* 旧野沢村と野沢稲荷神社について *
世田谷区の環七通りは古くからラーメン激戦区として知られ、国道246号より南側にも多くのラーメン店が並んでいます。その南端付近にあたるのが龍雲寺交差点で、そこから少し入ったところに野沢稲荷神社があります。
旧野沢村の村社だった神社ですが、その創建についての詳細は明らかではなく、駒繋神社から分かれたものだとか、かつての本殿は若林の稲荷を移したものが使われていたとか言われています。現在の社殿は東向きに建てられていて、境内には本殿と拝殿、神楽殿、社務所があります。
本殿の覆屋は昭和51年に鉄筋コンクリートで作られたもので、内に明治33年に造られた本殿が祭られています。この本殿は一間社流造の総欅造りで、屋根は柿葺、壁や脇障子などに彫刻が入るといったものです。拝殿も同時期のものですが、昭和41年に茅葺から銅板葺にされました。本殿部分と拝殿部分の外観が木造とコンクリートと極端に違うのは珍しいというか、違和感があります。神楽殿も明治後期のものですが、同じく昭和41年に茅葺から銅板葺に替えられました。
境内の外側、敷地の北側の角には小さなお堂の中に庚申塔が祀られています。庚申塔には「元禄八年野沢村」と刻まれていて、17世紀末には野沢村が成立していたことを示す貴重な資料となっています。ちなみに世田谷には馬引沢(現在の上馬、下馬)、深沢、奥沢、北沢など起伏が激しい土地から沢がつく名前が多いのですが、ここ野沢はこの地を開拓した葛飾領東葛西の野村治郎右衛門と六郷領の沢田七右衛門の二人の名字をあわせて命名されたそうです。