#12 カルガモの成長記録
東京 1998年6~7月Tokyo Jun. - Jul.1998
(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】)
旅に出たり、町を散策していると、路地や公園で猫などの動物に出会うことがある。歩き回れば歩き回るほど偶然の出会いに遭遇する確率も上がるというもの。そのため、たくさん旅をしていたり、多くの場所を歩き回ったりしている人ほど、豊かな動物との出会いを経験していることだろう。
今回はそういった旅先などでの出会いではなく、向こうからやって来たカルガモの話になる。
(*イラスト:maiko777さん 【イラストAC】)
6月中旬頃、職場というか、勤務先の池で6匹のカルガモが生まれた。建物の隅に小さな人工の池があり、普段は鯉が暮らしている。その池に設置されていた水生植物用の浮島で親鳥が卵を守っていたらしい。その一週間後、雛が動き回るようになると、職場でも話題が広がっていった。
早速私も訪れてみると、6匹の小さな雛が親鳥の周りをちょろちょろしていた。その様子はなかなか可愛らしい。いや、とても可愛らしい。昼休みに外出した際などに池に立ち寄ることが増えた。
・6月30日
カルガモ親子に出会ってから4日後、池を訪れると雛が一匹減っていた。面倒を見ている守衛さんの話では、排水溝の蓋に挟まって死んでしまったとのこと。元から体が弱く、衰弱して排水溝に引っかかっていたのかもしれないが、ショックな出来事だった。
当たり前のように大きくなる人間とは違い、なんて儚く、小さな存在なのだろう。他の雛たちも無事に育つのだろうか。他にも死んでしまう雛が出てくるかもしれない。せめてこの世に存在していた証を残しておこう。などと思い、翌日カメラを持参して、写真に収めておくことにした。
今の時代なら、携帯しているスマートフォンで手軽に写真や動画が撮れるので、こういった状況では女性社員が「やだ~、まじかわいすぎる~」などと言いながら、写真や動画を沢山撮っている場面がすぐに想像できるだろう。
しかし、この時代はフィルムで写真を撮っていたので、写真を撮りたいのならカメラが必要で、カメラを自宅から持参するか、使い捨てカメラを購入しなければならなかった。
わざわざカメラを会社に持参してまで、カルガモ親子の写真を撮りたいという人はほぼいなく、若い男性社員が池の傍で写真を撮っていたりすると、「カメラオタク」「カメラ小僧」とドン引きされかねない。
これが部長などの役職のある「おじ様」だと、「いい趣味」とか、「渋い趣味」ってなるのが、不思議であり、納得がいかない不条理さを感じたりする。
それはさておき、他の社員に写真を撮っている姿を見られると、あらぬ噂が立ちかねない。終業後、急いで池に向かい、ささっと写真を撮るのだが、夕方の池は建物の陰になってしまい、かなり薄暗い。しかも、昼間は元気に動き回っている雛たちは、もうお休みモード。思い描くような写真が撮れなかった。
・7月1日
次の日もカメラを持参し、今度は昼休みにカメラを持ち出してみた。最近では、カルガモ親子を眺めながら池の周囲でお弁当を食べる人もいるし、断続的に雛を見に来る人もいる。昼休み中は人の目が気になるが、カルガモ親子のためだ。少々のことには耐えよう。
カメラの入った鞄を抱え、こっそりとカルガモのいる池に向かうと、今日も何人か女性社員が池のほとりで食事をしていた。
「しばらくは池の周りから動きそうにないな……。仕方ない。さっさと済ませてしまおう」と、鞄からカメラを取り出し、写真を撮り始めた。
すると、「私もカメラ持ってこようかしら……」と、意外と周囲の反応がよくて、ホッとした。
雛たちは親鳥の監視の元、池を泳ぎ回り、そして浮島の茂みに入ってお休みモード。とても可愛らしい。とりあえずカルガモ親子らしい写真を撮れた。
これでこのカルガモ親子のこの世に生きている証を残してあげられた。そんな一種の自己満足ではあったが、幾ばくかの満足感と安心感が得られた。
今思えばこのことが現在の自分の猫などの写真を撮っている原点の一つになっているように感じる。
・7月14日
写真に収めたことで、気持ち的に安心した。なので、しばらくは写真を撮らずに生温かく見守っていた。
そう、フィルムで写真を撮る場合、金銭的にも、手間的にも負担が増すので、毎日のようにカルガモを撮ってやるわけにはいかないのだ。当時は日常の何気ない風景をカメラに収める習慣自体が薄く、家で飼っているペットの写真すら滅多に撮らないのが普通だった。
なので、「外でカルガモの写真を撮るぐらいなら、自分のペットの写真でも撮ってやりなさいよ。フィルムがもったいない」というのが、この時代の正論になるだろうか。
それはさておき、カルガモの雛たちは日に日に大きくなっていった。カルガモといえば、親鳥の後ろを雛たちがよちよちと歩き、餌が豊富な大きな池や川などに引越しをしていくイメージがある。
この時期にはカルガモ親子の引っ越しを見守る地域の人とか、誘導する警官の様子がニュースに流れ、ほのぼのとしたりするものだが、ここの親子にはそういった素振りはない。すっかりここに居着いてしまっている。
小さな人工の池なので、自然の餌は期待できないが、このまま守衛さんに餌をもらい続け、ここで大きくなっていくのだろうか。長く居てくれると嬉しい反面、それはそれで少し不安に感じてしまう。
そうこうしているうちに、雛たちは親鳥の後をよちよちと歩いていても様にならないほど大きくなってしまった。随分と大きくなったものだ。大きくなった様子も写真に収めておくかと、前回から約2週間後、久しぶりにカメラを持参した。
・7月21日
さらに1週間後、羽がまだ完全に生えそろっていないぐらいで、大きさ的には親鳥と変わらなくなってしまった。もう少し羽が伸びたら区別が付かなくなりそうだ。
人に懐いてしまったようで、今日はいつになく写真を撮っていたらワラワラと寄ってきてしまった。可愛いけど、ちゃんと自然で生きていけるのだろうか。少し心配。
先輩の話によると、前にも何度か来たことがあるけど、今年はいつもよりも長居しているとか。私が可愛がっているからだという噂もちらほらと聞こえてくるが、餌を用意したりしているのは守衛さんとか、敷地の管理責任者。私は時々写真を撮っているだけの平社員でしかない……。
・7月23日
さすがにもう旅立つだろう……と、日々池に立ち寄っているのだが、なかなか旅立つ気配がない。
たまには親鳥の写真を撮ってみるかと、レンズを向けてみた。近くで見ると、やっぱり親鳥の方が羽がきちんと生えそろっている分、美しい。親鳥も人間に慣れてしまったようで、人を恐れなくなっている。とはいえ、子供ほどではない。最後の一線は守っている感じで、不用意に傍まで寄ってこない。
・7月31日
羽がすっかりと生えてきて、よく見ないと親鳥と区別が付かなくなってしまった。もう写真を撮る必要性というか、撮りたいという情熱が薄らいでしまった。実際、池の周りにはもう人がほとんど来ない。
7月31日の金曜日。仕事終わりに池に寄って、薄暗い中で写真を撮った。実は、明日から1週間夏休みをもらっている。もしかしたら最後になるかも……といった気持ちがあったからだ。
親鳥は子供たちが寝ている茂みの外で片足を挙げて寝ていた。鳥は空を飛べたり、片足を挙げて寝ていられたりと、体重の軽さゆえなのか、それともバランス感覚が凄いのか、本当に不思議な生態をしている。
それよりも、子供たちはもう大人と同じような大きさになったというのに、まだ子供が心配といった親の優しさが感じられる。幾つになっても親は親ってやつか。人間と一緒なんだな……と思いながら池を後にした。
(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
そして土日を含めて9日間の夏休みが終わった後、朝早めに出社して、真っ先に池に向かったが、池にはカルガモ親子の姿はなく、ただ鯉が泳いでいるだけだった。
今までになくガランと感じる池を見つめていると、無事に旅立っていったことに安堵する反面、それ以上に日常生活にぽっかりと穴が開いたような寂しい気持ちがこみ上げてきた。いつかこうなると頭の中ではわかっていたが、実際に別れを体験すると辛いものだ。
突然現れ、突然去っていく。人生ではこうした予期せぬ縁に巡り合うことがある。その偶然の出会いを大切に育むと、心に温かいものが満たされると同時に、それ以上の喪失感で傷ついてしまうこともある。
会うは別れの始まりというが、出会わなければこういった辛い気持ちになることはなかった。とはいえ、出会ってしまったものはしょうがないし、出会ったことで得られた体験はかけがえのないものだ。なので、こういった心の痛む体験を糧にして、人として成長していくしかない。
#12 カルガモの成長記録