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秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.40

須賀神社例大祭

せたがや地域風景資産 No.2-30

須賀神社とムクノキ

疫病除けの天王様で行われる講によって組織された祭りで、神前舞や湯花神事といった独特の祭礼が行われます。

鎮座地 : 喜多見4-3-23  氏子地域 : 喜多見を中心とした講
御祭神 : 素戔嗚尊(=須賀大神)、菅原道真  社格 : 無格社
例祭日 : 8月1日宵宮、2日本祭
神輿渡御 : なし
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 5店程度
その他 : 神前舞、湯花神事、奉納演芸が行われます。

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*** 須賀神社 ***

須賀神社の写真
神社の全景

天神塚の上に社があり、木々に囲まれています

須賀神社の写真
ムクノキと社殿

立派な木と小さく素朴な堂宇です。

* 須賀神社について *

喜多見の・・・、地元の人でないとうまく説明できない場所、大雑把に言えば慶元寺の門前から少し住宅地に入った場所に須賀神社があります。小さなお堂のような社と鳥居があるだけの小さな神社ですが、お堂を守るように取り囲んでいる巨木と素朴なお堂とが相成って懐かしいような、心落ち着くような、ほのぼのしているような、なんとも言えない風景を醸し出しています。

この須賀神社は承応年間(1652~1654年)に喜多見重勝が喜多見館内の庭園に勧請したのが始まりと伝えられていますが、由緒の詳細は分かっていません。祭神は素戔嗚尊(=須賀大神)と菅原道真が祀られているということになっていますが、地元では疫病除けの神様として知られている「牛頭天王」の御利益が信じられていて、いわゆる「天王様」と呼ばれているそうです。

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知っている人も多いかと思いますが、明治維新の時に行われた神仏分離で、権現類と牛頭天王は徹底的に弾圧されました。簡単に書くなら天皇家の直系の神ではないといった理由です。そのため、全国の牛頭天王を祀る祇園社や天王社は、牛頭天王=素戔嗚尊の化身という事で素戔嗚尊を祭神とする神社に強制的に改宗させられたという歴史があります。

ここの須賀神社も元々天王社だったものが、須賀神社にさせられたものと推測できます。もう一つの祭神である菅原道真の方は、神社の鎮座している場所が天神塚という古墳であり、神社付近も天神森と言われ、新編武蔵国風土記には、天神塚には2つの小祠があって、1つは天王様、もう1つは天神を祀っていると書かれています。また、沢庵和尚が歌枕天神を堺南宗寺に勧請したものを、大阪目代として大阪にいた喜多見久太夫重勝が神木の梅樹と共にこの地に勧請したという話も残っているので、それがこの天神様ではないかとされています。

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社殿の前には樹齢400年とも言われるムクノキが聳えています。この木は世田谷区の名木百選に選ばれ、また保存樹としても指定されています。大きさ的には社殿の後ろにあるケヤキの方が大きいような気がしますが、社殿の前にあることから須賀神社のシンボル的な存在、神木となっています。

ムクノキというのは、ニレ科ムクノキ属の落葉高木で、日本では関東以西、主にアジア東南部に分布している木だそうです。比較的成長が早い木なので、日本的感覚で考えると樹齢以上に見栄えがする木でもあるようです。ここのムクノキでは昭和の頃に東南アジアから渡り鳥のコノハヅクが6月ごろにやって来て、ヒナをかえし8月に帰って行っていたそうです。ふるさとの東南アジアの木で落ち着いたのでしょうか。

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しかしながら近年では全く来なくなってしまったそうです。いくら木だけ保存樹に指定しても自然は一通りではないので難しいですね。そもそも都会では縄張り意識の高いカラスが制空権を握っているので、他から渡り鳥としてやってきた鳥が木の上で子育てをするのは難しいかもしれません。鷹狩りの鷹でさえカラスの集団に追い回されて逃げ出す状態ですから。

また戦前までは「鳴く木」として有名だったという話も残っていて、なんでも大きな鳥がこの木から飛び立ってからというもの鳴かなくなってしまったとか。鳥が鳴いていたのか、木が鳴いていたのか、どうなのでしょう。

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須賀神社が鎮座している場所はこんもりとした塚となっているのですが、これは天神塚といって古墳です。ですから須賀神社は意図してなのか、偶然そうなってしまったのか分かりませんが、古墳の上に鎮座している神社です。この神社からほんの50mほど南にも竹に覆われた第六天塚古墳があります。元は葺石で覆われて円筒埴輪が並べられた直径15mほどの立派な円墳だったそうですが、今ではかなり形が崩れている上に竹やぶ状態になっています。

更にこの付近には稲荷塚古墳や慶元寺古墳などと古墳が多いのですが、平地ばかりの喜多見地域では喜多見氏の館の築山として利用されたりして、多くが姿を変えたり消滅してしまっています。

*** 須賀神社の祭礼の様子 ***

須賀神社の祭礼の写真
行列

第六天塚古墳の脇を回ってきます。

須賀神社の祭礼の写真
神事

堂宇の外に椅子が並べられます。

須賀神社の祭礼の写真
巫女舞

喜多見に古くから伝わるもので三人舞が基本だとか。

須賀神社の祭礼の写真
演奏者

脇で舞の伴奏をします。

須賀神社の祭礼の写真
奉幣の舞

神前に一礼してから舞が始まります。

須賀神社の祭礼の写真
奉幣の舞

左手に幣束、右手に鈴を持って舞います。

須賀神社の祭礼の写真
太刀の舞

左手に太刀、右手に鈴を持って舞います。

須賀神社の祭礼の写真
太刀の舞

素戔嗚尊を表した舞となります。

須賀神社の祭礼の写真
神事の行われている社殿

のんびりとした雰囲気の中で行われます。

須賀神社の祭礼の写真
祭礼日の拝殿

ここでお祓いを行ってくれます。

須賀神社の祭礼の写真
奉納演芸

早い時間は以外と人気があります。

須賀神社の祭礼の写真
雨の中の奉納演芸

湯花神事の後に土砂降りの雨が降ってきたことも。

* 須賀神社の祭礼について *

須賀神社の例大祭は毎年8月1日に宵宮、翌2日に本祭が行われます。今でもそういう言い方をしているかのがどうか知りませんが、地元では天王様の祭りとして親しまれてきた祭りです。祭礼中には社殿に受付が設けられ、お祓いを受けに来る人が大勢やってきます。

祭礼は宵宮の日に17時からお囃子が演奏されます。お囃子を行うのは喜多見氷川神社でもおなじみの喜多見学友会です。昔は各地域の講がお囃子を奉納しに来ていて、世田谷各地のお囃子の聞き比べができたそうですが、今はどうなのでしょう。確認していないので分かりません。

氷川神社同様にここでも伝統的にお囃子専用の高い櫓が社殿横に設置されます。お囃子が昔から大事にされていると感じる一方、年配の方が多いお囃子会なのでこれはこれで酷な舞台なのかなと、登るのに苦労しているお年寄りを見ていて思ってしまいました。

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本祭の日は昼の部と夜の部と二段構成となっています。昼の部は15時から行われる神事です。喜多見氷川神社の祭礼と同じように猿田彦を従えて社殿に行列で参進するところから始まります。ここで興味深いのはわざわざ狭い通路を通り、お隣の第六天塚古墳の脇を通過することです。第六天塚はこの地では祟りを為す塚として知られていたそうです。そういった歴史が第六天塚に寄っていくという行為となっているのかもしれません。

列が社殿に到着すると神事が行われます。ここでは社殿が小さいので中に入るのは神職と祭事を行う者のみで、猿田彦を含めて社殿の外に置かれた椅子に座ることになります。ここの祭礼は基本的な神事の後、神前舞が舞われるのが特徴です。

神前舞は巫女舞、幣の舞、剣の舞と三種類で、年によって踊り手の数が違うのがローカルっぽいです。なので巫女さんが二人で舞う年もあれば、鈴の舞と剣の舞を同じ人が舞う年もあります。その辺は訪れてからのお楽しみといった感じでしょうか。

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巫女舞は古くから氷川神社に伝わっている舞で、伝統的に三人で舞うのですが、今では年によってまちまちです。

巫女舞の後は神前舞の奉幣の舞、太刀の舞が舞われます。この神前舞は本来は二人舞で、五座で構成されているものです。現在は色々と省略されていますが、喜多見氷川神社の祭礼ではより本来の姿に近い形で舞われます。

神前舞は一座が左手に幣束、右手に鈴を持った奉幣の舞、二座が左手に榊、右手に鈴を持った榊の舞、三座が左手に鈴、右手に扇を持った舞扇、四座が左手に弓、右手に鈴を持った弓の舞、五座が左手に太刀、右手に鈴を持った太刀の舞で構成され、舞は座である社殿の中を東西南北に移動し、四方固めを行うといったものです。これは地の精霊を圧服する所作と考えられています。

このほか神事とは別に、黒三番が設置された舞台で伝統的に舞われているそうですが、現在も行われているかは確認していません。この舞は天王祭では必ず舞うものとされ、舞わないと疫病が流行すると言われていたそうです。

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夜の部は18時から始まる余興です。カラオケや舞踊が中心ですが、フラダンスが密かに人気となっているようです。そういった余興に混じって行われるのが世田谷区の無形民俗文化財に指定されている湯花神事です。20時から行われ、この時は余興も中断し、境内にいるほとんどの人が湯花神事の行われる社殿前に集まります。湯花神事が終わると再び余興が行われ、最後に紅白の投げ餅がまかれ例大祭が終了します。

*** 須賀神社の湯花神事 ***

須賀神社の湯花神事の写真
神事用の釜と笹竹

ムクノキの下に早い時間から用意されます。

須賀神社の湯花神事の写真
清め

奉幣で釜などを清めます。

須賀神社の湯花神事の写真
点火と藁くべ

世話人が火を付け、藁をくべて火を調節します。

須賀神社の湯花神事の写真
祝詞奏上

山車に

須賀神社の湯花神事の写真
鎮火

火を鎮火して神事に備えます。

須賀神社の湯花神事の写真
湯を鎮める

柄の部分を湯に付けて唱えごとをします。

須賀神社の湯花神事の写真
かき混ぜ

葉の部分を付け、一気に混ぜます。

須賀神社の湯花神事の写真
渇をはじく

湯の付いた笹竹を振って渇をはじきます。

須賀神社の湯花神事の写真
道路側でも

多くの人が訪れるので三カ所で行います。

須賀神社の湯花神事の写真
湯花神事後の拝殿

何かの神事を行っていました。

須賀神社の祭礼の特徴の一つは、世田谷区指定無形民俗文化財の湯花神事が行われる事です。湯花神事とは別名湯立て神事、或いは湯立神楽とも言われ、大釜に湯を沸かし、その沸いた湯の中に笹竹などの神具、或いは直接手を入れたりして、その湯を信徒などに振りかけ、かかれば一年無病息災で過ごせるとか、或いはその地方によってその判断の仕方や御利益が違います。一般的にその年の吉兆を占う占い神事の事です。

昔は多くの土地で行われていて、世田谷でも昔は湯花神事を行っていたと記載された神社は幾つかあるのですが、近年では行われる神社は少なくなり、世田谷ではここだけになってしまいました。世田谷近辺では新宿の花園神社や杉並の久我山稲荷神社で行われています。そういった希少性から無形民俗文化財に指定されていますが、地方では、特に鎌倉を中心とした地域ではまだ行っている神社は多くあり、もの凄く珍しい行事というわけでもないので、外部からの見学者はほとんどいない感じです。

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須賀神社の湯花神事は世田谷区の名木百選に選ばれ、また須賀神社のシンボル的な存在の神木であるムクノキの下で行われます。祭礼時には木の下に一間四方に笹竹と注連縄を張った聖域が作られ、その中央に三本の青竹で支えた平釜が据えられます。これは早い時間帯から設置されるようで、昼の例大祭の時にはもう平釜が設置されていました。

湯花神事が行われるのは20時頃からで、18時から始まった奉納演芸が佳境に入る頃ですが、奉納演芸の方は中入りとなり、湯花神事が行われるというアナウンスと共に境内の人が木の周りに集まってきます。

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湯花神事の祭主を努めるのは喜多見氷川神社の宮司さんで、まず最初にお祓いを行い、そして世話人が釜戸の下にくべられた麦藁に火を付けます。付近の農家では麦を栽培しなくなっているので、この藁はこの日のために特別に栽培されたものだとか。世話人が藁をくべ火を調整している間に、宮司は祝詞奏上を行います。

湯が沸いたのを見計らって火を消し、笹竹の根元部分を入れ、唱えごとをして湯を鎮めます。その後、葉の部分を入れ、大きく混ぜます。そしてそれを頭上に振り上げ、参拝者に振りかけます。ここでは社殿の前、社殿の道路側に向かって2回と計三回笹の葉で湯を振りかけます。

この湯がかかると一年間病気をしないといわれているので、このときばかりは地元の人も真剣で、なるべくお湯がかかるように前に前にと自然に体が動いていたりします。神事が終わると人々は帰路についたり、投げ餅まで奉納演芸を見てくつろいだりするのですが、宮司さんは社殿に戻り、神前に神事の報告を行います(もしかしたら例大祭の終了の報告かも)。

* 感想など *

須賀神社の祭礼は小さなお祭りですが、神前舞が行われたり、湯花神事が行われたりと独特な神事が多く、見ていて楽しいお祭りです。お祭り自体は他の区内の神社と大差ないように思えるようで、ある種独特の雰囲気で行われるようにも感じました。もちろん他の神社と違って夏真っ盛りの夏祭りなので雰囲気が違うのは当然ですが、やはり何か独特な雰囲気を感じるのです。

それはやはり天王様の祭りであると言うことがあげられます。天王様の祭りは氏子地域を持たず、講によって組織された祭りです。そのため特定の地域と言うよりも周辺地域の集まりであり、閉鎖的ではなく、解放された祭りで、近隣の村人との交流場といった一面もあります。それに表面的には素戔嗚尊が祀られていますが、何が祀られていようと土地の人にとっては天王様は天王様でしかないといった隠し事ではないけど、ちょっと秘密めいた何かがスパイスになっているのも信仰的な部分であるような気がします。大袈裟に例えるなら江戸時代にあった隠れキリシタンみたいな密教的な雰囲気でしょうか。

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そういった目線で見ると、湯花神事も怪しい雰囲気プンプンのシャーマニズムに感じてしまい、普段は喜多見氷川神社で結婚式などを行っている宮司さんも揺らめく火に映されて怪しい宗教者のように見えたりする事も・・・。とまあそれは言い過ぎですが、そういった逆境の歴史があったり、氏子ではなく講として結びつきで祭礼が行われているといった難しさがあったりするからこそ人々の宗教心に訴えるものがあり、ずっと大事に維持されている祭りとも言えるかもしれません。

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<世田谷の秋祭り File.40 須賀神社例大祭 2011年7月初稿 - 2015年10月更新>