#48 博物館の子猫とキメラ
インドネシア ブキティンギ 2000年5月Bukittinggi, Indonesia / May 2000
スマトラ島中部、アガム高原の中央に位置するブキティンギ(Bukittinggi)。インドネシア語でブキ(bukit)は「丘」、ティンギ(tinggi)は「高い」を意味し、まさに「高い丘の町」という名を持つ。
言葉通り標高は約900mもある。この標高のおかげでほぼ赤道直下という立地ながら、一年中過ごしやすい気候が続く避暑地だ。
町の周囲はムラピ山、シンガラン山、サゴ山などの山々に囲まれており、絶景とまではいかなくとも、町のどこからでも開放感のある山の景色を望むことができる。
平地よりも過ごしやすく、風景も素敵で、町にはミナンカバウ族の伝統的な文化が見られ、近郊には大きな湖、大規模な渓谷や滝があるといった好立地から、古くから避暑地、観光地として人気があり、年間を通じて多くの観光客が訪れている。
ブキティンギを訪れてまず目を引くのが、建物の屋根。屋根の両端がせりあがり、天に向かって聳えている。とても特徴的だ。
一般的な建物は両端だけがとんがっているといったシンプルな形状だが、大きな建物になると、とんがっている部分の対が増える。何対も盛り上がりがある建物は重厚で、もはや芸術的な作品のように思える。
この屋根から何を思い浮かべるだろうか。私は最初、船を思い浮かべた。とんがった部分が船の舳先に似ていたからだ。
なぜ船の形をした屋根なんだろう。と思いながら町を歩いていたのだが、この地に暮らすミナンカバウ族の伝統的な踊りを見に行った時に、彼らの文化について色々教えてもらった。
この民族は、西スマトラ州の高地を中心に暮らしており、ミナンカバウ(Minangkabau)というのは、勝利を意味する「minang」と、猛牛を意味する「kabau」を合わせた言葉。
周辺の民族と領土問題でもめた際、戦いを避けるために水牛を戦わせて決着をつけることになった。相手側が大きく獰猛な雄牛を選んだのに対し、ミナンカバウ族が連れてきたのは、角の鋭く尖った仔水牛だった。
誰もが「そんな仔水牛で勝てるはずがない」と思った。しかし、これこそがミナンカバウ族の奇策だった。
その仔水牛は何日も母親から引き離され、激しく飢えていたのだ。いざ対決の時、放たれた仔水牛は相手の巨大な雄牛を母親だと思い込み、おっぱいを飲もうと猛然と腹の下へ潜り込んだ。そして、あらかじめその鋭い角に仕込まれていた刃で雄牛の腹を切り裂き、見事に勝利を収めたのである。
この伝説から、ミナンカバウ族の伝統的な建物(ルマ・ガダン)の屋根は、水牛の角をモチーフにして両端が尖っているのだ。これは建物だけではなく、男性の頭に巻く頭巾にもその特徴が表れている。
もう一つ付け加えておくと、ミナンカバウ族というのは世界最大の母系社会として知られている。財産や土地は、母から娘に相続されるとか。とはいえ社会的には男性が中心になって回っている。あくまで財産などの相続面において、その傾向が強いようだ。
前置きが長くなってしまったが、ブキティンギの町の中心部付近にキナンタン動物園、文化公園(Kinantan Zoo And Cultural Park)がある。
名前の通り動物園と、伝統的な文化施設を兼ね備えた公園となっていて、町の中心にある時計塔や市場から歩いてすぐといった立地もあり、とても人気がある。
ここにはミナンカバウ族の伝統的な建物(ルマ・ガダン)があり、内部を見学できる。館内には現役で使われていた頃の家具や調理器具、昔のお金、伝統的な衣服、農作業に使われていた品々などが並んでおり、建物以外もなかなか見ごたえがある。
「へぇ、ここでも日本と似たものもあるんだな……」そんなことを思いながら展示品を眺めていくと、その中に混じって、リアルな子猫のぬいぐるみが……、いや、本物の子猫がうずくまっていた。
「えぇ~」とビックリして見直してみても、やっぱり本物の子猫だ。しかも生まれて間もない。展示品の前でうずくまり、母親を探すように時々「ミィ〜ミィ〜」と弱々しく鳴いていた。
Bukittinggi, West Sumatra May 2000
今まで博物館などを訪れ、建物の軒下などに鳥の巣があり、ひな鳥が巣からのぞいているという場面には遭遇したことはあるが、子猫が展示品に混じっているのは初めてだ。
この無造作に子猫がいる状態は……。日本の感覚ではなかなか理解できない。
子猫の健康のためとか、施設を汚さないためとか、貴重な品を守るためとか、苦情がくるからとかで、保護の名目のもと、問答無用で即刻排除されてしまうのが日本。ここではそういった発想はないのだろうか。
これも自然の理ということで、為すがままという考え方なのだろうか。母親猫は餌を探しに行っているのだろうか。兄弟はいないのだろうか。それとも見捨てられてしまったのだろうか。
それとも、ここは母系社会のミナンカバウ族の地。この子は男の子で、弱い男子は不要とばかりに見放されてしまったのだろうか……。いやいや、伝説になぞられて母親から隔離されているとか……などと、あまりに不可解な状況なのであらぬ妄想まで膨らんでしまう。
この時はまだインドネシアに入国して間もなかったので、この状況というか、インドネシア人の考え方が全く理解できなかった。
でも、しばらくインドネシアを旅してみると、日本人の私が適当に感じてしまう行為も、優しさだったり、思いやりからくることもあり、一概に正しい正しくないという問題ではないな……と感じるのだった。
この子猫。このままにしていていいのだろうか。死んでしまわないだろうか……と、後ろ髪を引かれる思いで先に進むのだが、さらに衝撃的な展示があった。
はく製を色々とつなぎ合わせたのだろう。キメラ状態になった動物たちのはく製が展示されていた。コレクションとして誇らしげに置かれているのだが、鹿や牛などに頭を二つ付けてみたり、背中に足を付けてみたり、このセンスはさっぱり理解できない。こちらは数か月インドネシアを旅しても変わらなかった。
建物の見学を終えたあとは、同じ敷地内にある動物園にも足を運んでみた。あまり大きくはないが、ここではトラやオランウータンなどの人気の動物が飼育されている。
現在いるのはスマトラ島。スマトラ島の動物といえば多くの人はスマトラトラを思い浮かべるのではないだろうか。日本の動物園でも多く飼育されている。
まずはそのスマトラトラの檻を訪れてみると、暑いのかのんびりと水風呂に浸かっていた。精悍な顔をしているので、だら~としていても迫力があるのが凄い。また、当然ちゃんと柵はしてあるが、日本よりも近くで見ることができるようになっているのも、インドネシアらしい部分になるだろうか。
このスマトラトラはスマトラ島の熱帯林で暮らしていて、現在、野生下では、熱帯林の減少や密漁で数百頭にまで激減しているという。当然、絶滅危惧種に指定されている。
ちなみに、日本の動物園でよく見かける他の種類は、アムールトラとベンガルトラだ。アムールトラは寒い北の地域に生息しているため、身体が大きく、毛もふさふさしている。ベンガルトラは体毛が短く、縞模様が少ない。スマトラトラはこれらのトラに比べ、島で暮らしているせいか、少し小柄で、縞模様が多い。
スマトラ島を代表する生き物は、トラだけではない。オランウータンもトラと並ぶ人気者で、檻の前には多くの人が集まっていた。
オランウータンといえば、カリマンタン島(ボルネオ島)の印象が強いかもしれないが、スマトラ島北部にも約1万頭ほどが生息しているという。自然界ではトラよりも目にする機会がありそうだ。
動物園では人気者のオランウータンだが、その好物は果物。バナナなどの果樹園をしている農家にとっては、巨体で大食漢のオランウータンは害獣でしかない。日本の熊ほどではないが、人里近い場所では共存が難しいとも聞く。
現地の人に聞いたあまり笑えない話では、夜間に車を運転していて「人をはねてしまった!」と青ざめて降りたら、実はオランウータンだった……なんて不幸な事故もあるらしい。それだけ彼らの世界と人間の暮らしが、良くも悪くも地続きなのだろう。
動物園にもはく製が展示してあった。こちらは普通の状態で展示されており、ホッとした。ここで以前飼育されていたトラなどなのだろうか。そのあたりの説明書きがないのでわからないが、湿度などの管理が十分にされていないようで、触ったらボロボロと朽ちてしまいそうなのが気になる……。
インドネシア人といっても、多くの島で構成され、それぞれの島に独自の文化があったりするので、様々な価値観が混在しているのだが、総じて動物のはく製とか、骨格を飾るのが好きな民族だと感じる。
最後に、こちらは宿泊したゲストハウスにいたにゃんこ。私の姿を見つけると、逃げるわけでもなく、そばに寄ってくるわけでもなく、何かもらえないか……と、少し離れた場所から様子をうかがっていた。
時々宿泊客や従業員からおこぼれをもらっていて、私のことも「こいつは使えるやつか……」ってな感じで、客定めをしている最中なのだろう。
花形のスマトラトラとかオランウータンも迫力があっていいけど、普通の猫の方が気を張らずに相手をできていいかも……。
このにゃんこを見ていたら、博物館の子猫のことが頭に浮かんできた。あの子猫はどうしているだろうか。母親は戻ってきたのだろうか。それとともに未来も気になる。
無事にこのにゃんこぐらいまで成長し、私は……もう来ることがないだろうけど、他の旅行者の前にこのようにひょっこり顔を出してほしいものだ。
#48 博物館の子猫とキメラ