることもあります。まあこれは海外での散策中のことですが・・・。

道端でよく見かける石像は、お地蔵さまと庚申塔ですが、庚申塔というのはよく見かける割には、その存在意義が分かりにくいです。

庚申塔は奈良時代に中国から伝わったとされる庚申信仰に基づいて祀られたもので、三猿が彫られているものが一番よく知られているでしょうか。

庚申信仰は江戸時代に爆発的に流行し、講の人々によって各地に庚申塔が建てられました。地域の神と融合することも多く、ここのように町や村の入り口にあるものは、ムラの辻の守り神として集落に邪気や疫病などが入ってこないようにといった、道祖神と同じ役割を担っている場合もあります。

北沢地域の石造物群 街道沿いにある日本家屋の写真
古道沿いにあった日本家屋

緩やかな上り坂の途中にありました。現在はマンションに変わっています。

庚申塔からさらに進むと、小さな公園「えごのき広場」のところで道が直角に曲がります。そして一旦下ってから、だらだらと道が上っていきます。

この上り坂のところに古い蔵を擁した日本家屋の質屋さんがあり、古道っぽさを感じることができたのですが、2018年にマンションに変わってしまいました。

北沢地域の石造物群 長命地蔵尊の写真
長命地蔵尊

池ノ上駅へ抜ける道との交差点で見守っています。

北沢地域の石造物群 長命地蔵尊のお地蔵様たちの写真
長命地蔵尊のお地蔵様たち

三体のお地蔵さまが祀られていて、ここにも花が添えられています。

上り坂の途中にある交差点の角に長命地蔵尊のお堂があり、三体のお地蔵様が交差点の中心を見守るように佇んでいます。

何度かこの前を通ったのですが、いつもきちんと花が添えられていました。前述の庚申塔とともに、普段から地元の人たちによってお世話をされ、大事にされているのでしょう。

こういった石像は、急いでいるとき、ショッピングに夢中になっているときなどは、全く目に入らず、気にも留めないと思いますが、落ち込んでいるときや、不安に感じているときなどに、ふと目に入ると、気持ちが落ち着くことがあります。そこにいてくれている安心感というやつでしょうか。人々の生活、そして町の風景に欠かせない存在です。

この長命地蔵尊から先の茶沢通り(旧二子道)は、北沢公園の横を通り、都道420号鮫洲大山線に突きあたって消滅しますが、この先は特にめぼしいものはありませんでした。

北沢地域の石造物群 延命地蔵尊の写真
延命地蔵尊

マンションの軒下にあるというのは都会らしいです。

北沢地域の石造物群 富士講碑の写真
富士登拝記念碑

こちらは駐車場の一角に無造作な感じであります。

長命地蔵尊から池ノ上駅方面に向かう道は、都道420号線の旧道なのか、特に名もない道なのか分かりませんが、この道沿いにも石碑などがあり、古くからの道ということを感じさせてくれます。

長命地蔵尊から池ノ上駅へ向けて進み、かつての小田急線の踏切を越えた先、マンションの下に延命地蔵尊と庚申塔が祀られている小さなお堂があり、道を挟むようにして駐車場の方に富士講の富士山に50回登ったという富士登拝記念碑と、皇太子殿下の何かの記念碑があります。

立地がいかにも都会らしく感じられたのと同時に、今なおこの場所にあり続ける必要はあるのかな・・・と感じてしまう石碑たちです。

北沢地域の石造物群 路地にある円海稲荷の写真
路地にあった頃の円海稲荷

現在では表通りに移転しているはずです。

石像という訳ではないのですが、路地を覗いたら、住宅地の中に埋まりながらも強烈に存在感を放つ赤い鳥居が目に入り、引き寄せられるように立ち寄ってみました。

この神社は圓海稲荷(円海稲荷)で、池ノ上の池のほとりに住んでいた圓海上人がお守りしていた稲荷社となるようです。

北沢八幡神社の境内にも同じ名の神社が祀られていますが、元々はこの地にあったものが明治の合祀令で移動したのだとか。そこそこ大きな神社だったそうです。

その後、個人が引き継いでいて、2014年に古い家屋の取り壊しとともに、昔同様に表通りに戻すといった旨のメールを所有者の安野さんからいただいたので、今では在りし日のように旧道沿いで通行人を見守る存在の一つとなっていることでしょう。

2、感想など

茶沢通りの日本風家屋の写真
西日を浴びる日本家屋

古風な家が残る道の風景は、どこか気持が落ち着きます。

下北沢といえば、ファッションの最先端とまではいかないにしても、若者の新しい文化がどんどん入り、若者向けの店が並んだ若者の町といったイメージが強いです。

そういった店は駅から続く商店街などにありますが、店を探しつつちょっと路地に入ってみると、こんなところにお地蔵さまがあるよ!といった新しい発見があったりします。

今は人通りがあまりないけど、昔はこの道が地域の大きな道だったのだろうか・・・、昔はこっちのほうが人通りが多かったり、旅人が行きかっていたりしたのだろうか・・・など、ちょっと足を止めて古い時代のことを考えてみるのもいいものです。

そしてそのまま自分の感覚や道の雰囲気、あるいはお地蔵様の向いている方向へとふらっと気の向くままに歩いてみると、ちょっと違った下北沢、あるいは時代に取り残されているちょっと懐かしい下北沢を見つけられるかもしれません。

せたがや地域風景資産 #2-1
北沢地域に隠れている石造物群
2025年5月改訂 - 風の旅人
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・地図・アクセス等

・住所北沢3丁目付近の茶沢通り(旧二子道)界隈や北沢1丁目界隈
・アクセス最寄り駅は小田急線下北沢駅、東北沢駅。
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・備考ーーー
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