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旅人の歯医者日記

第3章 ユーラシア大陸横断
#3-6 ベトナムでのホームステイ

2000年2月~3月

2番目の訪問国はベトナム。ひょんなことからホームステイすることになり、少しベトナムで暮らすことになりました。(*第3章は現在制作中)

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11、ベトナム入国

中国とベトナムの地図

国土地理院地図を書き込んで使用

深圳(しんせん)で暮らす友人の協力のもと、香港でベトナムビザの取得などを行い、西へ向かう旅の準備を整えた。その後、友人宅で少しゆっくりさせてもらい、次の訪問国ベトナムに向かって旅を進めていった。

途中、岩がタケノコのように聳えることで有名な景勝地、桂林の近くにある陽朔(ようさく)で中国の正月(旧正月)を迎えた。

中国 陽朔の町並みの写真
陽朔の町並み

日本の正月と同じように、この時期は多くの人が帰省や旅行をする。ただ、中国の人口は日本のおよそ10倍。まさに民族大移動といった様相で、津波が押し寄せるかのように人が移動する。おかげでバスのチケットを入手するのにはとても苦労した。

旧正月中の移動は困難を極める。それなら無理に動かず、旧正月の雰囲気を楽しんだ方がいい。そう考え、のんびりと旧正月が明けるまで陽朔に滞在した。

旧正月中に印象的だったのが、爆竹。当時はあまり規制されていなかったので、年が明けると多くの人が盛大に爆竹を鳴らしていた。

この爆竹なのだが、まず見てビックリ。日本で売っているものとは比較にならないほど大きく、しかも機関銃に装填する弾丸のように大量に連なっているのだ。

見た目のインパクトも凄いが、火をつけて爆発させたときの音もまた凄い。地鳴りのような轟音が響き渡る。しかも町の至るところでやるので、喧しいうえに町中がゴミだらけになる。空気も煙たくなり、後に規制されるのも納得という代物だった。

中国 陽朔 旧正月の爆竹の写真
中国の爆竹

陽朔からは寄り道をせずに南下していき、2月9日、2番目の訪問国であるベトナムに入った。

ベトナムには、国境の手前で知り合ったアメリカ人旅行者ダグラスと一緒に入国した。中国側や国境では、漢字の分かる私の方が主導権を握り、「出国審査はあっちだよ」などと案内をしたり、バスの交渉を行ったりしていた。

しかし、ベトナムの首都ハノイに到着すると英語がよく通じるようになり、無口だったダグラスの表情が明るくなり、よくしゃべるようになった。そして立場が逆転してしまった。

英語が通じず、漢字の読めない外国人旅行者は、中国ではとても苦労する。そんな話をよく聞くが、まさに絵に描いたような展開だった。日本人が想像する以上に、彼らにとっては苦労とストレスが大きかったようだ。

英語に困惑するイメージ(*イラスト:カネーライスさん)

(*イラスト:カネーライスさん 【イラストAC】

かくいう日本も、当時は英語の表記があまりなく、外国人泣かせの国だった。しかも、道で困っていても誰も助けてくれないうえに、物価が異常に高い。「日本は想像していたよりも旅をしにくい国だった・・・」と、他の国の旅行者と会話する際に時々小言をもらったものだ。

日本が積極的に変わり始めたのは、2002年のサッカーワールドカップ頃になるだろうか。現在でも「人が不親切」という面はあまり変わっていないが、スマホが助けてくれるし、円安となり、他国に比べて物価が安くなっているため、昔ほど不満は聞こえてこない。

ベトナム ハロン湾の写真
ハロン湾

話がそれてしまったが、しばらくはハノイを拠点にし、ベトナム北部の山岳地帯サパや、海の桂林ともいわれる景勝地ハロン湾などを観光した。世界遺産にもなっている素晴らしい風景を堪能できたが、あいにくの空模様だったのがちょっと残念だった。

こういった観光よりも印象的だったのは、少しの間ハノイで一緒に行動していたダグラスが、ベトナム人から安くバイクを購入したことだった。彼はこのバイクで、ベトナム、ラオス、タイと旅していくとのこと。

私は日本でバイクに乗っているので、バイクで世界を旅して回ることも考えたが、心配なのは登録の手続きや国境の越え方、そしてトラブルが起きたときの対処など。全くやれる自信がなく、バイク旅は夢物語でしかなかった。しかし、目の前でダグラスがやってのけているのを見ると、心中穏やかではない。

ベトナム ハノイ ダグラスと私の写真
ダグラスと

「どうやって国境を越えるのだ?」などと聞いてみると、「他の旅行者に聞いたら問題なく通過できると言っていたし、ガイドブックにもそう書いてある。わからなければ国境の係の人に聞けばいいさ」とのこと。そりゃまあ、そうか。英語で完璧にコミュニケーションができるというのは、何をするにしても有利だ。旅の幅が広がって羨ましく思う。

それに英語が話せれば、欧米旅行者のネットワークや、世界一のガイドブックといわれる「ロンリープラネット」などの知識を活用でき、より一層旅を豊かにできそうだ。

日本のガイドブックだけを見つめ、そこに書かれた場所だけを巡り、日本人旅行者とだけコミュニケーションをとっていては、本当の意味での「いい旅」はできないかもしれない。世界を颯爽と旅していても、きっとそれは井の中の蛙にすぎないだろう。

もう少し英語を勉強し、英語でコミュニケーションをとれるようにしたい。バイク旅とまではいかなくても、もっと魅力的な旅ができるに違いない。そんなことを悟らせてくれた、素晴らしい出会いだった。

12、ベトナム戦争

ベトナムの地図のイメージ(*イラスト:ちゅんさん)

(*イラスト:ちゅんさん 【イラストAC】

ダグラスと別れ、私は一人で南北に長いベトナムのちょうど中央付近にある都市、フエまで一気に南下した。フエはベトナム最後の王朝であるグエン朝の王都として栄え、1802年から1945年まで首都が置かれていた。ベトナムの古都と呼ぶにふさわしい町だ。

それと同時に、ベトナム戦争で激戦地になったのもここフエである。ベトナム戦争は冷戦中の資本主義と社会主義の代理戦争といった形で国を南北に分け、1955年から1975年のサイゴン陥落まで続いた。

南北の境界線が引かれたのが北緯17度線。フエから北に100キロ弱の所を流れるベンハイ川が事実上の境界線となった。南北の境に近いフエが無傷で済むわけはなく、大きな被害が出た。フエの象徴である王宮も大半が破壊されてしまい、無残な姿になってしまった。

ベトナム フエ ベンハイ川とモニュメントの写真
ベンハイ川とモニュメント

「ベトナムといえばベトナム戦争」とすぐに頭に浮かぶのは、それなりに歳を重ねている世代になるだろう。

私の子供の頃は、ベトナム戦争が「流行って」いた。こう書くと不謹慎に思うかもしれないが、1980年代に小中学生だった私にとっては、「流行」という表現がしっくりくる。

私自身は実際のベトナム戦争を知らない。しかし、戦争が終わって10年も経つと世の中が落ち着き、ベトナム戦争を描いた映画が多く上映されるようになった。またゲームでも、「ファミコンウォーズ」や「大戦略」などが流行り、戦争を模したサバイバルゲームがブームになったり、モデルガンがよく売れたりしていた。

日々の生活の中でも「交通戦争」や「受験戦争」といった表現が頻繁に使われ、戦争というものをよくわかっていない子供には、戦争というものがどこかカッコいいもののように感じられる日常だった。そういった子供時代を過ごした影響もあり、今でも戦争というと、私はベトナム戦争が真っ先に頭に浮かんでくる。

ベトナム フエ 王宮の写真
フエの王宮

古都フエの観光の目玉は、世界遺産にもなっているフエ王宮を筆頭としたグエン朝の王都だったころの建築物になるのだが、当時はまだ修復の途上で、あちこち崩れたままだった。

それよりも、ベトナム戦争に関連した「DMZツアー」の方が人気を集めていた。私と同様に、この時代は多くの人の心にベトナム戦争の印象が強く残っていたため、戦争関連のスポットがベトナム観光の目玉となっていたのだ。

DMZというのは、DeMilitarized Zoneの略で、非武装領域の意味。ベトナム戦争時の南北間での緩衝領域とされていた場所になり、そういった場所をめぐるのがDMZツアーになる。現実的には激戦地となった場所ばかりなので、ベトナム戦争の激戦地を巡るツアーといった表現が正しいだろうか。

ベトナム フエ ケサン基地の壊れた戦車の写真
ケサン基地の壊れた戦車

ベトナム戦争にはちょっと思い入れがあったので、私もこのDMZツアーに参加してみることにした。「ロックパイル」「ケサン基地」「境界となったベンハイ川」など、ベトナム戦争関連の映画に登場する場所を中心に訪れていくので、思い入れのある人には感激のツアーとなるのだろう。

しかし、戦争遺跡を見て楽しいかというと、なかなか微妙なところだ。戦争が終わってから20年以上が経っているので、たいして何も残っていなく(生々しく残っていても嫌だが・・・)、遥か昔の古戦場を訪れているのとあまり変わらない。

さりげなく当時の朽ちた戦車などが置かれていて、訪問者のテンションを盛り立ててくれたりはするものの、それよりガイドの「まだ不発弾が埋まっているかもしれませんから、絶対に草むらに入らないでください」という言葉の方が、現実的で印象に残っている。

13、砂丘の町ムイネ

ベトナム フエ フエの日本人宿と自転車乗りの旅人の写真
フエの日本人宿と自転車乗りの旅人

日本を出国したのが、1月20日。古都フエにたどり着いたのが、2月21日。日本を旅立ってからちょうど1か月が経った。今のところ、一度体調を崩しただけで、ほぼ順調に旅が進んでいる。

ここフエには日本人バックパッカーが集まる有名な宿があり、旅行者の間で人気となっていた。宿泊している人の中には、私と同様にユーラシア大陸横断を目指している人も何人かいて、なかには自転車で旅をしている猛者(ツワモノ)もいた。

こういった旅人たちと、これまでの出来事やこれからのルートについて話すと、気持が盛り上がるし、励みにもなる。何より、自分と違った価値観で旅をしているので、「こういうやり方もあるのか・・・」などと参考になった。

雑談するイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

それと同時に、2月後半といえば大学生の春休みであり、卒業旅行シーズンでもある。2000年というのはベトナム旅行が流行り始めた時期だったこともあり、大学生の旅行者がそれなりに多かった。

この頃のベトナムは、国内の観光地はおろか交通網もまだきちんと整備されていなかったため、個人旅行者であっても現地の旅行会社が主催するツアーを利用し、観光や都市間の移動を行うのが一般的だった。

そういったツアーに参加すると、自然と彼らと一緒になる。彼らから旅についてアドバイスを求められたり、ユーラシア大陸横断について聞かれたりすると、旅の先輩として嬉しくある反面、その存在が少しストレスにもなっていた。

考え込むイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

色々と考えてしまうのだ。「ワイワイと修学旅行のような状態に満足していていいのか。俺。こんなレールの上を進むような旅なら、仕事の休暇を利用した旅でもできるじゃないか・・・」と。

フエ滞在中に、バイクで旅をしているダグラスに偶然再会したこともあり、「こんなありきたりな旅をしていてはいけない。ダグラスや自転車で旅している旅行者を見習おう!」と、ツアーバスで巡る王道コースから外れることにした。

ムイネ、ベトナムの写真
ムイネ

そして目指したのは、南部にあるムイネ(ムイネー)という町。ベトナムの最大都市ホーチミンから東へ100キロほどの海沿いに、ビントゥアン省の省都ファンティエットがある。このファンティエットから東へ15キロ程いった小さな半島部分にムイネはある。

町は大きめの漁村といった雰囲気だが、特徴的なのは町のすぐそばに広大な砂丘があること。「砂丘のある町」として知られ、季節にもよるが、湾内に多くの漁船が停泊している様子も印象的だ。

ベトナムに詳しい人なら、「ムイネも有名なリゾート観光地じゃないか」と思うかもしれないが、この当時はほぼ無名。ホーチミンからの国内観光客が訪れる程度で、外国人を乗せたツアーバスがやって来ることはなく、外国人旅行者の姿もほとんどなかった。

ベトナム ムイネの浜辺の写真
ムイネの浜辺

「トラブルに巻き込まれるから外国人は乗らない方がいい」と言われているローカルバスを乗り継ぎ、ムイネに到着してみると、まず湾内に多くの船が停泊している様子に感動した。いかにもアジアらしい光景だ。

浜辺に降りてみると、人力で浜に船を上げたり、地引網を引いていたりと活気に満ち溢れていた。特に目を引いたのが、お椀のような丸い小舟を使って浜と船を移動している様子。ベトナム版「佐渡のたらい舟」といった感じで、波にゆらゆらと揺られている様子が面白い。

ベトナム ムイネ砂丘の写真
ムイネ砂丘

次に砂丘を訪れてみた。ここの砂は少し赤みがかっていて、「赤い砂丘」とも呼ばれている。砂山をずんずんと進んで行くと、想像していたよりも広大で、まるで砂漠に来たかのように感じるほど。

ムイネが後にビーチリゾート地として人気となったのは、ビーチだけではなく、この砂丘の存在が大きい。2つの非日常的な要素を持ち合わせているため、訪問者の満足度も高くなる。

しかし、砂丘やビーチよりも感動したのは、ムイネの人々の温かさ。外国人が珍しいこともあって、歩いているとよく話しかけられ、もてなされた。思い切って観光コースから外れた甲斐があった。私はこの町がすっかり気に入ってしまった。

14、歯磨き宣教師

ベトナム ムイネ 地元の人たちとの写真
ムイネの人たちと

今回の旅ではいくつかの「こだわり」があった。その一つが「写真」だ。いい写真を撮るのは当然だが、写真で現地の人とコミュニケ-ションをとり、旅を豊かにしたいという意図もあった。

今の感覚ではわからないかもしれないが、当時はフィルムで写真を撮っていたので、写真がとても貴重だった。簡単に言うなら、写真を現像してプレゼントしてあげると、心から喜ばれた時代だった。

ここムイネでもそれを実践してみたところ、人々にとても喜ばれた。ちょうど宿泊していた宿と料金のことで少し揉めたのもあり、ある民家に泊めてもらうことになった。そして、そのままずるずると1か月ほど滞在してしまった。

ベトナムでの暮らしは、日本の生活と比べると非日常の連続で、とても面白かった。もちろん習慣の違いや衛生面などでの苦労も多かったが、周りにいる人が温かかったので、楽しさの方が勝っていた。

歯磨きのイメージ(*イラスト:annyさん)

(*イラスト:annyさん 【イラストAC】

写真とともに、今回の旅でこだわっていたのが「歯磨き」。というのは変な表現だが、「もう虫歯になりたくない」というよりは、「海外では絶対に虫歯になるものか。ましてや歯のトラブルで旅が終わるような事態は避けたい」という気持ちで、毎日熱心に歯を磨いていた。

今のところ、一番の不安要素である差し歯は問題なく、新たな虫歯もできていなかった。旅も順調だし、この状態を続けていれば、歯に関してはトラブルフリーで旅を終えられそうだ。

ベトナム ムイネ ホームステイ先の家族との写真
ホームステイ先の家族と

もちろん、ムイネでホームステイをしながらも、きちんと歯を磨いていた。それと同時に、長いこと歯医者に通っていたせいで、歯のことが気になる。それは自分の歯だけではなく、他人の歯も・・・。なんか変な生活習慣病になってしまった感じだ。

ベトナムの家庭で暮らしていてビックリしたのは、これは私の周囲にいた人だけかもしれないが、あまり熱心に歯を磨いていないことだった。

全く磨かないわけではないが、磨くのは朝だけ。「夜に虫歯ができる」とは学校で習わないのだろうか。「さあ寝るぞ」と寝支度を始めて、歯を磨くのは私だけ。みんな寝始めてしまうのだ。

それを横目に一人で磨き続ける日々が続くと、だんだんバカバカしくなってくる。私も朝だけにしようかな・・・。面倒くさいし。郷に入れば郷に従えとも言うし・・・。

ホームステイ先の水場 ベトナムの写真
ホームステイ先の水場

何より、暗い中一人で歯を磨くのは寂しい。ここでは水道がないので、大きなカメに水を溜めて使っている。それが外にあるので、暗いし、蚊が多いし、あまりお目にかかりたくない黒いアイツ(G)などの虫も多いしと、積極的に歯を磨こうといった環境ではなかった。

いや、そういう考えでは駄目だ。私は歯磨きをし、虫歯にならない人間として改心したんだ。それに、もし歯にトラブルが発生してしまうと、無念の帰国ってことにもなりかねない。

「夜、外で歯なんて磨いていると、お化けが出るぞ!」とからかわれながらも、異国の空の下、虫たちの攻撃にも負けず、月に向かって一人で寂しく歯を磨く私がいた。

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それにしてもよくこっちの人は虫歯にならないもんだ。温室育ちの日本人とは体のつくりが違うのだろうか。それとも暑い気候のせいなのか。漠然とそう思っていたのだが、しばらく生活していると恐ろしい事実が判明した。

衝撃を受けるイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

みんな、普通に虫歯になっていた。というより、虫歯だらけである。そのくせ甘いものが好きとあっては、開いた口がふさがらない。

「なんちゅう神経をしているんだ。虫歯が怖くないのか。歯医者が怖くないのか。この無神経さから推測するに、きっと歯にも神経がないに違いない・・・」と、かつて虫歯を放置して奥歯に大穴を開けてしまった自分の事は棚に上げて、ベトナムの地で一人憤慨。

「よしっ、ベトナム人を虫歯から救うぞ。きっとこれが私の使命だ」

そう思い立った私は、日本とベトナムの友好の懸け橋、「歯磨き宣教師フランシスコ・デンティスト(自称)」となり、夜歯磨きの布教活動をしていくことにした。

宣教師のイメージ(*イラスト:osamuraisanさん)

(*イラスト:osamuraisanさん 【イラストAC】

しかし、その布教活動は困難を極めた。いくら私が「夜に歯を磨けば虫歯になりにくいんだよ」と説いても、「歯は朝磨くものだ」と言い、一向に聞く耳を持ってくれないのだ。

なかなか染みついた生活スタイルは変えられないようだ。そして、夜に歯を磨くという面倒くさい習慣を今さら取り入れるより、虫歯になる方が彼らの感覚に合っているのかもしれない。

まるで昔の自分を見ているかのようだ。「やっぱ、そうだよね。ベトナム人は話がわかる。うんうん」・・・って、同調している場合ではない。今の私は改心し、「歯医者教」の熱心な信者になったのだ。

虫歯や歯周病になれば、歯が痛むだけでなく、どれほどのお金と時間が逃げていくことか。私のような苦労や不幸を背負わせないためにも、しっかりと布教しなければ・・・。

しかし、いくら言っても聞く耳を持ってもらえなければどうしようもない。どうやらベトナム人は、かなり頑固な性格をしているようだ。

例えば、当時のベトナムで売られていた「お化けのQ太郎」なのだが、なぜかタイトルが「忍者のQ太郎」となっていた。「これは忍者じゃなくて、お化けの話なんだよ。日本人の私が言うのだから間違いない」と説明しても、なかなか聞き入れてもらえなかった。それほど彼らの「一度信じ込んだら曲げない頑固さ」は筋金入りだった。

虫歯のイメージ(*イラスト:なつめくるみさん)

(*イラスト:なつめくるみさん 【イラストAC】

ということで、現状では「虫歯になるのも八卦、ならぬのも八卦」、神の思し召しのままにといったところ。

では、虫歯になってしまったらどうするかといえば、我慢できるところまで放ったらかしにし、我慢できなくなったら歯医者に行って削って詰め物をしてもらう。

しかし、いい加減な治療が行われることも多く、それは一時的なものに過ぎない。しばらくすると虫歯が再発し、ひどいようだったら、その歯はもう駄目だと抜いてしまう。

抜いた後は、入れ歯。だから入れ歯屋さんの多いこと。聞いた話では、アフリカではいい歯医者さんの前には抜いた歯が山積みになっているとか。

ここでも状況はあまり変わらないだろう。もし歯医者にかかることになってしまったら、日本では治療ができる歯であっても、ここでは容赦なく抜かれてしまいかねない。想像しただけでゾッとする。絶対に歯医者にかからないようにしなければ・・・。

歯を抜くイメージ(*イラスト:佐桃冬雪さん)

(*イラスト:佐桃冬雪さん 【イラストAC】

こうして、残念ながら私のベトナムでの「歯医者教」の布教活動は失敗に終わり、最後まで一人で悶々と歯を磨き続けることとなった。

でも、もっと社会が成熟していき、歯や健康に関する知識が広まっていけば、私が言っていたことを理解してくれる日がきっと来るはずだ。現在の著しい経済成長をみていると、その日は案外近いのではないかと思っている。

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