世田谷散策記 ~せたがや地域風景資産~

せたがや地域風景資産 No.3-12

石井戸(大蔵)の愛宕山

国分寺崖線の一角、大蔵の仙川沿いにある豊かなみどりと湧水を有する斜面地は、地元では「愛宕山(あたごやま)」と呼ばれ、この辺りは「石井戸」と呼ばれていた。昔から子どもたちが遊んだ原風景として、今に残る風景をその地名とともに残し、後世に伝えていきたい資産である。(公式紹介文の引用)

・場所 :大蔵4-4付近
・関連団体:不明
・備考 :ーーー

***  このページの内容  ***

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* 石井戸の愛宕山について *

大蔵3丁目公園の写真
大蔵3丁目公園

湧き水の溜まった池があり、ここから川の流れが始まります。

かつて大蔵村はとても広く、北部の砧、そして南部の鎌田や玉川の一部を含む地域でした。その大蔵村で古くから栄えていた地域は二カ所あり、一つは大蔵村の中心部であり、大蔵氷川神社や永安寺がある本村。そしてもう一カ所が石井戸です。石井戸は石井土とも書かれ、本村の北側、仙川を中心にした水田谷地域で、だいたい現在の大蔵5丁目になります。地元の人に聞くと高速の北とか南といった言い方をすることが多く、現在では東名高速道路の高架がこの地の現実的な境界線となっているようです。

石井戸といっても大蔵町の一部であって、町名になっていないので、あまりその名を聞いた事がない人も多いかと思います。石井戸の地名は世田谷城主の吉良氏に属する平家に流れを持つ石井兼実が吉良氏と共に関東にやってきて代々この地に暮らしたからその名が付いたという説と、「江戸名所図会」では、仁治元年(1240年)に石井石見守兼周が鎌倉幕府より武州石井郷を賜って移り住んだとあり、この石井郷は明暦年間(1655~57年)の頃、大蔵邑と共に多摩郡の内に加えられ、大蔵村の小名となったと書かれています。どちらが本当なのか分かりませんが、どちらにせよ古くから中心となる人物がいてそれなりの集落を形成していたことが伺えます。

これだけなら「石井」といった地名になったはずですが、石井戸と付いているのは、この付近は仙川が大地をえぐるように流れていて、両岸とも国分寺崖線のように急な斜面になっています。その斜面の下には随所に泉が湧き出て、仙川に流れていました。そういった土地柄を表し、石井と井戸をかけて石井戸になったようです。

面白い逸話も残っていて、「大蔵の名水青病をなおす」といった話で、江戸時代、世田谷で青病が流行し、各村の名主たちが代官の屋敷に集まって相談してもいい知恵は浮かびませんでした。しかし不思議なことに大蔵村の石井の井戸水(湧き水)を飲むと青病にかからないそうではないか。この話が噂となり、石井の井戸水を飲むと青病にかからない、不治の青病が治るというので近くの村から人々が桶や、とっくりを持って石井戸の水を貰いに来たそうです。しかも大蔵や石井戸の人々は訪れる人たちにお粥などを気前よく振る舞ったとか。大蔵、石井戸は水が豊かで、人々は気前がいいといった村民性を表す話のようです。今は・・・・、どうなのでしょう?

石井戸 愛宕橋と愛宕山付近の写真
愛宕橋と愛宕山付近

仙川沿いの斜面です。

石井戸 愛宕山周辺の写真
愛宕山付近

崖下を丸子川の源流の小川が流れています。
少し前は建物があったので、公園用地として取得したのでしょうか。

石井戸 丸子川の飛び石の写真
小川の飛び石

小川沿いは運動公園の親水園となっています。

石井戸では古くから愛宕さんを祀る愛宕神社を氏神としていました。しかしながら明治41年に出された合祀令では一村一氏神にしなければならなく、石井戸は大蔵村の一部なので、愛宕神社は本村にある大蔵氷川神社に移されました。現在でも氷川神社の境内に愛宕神社の祠があります。この愛宕神社があったのは仙川の東側の斜面で、地元の人は愛宕山と呼んでいました。いちおう仙川に架かる橋は橋名が書かれていませんが愛宕橋となるようで、唯一の愛宕の名を残す存在となるようです。

愛宕山では斜面に沿うように小川が流れ、斜面は森となっていてとても雰囲気のいい場所です。この小川の水は少し先にある大蔵3丁目公園などから湧き出したもので、丸子川の源流の一つとなっています。大蔵運動場の案内板を見ると、この付近が親水園となっているので、斜面や小川部分は大蔵運動場の一部となっているようです。

石井戸 丸子川 弁財天の鳥居の写真
弁財天の鳥居

小川沿いに建っています。

石井戸 新旧の弁財天の祠の写真
新旧の弁財天の祠

二つの祠が祀られていました。

石井戸 丸子川 御嶽神社の入り口の写真
御嶽神社の入り口

奥に神社があります。ちょっと冒険気分です。

石井戸 御嶽神社の写真
御嶽神社

昔はここに愛宕神社が祀られていたそうです。

小川に沿って歩くと、運動場から降りてくる小道があったり、小川に飛び石が置かれて渡れるようになっていたりと、昭和時代にはまだあちこちにあったような風景があります。

そういったのどかな雰囲気の小川沿いには鳥居もあります。川沿いにある鳥居というのも現在の世田谷では珍しい存在です。この鳥居の先には弁財天が祀られています。その奥の方、少し斜面を登らなければなりませんが、御嶽神社が祀られています。少しうっそうとした感じなので、夏休みに子供を連れていくとちょっと探検気分になれて喜びそうです。

石井戸は御嶽講も盛んな地域だったので、愛宕神社が合祀された後、正式に武蔵御嶽神社よりミタケサンを勧請したそうです。現在でも毎年二月に御嶽参りを行い、祠に入れるお札の交換を行っているそうです。おそらく愛宕神社はこの御嶽神社の場所にあったと思われます。

大蔵氷川神社の愛宕神社の写真
大蔵氷川神社の愛宕神社(左)

現在では大蔵氷川神社に合祀されています。

この他にも石井戸には五穀豊穣を祈る神社として石井神社がありました。これは現在の世田谷通りの北側の団地内の斜面に跡地の碑が建てられています。妙法寺境内にも地域内にあった石井戸稲荷社が移され、初午祭が今でも執り行われています。

もちろん愛宕神社の祭りも秋に石井戸祭りとして地域を挙げて行われていますし、夏には集会場で盆踊り大会が行われたりと、大きな神社はないものの、人々の心には神様がいて、素朴な神事や風習が守られている地域です。

* 感想など *

石井戸のお地蔵様の写真
石井戸のお地蔵様

川沿い、交差点、様々な場所で石仏が人々を見守っています。

石井戸地域は世田谷の中でも昔ながらといった感じで素朴というか、道は狭いけど、雰囲気的にはごちゃごちゃしていない地域の一つです。素朴だなと感じる地域には農地が多く残っているものですが、ここでは農地を見かけることはありません。そう考えるとちょっと不思議な地域です。きっと古くから町会など中心となる存在があって文化や習慣を守ってきたのでしょう。

この項目に出てくる愛宕山の下を流れる丸子川の源流周辺は特に素朴に感じる風景で、隠れ秘境といった感じです。暖かい季節にサンダルを履かせ、虫網を持たせた子供を連れていくととても喜びそうです。この他にもこの界隈では地域で大事にされているお地蔵様や庚申塔が沢山あり、道を歩いているとよく見かけます。小さな風景を探検気分で探しながら歩くのにはとても楽しい地域です。

ー 風の旅人 ー

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* 地図、アクセス *

・住所大蔵4丁目の仙川沿い
・アクセス最寄り駅は小田急線成城学園前駅、徒歩20分程度
・関連リンクーーー

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<せたがや地域風景資産 No.3-12 石井戸(大蔵)の愛宕山 2014年6月初稿 - 2019年3月改訂>