#11 雪の中の鳩
ロシア モスクワ 1997年12月Moscow, Russia / Dec.1997
1997年11月にモロッコへ旅立った。中途半端な時期の旅行ではあったが、大学4年生だったし、卒業もほぼ決まっていたので、時間を見付けて……というよりも、失恋、その他もろもろが重なり、心の空白を埋めるために旅に出た。
その際に使った航空会社は、当時一番安かったロシア国営のアエロフロート。そのため、砂漠の国へ向かうのに、極寒のモスクワを経由するフライトになってしまった。
このルートは安いだけあって、乗り継ぎがうまくいかない。なんと往路も復路も半日ずつ時間が空いてしまうのだ。だから人気がなくて安い……と言っては身も蓋もないのだが、お金には余裕がなく、時間と体力には余裕のある大学生にはむしろ都合がよかった。
往路は夜の乗り継ぎだったので、空港で一晩明かした。復路は昼間になり、寝て過ごすわけにもいかない。せっかくロシアに寄るし、乗り継ぎ時間がたっぷりあるし、空港でトランジットビザを取得して、モスクワ市内に繰り出してみることにした。
モスクワに到着した日は、12月3日。前日に珍しく大雪が降ったようで、モスクワの町は一面の銀世界となっていた。
モスクワといえば、クレムリン宮殿や赤の広場がよく知られている。とりあえずそれらを目指してみよう。半日だけの滞在だし、持っていくと荷物になる。もう旅慣れしているからとモスクワのガイドブックは持ってこなかったのだが、これは大失敗だった。
なにせロシアでは英語が全く通じない。おまけに英語の表記は空港以外になく、辺りを見渡しても目に入るのはすべて読めないロシア語ばかり。バスや地下鉄に乗るのにも苦労した。
クレムリン宮殿に到着しても、英語の案内板の一つもないので、何が何だかさっぱりわからない。ただ、雪の中に佇む宮殿の美しさを感じながら、歩くだけだった。
クレムリン宮殿の横にある赤の広場はロシアを代表する場所だ。私は、東西冷戦、ペレストロイカ、冷戦終結、ソビエト連邦崩壊をテレビのニュースで、また受験勉強で学んできた世代である。
ソビエト関連のニュースといえば、いいニュースはほとんどなかった。外には威圧的で、内では血の粛清の嵐が吹き荒れ、赤の帝国、或いは冷酷な国と呼ばれる姿をメディアを通して見てきたからである。なので、ソビエトの象徴といえばクレムリンよりも赤の広場の方が印象が強い。
この広場では東西冷戦時代に大々的な軍事パレードが行われ、その映像が度々ニュースで流れていた。「どうだ。我々の力は!」と言わんばかりに、最新の核弾頭を搭載できるミサイルなどが仰々しく行進していき、それを書記長など幹部が見守っていた光景は、今でも鮮明に覚えている。
ただ、今日は広場一面に雪が積もり、真っ白な絨毯を敷き詰めたようだった。美しいと感じるか、魅力が半減だと考えるかはそれぞれだと思うが、ソ連が崩壊した事実を念頭に置けば、悪いイメージが白い雪で浄化されているみたいで心地いい。
赤の広場の奥にあるのは聖ワシリイ大聖堂。ネギ坊主のような屋根に雪が積もる様子は、粉砂糖をかけたカラフルなシュークリームのように見え、メルヘンチックだ。
1990年代はゲームのテトリスの全盛期。その起動画面や背景にこの聖ワシリイ大聖堂の画像が使われていた。そのため、誰でも知っている有名な建物ではあったが、クレムリン宮殿のイメージと混ざり合って、多くの人がテトリス宮殿と呼んでいた。
私もその一人で、宮殿というからには政府の迎賓館みたいな施設なのだと思い込んでいた。しかし中に入ってみたら教会の集合体だったので驚いてしまった。日本に戻り、友人たちにその話をすると、口をそろえて驚いていた。
インターネットも普及していない時代だったし、ソビエト時代も含めてロシアは情報が少なく、謎の多い国だったので、当時のロシアに対する認識はこんなものだった。
Moscow, Russia Dec.1997
さて、クレムリン宮殿を見学し終わり、その周辺の広場をブラブラと歩いている時のこと。この寒い中、子供達が鳩と遊んでいた。ベンチの背もたれにとまっている鳩たちは、子供たちが手を伸ばすと、その手に乗りそうなぐらい人懐っこい。
他の国だと気にならない光景だが、ロシアだとものすごく違和感を覚える。かつてのソビエト時代から、冷酷、冷血、悪逆非道の国といったイメージがニュースなどで報道されたり、映画やアニメなどでも、そうした象徴として描かれがちだった。
子供の頃に爆発的に流行った漫画「キン肉マン」に登場するウォーズマンや、当時のヒーローだった映画「ロッキー4/炎の友情」に登場するソ連兵などがまさにそうだった。だからこそ、そういうイメージが頭にこびりついて離れなかったのだ。
ところが、目の前の鳩たちの様子からは、普段から人間に脅かされている気配がまるで感じられない。ということは、ロシアに暮らす人達は冷酷ではないのではないか。
「これは世紀の大発見だ。とんでもない場面に遭遇してしまった……」という気分で、写真を撮らせてもらったのだが、多分、子供たちは「この東洋人のお兄さん、なに目を輝かせながら鳩の写真撮っているんだろう。東洋では鳩が珍しいのかな……」と思ったに違いない。
鳩がリラックスして暮らせているのはいいが、そもそも鳩って寒いのは大丈夫なのだろうか。見た目は日本にいる鳩と変わらない。比較的暖かかったモロッコにも同じような鳩がいたし、暖かい所でも寒い所でも大丈夫ということなのだろう。
でもまあ、所変わればなんとやらというやつで、極寒の地モスクワに来てみると、ありふれた存在の鳩でも、色々と興味深く感じてしまうものだ。
そんな気持ちで鳩の写真を撮ろうとするのだが、私がカメラを向けると、鳩は「主役は我々だ。お前ら邪魔」と言わんとばかりに、隣にいた雀を踏みつけるように追い払っていた。
この自己主張の強さ……。ロシアでは大国主義が鳩にまで浸透しているのだろうか、と思わずにはいられない。ファインダーを覗きながら、吹き出してしまった
今回のモスクワ滞在では、色々と発見が多かった。早朝、バスに乗るためにバス停で並んでいると、おばちゃんから「あんた寒そうな格好をしているね」と、首に巻くスカーフをもらい、心温まる親切心を感じた。
かつて世界的なニュースであれだけ大行列していると報道されたマクドナルドにはもう列はなく、物がないと報道されていたのにショッピングセンターにはモノがあふれていた。町を歩き回っていくと、どんどん日本から持ってきたイメージが崩れていく。
実際に自分で見て歩くということは、「やっぱりそうだったんだ」と、きちんと事実を確かめられることもあれば、今回のように「あれ、違うぞ」と、ニュースなどで作られてしまった固定観念や思い込みを払拭する機会にもなる。
「百聞は一見に如かず」まさにその通り。やっぱり自分の目で見ることは、他には代えがたいものだ。そう実感したモスクワでの半日滞在だった。
#11 雪の中の鳩