世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.45

中町天祖神社例大祭

かつて野良田村だった土地で行われる祭り。町名は時代の流れによって変ってしまったけど、祭りは昔と変らない素朴さを保っています。

鎮座地 : 中町3-18-1  氏子地域 : 中町1~5丁目
御祭神 : 天照大神、倉稲魂神  社格 : 無格社
例祭日 : 10月1日に宵宮、2日本祭(毎年固定)
神輿渡御 : 宮神輿、囃子トラック、子供神輿
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 25店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 中町(旧野良田村)と中町天祖神社 ***

中町天祖神社の写真
神社の入り口

神社の入り口は上野毛通りに面しています。

中町天祖神社の写真
参道

ちょっとした並木になっていて美しい参道です。

中町天祖神社の写真
社殿

小さめの堂宇です。

中町天祖神社の写真
境内社の弁財天

社殿の脇に鎮座しています。

* 旧野良田村と中町天祖神社について *

現在の世田谷区内の町名の多くは古くからの村名を受け継いでいますが、近年新しく命名されたものもあります。この場合、旧町域から新たに町域を分けた場合が多く、新しい町域には別の町名が新しく付けられます。上北沢から分離した桜上水や新町から分離した桜新町、等々力から分離した玉堤などは昭和40年代と比較的最近できた町です。もう新しいとは言えないかもしれませんが、かの有名な成城も昭和の初めに喜多見から分裂してできたものです。特に世田谷区が誕生した昭和7年から砧や玉川が編入された昭和11年にかけて新しい町名が多く誕生しました。

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そういった時代の中で生まれた町名に中町があります。中町の場合は他の新しく生まれた町名とはちょっと違っていて、それまでの町名が変更されたものです。それまでの町名は野良田でした。この名は江戸時代初期にはあり、何も無い野原を意味する「野良」が開墾された耕作地であるから「野良田」と呼ばれるようになったものだと考えられています。

しかし住民は気に入っていなかったようで、この名は田舎めいているという住民の意見を考慮し、位置的に玉川村(現在の玉川地域)の中央にあることから玉川仲町と改名されました。そして昭和44年の住居表示の際に中町に変更となった次第です。地図を見ると確かに真ん中にあるように見え、中町という名もいいとは思うのですが、中町という割には駅から遠く、結構鉄道には不便する土地だったりします。

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野良田村が開けたのは北条氏が滅亡し、吉良氏が世田谷を去った後、天正19年から文禄年間(1590~1595年)頃に、吉良家の家臣であった粕谷氏がこの地に土着し、村を開いていったと言われています。江戸時代になると彦根藩が所領する世田谷20ヶ村に含まれていましたが、元禄八年の記録では戸数36軒の寒村でした。

時代が明治になっても状況は同じで、明治7年の記録では戸数49軒です。明治22年には付近の村と合併し玉川村野良田となります。大正9年の国勢調査では81世帯、住民501人で、戸数にすると70軒ほどでしたが、その半分近くは粕谷性だったそうです。

昭和7年に世田谷区が成立すると、住民の要望を受けて村名が玉川仲町と変更され、その後周辺の村と町域変更がなされ、昭和44年の町域変更で町名を中町とし、現在の町域と住所表示になりました。

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現在の上野毛通りは古くからある道で、野良田村もこの道沿いに栄えていました。この道は深沢から通じ、上野毛を通り二子玉川に抜ける道だったので、大山街道の裏街道として人の往来がそれなりにあったようです。この上野毛通り沿いに野良田村の鎮守であった中町天祖神社があります。ちなみにこの道を二子方面に行くと、上野毛の稲荷神社、深沢に行くと深沢神社へ至ることからも野良田だけではなく、周辺の村でもこの道が重宝されていたことが分かります。

中町天祖神社は元々神明宮と呼ばれていました。由緒や創建時期は不明ですが、神社に残る祭礼勘定帳には天保十年(1839年)からの記載が残されているので、それ以前からこの地の氏神として信仰を集めていたようです。明治の世になると「宮」の称号を一般の民社で使用する事が禁じられ、また東京府が府域内の神明宮や太神宮を天祖神社と改称するように通達してきたので、明治七年に天祖神社と改められました。

明治40年頃には合祀令により、村内にあった正一位稲荷、作徳稲荷、日枝神社、阿夫利神社、弁天社を合祀することなり、正一位稲荷は相殿に、その他は境内社として祀られることとなります。この中でも市杵島姫命を祀る弁財天は古くからこの地にあったようで、柱には寛延己巳龍(1749年)、灯明台には寶暦六丙子天二月吉辰(1756年)と記されています。弁財天のすぐ横には力石の丸い石が置かれています。かつて祭りの準備で村人が集まったときに力比べをしたものだそうです。

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現在の天祖神社は上野毛通りにひっそりとあります。隣にブックオフができ、その看板で余計に目立たなくなってしまった感じです。上野毛通り沿いには昭和38年に建立された大鳥居と石灯籠があり、そこから参道が続きます。ここの参道にはイチョウやケヤキの並木になっていてとても雰囲気がいいです。境内全体でもケヤキ、カシ、アオダモ、ムクの木など六種類10本が保存樹木に指定されているなど、昔の神社の面影が比較的よく残っている神社です。

社殿前は広くスペースが取ってあるので開放感もあります。社殿の建築年は分かりませんが、木造の古く、小さな堂宇で、神楽殿や社務所は昭和36年頃に造営されたものです。 地域の人々に親しまれているようで、この規模の神社としては比較的参拝者が多い感じです。

*** 中町天祖神社の秋祭りの様子 ***

中町天祖神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの社殿

あまり混み合わない感じです。

中町天祖神社の秋祭りの写真
参道に並ぶ屋台

結構多くの店が出ます。

中町天祖神社の秋祭りの写真
社殿前の広場

社殿前に大きなスペースがあります。

中町天祖神社の秋祭りの写真
野良田囃子

宮出し、宮入を中心に演奏されます。

中町天祖神社の秋祭りの写真
プロによる奉納演芸

本祭の日の夜に行われます。

中町天祖神社の秋祭りの写真
餅まき

社殿前、神楽殿と2カ所で行われます。

* 中町天祖神社の秋祭りについて *

中町天祖神社の祭礼は今も昔も10月1日に宵宮と2日に本祭が行われています。ここの特徴は宵宮の日に神輿が運行される事です。宵宮の10月1日は昭和27年(1952年)に都民の日が制定され休日となりました。ちゃんと確認していませんが、おそらく以前は本祭の日に神輿を運行していたのが、学校などの休みに合わせて宵宮の日に神輿を運行することになったのではないでしょうか。

ただ普通のサラリーマンには都民の日はあまり関係なく、世田谷のほとんどの神社が祭日を週末に移動している中、珍しく平日に神輿が担がれる事が多い祭りとなっています。

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中町は真ん中の町と字が当てられているものの、駅から離れた場所が多く、交通の不便な地域です。江戸時代から人口が少ない寒村でしたが、明治、大正と時代が変ってもあまり人口が増えなく、畑の多い地域でした。祭りも昔は一年おきに行われ、村人総出で準備に当たったそうです。そのうち人口が増えていくと毎年行うようになり、準備も年番制であたるようになりました。昔の祭りでは準備の段階、祭りの一週間ぐらい前に力持ち大会が行われていたそうです。現在、社殿の横の弁天社前に力石が置かれていますが、この力石を若者たちが持ち上げて力を競い合ったそうです。石の重さは170キロぐらいあるとか。その他、神社から谷沢川にかかる橋までずらっと行灯が並ぶのもここの特徴であり、村人の自慢だったそうです。

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現在の祭りは意外と賑やかです。平日に当たることが多いので、もっと小規模に行われているものだとばかり思っていたのでビックリしました。立派な神輿があり、神楽殿ではお囃子や奉納演芸が行われ、何より多くの出店が境内に並びます。出店は参道を中心に20店以上並び、夕方から夜にかけて境内は混雑します。これは休日でも平日でもあまり変らない感じです。特に子供の数が多いように感じます。

祭礼自体は特別な事はなく、宵宮に神輿が運行され、夜に神社に戻ってきます。本祭の日は11時から祭典式、19時からマジックや演歌などプロによる奉納演芸が行われます。そして最後に投げ餅がまかれて祭りはお開きとなります。両日とも野良田囃子が奉納されますが、野良田はもちろん旧村名から付けられたものです。昔の野良田村の名残を残した唯一の存在かもしれません。

*** 中町天祖神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

中町天祖神社の神輿渡御の写真
御霊入れなどの神事

出発前に行われます。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
担ぎ始め

まず境内を一周します。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
宮出し

表参道から出ます。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
太鼓車

風格のある太鼓車です。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
子供神輿

揃いの半纏で担がれます。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
国際神輿?

文化交流が行われます。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
渡御の様子

平日の昼間でも担ぎ手が集まります。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
夜の渡御

夜になると担ぎ手が増えます。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
トラック山車

お囃子が先導します。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
間もなく宮入

昼間とはテンションが違います。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
宮入

宮入は脇参道から行われます。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
神楽殿へ

宮入後は境内を回ります。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
社殿へ向かう神輿

社殿前が広いので楽しそうでした。

中町天祖神社の神輿渡御の写真
最後の収め

最後は社殿前で収めます。

中町天祖神社では毎年10月1日の宵宮の日に宮神輿が運行されます。9時50分よりも少し前から御霊入れなどの神事が行われ、それが終わると挨拶や乾杯などが行われ、10時10分過ぎに神輿が担がれ、宮出しが行われます。まずは境内を一周し、表参道へ。並木になっている細い参道をゆっくりと進んで行き、二の鳥居、一の鳥居とくぐって神社の外に出ます。

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渡御はお囃子を乗せたトラック山車が先頭で、高張り、神輿と続きます。渡御コースは二通りあり、毎年交互に行っています。といっても休憩する場所や練り歩く道はそんなに変らなく、回る順番が違うといった違いです。宮出ししてまずは東の玉川警察署方面へ向かい、西暦で言う奇数年は北側の4丁目、5丁目を先に回り、偶数年は南側の1丁目、2丁目を先に回るといった感じです。

特に大きな商店街があるわけではないので、どっち周りでもそんなに違いはないかなといった感じです。平日の渡御の場合でも結構人が集まります。中町と言うだけあって周辺から自転車などで訪れやすく、中町の人だけではなく周辺から暇な担ぎ手が集まってくるといった感じのようです。話を聞くと台車を使わず、毎年頑張って神輿を担いでいるのが自慢のようでした。

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神輿は昭和53年に浅草・宮本重義によって建造されたもので、台座は二尺(61cm)、唐破風軒屋根、勾欄造りです。駒札は中町が掲げられます。重さは300キロぐらいとか。その神輿を100人ぐらいの担ぎ手で9時間ほどかけて約5キロちょっとの行程を練り歩き、19時半頃宮入を行います。

宮入は表参道ではなく、西側の脇参道から入ってきます。朝とは違って表参道には屋台が並び、神輿が通れる状態ではないからなのかもしれません。境内に入ってきた神輿は社務所前、神楽殿前と順に差し上げていき、最後に社殿前で差し上げて、神輿を収めます。社殿前に大きなスペースがあるので、宮入はのびのびとできて楽しそうでした。

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大人神輿とは別に子供神輿も担がれますが、渡御というよりは神輿担ぎの体験会といった感じで、10時に神社境内、11時10分に権蔵橋公園付近、14時30分に中町公園周辺と時間は年によって変るかもしれませんが、三カ所で担がれます。

大人神輿が宮出ししていった後の境内での様子しか見ていませんが、付近の幼稚園の子供たちだと思うのですが、揃いの半纏を着て楽しそうに担いでいました。それよりも面白かったのが、中町通りにあるキリスト系のインターナショナルスクールの生徒たちも見学に来ていて、いわゆる外人さんが神輿を担いでいたことです。

その担ぐ様子を見ていると、宗教的なものだし、何か問題になったら大変だしともの凄く丁寧に担いで・・・、いや運んでいるといった感じでした。なんていうか、真剣な顔でビックリするぐらいきれいに平行移動させていて、まるで棺桶を運んでいるみたいなのです。氏子の関係者も苦笑い。お神輿は揺らして担ぐものなので、もっと揺らして担ぐんだよと付き添いの先生に伝え、交代で境内を何周かしているうちにまあなんとか笑顔になり、神輿らしい動きにもなったかなといった感じでした。

* 感想など *

中町と町名が付いていますが、あくまでも玉川村の中央に位置していただけで、中心的な存在だったわけではありません。かつては住む人も少なく、暮らしている人も小作人ばかりで貧しく、寒村だったせいか鉄道が村を通ることはありませんでした。中町と名が付いているわりにはけっこう不便な土地というのが正直なところです。一応、この地域の中心となる警察署、消防署、郵便局、区民会館などは近くにあるので便利という面もありますが、頻繁に利用するものではないので気休めかもしれません。

神社関係で言うなら、玉川村の中心に位置しているだけあって、天祖神社から半径1キロぐらいの距離に等々力の玉川神社、上野毛稲荷神社、深沢神社があり、2キロまで広げると用賀、野毛、瀬田、尾山台の神社も含まれます。自転車で移動する地元の人にとっては訪れやすい神社とも言え、そういった立地もあってか平日の神輿渡御でも人が多く集まってきたり、神社の境内も町内、町外から多くの子供たちがやって来て、賑やかな祭りとなっています。ただ、古くから伝統的な祭りをしてきた土地ではないので、秋祭りに何か特徴があるかと言われるとちょっと微妙なところです。

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中町の祭りが他と違うのは毎年固定日で行われていることです。祝日を利用して固定日で行っているところは他にはありますが、祝日・・・、いちおう都民の日で学校は休みのようですが、大人にしてみれば関係ない人が多いので、祝日に被らないで祭礼を固定して行っているのはここだけです。

平日開催できて、しかもそれなりに人が集まる祭りを行えているのは氏子が中心の祭りだからこそです。近年の世田谷の祭りでは人が集まる祭りというのは商店街が中心となっていたり、氏子よりも商店街の運営が目立つところも多いのですが、ここでは大きな駅前商店街がなく、あまり商店街は目立っていません。それでも多くの人が集まり、とても雰囲気の良い祭りになっているのは注目すべき点です。

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当り前の祭りを当り前に楽しむ。平日にもかかわらず町域全てを神輿が回る。そういった素朴な感覚が素朴な雰囲気を作り上げ、特に特徴はないけど、なにか懐かしいような雰囲気がいい祭りを作り上げているような気がします。それはやはり運営側にいわゆる昔の村感覚が根強く残っているからではないでしょうか。

人が少なく、毎年祭りを行うことができなかった中町では毎年祭りを行うこと自体が意義のあることだったに違いありません。もちろん現在ではそういった事を思っている人は年長者ぐらいしかいないと思いますが、祭礼日が固定化されているのと同じで何か伝統的にそういった考えや取り組みが脈々と受け継がれているように思えます。

もし祭礼日が週末に移ってしまったらそういったものも消えてしまうのではないだろうか。他の神社が捨ててしまった何か感覚的なものを失ううのではないだろうか。ふとそういった事を思ってしまいました。

<世田谷の秋祭り File.45 中町天祖神社例大祭 2013年11月初稿 - 2015年10月更新>