旅人が歩けばわんにゃんに出会う タイトル

旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 世田谷10 その他

世田谷区で出会った猫の写真を載せています。

広告

16、水平基調の家と置物のようなにゃんこ(世田谷区三宿 2011年5月)

烏山川緑道付近の三宿の写真
烏山川緑道付近の三宿

三宿といえば、お洒落な町として少し名が知られているだろうか。世田谷公園の横を通る三宿通り沿いには、お洒落な飲食店が並んでいて、メディアなどで紹介されることがある。

三宿の住宅地は、国道246号の北側に広がっている。三宿は三軒茶屋にほど近く、渋谷や下北沢もそんなに遠くないといった好立地。

無秩序に宅地開発が進んだので、昔ながらのごちゃごちゃした路地が多く残り、建物も密集しているので、お世辞にも閑静な住宅地といった枕詞は似合わないけど、地価の高い住宅地といった感じで、小ぎれいな家やマンション、アパートが並んでいる。

三宿 萩原邸の写真
三宿の萩原邸

その三宿の住宅地の中に、国の登録有形文化財に指定されている萩原邸がある。萩原邸は、近代建築の三大巨匠といわれるアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの弟子、遠藤新氏が設計をした個人の邸宅になる。

ライト氏の建築は水平を強調するデザインが特徴的で、日本では帝国ホテル、山邑邸、自由学園明日館などが知られている。遠藤氏の設計にもその特徴が受け継がれていて、そういった視線で萩原邸を見てみると、屋根や玄関、窓枠などの水平が強調されているのが分かる。

それを踏まえたうえで、少し離れて日本の住宅地のカクカクした区画や塀などを含めて見ると、水平が強調されている分、その存在がひと際引き立っているような・・・感じがする。あくまでも素人意見だが・・・。

三宿 路地の奥にある萩原邸の写真
路地の奥にある萩原邸

この萩原邸は、大正13年に建てられ、昭和7年頃に2階部分を増築したとのこと。その後も小さな修理を重ねながら歴史を重ね、今に至っている。

文化財になってはいるものの、正直なところ、外から見ただけでは、普通のお宅とあまり変わらないといった感じ。私同様、言われないと文化財になっているとわからない人が多いのではないだろうか。

ただ、後で航空写真を見てみると、路地から見える部分は少しだけで、奥にも家が続いているし、広い庭も擁している。いわゆる古くからのお屋敷となるようだ。

しかも、内部にもこだわりが詰まっていて、書斎には遠藤新氏が手がけた本棚や家具類が当時のままの姿で残っていたりする。それを含めて文化財に指定されたようだ。

ヴァイオリニストのイメージ(*イラスト:*ぱんこ*さん)

(*イラスト:*ぱんこ*さん 無料イラスト【イラストAC】

で、この文化財の家を所有している萩原さんって何者?と、興味が湧いてくる。

私が訪れたときは生活感がある状態で、NGOなどの町歩きイベントなどの際に、内部を見学できたり、不定期に建物内にある音楽室で「大正ロマンあふれるサロンコンサート」といったミニコンサートが行われていたりしていた。

家主はとても社交的な方だとは思っていたのだが、なんと音楽家(ヴァイオリニスト)の萩原淑子氏の実家になる。この家を建てた人物の孫にあたる。ただ、今ではここでは生活されていなく、貸しスタジオ的な感じになっているようだ。

ホームページが設置されていて、そのサイトには建物内部の写真が多数掲載されている。それを見ると、書斎などは昭和レトロな喫茶店みたいな感じになっていて、とてもロマンを感じる。さすが一般人とは格が違う・・・といった感じだ。

三宿 萩原邸 置物と化す猫の写真
置物と化す猫

Mishuku(三宿)、Tokyo May 2011

この萩原邸を訪れたときのこと。入り組んだ路地の奥に立地していたので、たどり着くのにちょっと苦労した(スマホのない時代なので・・・)。

苦労してたどり着いてみると、そこあるのは普通な感じの家。これが国の重要文化財の家なのか・・・。う~ん、あまりオーラを感じないぞ・・・。もっと特徴的で、インパクトのある建物だと思っていたので、正直、失望感が大きかった。過大な期待をし過ぎていたようだ・・・。

中を見学できるわけではないので、外から眺め、あっけなく目的を達成。せっかく来たのに数分で帰るのもなんだし・・・と、少し路地の奥の方へ行って戻ってきてみると、にゃんこが植木に混ざっていて、驚いた。まるで置物のよう・・・。

怪しい人間がウロウロしている。お世話になっている萩原邸を守れ。ニャルソックの見廻り開始。ってなものだろうか。それとも懇意にしている人間に似ていて、餌をもらえることを期待して様子をうかがっているのかな。

三宿 萩原邸 置物と化す猫の写真
拡大したもの

この猫がどこの猫か、どういう立場の猫はわからないが、社交的な人の元には猫も寄り付いてくるといった感じだろうか。それに芸術家と猫との相性がよさそうだし。実際、芸術家で猫を飼っている人も多いのではないだろうか。

しかし、ここは交通量が多く、広々とした土地の少ない東京の住宅地。しかも、三宿町域は世田谷で一番緑が少ないといった不名誉な称号がある。猫が外で暮らしていくのはなかなか大変な環境だ。

ただ、ここは路地のどん詰まりで、車の通行はほとんどなく、しかも萩原邸には大きな庭がある。付近にも庭付きのお宅や学校があるので、まあ何とかやっていけているのだろう。

17、歴史の道を横切る黒にゃんこ(世田谷区喜多見 2011年6月)

喜多見付近の地図(国土地理院)
喜多見付近の地図

国土地理院地図を書き込んで使用

世田谷区の左端、狛江市に面して喜多見の町がある。昭和の時代には、町域内にそれなりの広さを持つ屋敷林や畑が多く存在し、随所でのどかな風景を見ることができた。

しかし、地価の高騰とともに宅地化が進んでいき、まだそれなりに畑は残ってはいるものの、ありふれた郊外の住宅地になりつつあるように感じる。

喜多見 慶元寺 江戸太郎重長公の像の写真
喜多見の町並み

のんびりとした土地柄です。

喜多見の隣の町域は、天下に名だたる高級住宅地、成城。その名は全国に知られている。実は、成城は昭和初期に喜多見から分裂してできた町だったりする。

かつての成城は、喜多見の東の端ということで「東之原」と呼ばれ、宅地開発が行われる前の大正時代には、農家が数軒しかないといった閑散とした土地だった。それが今では全国的な知名度を誇る人気の住宅地なのだから驚いてしまう。

その一方、喜多見は大きな商業圏でなければ、世間一般的に名の知れた有名なものがあるわけでもなく、世田谷区の端といった場所柄、区内でも影の薄い地域・・・といった感じになるだろうか。

しかしながら、喜多見の郷土史や文化を調べていくと、江戸という地名のルーツがあったり、かつては喜多見藩があったり、古くからの伝統的な風習が多く残っていたりと、なかなか興味深い土地である。

喜多見 慶元寺 江戸太郎重長公の像の写真
江戸太郎重長公の像(慶元寺)

江戸氏の2代目。鎌倉幕府の記録である「吾妻鏡」に何度もその名が出てくる人物です。

かつて江戸の地を支配していたのが、江戸氏。しかし、室町時代に太田道灌との争いに負け、所領の一つであった喜多見の地に移住してきた。

戦国時代には、江戸氏はこの地を治める世田谷吉良氏や小田原北条氏に従っていたが、彼らが豊臣秀吉に滅ぼされた後は徳川氏に従い、江戸に幕府を開く徳川氏に配慮し、姓を喜多見と変えた。

この喜多見氏は、犬将軍で有名な徳川綱吉の時代に出世し、大名となった。そして、この地に喜多見藩を興した。

しかし、お家騒動なのか、陰謀なのか、その真相はよくわかっていないが、たった3年でお家取りつぶしになっている。あまりにも短命だったので、歴史に残した痕跡は少なく、人々が知らないのも無理はない。でも、その儚さにロマンを感じてしまったりもする・・・。

喜多見 慶元寺 杉が茂る参道の写真
慶元寺 杉が茂る参道

江戸氏、喜多見氏の菩提寺となっていたのが、慶元寺。江戸氏の墓所は区の史跡になっている。本堂も寺院の本堂としては区内で一番古い建物だったりと、歴史を感じるお寺ではあるが、一番の見所はとても素晴らしい杉並木の参道だろうか。

喜多見 氷川神社 飢餓が茂る参道の写真
氷川神社 木々が茂る参道

慶元寺の裏手には喜多見氏の庇護を受けていた氷川神社があり、こちらもまた立派というか、参道の両脇に木々が生い茂っている素朴な参道が残っている。

地方の人には理解しがたいことかもしれないが、地価が高く、土地の少ない世田谷では、神社やお寺の参道がいい状態で残っていることはほとんどない。参道の両脇に家が並んでいるというのが、普通のこと。なので、世田谷に暮らしていると、このように美しい状態で残っている参道に感動を覚えてしまうのだ。

喜多見 慶元寺と氷川神社の間の歴史を感じる道を横切る黒猫の写真
歴史を感じる道を横切る黒猫

Kitami(喜多見)、Tokyo Jun. 2011

この参道を含め、慶元寺と氷川神社の境内には緑が多く、また周辺にもまとまった畑や緑が多くあるので、この界隈は世田谷らしからぬ趣きがある。「喜多見・歴史の道、慶元寺・氷川神社界わい」として、せたがや地域風景資産というものにも登録されている。

その趣きを感じる慶元寺と氷川神社の間の道を通っていると、突然、目の前を黒猫が横切っていった。趣きを感じる道を黒猫が横切ると、さらに趣きが増すというもの。思わず見とれてしまった・・・。いや、写真だ。写真。慌てててカメラを構えて写真を撮るが、もう渡り切ってしまったので、いまいちな図になってしまった。

喜多見 慶元寺と氷川神社の間の歴史を感じる道を横切る黒猫の写真
拡大したもの

黒猫さん、もう一回やり直してもらえませんか。道の真ん中を横切っている図だと、歴史を感じるようないい雰囲気になりそうなんですけど・・・。と、お願いするのだが、そんなこと知ったこっちゃないと、スタスタと奥の方へ入っていき、姿を消してしまった。もっと早く猫に気が付いていれば・・・。と悔やまれるが、突然の出来事なので、そうそう体が動くものではない。

いい雰囲気だったな・・・。この界隈は寺社の緑が多いし、畑も多い。世田谷区内の中でも猫が暮らすにはいい場所になるだろう。猫が暮らしていそうな雰囲気もある。他にも猫がいないかな・・・と、心弾ませながらこの周辺を歩くものの、素敵な出会いはもうなかった。

旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 世田谷10(その他)
広告
広告
広告