世田谷散策記 せたがや風景資産のバーナー
三宿の森緑地の案内板の写真

せたがや地域風景資産 No.2-4

三宿の森緑地

烏山川緑道の崖上にある三宿の森は、昭和初期には個人のお屋敷、戦後は法務省の施設として使われてきました。今は、住民の方々の取り組みによって緑地となり、多様な自然環境をもった世田谷地域の風景の骨格となっています。(紹介文の引用)

・場所 : 三宿2丁目27-27
・登録団体など : 三宿の森を育てる会
・備考 : 開園時間 9時-16時(10~3月)、9時-17時(4~9月)

*** 三宿の森緑地の写真 ***

三宿の森緑地の写真
多聞ゲート

雰囲気のいいゲートです。

三宿の森緑地の写真
三宿ゲート付近の花

きれいに手入れがされていました。

三宿の森緑地の写真
のびのび原っぱ

木々に囲まれた開放感あるスペースです。

三宿の森緑地の写真
ビオトープ付近

 

三宿の森緑地の写真
休憩所と倉庫

災害用のトイレなどが収納されているようです。

三宿の森緑地の写真
ビオトープ池

暖かい季節は色々と水生植物など見れそうです。

三宿の森緑地の写真
インドチックな石像

象に乗るお釈迦様でしょうか。

三宿の森緑地の写真
日本チックな石像

 

三宿の森緑地の写真
森の掲示板

三宿の森だよりなどがはってありました。

三宿の森緑地の写真
清掃活動

休憩中のようでした。

* 三宿の森緑地について *

三宿神社の裏手の高台に世田谷区立公園の三宿の森緑地があります。今まで三宿神社を訪れた際に本殿の後ろは緑豊かな森になっているんだと思っていたのですが、実はそれが三宿の森緑地だと知ったのは最近のことだったりします。

この三宿の森緑地は平成12年から地域の方々の参加のもとに公園づくりの検討が重ねられてきました。公園としての利用イメージだけでなく、防災、近隣のプライバシー、具体的な管理・運営までも話し合われたそうです。そして平成16年に木々や芝生が植えられた普通の公園部分に加えて、水辺のビオトープ、草のビオトープに保全観察の林などを配した、自然を住民の力で守り育てていく、みどり豊かな公園として誕生しました。もちろん地域の防災拠点として、かまどベンチ、井戸、マンホールトイレといった設備も備えています。

line

この三宿の森緑地は8千㎡という面積を持ち、樹齢百年にも及ぶ大きな樹木があるような公園です。このような公園が平成16年という最近にできた背景には住民の長い間の努力と強い要望があったからです。この緑地のある三宿は戦前には軍事施設が多い地域であり、戦時中には空襲にもあいました。また都心に近いので戦後はどんどんと宅地化が進んでいた地域でもあります。そういった経緯もあって世田谷区で最も緑被率が低い地域だったりします。まとまって緑があるといえるのは烏山川緑道と三宿神社、三宿公園ぐらいでしょうか。

line

この三宿の森緑地が建設される前の土地は法務省の研修施設でしたが、敷地内は木々が生い茂っていた為、ちょっとした森のようになっていました。平成10年には法務省が研修所を浦安に新設し、三宿から完全に移転をすることとなりました。そして建物と土地は法務省から大蔵省へ管轄が移りましたが、その時点では次の用途はまだ決まっていませんでした。

そこで近隣住民は環境と緑、樹林を保存するため特段の配慮を要請する文書を世田谷区や法務省、大蔵省に提出しました。これには伏線があり、昭和50年ごろにも法務省が8階建てのビルなどを建設すると発表し、それを環境保全の重要性と日照権の問題から反対運動を起こしています。そのときは署名運動だけではなく、国会までも巻き込んだ運動となり、この結果、環境に配慮した形での建設となり、樹木についても「等価的かつ等量的に保存する」となり、住民の要望が認められた形となりました。この時点で一度古くからの樹木を守っていることになります。

そして平成10年10月の世田谷区議会で住民の提出した請願書を願意に沿うようとの意見を付けて全会一致で採択しました。その後区は大蔵省などと協議を重ね、平成12年12月にこの法務省跡地を国から買い取って公園として整備することを正式に決定しました。これにてようやく住民の念願が叶ったということになります。

line

そもそもなぜこの土地は緑豊かだったのか。それは園内に不自然に置かれている石像と関係があります。時をさかのぼって、昭和の初めごろ、敷根氏という方がこの付近の土地を手に入れ、二階建ての日本家屋を建て、敷地内の造園に着手しました。しかしながら理由は分かっていませんが、実際に住むことはなかったそうです。

そしてこの屋敷と敷地を引き継いだのが中村氏で、今に残る樹林や十三重の塔、石灯籠、石像を配置した庭と屋敷を作り上げました。この中村氏は、大陸方面で日産コンツェルンを作った鮎川義介氏と共同で事業を営んでいた方で、この屋敷にはその子息夫妻が暮らしていました。3人の令嬢に恵まれ、テニスコートを邸内に持ち、揃って乗馬を楽しむという優雅な生活を送っていたとか。

しかしながら戦争で一家の生活は一転してしまい、戦後に敷地は国有地になり、法務省の施設として使われていったといったという歴史があります。

line

こうして緑の少ない地に住民の念願であった緑地ができました。住民の緑を守っていこうという意識は高く、この緑地は地域のボランティア団体「三宿の森を育てる会」が管理しています。毎月第4日曜日の午前中が活動日で、草木の手入れやビオトープなどの保全、整備、清掃活動等を行っています。

また「秋の虫の音を聞く会」や「身近な鳥に親しむ会」といった季節のイベントも行っています。こういった活動を行うことで、地域をつなぐ森づくりを目指しているそうです。森の掲示板に手作りの三宿の森だよりがはってあるので、興味があれば眺めてみるといいでしょう。

やはり与えられたものを管理するのと、自分たちで苦労して手に入れたものを管理するのとでは気合の入り方やモチベーションが違うのは当然でしょうね。それは普段の生活でも一緒。幸せや満足感は与えられるものではなく、自分で手に入れるもの。ちょっと大袈裟ですが、そういう事を考えさせられるような緑地でした。

<せたがや地域風景資産 No.2-4、三宿の森緑地 2011年6月初稿 - 2015年10月改訂>