#2 朝日を浴びる野良ラクダ
エジプト ヌウェイバ 1996年8月Nuweiba, Egypt Aug.1996
フィルムで写真を撮っていた時代、自宅のペット以外の動物を撮る人は少なかった。カメラを扱うには多少の知識が必要だったし、フィルム代や現像代もかかったため、一般の人が日常的に写真を撮る機会はほとんどなかったのだ。
そもそもカメラを常時持ち歩く人などほぼいなかったので、道端に可愛い野良猫がいても写真を撮りたくても撮れないのが当たり前。マニアでもない限り「日常をスナップする」という発想自体がなかったのだ。
しかし、例外はあった。それは旅行中。いつも持ち歩かないカメラを鞄に入れ、非日常的な環境を歩いていると、好奇心が刺激される。見るものすべてが新鮮に映り、普段なら目に留まらない野良猫でさえ、それは格好の被写体になったりする。
とはいえ、フィルムでの撮影は枚数に限りがある。持参した本数によって撮影の上限が決まってしまうため、あれもこれもとシャッターを切るわけにはいかない。日程と残り枚数を常に天秤にかけながら旅をしていた。それが昔の旅の醍醐味の一つだったが、デジタルしか知らない人には理解しにくい感覚かもしれない。
もちろん現地でフィルムを調達することもできるが、観光地の売店ではとても高いし、安い家電量販店などを探していくのは時間がもったいない。現地調達は、あくまでも最終手段だった。
私の最初の海外一人旅の訪問先は、トルコを中心にエジプト、ヨルダンと回った。なぜトルコを選んだのか。それは、東洋と西洋の交差点に位置する文化的なおもしろさに惹かれたのはもちろん、イスラム教の国という異世界観にエキゾチックな魅力を感じたからである。
それにエジプトのピラミッドは子供のころからの憧れだし、この頃好きだった映画「インディ・ジョーンズ」のロケ地となったヨルダンのペトラにも行ってみたかったので、周辺国も一緒に訪れることにした。
初めての海外一人旅であり、初めて訪れるイスラム教の国。 全てが物珍しく、旅行中は張り切って写真を撮っていたが、現地でフィルムを買うのは面倒だったので、持参したフィルムの本数を考えながら写真を撮っていた。
なので、野良猫の多い地域ではあったが、この時には猫の写真を撮ることはなかった。ただ、どうにも心を奪われたのが、ラクダ。中東や砂漠といえば、何といってもラクダ。そういうイメージがあり、私の中で憧れの存在であった。
そう、昭和時代に異国の象徴だった動物は、砂漠のラクダと南国の象。シンドバッドの冒険などといった冒険譚にもよく出てきた。そしてドリフのコントにラクダが登場しようものなら、この時代の子供たちは大歓声を上げていたほどだ。冒険好きな子供たちにとってはワクワクする存在だった。
エジプトで言えばピラミッド周辺にラクダが待機していて、有料で乗ることができる。ラクダに乗り、ピラミッドを背景に写真を撮れば異国情緒たっぷり。いい記念になるだろう。
ヨルダンのペトラ遺跡でも同じ状況だが、こっちは遺跡自体が広大なので、実際に乗り物としての役割も大きい。
いずれにしても観光客には人気者となっていて、一緒に写真を撮っている姿をよく見かけた。こういった慕われているラクダの様子を見ると、「やっぱり、みんなラクダが好きなんだ」と、日本から抱いてきた憧れが一層強くなっていく。
そうした思い描いていた通りのラクダとは別に、衝撃的な出会いもあった。
あれはエジプトからヨルダンに向かっていた時のこと。エジプトからすぐお隣のヨルダンへ向かうには飛行機を使うのが楽だが、冒険心溢れるバックパッカーは陸路や海路を好む。
ただ、この移動の厄介なところは、エジプトとヨルダンの間にはわずかながらイスラエル領があること。イスラエルに入国してしまうと、イスラム諸国に入国できなくなるというビザの問題が生じるし、そもそもイスラム諸国の人はイスラエルに入るのが難しい。
なので、イスラエルを回避するためにシナイ半島を陸路で越え、紅海沿いにあるヌウェイバ港からヨルダンのアカバへフェリーで渡るのが、エジプト、ヨルダン間の一般的なルートになっている。
このヨルダンに向かうフェリーに乗ろうと、カイロ発の夜行バスに乗り、早朝にヌウェイバの港に到着した。
日が昇る前の早朝にバスから降ろされても、フェリーの出航まで随分と時間があるし、することもない。ただ座っていても退屈だし、海沿いをブラブラとすることにした。
海岸を歩いていると、次第に周囲が明るくなっていき、朝日が昇ってきた。朝日を浴びた周囲の岩山は驚くほど赤い。「まるで火星に来てしまったかのよう……」というのは大袈裟な表現だが、そう感じてしまうほどの異世界感と美しさがあった。
なぜ紅海(Red Sea)というのか。その理由は諸説あるが、一説にはこの赤い岩山や海岸の砂、そして海中の岩の色が関係していると言われている。実際にこの赤く美しい風景を目の当たりにすると、「この説しかないだろう!」と思ってしまう。
周囲の景色が美しいだけではなく、実は海の中もとても美しいことでも知られている。ダイビングをやらない人にはあまり馴染みがないかもしれないが、紅海は世界的なダイビングスポットとして知られているのだ。
これは私も驚いたのだが、ピラミッドや遺跡ではなく、ダイビング目当てでエジプトを訪れる人も多いのだ。実際にダイビングをした人に話を聞くと、「海の中はとても幻想的で、遥々やって来てよかった」と言っていた。砂漠やピラミッドだけがエジプトの楽しみ方ではないようだ。
Nuweiba, Egypt Aug.1996
そんなダイバーたちの楽園でもある紅海を離れ、集落の方へと足を延ばしていった。
だが、そこで今までの感動が一気に吹き飛んでしまった。なんと朝日を浴びながらラクダがゴミ捨て場のゴミをあさっていたのだ。
「おいおい、ラクダって野良犬のようにゴミをあさるものなのか……?」目の前のあまりにも衝撃的な光景に、私は思わず貴重なフィルムの一コマを使ってしまった。
冷静になってみれば、ここではラクダは家畜。放し飼いにしていれば、ゴミをあさっていてもおかしくはない。頭ではそう理解できても、この光景を見て、これまで私の中にあった「憧れのラクダ像」は音を立てて崩壊してしまった。
まるで好きな女の子の見たくなかった場面を見てしまったような、そんななんとも言えない切なさを感じながらこの場を後にし、ヨルダン行きのフェリーに乗り込むのだった。
#2 朝日を浴びる野良ラクダ