世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.17

大原稲荷神社例大祭

世田谷唯一の酉の市で知られる大原稲荷の秋祭りは、隣町との差し上げ合いなど独特な雰囲気の神輿渡御が行われます。ただし境内の活気はなく、少し寂しい感じのする祭りです。

鎮座地 : 大原2-29-21  氏子地域 : 大原1、2丁目
御祭神 : 倉稲魂神  社格 : 旧大原村村社
例祭日 : 9月第二土曜日に宵宮、翌日曜に本祭
神輿渡御 : 宮神輿2基(女神輿は後半のみ)、子供神輿、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 数店
その他 : 奉納演芸、プロ演芸が行われます。式年祭の時は稚児行列があります。

*** 大原と大原稲荷神社 ***

大原稲荷神社の写真
現在の神社の入り口

とっても質素な感じの入り口です。

大原稲荷神社の写真
社殿と神楽殿(右奥)

色々と中途半端さを感じる境内です。

大原稲荷神社の写真
末社、大鳥神社

社殿の脇にあります。

大原稲荷神社の写真
小さな祠と狐たち

柵の向こう側は線路です。

大原稲荷神社の餅つきの神事の写真
餅つきの神事

代田に雰囲気が似ています。

大原稲荷神社の餅つきの神事の写真
餅つき

餅つき歌での餅つきではありません。

大原稲荷神社の酉の市の写真
酉の市

夜はあまり人がいませんでした。

大原稲荷神社の酉の市の写真
酉の市の奉納演芸

お囃子や婦人会の出し物が行われます。

* 大原と大原稲荷神社について *

甲州街道は世田谷の北を横切っている古くからの幹線道路です。その世田谷の東端に位置するのが大原で、ちょうど環七(環状七号線)と交わる交差点が大原交差点となります。この他にも大原には巨大な給水場があったり、京王線の駅もありますが、駅名は大原ではなく代田橋だし、給水場も和田掘給水場と名づけられているので、区内では大原はあまり知名度がある方ではないかと思います。

ちなみに和田堀給水場は杉並区の和田堀に作る予定だったのが、大原の方が土地の標高があるからとこの地に変更されたものの名前の方は変更せずそのまま和田堀と付けられたとか。この施設は都心に水を送る施設なので付近の住民には全く恩恵もなく、今ではありえないというか、なんとも失礼な話に思えます。

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大原はかつて荏原郡代田村大原と代田村の一部で、萩久保、西大原、東大原の字から成っていました。明治22年の市町村制施行によって代田村は世田ヶ谷村に合併され、昭和7年の世田谷区成立の際に大原は代田村から切り離されました。もともと代田村の中心部からかなり離れていたし、甲州街道に面している土地柄から杉並側の北側が栄えていたので、古くから代田村とは文化を完全に同じくしていなく、少し距離を置いたような存在だったようです。昭和39年には住居表示実施により現在の世田谷区大原1、2丁目となりました。

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この大原の地域を守ってきた鎮守様が大原稲荷神社となります。創建は明らかではありませんが、5代将軍徳川綱吉の治世下(1680‐1709年)で行われた元禄検地の元禄検地水帳に、大原の稲荷社として現在の場所に記されているので、それ以前より何かしらの社があったものと考えられています。

現在の祭神は天明2年(1782年)に代田八幡神社の分社として村の総代が京都伏見稲荷大社に出向いて請願し、神官の羽倉摂津守荷田宿禰信邦によって「正一位稲荷大明神安鎮之證」という証書を下付されたものです。このため、「羽倉稲荷」とも呼ばれたり、それが訛って「はぐさ稲荷」とも呼ばれる事もあったそうです。この証書は今でも大事に保管されているそうです。

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昭和2年には給水場に土地を売ったお金で立派な神輿を建造し、社殿を造営し、昭和7年には天明2年より鎮座150年を記念した記念祭が催行されました。同じ年には代田村から大原が独立し、大原稲荷も村社に指定されました。その後、昭和20年の戦災で焼失。大原は焼け残った家屋が三軒というぐらい焼け野原となってしまったそうです。戦後氏子の努力によって社殿等は新築されました。境内の神楽殿だけは一際新しい建物ですが、これは昭和56年に焼失し、建て直されたものです。

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現在大原稲荷神社は京王線代田橋駅のすぐそばの線路沿いに位置しています。駅の改札を出て100m以内という超優良物件で、世田谷区内で駅から最も近い神社は間違いなくここです。しかしながら線路に面しているため社殿や社のすぐ脇を頻繁に電車が轟音を立てて通り過ぎます。本来静かで厳かな雰囲気であるべき神社なのですが、これではそういった雰囲気はあまりなく、散策していてもちょっと落ち着きません。参道も狭く、境内も中途半端な広さだし、建物や木の配置もすっきりしない配置となっているし、駅から近いのも考え物だな・・・といった感想を持ってしまいました。

ただ、当然といえばそうなのですが、昔は辺りは杉林に覆われていて、境内もかなりの広さだったようです。和田堀給水場の建設で土地が削られ、京王線の敷設では参道が潰され、今では神輿も担いで境内に入れないといった状態になってしまったそうです。

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大原稲荷といえば縁起物の熊手を売る酉の市で知られています。境内に天鳥船大神が祀られている末社の大鳥神社があり、毎年11月には世田谷で唯一の酉の市が開かれます。かつては賑わっていたようですが、現在は静かな賑わい・・・といった感じでしょうか。多くの店が建ち並ぶことはありません。

その他にも無形文化財として有名な代田の餅つきですが、元代田村であるここにも残っていて、毎年一月の第二日曜日に餅つきが行われます。残念ながら餅つき歌を歌いながらではありませんが、気前よくぜんざいが振る舞われます。その他、夏には映画が上映されたり、縁日が行われたりと積極的に地域のコミュニケーションの場として利用されています。

*** 大原稲荷神社の秋祭りの様子 ***

大原稲荷神社の秋祭りの写真
拝殿

いつ訪れても人がまばらな状態です。

大原稲荷神社の秋祭りの写真
神輿舎

祭りの時は鳥居脇に設置されます。

大原稲荷神社の秋祭りの写真
神楽殿での奉納演芸

プロによるパントマイムが行われていました。

大原稲荷神社の秋祭りの写真
菅原天神はやし

駅前に舞台が設置されます。

* 大原稲荷神社の秋祭りについて *

大原稲荷神社の秋祭り(例大祭)は9月の第二土曜日に宵宮、その翌日の日曜日に本祭が行われます。和田堀給水場を挟んですぐ近くにある羽根木神社が前の週で、翌週にはかつて所属していた代田村の村社代田八幡神社の例大祭が行われるので、三週続けてこの付近でお祭りが行われることになります。

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大原稲荷神社の氏子地域は環七を挟んで大原一丁目と二丁目です。神社のある二丁目は京王線の代田橋駅があって駅前は商店街が並んでいますが町域は狭く、環七を挟んだ一丁目は町域が広く、大半が住宅街になっていて人口は多いのですが、横断歩道の少ない環七を渡って代田橋駅に行くよりも笹塚駅や下北沢駅を利用した方が便利がいいという人が大半といった感じです。そのため大原に住んでいても大原稲荷に親しみを持っている住民は神社周辺の人たちだけのようで、祭礼の期間中に神社を訪れてもいつも境内は静かで、屋台も数店しかありません。

夕方には神楽殿でカラオケ大会、夜にはプロによる奉納演芸(パントマイムなど)が行われますが、これも閑散とした状態でした。かつては村の人々によるお囃子や神楽が演じられ、たいそう盛り上がっていたようですが、それも過去の話。戦災で一切を失ってからは衰退してしまったそうです。神輿も参道が狭くて境内から宮出し、宮入ができなく、踏切のそばのスペースで宮入、宮出を行います。せめて神社に神輿が入れればもう少し境内が賑わうのかもしれませんが、これはしょうがないですね。

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境内はあまり盛り上がりませんが、北口の商店街などではエイサーが行われたりします。駅から北に伸びる商店街はすぐに甲州街道にぶつかって途切れてしまいますが、その先の杉並区和泉側にも続いていて、そちらは沖縄関係の料理店や雑貨店が多く並び、沖縄タウンとして地域活性化を図っています。

沖縄タウンでは9月の第二週にうずりん祭を行っていて、そこではエイサーなどの演舞が行われ、出番前の団体などが代田橋駅前の商店街でも演舞を行っているといったわけです。また同じ日に和泉の熊野神社でも例大祭が行われ、大原交差点付近の甲州街道沿いで大原の神輿と和泉の神輿が差し合うといった場面もあります。代田橋の駅の利用者は何気に杉並区の利用者の方が多いようです。なお式年祭の時には土曜日の1時から稚児行列が行われます。

*** 大原稲荷神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
線路脇に置かれた神輿

神様も落ち着かないかもしれません。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
出発前のお祓い

なんと踏切脇で出発式が行われます。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
先導する神職

先頭で神輿の通る道を清めます。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
大神輿の渡御

明るいうちは静かな感じです。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
女神輿の渡御

いきなりテンションマックスでした。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
杉並の和泉町へ向けての差し上げ

向こうでも同じように差し上げます。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
甲州街道を進む神輿

式年祭の時は高張り提灯や木遣が入るようです。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
商店街を進む神輿

最後の見せ場です。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
鳶の方々

式年祭の時は木遣が歌われます。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
女神輿の宮入

最後まで元気一杯な感じでした。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
大神輿の宮入

女神輿の担ぎ手も加わって辺りは大騒ぎです。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
最後の挨拶

場所が場所だけに最後はあっさりと締めくくります。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
太鼓車

出発時点では参加する子供が少なかったです。

大原稲荷神社の神輿渡御の写真
子供神輿

もうちょっと盛り上がるといいですね。

大原稲荷神社の例大祭では毎年本祭の日曜日に宮神輿が運行されます。神輿は昭和9年、浅草宮元作となるようです。当日はまず12時半頃に太鼓車が出発し、その後ろから子供神輿が続きます。駅前から菅原天神ばやしに見送られて出発するのですが、参加する子供が少なくてビックリしてしまいました。宮神輿の出発まで少し時間があったので最初の休憩所まで付いていってみると、途中から合流してくる子供がいて少しましになりました。この後環七を渡って住宅街の多い1丁目側に入れば担いだり、太鼓車を引っ張る子供が増えるのかもしれません。

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宮神輿は午後1時に出発します。残念なことにここでは参道が狭いために神輿を神社から担いで出し入れすることができません。そのため一旦広いスペースまで運ぶのですが、なんとそれは踏切のすぐ横だったりします。いくら何でもこんなところで・・・とビックリしてしまいました。付近は道の狭い商店街ばかりで他にいい場所がないようです。といったわけで、ここの神輿は踏切脇から出発し、最後もここに戻ってきます。

当然ながら御霊を入れた状態でここまで運ばれてくるので、出発前の式典は場所も場所だしお祓いと挨拶のみのあっさりしたものです。線路脇で行っているので式典の挨拶中に電車が通るとせっかくの式典が台無しとなります。祭りを運営している人たちは何時ものことだと気にならないかもしれませんが、見ている方としては踏切が鳴らないだろうかと気になってしょうがありませんでした。

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出発すると菅原天神ばやしの演奏に見送られて南側の商店街を抜け、環七方面に向かっていきます。町域が環七によって分断されているので環七を渡らなくてはいけませんが、やはり担ぎ手にとっては車を止めてまでして渡る大通りの環七横断は盛り上がるようです。でも一番の盛り上がりは終盤にあります。

薄暗くなった夕方18時になると甲州街道沿いにある材木店から女神輿が加わり、神輿2基で甲州街道の側道を渡御します。この時、反対側の側道には隣町である杉並区和泉町の熊野神社の神輿も渡御してきます。お互い意識しながら激しくもみ合いながら進み、途中でお互い向き合って差し上げ合います。ちょうど甲州街道の本線が川のような感じとなり、対岸同士でエールを送っているというか、神輿自慢をしているというか、担ぎ手の威勢の良さをアピールしているというか、まあそれは見る人の感じ方によって違うのでしょうが、なかなか面白い光景で、ここの祭りのハイライトとなります。

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甲州街道での差し上げ合いが終わると、狭い北口の商店街を抜けていきます。女神輿の方はまだましですが、大神輿の方は幅が一杯一杯です。見物人との距離も近く、ここの商店街の渡御も賑やかな感じです。商店街中程で一旦休憩をし、その後踏切を渡るのですが、ある意味これが難関です。日曜日とはいえ19時前は頻繁に踏切が降りるし、一旦降りたらなかなか上がらなかったりと、そのときの運次第。急いで渡らないとといった思いからかこの部分は結構担ぎ手の顔が真剣だったりします。

そして朝と同じように南側の商店街をもう一度進んで最後の休憩します。その後、再び同じ道を踏切の方へ戻り、19時半頃宮入をします。神社への宮入の場合は境内を何周もしたり、何度ももみ合ったりするのですが、ここは踏切脇。あっさりとした感じで渡御が終わってしまいます。

最後の挨拶なども簡単で、終わるとすぐに神輿を神社に戻します。場所が場所だけにしょうがないのでしょうね。ただ踏切脇で盛り上がる光景はなかなか変わっていて、見ていてちょっと新鮮な感じがしました。これも大原の神輿渡御の特徴となるのでしょうけど、でもやっぱり境内で普通に行う方が・・・ってな感じでしょうか。

* 感想など *

どこのお祭りや神輿渡御を見てもそれぞれの地域の特徴や雰囲気を感じるものです。ここ大原の祭りもなかなか色が濃いというか、いい意味でも悪い意味でも印象に残るようなお祭りでした。まず神社の立地が恐ろしく駅に近い事。そしてすぐ横が線路で、参道が狭いこと。更には駅からすぐなのに境内には人がいなく、露店も数店しか出ていないこと。神輿に関しても踏切のすぐ脇で宮出、宮入が行われること。女神輿が出ること。隣町の和泉町と差し上げ合いを行うこと。神輿渡御が結構あっさりしていることなどがあげられます。大原と同じように世田谷の東端といった条件を持っている池尻でも他とは違った独特の雰囲気を感じましたが、大原でも似たような印象かもしれません。

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大原は横に細長い町域を持つ地域です。そして神社があるのが西の端、環七を挟んだ東側の町域の人は環七を渡って代田橋駅に来るよりも笹塚や下北沢の駅を利用する方が便利だったりします。大袈裟に言うなら環七が大原の結束を分断し、町を挙げて行われるはずの祭りが盛り上がっていない要因の一つとなっているように感じます。

またすぐ北は甲州街道が世田谷と杉並の境界となっています。特に神様が乗る御神輿は境界にシビアです。通りを挟んでお互いに差し上げる様子はその超えられない境界をよく表していて、境界で行われる綱引きや川を挟んで行われるたこ揚げ合戦などに通じるものを感じます。大通りが同じ町域を分断し、大通りが他の町域との境をなし、大通りが大河のように感じてしまうような祭りというのがここ大原の祭りの印象でした。

<世田谷の秋祭り File.17 大原稲荷神社例大祭 2012年9月初稿 - 2015年10月更新>