世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.41

久富稲荷神社例大祭

サザエさんの町と知られる桜新町で行われる祭り。名物の250m程ある長い参道には多くの出店が並び、多くの参拝客で賑わいます。

鎮座地 : 新町2-17-1  氏子地域 : 桜新町1、2丁目、新町1~3丁目、駒沢3、4丁目(新町2丁目以外は一部を除く)
御祭神 : 宇迦之御魂命、大宮女命、猿田彦命  社格 : 無格社
例祭日 : 10月第一日曜と前日
神輿渡御 : 宮神輿、子供神輿、太鼓車
祭りの規模 : 中規模  露店数 : 30店程度
その他 : 奉納演芸が行われます。

*** 新町と久富稲荷神社、伊富稲荷神社 ***

久富稲荷神社の写真
旧道側の入り口

旧246号から参道が始まります。

久富稲荷神社の写真
入り口の近く付近の参道

周囲は垣根やブロック塀やら様々です。

久富稲荷神社の写真
神社付近の参道

最初と最後だけ石鳥居があります。

久富稲荷神社の写真
参道にある巨木

神社付近には大きな木があります。

久富稲荷神社の写真
社殿

東向きに建っています。

久富稲荷神社の写真
ふくろうの像

伝説の棲みつきふくろうにあやかったものです。

久富稲荷神社のフクロウ祭の写真
フクロウ祭

参道にフリーマーケットの店が並びます。

久富稲荷神社の盆踊り大会の写真
盆踊り大会

露店も出て少し賑わいます。

久富稲荷神社の盆踊り大会の写真
盆踊り大会

平日だったせいか人が少なかったです。

伊富稲荷神社の写真
伊富稲荷神社

マンションや工場に囲まれるように立地しています。

伊富稲荷神社の写真
伊富稲荷神社の社

本社のみの神社です。

* 旧新町村と久富稲荷神社、伊富稲荷神社について *

田園都市線に桜新町の駅があります。桜新町といえばサザエさんの作者長谷川町子氏が暮らし、サザエさんのモデルになった町として知られています。現在では桜新町という名がよく知れていますが、桜新町の町名ができたのは昭和43年と比較的最近のことです。

昔のこの付近は世田谷村の飛地で、万治年間(1658~60年)に世田谷新町村として独立したのが始まりです。その後、明治22年の町村制施行時に、周辺の上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、弦巻村、深沢村と合併し、駒沢村に編入されました。駒沢の名は馬引沢の馬を駒とし、野沢と深沢の沢から取ったものです。

昭和7年の世田谷区成立の際に駒沢村は解体され、世田谷区新町となります。その後昭和41~43年には区画整理が行われた事で周辺の町と境界変更が行われ、深沢や弦巻の町域を加えて現在の新町1~3丁目、桜新町1、2丁目が形成され、逆に東部の方は新しくできた駒沢町の駒沢3、4丁目に組み込まれる事となりました。

line

桜新町の名は昭和7年に東急玉川線の駅名が新町から桜新町に改称されたのが始まりです。これは大正2年に東京信託株式会社が関東で初めての郊外開発計画として「新町分譲地」を現在の桜新町1丁目の南側から深沢7、8丁目にかけて造成した事に由来します。

この分譲地の通りには、恐らく日本で初めての試みで街路樹には向かないとされていたソメイヨシノを道の両側に植えて並木としました。それが立派に育ち、美しい並木となり、桜の町として知られるようになります。桜のある新町住宅地が桜新町となった感じでしょうか。同じく桜の文字の付いた桜上水と地名の由来がよく似ています。

line

桜新町駅前の通りはかつての大山道になります。江戸時代の新町村は大山道沿いに少しは栄えていたようですが、当時の大山道の本道は三軒茶屋から世田谷通り、代官屋敷前を通り、弦巻、用賀へ抜けるルートだったので、お隣の用賀のように街道沿いが賑わって店が並んでいるといった事はなかったそうです。また街道の北側には品川用水が平行して造られていたので、色々と生活面で不便をしたといった記述もあります。

新町村が発展していくのは明治40年に玉電が開通してからです。玉電が開通することで人や物の流れが多くなり、こちらの方が本道となっていきます。大正2年には関東で初めての郊外開発計画として新町住宅街が造られますが、これはどちらかというとお金持ちの別荘といった感じだったようです。

しかしながら関東大震災後は人口の流入が激しくなっていき、徐々に住宅地が広がっていきます。昭和初期などは池尻や三宿に大きな駐屯地があったことから軍人や兵隊が多く暮らす土地といった一面もあったようです。

line

現在の桜新町はサザエさんの町として町おこしを行っています。駅前の通りに設置されたサザエさんの像は税金の話題で一躍有名になりましたが、それ以前から商店街にはサザエさんのプレートが置かれ、9月のねぶたではサザエさんねぶたが運行されるなど、サザエさん関連のものやイベントが多く行われてきました。

駅前の交差点から新町住宅街へ向かう道はサザエさん通りと名付けられ、その先には作者である長谷川町子美術館があります。この付近が一番のモデルとなっているようで、246号近くのセブンイレブンは以前は酒屋の三河屋だったようです。

サザエさん通りは交番のところで二股に分かれていますが、ここはかつての新町住宅街の入り口になります。昭和43年までの旧町域ではこの付近は深沢四丁目でした。厳密に言うならサザエさんの話は深沢から見た桜新町の様子といった感じなります。

line

サザエさんに神社の話が出てくるのか分かりませんが、かつての旧新町村の鎮守であったのは村の南部に位置していた久富稲荷神社で、この他にも北部に伊富稲荷神社、そして善養院の脇にも稲荷社があったようですが、これは現在では合祀されたのか存在しません。

本稲荷として存在していた久富稲荷神社は、創建年代は不詳ながら口伝では京都の伏見稲荷大社より御霊を賜り、この地に鎮座して四百年以上も経っているとのことです。現在では存在しませんが、以前参道にあった巨木は年輪から4百年以上は経っていたという事からそう考えられているようです。現在の本殿や拝殿などは昭和6年に氏子の寄付で新築されたものですが、それ以前の建物は本殿は一間四方(1.8m)で、拝殿が3m×4mと小さめの社殿で、嘉永年間(1848~53年)に建てられたものだったそうです。

伊富稲荷神社の方も創建年代は不詳で、本殿は75cmほどで、2m弱ほど上屋で覆われていたようです。昭和43年に境内が整備され、敷地内に社務所が建てられるなど神社っぽくなっていますが、神社自体は本殿のみに簡素な覆屋が取り付けられているだけなので昔とあまり変らないようです。

line

久富稲荷神社の最大の特徴は長い参道です。大山道だった旧246号から神社まで約250mもの参道が続いています。参道といっても民家の玄関なども普通にあり、所々にある鳥居がなければ歩行者用の通路と感じてしまいます。地方の港町や山岳信仰のある門前町などでは神社までの小道にひたすら鳥居が建っていたりしますが、そういった雰囲気が若干感じられる、ある意味世田谷にあって歩いていると不思議な感じがする参道でもあります。

ただ古い集会場やアパートだけが並んでいると参道っぽく感じるのですが、お洒落なお宅も多々あるので、なんていううか、やっぱり世田谷っぽいのかもしれません。

line

江戸時代の文化・文政年間の頃(1804~29年)に編集された新編武蔵風土記稿にも「往還の南の傍に華表あり、それより二町程を隔て遥むかひび本社たてり。」とあるように、昔からこのような長い参道があったようです。世田谷の寺社では区画整理や道路を広げるために参道や敷地が削られてしまうケースが多いのですが、ここでは奇跡的に残っています。

というより地図を見てもらえば分かるのですが、大山道の南側から国道246側にかけては区画整理が行われていません。周辺ではきれいに耕地整理が行われているのですが、この地域は土地所有者との折り合いが付かずに行われなかったそうです。そういった事情から参道がそのまま残ったのではないでしょうか。そういう点では区画整理が行われなくてよかったと言えますが、普段の生活という点ではこの付近の道は昔のまま細く、行き止まりとなる道も多く不便です。昔は間口が狭く、奥行きのある家が多かったので、全体的に縦に長い区画になっています。

以前、親戚がこの中に住んでいるので何度か車で行きましたが、歩行者とすれ違うのも一苦労です。対向車が来たものなら普段ほとんど車を運転しないドライバーとしては発狂しそうです。でもちゃんと歩行者もよけてくれますし、車も隣の路地に逃げたりしてうまくやっているようです。道が広くて車も歩行者や自転車も傍若無人に通行するよりもお互い様の精神が生きていいかもと思ったりもしましたが、車の運転がうまくない私は住みたくない場所だと感じました。

line

もう一つこの神社には特徴があり、神社の境内にはフクロウの像があり、丁寧に祀られています。このフクロウ、いやフクロウ様は昭和の初め頃に社殿奥の木に住み着いたもので、ふくろうの姿を見ると縁起が良いとか、鳴き声を聴くと願いごとが叶うと言われていたそうです。

今でもフクロウのお守りや絵馬が売られていますが、このフクロウに因んでフクロウ祭りが年に二回行われています。その時には長い参道にフリーマーケットの出店がずらっと並び、多くの来客で賑わいます。また神楽殿などでは落語などの出し物も行われます。その他、夏には境内で盆踊りが行われますが、フクロウ祭や秋祭りの方が賑わっている感じでしょうか。

*** 久富稲荷神社の秋祭りの様子 ***

久富稲荷神社の秋祭りの写真
参道の入り口

入り口には提灯が掲げられます。

久富稲荷神社の秋祭りの写真
屋台の並ぶ参道

250mもの参道に屋台が並びます。

久富稲荷神社の秋祭りの写真
国道246側の入り口

こちら側はすいています。

久富稲荷神社の秋祭りの写真
社殿

賑わっていました。

久富稲荷神社の秋祭りの写真
神楽殿と奉納演芸

奉納演芸にも力を入れているようです。

* 久富稲荷神社の秋祭りについて *

現在の祭礼は久富稲荷神社と伊富稲荷神社の二社祭として10月第一週末に行われています。江戸時代に編集された新編武蔵風土記稿によると久富稲荷神社の祭礼は9月14日で、昔は27日に行われていたとなっています。伊富稲荷神社については書かれていませんが、昭和の記述では10月2日に行われていたとあるので、昔は別々の祭礼として行われていたようです。いつから一緒に行われるようになったのか分かりませんが、現在では久富稲荷神社で一緒に行われていて、ポスターなどにも久富稲荷神社、伊富稲荷神社例大祭と書かれています。

line

祭礼は土曜日に宵宮、日曜日に本祭が行われます。宵宮の日の11時から祭典式、17時頃から奉納演芸が行われ、21時に神輿の御霊入れが行われます。宵宮の終わりに御霊入れが行われるのはちょっと珍しいかもしれません。式典は実際に見ていないのでわかりませんが、あの長い参道を参列者が列をなして参進するのだとしたら年配の役員の人にはいい運動になりそうです。

本祭の日は9時過ぎから発輿祭や出発式が行われ、9時半に神輿や太鼓車が町内の巡幸に出発します。神輿が戻ってくるのが18時半頃で、その後は奉納演芸が行われます。両日とも最後に投げ餅がまかれます。奉納演芸は意外と気合が入っているようで、夕方の早い時間は地元の団体による素人奉納演芸で、遅い時間はプロの歌手などのステージになります。

line

ここの祭りの最大の特徴は長い参道に並ぶ屋台です。約250mの参道に屋台がずらっと並び、時間帯によってはかなり混雑します。祭りらしい光景であり、賑わいがあっていいのですが、いい面ばかりでもなく、参道自体結構狭いし、フリーマーケットと違って屋台の場合は屋根がせり出るし、屋台で立ち止まって買い物をする人に、一方通行でないのですれ違う人で参道がつっかえてなかなか前に進めません。100m以内ならまあ我慢もできるのですが、250m近くなると進まなくてイライラしてきます。地元の人は行きか帰りのどちらかを参道を通って屋台を物色し、それ以外は横の道を通っています。

line

もう一つここの特徴を挙げると、村に三つの稲荷社を祀っていた事からも分かるように農業の収穫に対する感謝が強く感じられる祭りです。神社の神輿会は稲穂会で、神輿に掲げる駒札も稲穂です。呑川の水源が新町村あったり、町の中心を品川用水が流れていたりと水には困らなそうな感じもしますが、実際には自由にできる水は少なく、稲も陸稲が中心で、畑ばかりの土地だったようです。今では住宅地ばかりでそういった印象は薄いのですが、農業が盛んだった名残は今でもあり、駅前の一等地に農協が古くからあります。

*** 久富稲荷神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
発輿祭

社伝横の広場で行われます。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
宮出し

西の参道から出入りします。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
狭い路地を進む高張り

神社周辺は道が狭いです。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
路地を進む神輿

宮出し直後なのでゆっくり進みます。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
子供神輿

子供神輿も古いものです。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
太鼓山車を引く子供たちの長い列

手には沢山のお菓子を持っていました。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
夕日を背に駅前を進む神輿

この付近は神職が道を清めながら進みます。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
サザエさん通り

深沢の氏子地域になるので半分ぐらいでUタンします。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
夜の渡御

一度参道の入り口を通りすぎます。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
宮入

西参道から入ります。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
神楽殿で

神職、巫女、お囃子などが見つめます。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
社殿への差し上げ

まずは社殿に向かいます。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
神楽殿へ

次ぎに神楽殿へ向かいます。

久富稲荷神社の神輿渡御の写真
最後のもみ

神職などが見守る神楽殿前で収めます。

久富稲荷神社では毎年本祭の日曜日に神輿渡御が行われています。渡御コースは毎年一緒で、旧新町1~3丁目の町域をぐるっと回ります。旧新町1~3丁目は現在の町域にすると、桜新町1、2丁目、新町1~3丁目、駒沢3、4丁目と結構広く、東は駒沢公園通りや国道246号の駒沢交差点、南は駒沢公園通りの駒沢4丁目交差点まで。西は桜新町2丁目にある伊富稲荷神社まで、北は駒沢給水場の少し先まで回ります。

ハイライトはもう一社の伊富稲荷神社を訪れることと、国道246号を渡御したり、横断するところですが、やはり一番は桜新町駅前やサザエさん通りを渡御する時になるでしょうか。地元商店街となるので、担ぎ手も張り切ります。ただ、サザエさん通りの方は半分で折り返します。その先は旧深沢町になり、三叉路にある交番のところまでは二年に一度深沢神社の神輿がやってきます。

line

神輿への御霊入れは宵宮に行われます。宵宮の11時から例大祭の式典が行われるのですが、御霊入れはその時ではなく、宵宮の終わり、夜の9時頃に行われているようです。

渡御当日は9時過ぎから境内で発輿祭や出発式が行われ、乾杯の後、9時半頃にまずは子供神輿と太鼓車が出発していき、その後で大人神輿の宮出しが行われます。宮出しは残念ながら長い参道の方を通って行かなく、西の参道から出て、普通の細い道を通って旧246に出ます。

さすがにあの狭い参道や小さな鳥居をくぐって進むというのは無理があるようです。巡幸は太鼓車、子供神輿が先に進み、その後ろを高張りに先導された大人神輿が進むといった感じです。場所によっては神職や巫女さんが一緒に歩いたり、先導してお祓いをしたりします。

line

久富稲荷神社の神輿は大正時代に浅草の神輿師、宮本重義によって造られ、昭和30年に修理が施されたものです。台座は二尺八寸(87cm)、屋根の神輿です。駒札は稲穂が掲げられます。神輿会も稲穂会と稲荷様らしい神輿渡御です。まだ実際には見ていませんが、平成23年には子供神輿や太鼓山車を含め、全てをの部品を解体、補修し、新品同様に組立て直す総修理が約一年かけて行われました。解体の様子が修理元のHPで公開されていてなかなか興味深いです。検索すると出てきます。漆なども塗り直しているので恐らく今では新品同様になっているはずです。

line

太鼓車と子供神輿は伊富稲荷神社を訪れた後、大人神輿と分かれて先に神社に戻ります。太鼓引きは結構長い列になります。それもそのはず、子供たちの手にはどっさりとお菓子の袋があります。30分おきに休憩ということなので、実質15分ぐらいおきにお菓子をもらえるし、お菓子の量も多いので、これだけの列になるのは納得です。こういう言い方をすると良くないのでしょうが、労働に対する対価は世田谷でもトップクラスではないでしょうか。子供に優しい桜新町商店街と桜新町。ある意味サザエさんの町らしい祭りといえる光景に感じます。

line

宮入は18時半といった長丁場ですが、途中休憩が16カ所もあり、30分おきに休憩が入るといった感じです。特に急な坂もなく、時間は長くてもきつい渡御ではないはずです。別の見方をすれば16カ所も休憩があるということは、それだけ接待をする人や企業などがあるわけで、町を挙げてというか、町に愛されている神社であり、秋祭りともいえます。

宮入は境内に入ると社殿に向かいます。残念ながら社殿前には広いスペースがないので、横から社殿に向かって差し上げます。そして神楽殿に向かいます。神楽殿では神職をはじめ、巫女さんに役員、そしてお囃子連中がお囃子を奏でながら宮入を見守ります。その神楽殿前で最後の揉みが行われ、神輿が収められます。

* 感想など *

新町と呼ぶと違和感を感じるほど桜新町の名が広く知れ渡り、そして桜新町といえばサザエさんの町と認知されているのが現在です。サザエさんといえば国民的アニメで、昭和の家族模様を描いたアニメです。昭和の時代といえば父親の威厳とか、大家族とか、家族揃って食卓を囲むとか、畳での生活とか、今の、特に都会での一般的な生活とはちょっと違います。

町の風景がサザエさんが描かれたときと様変わりしたのと一緒で、住む人々の生活スタイルも一変してしまった感じです。ただ家族の絆という点では今でも同じ。そういった事が支持されて今でも人気があるのではないかと思います。ちなみにというか、作者の長谷川町子氏は国民栄誉賞を受賞しています。彼女は世田谷生まれではありませんが、世田谷が誇る偉人であり、サザエさんも世田谷が誇るアニメだといえるかと思います。

line

そういったサザエさんの舞台である桜新町では、春には桜祭り、秋にはねぶた祭りといった大きなイベントが駅前通り通行止めにして行われます。また夏には盆踊り、そして春と秋にはふくろう祭りが久富稲荷神社で行われています。これらのイベントは子供が楽しめるように企画されていて、関係者の大人が協力して子供が安心して楽しめるようになっています。

桜新町の町は世田谷区内でもイベントの雰囲気が一番だと感じます。久富稲荷神社の秋祭りも太鼓引きなどでどっさりとお菓子がもらえる点ではやはり子供に優しい土地柄なんだなと思う反面、別の場所ではちょっと面白い光景が繰り広げられていました。

line

長い参道には多くの出店が並んで賑やかです。しかし並んでいる出店を営業しているのは、いつもの商店街や地域の団体の人とは違って外の人です。しかも百戦錬磨のテキ屋さん。「高かったのに少ない・・・」「ちゃんと中が焼けていない・・・」「文句をいっても聞いてくれなかった・・・」と子供達が苦戦している姿が多々見受けられました。

大人はずるいものでもあるのです。そういう大人のずるさを経験して子供は大人になっていくものなのです。過保護に育てられると大人になって大きな詐欺にあったり、取り返しのつかないだまされ方をするものです。そういう意味ではいい社会勉強の場といった感じも受けました。なんていうか、この秋祭りをサザエさんで描くならカツオ君が中心のお話が似合うってイメージでしょうか。

<世田谷の秋祭り File.41 久富稲荷神社例大祭 2013年11月初稿 - 2015年10月更新>