* 須賀神社について *
喜多見の・・・、地元の人でないとうまく説明できない場所、大雑把に言えば慶元寺の門前から少し住宅地に入った場所に須賀神社があります。小さなお堂のような社と鳥居があるだけの小さな神社ですが、お堂を守るように取り囲んでいる巨木と素朴なお堂とが相成って懐かしいような、心落ち着くような、ほのぼのしているような、なんとも言えない風景を醸し出しています。
この須賀神社は承応年間(1652~1654年)に喜多見重勝が喜多見館内の庭園に勧請したのが始まりと伝えられていますが、由緒の詳細は分かっていません。祭神は素戔嗚尊(=須賀大神)と菅原道真が祀られているということになっていますが、地元では疫病除けの神様として知られている「牛頭天王」の御利益が信じられていて、いわゆる「天王様」と呼ばれているそうです。
知っている人も多いかと思いますが、明治維新の時に行われた神仏分離で、権現類と牛頭天王は徹底的に弾圧されました。簡単に書くなら天皇家の直系の神ではないといった理由です。そのため、全国の牛頭天王を祀る祇園社や天王社は、牛頭天王=素戔嗚尊の化身という事で素戔嗚尊を祭神とする神社に強制的に改宗させられたという歴史があります。
ここの須賀神社も元々天王社だったものが、須賀神社にさせられたものと推測できます。もう一つの祭神である菅原道真の方は、神社の鎮座している場所が天神塚という古墳であり、神社付近も天神森と言われ、新編武蔵国風土記には、天神塚には2つの小祠があって、1つは天王様、もう1つは天神を祀っていると書かれています。また、沢庵和尚が歌枕天神を堺南宗寺に勧請したものを、大阪目代として大阪にいた喜多見久太夫重勝が神木の梅樹と共にこの地に勧請したという話も残っているので、それがこの天神様ではないかとされています。
社殿の前には樹齢400年とも言われるムクノキが聳えています。この木は世田谷区の名木百選に選ばれ、また保存樹としても指定されています。大きさ的には社殿の後ろにあるケヤキの方が大きいような気がしますが、社殿の前にあることから須賀神社のシンボル的な存在、神木となっています。
ムクノキというのは、ニレ科ムクノキ属の落葉高木で、日本では関東以西、主にアジア東南部に分布している木だそうです。比較的成長が早い木なので、日本的感覚で考えると樹齢以上に見栄えがする木でもあるようです。ここのムクノキでは昭和の頃に東南アジアから渡り鳥のコノハヅクが6月ごろにやって来て、ヒナをかえし8月に帰って行っていたそうです。ふるさとの東南アジアの木で落ち着いたのでしょうか。
しかしながら近年では全く来なくなってしまったそうです。いくら木だけ保存樹に指定しても自然は一通りではないので難しいですね。そもそも都会では縄張り意識の高いカラスが制空権を握っているので、他から渡り鳥としてやってきた鳥が木の上で子育てをするのは難しいかもしれません。鷹狩りの鷹でさえカラスの集団に追い回されて逃げ出す状態ですから。
また戦前までは「鳴く木」として有名だったという話も残っていて、なんでも大きな鳥がこの木から飛び立ってからというもの鳴かなくなってしまったとか。鳥が鳴いていたのか、木が鳴いていたのか、どうなのでしょう。
須賀神社が鎮座している場所はこんもりとした塚となっているのですが、これは天神塚といって古墳です。ですから須賀神社は意図してなのか、偶然そうなってしまったのか分かりませんが、古墳の上に鎮座している神社です。この神社からほんの50mほど南にも竹に覆われた第六天塚古墳があります。元は葺石で覆われて円筒埴輪が並べられた直径15mほどの立派な円墳だったそうですが、今ではかなり形が崩れている上に竹やぶ状態になっています。
更にこの付近には稲荷塚古墳や慶元寺古墳などと古墳が多いのですが、平地ばかりの喜多見地域では喜多見氏の館の築山として利用されたりして、多くが姿を変えたり消滅してしまっています。