* 世田谷区民まつり おみこし連合行進について *
毎年8月の第1週末に馬事公苑で「ふるさとせたがや区民まつり」が行われます。このようなイベントはどこの市町村でもそれぞれの地域の特色を盛り込んで地域交流のために行っているので、ありきたりといえばありきたりなイベントと言えます。
ただ、世田谷区の場合には居住人口が非常に多いので、天候不順などの要因で年によって上下しますが、だいたい平均すると毎年40万人前後(2日間合わせて)の人が訪れているといった巨大なイベントとなっています。これ以外にも玉川花火大会が別の日に行われているので、都会の集客規模にはビックリしてしまいます。

区民まつりについては世田谷の特徴的な風景を選んだせたがや百景に選定されていて、区民まつり自体についてはそちらの方で詳しく載せていますのでここでは簡単に触れると、昭和53年に第1回目が開催され、2015年時点で第38回と着実に回数を重ね続け、今ではすっかり世田谷の夏の風物詩として定着しています。
特筆すべきことは開催して以来ずっと「世田谷区民まつり実行委員会」を中心に区民の手づくりイベントとして行われてきた事です。ですから訪れると若い学生達が一生懸命頑張っている姿を目にします。こういったボランティアの人々の努力の積み重ねで今に至っているわけで、時代の流れとともにその内容も意欲的だったり、時代の流行を取り入れたり、逆に色々な規制によってボランティアの努力の範疇を越えて縮小してしまうこともあったりと、様々な試みが行われてきました。とりわけ初期に行われていた金曜日の前夜祭や世田谷通りを使ったパレードがなくなったのは大きな変化だといえます。

そういった様々な催しが行われている区民まつりで昔から行われているのが周辺の地域の神輿が連合で行進する「おみこし連合行進」です。その形態は今と昔とでは少し違っていて、昔のプログラムなどを見ると、代官屋敷から世田谷通りをミス世田谷や神輿などがパレードしていた時期もありましたし、メインステージのあるアリーナへ入っていったときもあります。参加団体が多い年や参加をやめたり、時々によって参加する団体あります。
神輿といえば血が騒ぐと男衆が競って担ぐのに参加していたのは一昔前のこと。現在では区内の多くの神社で神輿の担ぎ手が足りなく、他の団体に協力をお願いしたり、時間を短縮したり、場合によっては神輿が出せなくなってしまったところもあります。その一方、サンバやねぶたなど華やかなパレードは人気です。こういった時代の流れはパンフレットの表紙によく表れていて、昔は神輿の担いでいる写真が表紙に大きく出ていたのですが、近年では扱いが小さくなってしまっています。

ここ数年の神輿パレードの様子を見ていくと、現在ではケヤキ並木広場から馬事公苑のメインストレートを往復するといった感じで行われています。まず先頭を努めるのがまとい(纏)で、これは毎年世田谷みのり会が行っています。その次は山車で、世田谷一の山車を持っている八幡山青年会のものになります。残念ながらお囃子を持っていないので役員お人が扇子を振っているだけです。
山車の後は太鼓となり、例年3~4の団体が参加しています。参加しているのは、建造当時は日本でも指折りの大きさと称えられた稲荷森稲荷神社横根睦の大太鼓、同じ桜丘の宇山昭和会、そして船橋神明神社睦と上祖師谷神明社奉賛会が参加しています。やはり稲荷森稲荷神社の大太鼓の大きさは一際目立つので、見学者の注目も高いです。行進するコース脇では送迎太鼓が演奏されます。近年では砧・山野太鼓、和響太鼓、大蔵てんぐ太鼓の三団体が努めています。

太鼓の後がいよいよ神輿の登場です。先頭をボーイスカウトが各睦会の名が入った高張り提灯を持って歩き、その後から神輿が順番に練り歩きます。ここのところ毎年参加しているのは、大蔵本村新栄会(大蔵氷川神社)、船橋神明神社睦、稲荷森稲荷神社横根睦、八幡山青年会(八幡山八幡神社)、代田睦会(代田八幡神社)、弦巻神社みこし会「げんしゅう」、用賀神社若獅子会、用賀しんゆう会(上用賀)、北領睦で、馬事公苑周辺の団体が多くなっています。過去を含めて年によって深沢神社神輿睦会、上馬宮元奨和會、喜翔睦、桜祭典委員会、上祖師谷神明社奉賛、岡本睦会などといった団体も参加しています。
特に普段秋祭りで神輿を出していない団体の神輿、例えば馬事公苑の住所は上用賀になりますが、上用賀地域は用賀神社の氏子地域となり、用賀神輿を用賀の人と一緒に担ぎますが、この行進では上用賀みこしを担いでいます。こういったレアな神輿を見れるのもこの連合行進のいいところです。神輿の連合行進はブースが並ぶメイン通りを往復し、最後に実行委員会、本部のあるところで差し上げて終了します。いわゆる神社での宮入を真似たような感じでしょうか。