#51 鹿の楽園
インドネシア ボゴール 2000年5月Bogor,Indonesia / May 2000
(*イラスト:ナロンエースさん 【イラストAC】)
マレー半島の南の海上にインドネシアの国土が広がっている。国土はすべてが島で、広大な海域に大小様々な島が点在している。
島の数はおよそ1万8千とも言われている。これだけ多ければ世界でも一番の島国……と思ってしまうのだが、残念ながら5番目だそうだ(諸説あり)。
インドネシアよりも島が多いのは、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどの北欧諸国とカナダ。これらの国は島国といったイメージが湧いてこないが、氷河が削った複雑な地形により、海や湖沼に岩礁がたくさんあり、それらが島と定義されているからだ。
ちなみに同様の島国である日本は、かつて6,852島とされていたが、2023年の測量技術による再調査で14,125島と倍増。島の順位は基準によって変動しやすいので、およその目安で考えるほうがよさそうだ。
日本と同様にシンプルな国旗です。
(*イラスト:ueworksさん 【イラストAC】)
それはさておき、世間一般的に島国らしい島国ということなら、国土が島だけで構成されているインドネシアこそが世界一の島国で間違いない。
そのインドネシア、「ネシア」というのは古典ギリシャ語の「島々」を意味していて、ポリネシアとか、ミクロネシアなどといった地域にも使われている。
直訳すると「インドの島々」という国名になる。なんで「インド」なの?インドとは宗教も違うし、場所もそれなりに離れているし、歴史的に分裂したという話もない。と、疑問に感じる人が多いかと思う。
この理由は大航海時代に遡り、この地域に進出したイギリス人などの西欧人が、東南アジアをインドの東ということで、東インドと呼んでいたことに因んでいる。
1800年頃には現在のインドネシアの国土の大半をオランダが植民地として統治していた。その際もオランダ領東インドと名付けられていた。
インドネシアという国名が使われ始めたのは、オランダの植民地支配に対抗する民族運動が勃発していた1920年代。インドネシアという言葉は、東南アジアの島々全域を指す地理的用語として使い始めたのが始まりとされている。
日本の支配が終わった後、1949年のハーグ協定でインドネシア連邦共和国として独立が認められ、正式な国名となった。
植民地時代に付けられた地名は、独立した後に忌々しいということで変更されることが多い。まして「インドの東」という由来なら、地域に根付いた名称に取り替えた方がよさそうに思えるのだが、インドネシアの場合は少々複雑な事情がある。
島の数だけ民族や文化があるのがインドネシア。島ごとの一体感は強いが、国としての一体感が少し薄い。多様な民族を一つにまとめる象徴(共通の記号)として、あえて特定の島や民族に偏らない「インドネシア」という名称が都合よく、そのまま定着したのかもしれない。
そのインドネシアの首都はジャカルタ。一番人口が多く、経済活動が盛んなジャワ島の西部にある。ジャカルタの南、約60㎞、標高260mほどの高原にボゴールの町がある。比較的過ごしやすい気候、ジャカルタから近い立地により、オランダ植民地時代は避暑地としてオランダ人に人気があった。
オランダ領東インド総督もボゴールに避暑に訪れていて、この地に総督用の別荘が建てられた。しかし、1834年の地震で損傷。この機にということで、官邸としても機能するボゴール宮殿が建てられた。ジャカルタにあるムルデカ宮殿が公務の中枢となるが、ここボゴール宮殿も頻繁に利用されていたそうだ。
この宮殿は現在でも残っている。建物は地震に対する備えから1階建て。宮殿というと荘厳さとか、圧倒的な存在感を感じたりするものだが、ここのはすっきりとした印象。建物の白色が美しいので、ミニホワイトハウスといった印象を受けた。
日本軍の支配の後、1945年の独立宣言後はインドネシア大統領官邸となり、初代大統領であるスカルノはこの官邸を気に入り、第二夫人とともに頻繁に滞在したそうだ。現在でも6つある官邸の一つとして使用されている。
ボゴール宮殿の敷地は28ヘクタール。庭には多くの鹿が放し飼いにされている。塀の外から鹿たちを眺めることができ、宮殿前でくつろいでいたり、大きな木の下で休んでいる様子は、まるで鹿の楽園のよう。とても素敵な光景となっていた。
鹿の種類はアクシスジカ。インドなどの南アジアに生息している鹿で、背中に多数あらわれる白い斑点(鹿の子模様)が特徴的である。美しい容姿から、「世界一美しい鹿」とも呼ばれているそうだ。
ちなみに、ニホンジカの場合は夏に背中に斑点が現れ、アクシスジカのような美しい鹿になるが、冬になると消えてしまう。
この鹿たちはこの地に生息していたものではなく、1814年に当時ジャワを統治していたイギリス副総督のラッフルズ卿がネパールとインドの国境付近に生息していた6頭を持ち込んだことに始まる。
このラッフルズ卿は植物や動物の世界をとても好んでいた人物で、世界最大の花として知られるラフレシアが、彼の名に因んで名付けられたエピソードは有名だ。
鹿を持ち込んだ理由は、宮殿(別荘)の前に違った景色が欲しいと感じ、鹿がよく似合いそうだったから……だという。
随分と身勝手な理由で遠方から連れてこられた鹿たちだったが、ここの気候風土が合っていたようで、順調に繁殖していった。現在では幾つかの群れに分かれ、800頭も暮らしているらしい。
この地で200年も大事にされ、現在でも広々とした場所でのびのびと暮らせている。結果として鹿たちにとっても幸せな移住だったのかもしれない。それとともにインドネシアでは意外と鹿の人気が高い。動物園に行くと、鹿の檻の前に結構人がいる。
ボゴール宮殿の鹿のことをインターネットで調べていると、スカルノ大統領が日本を公式訪問した時に贈られた奈良の鹿だとか、昭和天皇がインドネシアを訪れたときに贈られた鹿だといった記載も見かけるが、その真偽のほどは定かではない。
交雑させてしまったのだろうか。日本の鹿も南国で暮らすと一年中斑点が現れるとか……。それとも他の場所で暮らしている鹿と混同しているのだろうか。これが一番可能性が高そうだ。
このように、現代では日本との微笑ましい縁が噂されるボゴール宮殿だが、過去の戦争中には悲しい歴史の舞台にもなった。
日本軍が占領していた時期には白い建物は標的にされやすいということで、宮殿は黒く塗りつぶされ、庭園や植物園の木々は大本営の指示で伐採……されそうになったが、館長の判断で阻止されたそうだ。ただ、手入れは行き届かず木々は延び放題だったとか。
更には、園内に多くいた鹿は食料として狩られるなど、酷い状態だったらしい。インドネシアには旧日本軍が残した痕跡は多く、その所業を非難されることも多い。
ボゴール宮殿と柵で隔てられた隣地は、80ha以上の広大な敷地を擁するボゴール植物園になっている。かつては宮殿の敷地で、植物園部分は庭園として利用されていた。
市内の中心にあるといった立地から、地元の人の憩いの場となっていて、休日には結構混雑している。
植物園ということで、園内には15,000種以上の植物が植えられている。変わった木が植えられているエリア、サボテンが多くあるエリア、ランが植えられているエリア、温度や湿度の調節ができる建物などがあり、敷地の広さも含め、東洋最大規模、最大栽植種を誇る植物園である。
とはいえ、敷地が広すぎて熱心に植物を見て回る人は少なく、自然豊かな環境の中でくつろぐために訪れている人が大半。芝生や池のほとりでのんびりとしたり、走り回っている子供の姿をよく目にする。
植民地時代にラッフルズ卿の趣味で生まれた植物園になるが、規模がどんどんと拡大し、後に植物研究施設といった役割を担うようになった。
特に農業と園芸分野での研究は素晴らしく、インドネシアだけではなく、アジアの農業・園芸分野で多大な貢献をしてきた。キャッサバ芋、キニーネ薬、タバコ、コーヒー、サトウキビ等の普及は、この植物園なくしては語れないそうだ。
ここボゴールは雨の町とも呼ばれている。乾季でもほぼ毎日雨が降るからだ。この雨が多い地理的な要因が熱帯植物の栽培に適していたということも、付け加えなければならない。
植物園内には動物学博物館もある。熱帯地域の動物のはく製や骨格標本などが展示されていて、なかなか勉強になる。
中でも圧巻だったのが、昆虫の標本。無数の虫たちが標本になっている様子は凄まじい。というか、背筋がぞくぞくし、手足がかゆくなってくるほど、気持ち悪い。でも、これだけの数の昆虫標本がそろっている場所はめったにないので、見る価値はあるかと思う。
#51 鹿の楽園