世田谷散策記 世田谷の秋祭りのバーナー
秋祭りのポスター

世田谷の秋祭り File.13

稲荷森稲荷神社例大祭

地域の若者が古紙、段ボールを収集して建造した自慢の大太鼓が神輿の前を先導する祭り。その大きさは東京でも有数で、稲荷森稲荷神社の象徴となっています。

鎮座地 : 桜丘2ー29-3  氏子地域 : 桜丘1~3、5丁目
御祭神 : 倉稲魂神  社格 : 無格社
例祭日 : 10月第二土曜日と日曜日 
神輿渡御 :宮神輿、太鼓車
祭りの規模 : 小規模  露店数 : 15店程度
その他 : 奉納演芸、餅つきが行われます。

*** 桜丘と稲荷森稲荷神社 ***

稲荷森稲荷神社の写真
神社の入り口

細い商店街の通り沿いにあります。

稲荷森稲荷神社の写真
境内と大イチョウ

境内には大きな銀杏の木がそびえています。

稲荷森稲荷神社の写真
二の鳥居

宮島型の鳥居です。

稲荷森稲荷神社の写真
社殿

社殿は昭和44年に建てられたものです。

稲荷森稲荷神社の写真
枝垂れ桜

社殿前に立派な枝垂れ桜があります。

稲荷森稲荷神社の写真
境内社

社殿横にあります。

稲荷森稲荷神社の盆踊り大会の写真
盆踊り大会

夏に行われます。

稲荷森稲荷神社の盆踊り大会の写真
銀杏の木に造られた櫓

櫓の真ん中に木があるのは珍しいです。

* 桜丘と稲荷森稲荷神社について *

かつて世田谷城主の吉良氏や彦根藩の井伊家が治めた時代から世田谷の中心であり続けたのは世田谷村です。世田谷区の名の由来にもなっているのですが、明治頃までは世田谷の事を「せたかい」と呼んでいたり、その昔は世田ヶ谷村、勢多郷、瀬田萱、瀬田谷などと呼ばれていたそうです。

その世田谷村はボロ市通りや区役所のある世田谷を中心に世田谷城があった豪徳寺、世田谷八幡神社のある宮坂、そして梅ヶ丘、桜、桜丘の他、羽根木などの飛び地が幾つかあるという大きな村でした。その世田谷村の西の端に位置するのが旧世田谷5丁目にあたる桜丘です。現在の町域では環八が西端、世田谷通りが南端にあたり、東は農大付近で桜と接し、北は経堂、船橋と接しています。

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桜丘という町名は、名前からして桜の多く植わっている丘といった感じで少しロマンチックな印象を受けます。実際にかつての品川用水の跡に通された千歳通り沿いには多摩川の玉石垣と立派な桜並木があり、せたがや風景資産にも選定されています。しかしながら地名の由来はこの桜でもなく、この地にあった桜や桜に関する事柄に由来するものではありません。

桜丘という地名は昭和41年に世田谷町から分離した際につけられたもので、もともとあった桜木という世田ヶ谷村の小字に由来します。この桜木という名は百景にもある吉良家の墓所勝光院の裏手にある桜木中学校にその名をとどめるだけとなってしまいましたが、世田谷城内にあった「御所桜」という桜にちなんだものだそうです。

そしてこの桜木の地にできた最初の小学校が桜小学校で、その後現在の桜丘付近に開校したのが第二桜小学校(現在の桜丘小学校)でした。その後、桜丘国民学校と改名され、住所変更の際に小学校の名がそのままお隣の「桜」とこの地の「桜丘」になったようです。

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現在の桜丘は住所表示で1~5丁目で構成されています。見た目状は一つの町域となっていますが、目に見えない境界が存在していて、大きく分けて4丁目以外の横根地区と4丁目の宇山地区に分かれています。それは歴史的なもので、宇山地区というのは宇奈根山谷と呼ばれた地域で、多摩川沿いにある宇奈根地域の人々が洪水などを機に移り住んだ土地と言われ、後に宇奈根山谷が短縮して宇山となったといわれています。

もちろん普通に暮らす人には同じ桜丘ですが、氏子町域などでは横根地区の稲荷森稲荷神社、宇山地区の宇山稲荷神社と分かれていて、祭礼などは別々に行っています。ちなみに古い地図を見るとこの付近には横根という小字がたくさんあり、ちょっとややこしいです。すぐ近くの大蔵一丁目にある横根稲荷神社もそうで、同じ小字が横根だっただけで同じ町域というわけではありません。

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桜丘の大部分を占める横根地区の守り神であり続けたのが稲荷森稲荷神社です。稲荷の文字が続きますが、読み方は「とうかんもりいなり」と同じ読みを繰り返しません。詳しい由緒を記したものは残っていなく、恐らく室町時代以降、吉良氏が世田谷を治めていた頃ではないかと考えられています。

ただもっと古い話も残っていて、明治時代に土地の古老たちが話すには、「奥州へ落ち延びた源義経を追って静御前がやってきて、この神社で一夜を明かした」と言い伝えられてきたそうです。とはいうものの源義経と静御前の伝説は日本各地に残っているので、それを全部信じていたら義経は何人いたんだといった話になり、その信憑性となるとちょっと微妙なところです。

吉良氏時代にはこの神社、或いは周辺で六斎市が開かれ、天正六年(1578年)には小田原城主北条氏政がそれを上町に移し、後にボロ市になったともいわれています。その名残で以前はボロ市の日には神社前に数軒の店が出ていたそうです。

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江戸時代の「新編武蔵風土記稿」には「菅刈社」と表記されていて、この付近も「菅刈庄」といわれていたことから、「地名を冠するのだから、古い由緒ある社であろう」と記されています。また黒駒街道(登戸道-現世田谷道)から分かれ府中方面へ抜ける黒駒裏街道(横根道)は稲荷森稲荷神社前を通っていました。

神社の杉の森は「どんなに雨や雪が降っても稲荷森まで行けば焚き火ができる」「稲荷森神社では傘がいらない」と言われるほど古木がうっそうと茂っていて、往来する人々や荷物の運搬を生業とする馬方達はこの森で雨宿りや休憩していたようです。現在でも江戸時代の馬方達が奉納した木彫が残っていたりします。そういった深い森があったから稲荷森という名前が後に付けられることになったようです。その他、昔は境内で馬の市が立ったことから横根道を馬喰横丁と呼んでいたといった記述もありますが、どうなのでしょう。

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明治になると新政府により社地の大半が取り上げられ、明治40年(1907年)には世田谷村の鎮守である現世田谷八幡神社への合祀、神社の廃社が強要されましたが、氏子有志は結束して独立維持を主張し、政府に立ち向かって神社を護持したそうです。そういった経緯に拠るものなのか分かりませんが、今でも神社庁に所属しない単立神社として維持されています。

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現在、神社は参商会という商店街の真ん中に立地しています。神社前の通りは細く、商店街となっているので人の往来も多く、繁華街とまではいかないにしても賑やかな場所にあるといった感じです。境内は商店街の中にあるのにふさわしく、空き地に神社が建てられたといった感じで、稲荷森と呼ばれたころの面影は全くありません。

昭和の初期までは境内に樹齢300~400年を数える杉の神木を初め、鬱蒼とした森やら大きな湧水池などがあり、稲荷森の名にふさわしい雰囲気はあったようですが、戦後になると物資の不足から境内の樹木を伐採して社務所を建設したり、大気汚染などにより枯れてしまったりして、周りの風景と共に味気ない感じの境内となっていったそうです。

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現在の社殿は昭和44年(1969年)に建てられたもので、以前のものは神輿庫に改造され、 本殿の内宮は末社として外に祀られています。境内はあまり広くなく、夏に行われる盆踊りでは境内にある大きなイチョウの木を中心に櫓が組み立てられ、櫓の大木を中心に盆踊りが行われていたりします。

*** 稲荷森稲荷神社の秋祭りの様子 ***

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの入り口

鳥居脇にお囃子の舞台と御輿舎が設置されます。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
秋祭りのときの社殿

巫女さんが常駐しています。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
秋祭りの境内

時間帯によってガラガラだったり混雑したりします。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
境内に並ぶ屋台

それなりに多くの屋台が並びます。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
境内での修祓

厳格に行われます。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
拝殿のお祓い

絵になっています。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
プロによる奉納演芸

マジックや歌唱などが行われます。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
安宅囃子の獅子舞

安宅囃子保存会によるものです。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
餅つき

餅つき歌を歌いながらの古式餅つきです。

稲荷森稲荷神社の秋祭りの写真
農大応援団による大根踊り

やっぱり農大といえばこれですね。

* 稲荷森稲荷神社の秋祭りについて *

稲荷森稲荷神社の祭礼は現在10月第2土曜と日曜に行われています(10月が日曜日から始まる場合はどちらの週になるのかはわかりません)。古い話ですが、戦前には神主も居なく、豊作の年(3年ぐらいおき)にだけ盛大な豊年祭りが行われていたそうですが、現在では神主がいて、祭りも毎年盛大に行われています。ここの祭礼は色々と特徴がありますが、やはりなんといっても巨大な太鼓車が先導する神輿渡御が印象的です。しかも土日両日とも渡御が行われるという大盤振る舞いです。世田谷にあって土日共に神社の宮神輿が運行される数少ない神社のうちの一つです。

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土曜日は宵宮になります。神輿と太鼓車は両日とも12時半に宮出しされますが、宵宮の日には30分前の12時から発輿祭が行われます。発輿祭は一の鳥居前で行われ、神事が終わるとそのまま鳥居から宮出しが行われます。

19時になると宵宮祭が行われ、祭りのために設置された舞台で奉納演芸が行われます。宵宮の日には地元の人によるカラオケなどが中心となります。途中で神輿が戻ってきて宮入が行われるので、その時は中断します。

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奉納演芸が終わると今度はすぐ近くにある東京農大の応援団による応援が披露されます。一般に知られている大根踊りなども行われます。それが終わると大根の無料配布が行われます。これらは11月上旬に行われる農大の収穫祭の宣伝の一環で、収穫祭でも大根の配布は行われています。

神輿を担いで、直来で少し食べて、最後に大根をもらって帰るのがここの担ぎ手の恒例行事となっているようで、多くの半纏を着たおじさんが大根を大事そうに抱えて帰路についていました。なんでも神輿を担ぐのを快く思っていない女房の機嫌を取るのにお土産にするのだとか。実際は女房の喜ぶ顔が見たいからといったところでしょうか。

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本宮の日は午前10時から例大祭が行われます。祭礼は神社の規模にしてはと書くと怒られるかもしれませんが、立派な格式で行われます。まず舞台前に設置された祓所で修祓が行われます。なかなか絵になっていますが、背景までを考えると少々残念でもあります。修祓が終わると、雅楽の演奏と共に神職、楽師、総代や参列者が拝殿に参進し、拝殿にて祭礼が行われます。

昼には宵宮と同じように神輿が宮出しされ、夜になると奉納演芸が行われます。本宮の日の奉納演芸はプロによるマジックや歌唱の奉納演芸が中心で、それが終わると安宅囃子保存会による獅子舞がなどが奉納されます。

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安宅囃子保存会は第二次大戦を境に伝承が絶えていた里神楽やお囃子を復興し、伝承している会です。神輿の先導を務めたり、すぐ隣の経堂天祖神社の祭礼でも活躍しています。世田谷では江戸の文化年間(1804~17)に囃子名人大場増五郎という人物がいて、その大場直伝の経堂流を興し、安宅崩し(あたかくずし)という秘曲を今に伝えているのが安宅囃子になるそうです。

そして祭りの最後を締めくくるのは餅つき歌を歌いながらの伝統的な餅つきです。昔の世田谷では多くの地域にあった風習ですが、今では代田で毎年発表会が行われているぐらいです。ここで行われるのは本格的な餅つきというよりも昔はこんな餅つきがここでも行われていたんだよといった感じのものです。餅が付き終わると餅まきが行われます。これは予め用意されていたもので、もう堅くなったものです。目の前で餅つきが行われた後での餅まきなので、つきたてに近いものを期待してしまい、なんか少し期待はずれというか、残念な感じがしました。

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露店は境内に15店ぐらい並びます。昼間はそうでもないのですが、夕方ぐらいからかなり混み合います。やはり駅近く、そして商店街の真ん中にあるという立地から帰宅時に立ち寄ったりする人も多いようです。もちろん商店街の通りも人の往来が多く、混雑します。さすがに狭い通りなので露店は出ませんが、いつもよりも繁盛している感じです。

*** 稲荷森稲荷神社の神輿渡御 ***

*** 宮神輿渡御 ***

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
発輿祭

渡御の無事を祈ります。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
自慢のあ・ん太鼓

直径六尺(約2m)もある強大な太鼓です。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
太鼓車の宮出し

鳥居の高さぎりぎりです。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
太鼓車の巡行

建物の二階の高さと同じになります。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
渡御風景

お囃子車、太鼓車、高張り、弊、神輿と続きます。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
神輿渡御

太鼓車の後を高張り、弊と続きます。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
神輿渡御

土曜日は比較的大人し目です。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
商店街を進む太鼓車

後ろから押すのも大変そうです。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
太鼓車の宮入

鳥居の坂を引っ張り上げるのが大変です。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
神輿の宮入

暴れてなかなか鳥居をくぐれません。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
宮入りしてきた神輿

右へ左へ暴れ、なかなか収めることが出来ません。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御の写真
最後のもみ

最後は舞台前で収めます。

稲荷森稲荷神社の神輿渡御を仕切っているのは横根睦で、横根の文字の入った半纏を着ています。これは先に書いたようにかつてこの地域は世田谷5丁目の横根と呼ばれる地域だったからです。環八の三本杉交差点の向こう側の大蔵にある横根稲荷神社でも横根の半纏を着ているので一般の人から見たら少々紛らわしいかもしれませんが、こちらは茶色っぽい半纏です。

この横根睦は例大祭の時に神輿を担いで渡御することを主目的として、昭和55年に結成された親睦団体です。稲荷森稲荷神社といえば巨大な大太鼓「あ・ん太鼓」が知られています。大きさは直径六尺(約2m)、重さが2トンもあり、新調当時は全国で三番目の大きさだったとか。現在でも東京都23区内では一番大きい太鼓と言われています。神社が府中の大国魂神社三の宮講の流れを汲み神社で、府中にあやかって建造する流れになったそうです。

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この太鼓の注目すべきところは大きさだけではなく、横根睦の有志が昭和62年1月より平成2年12月まで毎夜商店などから古紙や段ボールの回収を行って1450万円の資金を貯め、それに寄付金を合わせて新調したところです。馬事公苑で夏に行われる世田谷区民祭にも参加していて、ゲート前に置かれている大きな太鼓がこの太鼓で、叩く音の大きさにビックリしたことがある人もいるのではないでしょうか。神輿パレードの時でも一際目立っていました。

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稲荷森稲荷神社の神輿は鳥越神社の町内神輿だったものだといわれています。台座は二尺五寸(75cm)、大正時代に建造されたもので、製作者は浅草・宮本重義です。神輿渡御は土曜の宵宮、日曜の本祭と両日とも12時半から渡御が開始されます。

土曜日の渡御前、12時から一の鳥居前で発輿祭が行われ、神輿と太鼓車の運行の安全などが祈願されます。発輿祭が終わると宮出しが行われるのですが、太鼓車は何とか鳥居をくぐれるといった大きさです。出すときはまだしも、入るときは少し上り坂になるので大変です。

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神社を出ると商店街を練り歩く事になるのですが、太鼓車は台車に載せると3メートル余りになります。その上に人が乗るものだから普通に二階の部屋が覗けてしまう高さになってしまいます。不意を突かれて、あらまぁビックリといった感じで窓から顔を出す人もいて、見ていると面白いです。

これだけ大きな太鼓が打ち鳴らされるとその音も図太く大きいので、太鼓の音を聞いて今年も始まったなといった感じで出てくる人も多いです。一緒に歩いていると人々の笑顔や様子からこの地域自慢の太鼓なんだなと感じます。

太鼓車の後を高張り提灯と神輿が続きます。神輿は二日運行されると言っても土曜日の宵宮はそこまで人が集まらないので、神輿を台車に乗せて移動する時間が多くなります。

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宮入はその時々によって違うかと思いますが、だいたい19時半から20時半ぐらいに行われ、宵宮の方が少し早めです。ここの渡御は太鼓車の大きさばかり注目されますが、宮入もなかなか凄いです。何が凄いって、かなり暴れます。宵宮はそこまででもなかったのですが、本宮の日の宮入はまず鳥居をくぐるところから押せ、押し返せってなもんで何度も行ったり来たりします。

そして神社に入ってもあっちへ行ったりこっちへ行ったりなかなか大変です。そしてなかなか収まりません。怒号やら歓声やらが入り乱れ、最初は喧嘩しているのかと思ったのですが、ここではこれが普通のようです。何とか二の鳥居付近で収めると、今度は舞台前で総代などが見守る中で収めます。体力を使い切ってしまったのか、こちらでは比較的すんなり収まっていました。何とも元気のいい宮入で、これが立派な宮入というのかどうかは人それぞれでしょうが、暴れっぷりは世田谷一かもしれません。

* 感想など *

稲荷森稲荷神社の秋祭りは駅前の商店街に立地している事から多くの人が訪れ、賑やかな感じの祭りです。しかも単に人が多いだけで賑やかといった秋祭りではなく、魅力的で賑やかな秋祭りが行われている神社の一つです。建造時には日本で三番目に大きかった大太鼓の巡行、神輿の激しい宮入は祭りの華であり、この神社の秋祭りの象徴となっています。

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また奉納演芸でも伝統的な安宅囃子によるお囃子や地域に古くから伝わる餅つき歌など地域に根付いた文化が披露されたり、地域の象徴の一つである農大の応援団による大根踊りといった変わった演目もあったりします。

神事にしても神社の規模以上に立派な格式で執り行われているし、参列者も多いです。境内には多くの屋台が出て、多くの参拝者が訪れ賑やかだしと、神社の規模から考えるととても立派な秋祭りが行われていると感じます。それは少々歴史的な事が関係しているのかもしれません。

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稲荷森稲荷神社は一見、商店街にある普通の神社ですが、神社庁に所属していない単立神社です。小さな一部の地域を氏子地域に持つ神社や秋祭りを行わないような神社では他にもありますが、地域を象徴する神社が単立神社として存在しているのは世田谷では珍しいことです。

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とはいえ単立であるといってもあくまでこれは法制度上の問題で、普通の神社と思想や信条的な面で独自性があるとは限りません。だから怪しい宗教とか、神道として邪道というわけではありません。調べてみると人事的、金銭的、制度的な問題で包括宗教法人を離脱し、単立となる例はそれなりに多いようです。

ここでは明治政府による合祀令に村全体で反発し、神社を独立させて維持した経緯があるので、そういった過去から今でも神社庁に所属していないのかと思います。こういう経緯を知ると、誇りある氏子に守られている神社であり、今でも地域の人々に愛され、また秋祭りが神社の規模以上に盛り上がるのも頷けてしまいます。

<世田谷の秋祭り File.13 稲荷森稲荷神社例大祭 2013年1月初稿 - 2015年10月更新>