船橋の希望丘公園
船橋7-9ガスタンク郡や清掃工場、団地の三つの大きな建築物が空を圧しているなかに、公園がある。小高い丘に木が植えられ、芝生がきれいだ。園内には水が巧みに設計して取り入れられており、水が流れる広場は周囲の風景に清涼感を与えている。(せたがや百景公式紹介文の引用)
1、希望丘公園について


周辺には団地が多いです。

清掃工場の煙突も間近に見えます。
千歳清掃工場の南側、芦花公園からだと環八を挟んだ南東に、希望丘公園があります。
この公園の周りには、施設や大きな建物が多いです。西隣は区立千歳温水プールで、南西方面に大東学園高校、北西方面に千歳清掃工場、北側には西濃運輸の集配所、北東にはセコムのビル、東には希望ヶ丘団地のマンションが続き、南には三菱商事のビルがあります。
百景の文章に「大きな建築物が空を圧しているなかに、公園がある」という表現は的を得ていて、都会らしい圧した空間にある公園ということができます。

この希望丘公園は、世田谷区立の公園で、昭和51年(1976年)に完成しました。ヨーロッパの公園を参考にしたとの事で、レンガの壁の滝(壁泉というのかな)と、広場の丘に公園のシンボル的なレンガ造りの時計塔があり、外周路にはレンガ調の小さなアーチ橋もあります。
全体的に赤いレンガと木々の緑がよく調和した公園だといえます。結構木も植わっているし、滝のような壁のデザインもいいので、その前に立つと百景の文章のように清涼感を感じることができると思います。
ただ、少しでも離れてしまうと、視界に色々な建物が入ってくるので、せっかくの気分も台無しと感じるかもしれません。そう考えると、この壁のような噴水にしたのは屏風というか、衝立というか、視界を悪くして清涼感を与える効果を狙っているのかもしれませんね。

これぞ夏休みといった感じです。
滝の横には「夏の川」というタイトルの銅像が建っていました。短パンに麦わら帽子をかぶった少年が、バケツと釣り竿を持っているといった銅像で、私は小川などでザリガニでも捕っている様子を思い浮かべました。
公園のできる前のこの地域は、住宅はほとんどなく、畑ばかりの土地でした。少なからずそういった昔のイメージを込めて、この公園の水辺、そして全体が造られたのかなと思えます。

この公園のシンボル的存在です。
レンガでできた洋風の時計塔は、一番目立つ場所にあり、希望丘公園のシンボル的な存在です。レンガ造の塔には東屋と藤棚が付随していて、時計塔の下で休むこともできます。藤の季節は時計塔の下で弁当を広げれば、いいランチになりそうです。
この時計塔は、滝のある広場と円形球戯場のある広場を隔てている丘にあります。どちらからもよく見えるので、子供が帰らなきゃと時間の確認がしやすいはずです。
とはいえ、時計を見ながら遊ぶ子供の方が少ないでしょうか。親に「あの時計を見て行動しなさい」と、しかめっ面で指を差される役回りばかりかもしれませんね。

くぐって公園に入るようになっています。橋の上はジョギングコースになっています。
園内はレンガ調のデザインもあって、ヨーロッパ的な雰囲気を感じられます。おまけに、隣にある希望ヶ丘団地との距離が近く、絵に描いたように団地と洒落な公園といった図になっています。
実際にそういった場面を求めて、ドラマや特撮などのロケで使われる事も多いようです。
昭和の話ですが、ウルトラマンAの撮影でも使用されました。その時に今では考えられないことですが、なんと公園内で爆薬が使われたそうです。しかも、その爆風でマンションの窓ガラスが割れた箇所があるとか。それ以降公園で爆薬が使われることがなくなったそうです・・・。

時が過ぎるのを忘れて子供たちが夢中になっていました。
その他には、球技場が二つあって、一つは本格的なもので、もう一つは円形の小さなものです。小さい方の球技場は円形に造られていて、壁には子供達の絵が描かれていて、とても楽し気に感じます。おまけに周囲を桜に囲まれて入るので、桜の季節はとても雰囲気がよくなります。
後は、公園をぐるっと1周するようにジョギングコースが設けられています。小さなアップダウンがあり、レンガのアーチを渡ったりと、短いながら足にきそうなコースです。

色々な健康器具が並んでいます。毎日通えば健康でいられるかも。
円形球技場の周囲には、ブランコや滑り台、砂場など子供用の遊具が設置してありますが、千歳温水プール側には、健康用の器具が並んでいます。大人用の遊具ってなところでしょうか。近所のお年寄りなどが、ラジオ体操の前後に利用していそうです。
とまあ、全体的に桜とレンガ調のデザインがよく、また色々な施設や空間があり、コンパクトにまとまっている公園だと感じました。
2、希望丘とは

*国土地理院地図を書き込んで使用
希望丘公園の東隣は、区立希望丘図書室と希望ヶ丘団地。その先には、区立の希望丘地域体育館公園があり、道路の北側、北東の八幡山の住宅街の中に希望丘東公園があります。
公園の南側に目を向けると、公園の少し南側を東西に横切っている通りは、希望丘通りで、その通り沿いには、希望丘小学校と、丘の文字はありませんが、船橋希望中学校があります。
更には、環八を越えた千歳台には、北から希望丘北公園、希望丘中公園、希望丘記念公園、希望丘南公園と、4つの希望丘の名が付いた区立公園があります。

なぜ、この界隈には希望丘の名が多いのでしょう。しかも、船橋、八幡山、千歳台と三町域に渡っています。
昔、この地域一帯が希望が丘だったとか。そう閃いた人が多いかと思いますが、残念ながらそれは違います。
正解は、この地域で希望丘土地区画整理事業が行われたからです。いわゆる耕地整理のことで、かつて玉川村が行った玉川全円耕地整理事業と同じです。

で、なぜ希望丘なのか。それは幻想とか、ゲン担ぎといったものです。これから始める事業に対して、縁起のいい名を付けるのが筋というもので、この時代は希望が丘とか、さちが丘とか、平和ヶ丘とか、新しく作る団地などに縁起のいい名が付けられました。
ここでもそういった世の中の流行りに倣い、希望丘が選ばれたようです。まあ、実際のところは、三町域にまたがっているので、船橋土地区画整理事業などと個別の地名を付けるわけにはいかず、苦肉の策だったと言えるかもしれません。

*国土地理院地図を書き込んで使用

*国土地理院地図を書き込んで使用
この区画整理事業が認可されたのは、昭和40年のこと。で、完成したのは昭和57年・・・。ここは想像を絶するような荒れ果てた台地だったので、17年もかかる難事業となってしまった・・・ってことではなく、一部の箇所が長引いただけのようです。
1960年の航空写真を見ると、見事に畑だらけ。この時代の区内の他の場所は、もう住宅がひしめき合っている状態なのに、ここは寂しい状態です。
しかし、1970年代になると、環八が開通し、そして耕地整理が行われ、一気に町が発展しています。きっとこの頃の人々の心の中は、希望丘の名のように希望で満ち溢れていたことでしょう。
3、船橋ふれあいまつり

希望丘公園を会場にして、毎年11月3日に「船橋ふれあいまつり」が行われます。
船橋ふれあいまつりは、「自分たちの住む‘まち’を愛して育てる地域・人づくり」、「各世代の住民の信頼と親睦を深める」、「住民が主役の‘楽しいまつり’作り」を目指した手作り感のあるイベントで、訪問した2010年で21回目。コロナ禍で途中中断のあった令和5年だと、34回目になります。


このイベントでは地元の団体の模擬店が多く出て、比較的お手ごろな値段で飲食ができたり、野菜即売やフリーマーケット、手づくりコーナーや木工教室に年によっては乗馬体験等が行われます。
ステージも設けられ、地元の団体や子供たちが普段の練習の成果を披露していました。この日はすぐ北側にある清掃工場およびリサイクル施設も見学をすることができます。船橋地区最大の行事ということで、多くの人が訪れ、公園内は結構混み合っていました。
4、感想など

気持ちよさそうに遊んでいました。
希望丘公園は、周囲に大きな建物が多い公園ですが、園内には緑が多く、思ったほど窮屈な感じは受けませんでした。公園のデザインがいいのでしょうね。周辺の施設や団地といまく調和している印象を受けました。
周辺に団地が多いことから、午前中は健康目的の年配の方が多く訪れ、午後の明るい時間は子供たちの歓声が聞こえてくる公園です。円形球技場の壁が表しているように、楽しそうな雰囲気があふれている公園で、もはやこの地域になくてはならない存在となっているようです。
せたがや百景 No.37船橋の希望丘公園 2025年2月改訂 - 風の旅人
・地図・アクセス等
・住所 | 船橋7丁目9−2 |
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・アクセス | 最寄り駅は小田急線千歳船橋駅。京王線八幡山駅。駅からかなり離れています。 |
・関連リンク | 希望丘公園(世田谷区) |
・備考 | ーーー |